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道は再び登りに入る。錫ヶ岳の尾根に取り付く前に、もう一つ小さなピークを越える必要がある。
右手を見ると、至仏山、
笠ヶ岳が見える。
まだまだ雪が多いようだ。
道には倒木が多くなり、山奥まで入ってきたなという雰囲気が漂う。
高度を上げて振り返れば、奥白根山の左側を行く谷の向こうに特徴ある 四郎岳と燕巣山が見え、
その 2つの山の間にはうっすらと燧ヶ岳の双耳峰も見える。
後で写真を拡大して見ると、燕巣山の手前に見える高みには、ロープウェイの山頂駅も写っていた。 |
この登りでは少々ササが煩い所がある。
目印は明瞭なので、迷うことはないが、やはり煩わしい。
暫くすると、上の方から下ってくる人がいた。少し話をする。もう頂上には誰もいないとのこと。これで頂上を独り占めできることが確定。
それにしても長い行程ですねと感想を述べたところ、それだけに充実感があると言っておられた。確かにその通りである。
時折現れる残雪に苦労しながら登り続ける。前方には、あれほど遠かった錫ヶ岳がかなり近くなってきている。あの斜面を登り切った後、
さらにまだ先があるというようなことが無ければ良いが・・・。 | |
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右手を見れば、再び至仏山が見える。
さすがにこの時期、温度が上がっているので、遠くの山々は霞み気味。至仏山も雪の部分があるから輪郭が分かるのであって、
雪がなければ周囲の色に溶け込んでしまって識別できなかったかもしれない。
残雪の多く残るピーク部分を越え、下りに入る。あとは下ってようやく錫ヶ岳に取り付けることとなる。
それにしても長かった。時刻は 10時51分、湯ノ湖を出発してから 5時間近くかかってようやく辿り着いたことになる。 |
さて、いよいよ錫ヶ岳に取り付くことになる。
気持ちの良さそうなササ原の斜面が疲れた体に力をくれる。
左を見れば、残雪が多く残った窪地に雪融け水が溜まっている。下山時にヒキガエルに遭遇したので、本当に池があるのかもしれない。
ゆっくりと斜面を登っていく。少し登って振り返れば、男体山、
中禅寺湖が見えるものの、うっすらとしてぼやけた状態である。
しかも、男体山の頂上付近には雲がかかり始めており、
前回の 温泉ヶ岳、根名草山、金精山に引き続き、
またしても男体山のハッキリとした姿を見ることができないことになった。
また、北を見れば、先程と同じように四郎岳と燕巣山、そして燧ヶ岳が見える。
こちらも霞み気味である。 | |
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そして、当然 奥白根山の姿も見える。
こちらはまだ距離が近いだけあって、それほど霞んではいない。
それよりも、白根隠山、白桧岳、そして その他のいくつかのピークと、越えてきた山々が並んでいるのを見て、
よくもまあここまでやってきたなと感心してしまった。
しかし、逆に考えれば、帰りもあのピークを越えていかねばならない訳で、バテないことを祈るばかりである。
ササ原の斜面を登り切ると、再び樹林帯に入る。樹林帯の中は、残雪で埋まっている。
目印を辿りながら進む。 |
樹林帯を進み、
少々高くなった所に到達したので、頂上かと思ったのだが、それほど甘くはなかった。一旦、樹林帯を抜けて雪の上を進み、
左手の高みへと進むことになる。
この辺の雪の量はまだまだかなりのものなのであろう。日当たりが良いにも拘わらず、それほど雪が腐っていない。左の高みを少し登ると、
雪がなくなり、狭いながらも平らな場所に飛び出した。錫ヶ岳頂上である。
時刻は 11時26分。湯ノ湖から 5時間半ほど。本当にお疲れ様である。 | |
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頂上は写真のようにかなり狭い。
写真には三角点も写っているが、これは 『御料局三角點』。
国土地理院の三角点はもう少し先、あまり目立たない所にある。
なお、『御料局三角點』 とは、根名草山登山記録の
温泉ヶ岳頂上の項で書いたように、
下記の通りである。
明治時代、国有林の中でも皇室の財産であった森林は、宮内庁御料局が管理しており (その他の国有林は農商務省山林局が主に管轄)、
定期的に 管轄林の面積を測量していたが、その測量の基準点としたのが、この 『御料局三角點』 である。
なお、写真のように頂上は樹林に囲まれていて展望は利かない。少し東に進むと、
中禅寺湖、男体山方面が見えるが、
この時間、霞んでしまって全く駄目であった。 |