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いつまで見ていても飽きることはない周囲の展望であるが、ここはまだ 頂上ではない。前を向いて先に進む。
遠くの展望も素晴らしいが、目の前には、青い空を背景に、積もった雪の白、
岩の灰色、縞枯れの木々が混ざったシラビソやコメツガの緑といった、一幅の絵にでもなりそうな光景が広がっている。
今日 この山に登ることができたことに大いに感謝である。
頂上は近そうだ。 |
そして、12時51分、
甲武信岳頂上に到着。5回目となる。
誰もいないかと思っていた頂上であったが、残念なことに ? 写真のような立派な標柱の後ろにあるベンチに先客がいた。少し話をする。
聞けば、その方は毛木平の方から千曲川源流を辿って登って来たとのこと。
となると、小生は山梨側から一番乗りということである。まあ、良しとしたい。
また、その方は車中泊にて登って来られたそうで、本日も車中泊し、
明日は天狗岳に登るつもりとのことであった。
凄い。同年配の方なのに、とても行動的である。頭が下がる。 |  |
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山頂の展望であるが、5回の登頂の中で一番である。
まずは目の前に三宝山が大きい。
江戸時代、今の三宝山、甲武信岳、
そして木賊山が一つの山として認識されており、その名を三方山、あるいは国師岳、拳岳としていたらしい。
それが明治時代、陸軍参謀本部陸地測量部による日本全国地図作成作業において、
最も高い峰に敬意を表して三宝山というありがたい名を与えて一等三角点を置き、
他の二峰にはそれぞれ甲武信岳、木賊山という名を与えた とのことだそうである。
しかし、この 3つの峰を一つの山と見なしていたというのは本当だろうか。
山容、位置的に無理がある気がする。 |
上記で述べたように、
その高さに敬意を表され、さらに一等三角点まで設置されている
三宝山であるが、
人気は今ひとつのようである。
お隣の甲武信岳が百名山に選ばれ、
そちらに人気が集中していることで、その不運を嘆くとともに、本来 百名山は三宝山であるべきと主張している人達もいるようだが、
小生としては、山容がやや貧弱であろうとも尾根の配置、展望から言って、甲武信岳が百名山であることに全く異存はない。
その不運の三宝山の左に白い峰が見える。よく見ると、浅間山ではないか。
頂上付近に白い煙 (あるいは水蒸気 ?) も見えているような気がする。 |  |
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そして富士山。
この甲武信岳山頂で
富士山を見るのは初めてのような気がする。
逆光ではあるが、正月早々、このような高い山の頂上から富士山を眺めることができたことに感謝。
今年も良い年でありますように。
暫くすると、先ほど 尾根上に登り着いたところで再び抜き返した人がやってきた。
甲武信小屋に荷物を置いてきたらしい。やはり小屋に管理人はおらず、泊まるなら
西破風山との鞍部にある、
破不山避難小屋に泊まるようにとの貼り紙があったらしい。それは酷な話である。
尤も、冬期小屋は開いていたので、そのまま甲武信小屋に泊まるつもりらしい。
明朝の日の出を楽しみにしておられた。 |
先ほどの頂上直下の眺めと同様、
この頂上から見る八ヶ岳は素晴らしい。
そして更に、天狗岳の右方には
北横岳、
蓼科山も見える。
また、良く目を凝らすと、天狗岳と蓼科山との間に、真っ白な山々の連なりが見える。
手元の地図から推定するに、蝶ヶ岳、
常念岳のようである。
また、蓼科山の手前 下方には、
天狗山、男山、
御陵山 (おみはかやま)、
御座山 (おぐらやま) などのお馴染みの山々も見える。
かつて登った山々が沢山見えて嬉しい。至福の時である。 |  |
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八ヶ岳の左に目を戻せば、
小川山の三角形が大きく、
小川山から左に下がった裾野は再び
金峰山へと盛り上がっていく。
その緩やかな V字型の稜線の後方には、甲斐駒ヶ岳と
鋸岳が見えている。
甲斐駒ヶ岳と金峰山との間にも白い峰がほんの僅かに見えるが、
仙丈ヶ岳と思われる。
金峰山の左に朝日岳、そしてその左後方に
北岳、
間ノ岳、
農鳥岳の
白根三山も見ることができる。
素晴らしいの一言である。
頂上にいる 3人でこれらの山々を同定し、
かなり話が弾んだのは言うまでもない。 |