塔ノ岳、尊仏岩跡、鍋割山 ( 塔ノ岳:1,490.9m ) 2016.1.9 登山



【PHOTO & 記録 塔ノ岳、尊仏岩跡、鍋割山 6】

しかし、やはり目印となる岩は見つからない。
先程 途中まで進んだ右手の突き出しを見ると、そちらの方が低く、もう少し周囲が見えそうである。 無駄をしたな と思いつつ、斜面をトラバースし、何とか右手の突き出しへと進んでその上に立つ。

が、やはり目印となる岩は見つからない。
見つからずに戻った人や、見つけるのにかなりの時間を要した人も多いので、そう簡単に見つかるはずはないのである。

少し焦りが出てきたが、まだ時間はタップリある。
とにかく目を凝らして周囲をじっくりと眺めると、先程その上に立った左側の突き出しの下方、 木々がゴチャゴチャしている中に何やら黒い岩のようなものが見えるではないか (写真 右下方)

もしかしたら、あれが目印の岩ではないかと思い、そちらへと進んでみる。
すると、何と嬉しいことに写真で見覚えのある目印の岩だったのである。

つまり、左側の突き出しの下部は苔生す大岩となっており、 その岩の下を道らしきものが横切っていて、目印の岩はその道のさらに下にあったのである (写真)
冬場であり、周辺の木々に葉が全く無かったから何とか見つけることができたのだが、葉が生い茂っていたら、 上方からこの岩を探すことはできなかったであろう。

写真 右下の尖った岩が目印の岩。

さて、目印の岩 発見の後は、尊仏岩跡を見つけなければならない。
岩の手前からその右下の斜面を眺めると、斜面の先に先程と同じような突き出しが見え、その先に何やら黒いものが見える。

尊仏岩跡に違いないと思ったが、そこに至るには急斜面が待っている。
仕方が無いので、少し先程の右側の突き出しの方へと戻り、斜面を斜めに下る。
結果、土が剥き出しになって崩れかけている斜面を無理矢理に横断することになったのだが (写真。下った後に振り返ったところ。)、帰りはそこを通らなくても済んだので、 目印の岩の手前 (斜面下方に向かって右側) を慎重に下れば問題ないようだ。

慎重に、崩れかけの斜面を横断し、尊仏岩跡があると思しき突き出しの基部に立つ。
前を向けば、少し雪が残っている草付きの細い突き出しの先に黒い固まりがある。
そして、そちらへと進めば、先端にある岩の上に 2体の石仏と石碑があったのである。尊仏岩跡に到着である。時刻は 11時5分。

縦走路を外れ斜面に入ったのが 10時41分だったので、24分程時間を要したが、 正規に斜面を下る時間を引けば、15分くらいの捜索だったであろうか。
こんなに早く見つかってラッキーであった。今年は春から縁起が良い。

その 2体の石仏だが、皆が述べているように思いの外小さい (高さ 30センチ弱)。 2体とも頭がもがれた状態になっているが、頭があったらその大きさは人の握り拳くらいであろう。

2体の石仏の印相 (ヒンドゥー教及び仏教の用語で、 両手で示すジェスチャーによって、ある意味を象徴的に表現するものを言う) を見ると、どちらも鎌倉の大仏様と同じく、 両手をへその前で組み、親指と人差し指で輪を作っておられるので、阿弥陀如来像らしい。

一方、石碑の方には 3つの文字が刻まれており、一番上が 梵字のような文字、 その次の 2つが漢字で 『 尊佛 』 とハッキリ読むことができる。

こうなると一番上の文字に興味が湧くが、 帰宅後に調べて小生が出した勝手な結論は、その梵字のような文字は 梵字の 『 アーンク 』 を簡略化したものではないかということである。

『 アーンク 』 とは、胎蔵界における 大日如来を意味しているのである (胎蔵界 = 密教で説く二つの世界の一つ。大日如来を本来的な悟りである理性 (りしよう = 普遍の真理) の面から表す。もう一方の 金剛界は大日如来の智慧の面を表す。)
となると尊仏岩と大日如来との関係が気になるが、これは分からない。
ただ、塔ノ岳頂上の 『 狗留孫佛如来 』 と彫られた石碑にも 『 アーンク 』 の梵字が彫られていることから、強ち見当外れではないような気がする。

右上の梵字は 北華阿飛世界 提供の携帯待受画像を 加工させて戴いたものです


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