皇海山 再登山 ( 皇海山:2,143.6m ) 2009.10.22 登山



【PHOTO & 記録 皇海山再登山 2】

8時13分、猿田彦神社跡に到着。
神社跡の手前、石段の左側には、大忍坊の碑がある。ガイドブックによれば、大忍坊は元日光山・輪王寺の僧で、足尾の竜蔵寺の住職となり、 この庚申山に籠もって断食行を行ったりしていたとのこと。ある時、旅先で米沢藩士雲井竜雄と知り合って意気投合したが、 その後、明治政府大官暗殺を企てる雲井らとともに捕らえられ、斬首刑となったとか。
写真の碑には大忍坊の文字とともにこの地を開山した勝道上人と思しき彫り込みも見える。何故、一緒に名前が刻まれているのであろう。

猿田彦神社跡からは道が二手に分かれる。 前回は先ゆく人にそのままついて右に進んでしまい、庚申山・お山巡りコースに入ってしまったのだが、今回は間違えずに左に進む。
やがて、高台の上に庚申山荘が見えてくる。この山荘を見るのは今回が初めてである。前回も下山時にこの道を通ったのだったが、 旧山荘跡しか覚えていない。小生の勘違いかもしれないが、当時の道は今の道よりもっと手前にあり、新しい山荘に行くには、 少し先まで足を延ばさねばならなかったのではなかったっけ・・・。
高級別荘を思わせる山荘の作りに少々びっくりである。

庚申山荘を左に見て、少し登ると、鳥居が見えてくる。そばには祠もあったのだがその時は見落としてしまい、 少し高度を上げてから祠の存在に気がついた次第。
鳥居を潜り岸壁の方に進む。岩の下から水が湧き出ている。
この少し先からは、道を左にとって大岸壁の下を進むことになる。
岸壁の基部が抉れて庇のようになった場所があり、戸隠山の五十間長屋、 百間長屋を髣髴させる。
また、裏見の滝と呼ばれる場所では、同じように岩が抉れたところを通るのだが、 その岸壁にポタポタ水滴が落ちており、文字通り滝の裏側を見ることになる。

岸壁を通り過ぎ、暫く登ると、 写真のような 『初の門』 に到着。門を潜らなくても進めるのだが、折角だからと門を潜る。
すぐに梯子となり、梯子を登った少し先で小さな広場のようになった場所に到着。木の下に標識らしきものが 2、3枚落ちていたが、 いずれも字が消えていて読むことができない。
もしかしたら、ここがこの山を開いた勝道上人の行場と言われる場所かもしれない。

小広場から少し登ると、鎖、梯子が現れる。
左側には、蝋燭のような岩。恐らく これが梵天岩であろう。
梵天岩を過ぎると、写真のようなトンネルが現れる。標識を見落としてしまったが、これは多分 『一の門』 であろう。
トンネルを抜けたところで、山巡りコースの分岐。無論、そちらには行かずに庚申山を目指す。
道は昔 原始人が暮らしていたのではと思わせるような岩の庇の下を進む。庇の手前にはまたまた岩のトンネルがあったが、そこを潜っても、 山巡りコースに行けるらしい。この穴が小胎内と呼ばれる穴なのかもしれない。

岩の庇を抜けると、今までの暗い感じのする岩場から、 明るいササ原の斜面に変わる。見上げれば、斜面の先には青い空。前回よりはかなり良いコンディションである。
少し高度が上がって来ると、かなり周囲が開け出す。振り向けば、 樹林の向こうに袈裟丸連峰が見える。
暫くは樹林の中を進むようになる。足下にはササが生い茂っている。木の根がむき出した斜面を登る。少々息が切れるが、 それも長く続かず、やがて、徐々に傾斜も緩くなり始める。庚申山頂上も近いようだ。
左手に樹林が切れた場所があったので行ってみると、写真のように袈裟丸連峰がよく見えた。



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