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崖下を切り開いたほぼ平らな道が続く。やがて、右側の崖上から水がシャワーのように降り注ぐ所を過ぎる。
カメラを濡らさないように帽子に隠して進む。
やがてガレ場。その後、杉 (?) の植林帯が現れたので、少々ビックリ。
暫く進むと、左の崖の下、今までかなり下方にあった谷川の流れが、徐々に山道の高さに近づくようになってくる。
そしてついには河原歩きに近い状態となり、谷川の向こうに黄色いペンキ印が見える場所に到着した。広河原である。時刻は 6時27分。
何とか登山靴を脱がずに、石伝いに渡れないかと暫く周辺を歩き回ったが、意外に水量が多く、流れが速いため、
諦めて持参したサンダルに履き替え渡渉する。先日の鶏冠山以来の渡渉だが、
その時に比べ、水温は格段に高くなっている。 |
結局、この広河原で 13分程の時間を使ってしまう。
登山靴のままで渡れる場所探しにかなり時間を使ったことと、サンダルへの履き替え、そして、渡渉後、再び登山靴を履くのに思った以上に時間を使ってしまった次第。
最初から躊躇せずにサンダルに履き替えるべきであった。
渡渉が終わると、ここから本当の登山道が始まる。
急斜面をジグザグに切られた道を登るのだが、その振幅は意外に大きい。それでも急斜面には違いなく、一気に汗が噴き出し、息が上がり出す。
良く踏まれた道を 35分程ひたすら登り続け、ようやく山の神の祠の前に到着。時刻は 7時15分であった。 | |
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山の神の祠を過ぎても、まだまだひたすら登り続けねばならない。結論から先に言うと、この山は途中のアクセントに乏しく、
とにかく登り続けるという状況と思って良い。アクセントというのは、展望の良い場所だったり、気分の良い岩場だったり とかのことを指すのだが、
布引大崩れに出るまでは桧横手山の頂上があるのみ。この桧横手山頂上も今ひとつの場所であるが・・・。
そんな中、唯一 素晴らしい展望を得られたのが、この富士山が見える場所。
斜面の途中なので休憩には適さないが、富士山とその左に毛無山が見える。
ここで、本日 2人目の下山者に会う。その人は、昨日 山中でテン泊したそうだが、話の中で、本日 3時に老平を出発して日帰りを目指している人が先行していることを知る。
時刻は 7時40分。 |
富士山が見えた場所から少し登って行くと、
道のそこかしこに放置された林業関係の機械類が見られるようになる。
オタフク滑車、鋼鉄のワイヤー、ドラム ? 等々。そして極めつけは この写真にあるウインチであろう。インクライン跡である。
しかし、こんな山奥で仕事をしていた人達がいたとは驚き。インクライン跡と言うからには斜面にレールも敷かれていたのだろうか。
そして、どこまで木材を下ろしていたのであろう。また、その木材はどう運んだのであろう。
その水量から見て、まさか川で運んだとは思えないが・・・。そういう意味では、広河原までの山道は、馬なら通れたのかもしれない。
馬で運んだのか ?? 林業、農業 等々昔の人達のパワーにはいつも驚かされる。
この後も展望の利かない樹林の中をひたすら登り続ける。 | |
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普通、登り続けて上方を見ると、先の方に青い空が覗いたりして、もうすぐ尾根に到達するとか、ピークが待っているとか、
先の方に少しは目処を付けられるのだが、ここは全くそれができない。
左右に青い空が覗くので、これはピークが待っているのかと思うと、今登っている真ん中の斜面だけはドンドン先へと続いて際限がないのである。
これでは疲れる一方。
仕方がないので、駐車場を出発してから 3時間半を経過したこともあり、何の変哲もない樹林の中で休憩することにする。
10分休んで 8時54分に出発。
休憩場所から少し登ると、心なしか傾斜が緩み始め、周囲はシラビソ ? の大木が目立ち始めてきた。 |
シラビソやコメツガの木々の中を進む。
傾斜は確実に緩やかになり、苔むした倒木も目立つようになる。所々、立ち枯れの木も見られるようになり、
山もかなり奥に入ってきたと感じるようになる。
そして、周囲に苔が多くなり、それが土の登山道をハッキリと浮かび上がらせている状況の中、『 休猟区 』 の黄色い表示板の下に、
『 老平 ← 桧横手山 → 笊ヶ岳 』 と書かれた手書きの標識が置かれているのを見つけたのだった。
そして、そこから道を少し外れた所が、桧横手山山頂であった。時刻は 9時16分。
山頂は展望もなく、テントが 1張くらい張れるスペースしかない。また、山頂を表す標識も木に括り付けられた手書きの小さなものしかなく、
先程の標識を見過ごしたら、通り過ぎてしまうような場所であった。それでも、自分の居場所が分かっただけでも嬉しいものである。
地図では、ここから布引山まで 2時間40分。遠い。 | |