しかし、やはり目印となる岩は見つからない。 が、やはり目印となる岩は見つからない。 少し焦りが出てきたが、まだ時間はタップリある。 | |
もしかしたら、あれが目印の岩ではないかと思い、そちらへと進んでみる。 つまり、左側の突き出しの下部は苔生す大岩となっており、
その岩の下を道らしきものが横切っていて、目印の岩はその道のさらに下にあったのである (写真)。 写真 右下の尖った岩が目印の岩。 |
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さて、目印の岩 発見の後は、尊仏岩跡を見つけなければならない。 尊仏岩跡に違いないと思ったが、そこに至るには急斜面が待っている。 | |
慎重に、崩れかけの斜面を横断し、尊仏岩跡があると思しき突き出しの基部に立つ。 縦走路を外れ斜面に入ったのが 10時41分だったので、24分程時間を要したが、
正規に斜面を下る時間を引けば、15分くらいの捜索だったであろうか。 |
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その 2体の石仏だが、皆が述べているように思いの外小さい (高さ 30センチ弱)。 2体とも頭がもがれた状態になっているが、頭があったらその大きさは人の握り拳くらいであろう。 2体の石仏の印相 (ヒンドゥー教及び仏教の用語で、 両手で示すジェスチャーによって、ある意味を象徴的に表現するものを言う) を見ると、どちらも鎌倉の大仏様と同じく、 両手をへその前で組み、親指と人差し指で輪を作っておられるので、阿弥陀如来像らしい。 一方、石碑の方には 3つの文字が刻まれており、一番上が 梵字のような文字、 その次の 2つが漢字で 『 尊佛 』 とハッキリ読むことができる。 | |
こうなると一番上の文字に興味が湧くが、 帰宅後に調べて小生が出した勝手な結論は、その梵字のような文字は 梵字の 『 アーンク 』 を簡略化したものではないかということである。 『 アーンク 』 とは、胎蔵界における
大日如来を意味しているのである (胎蔵界 = 密教で説く二つの世界の一つ。大日如来を本来的な悟りである理性
(りしよう = 普遍の真理) の面から表す。もう一方の 金剛界は大日如来の智慧の面を表す。)。 右上の梵字は 北華阿飛世界 提供の携帯待受画像を 加工させて戴いたものです |
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