鎌倉散策 ( 衣張山 121m ) 2016.11.9、16 登山



【PHOTO & 記録 鎌倉散策 7】

こちらは安養院の本堂裏手にある宝篋印塔 (ほうきょういんとう = 墓塔・供養塔などに使われる仏塔の一種) である。
大きい方の石塔 (重要文化財) は、安養院の前身である善導寺の開山・尊観の石塔と伝えられ、 1308年の文字が刻まれていることから鎌倉最古の石塔とされている。
小さい方は北条政子の墓とも言われているようである。

この安養院は、北条政子が亡き夫 源頼朝の冥福を祈って建てた長楽寺が焼失したため、 鎌倉末期、この善導寺の跡に長楽寺を移して政子の法名である安養院を院号とし、これが寺名になったといわれている。

こちらは妙本寺の祖師堂。

妙本寺は日蓮宗の寺院であり、日蓮の直弟子である日朗を開山として文応元年 (1260年) に創建されたとのこと。

もともとこの地には比企能員 (ひきよしかず) の屋敷があり、 建仁3年 (1203年)、比企の乱で比企一族が北条氏を中心とする大軍に攻められ、滅ぼされた地でもある。
その後、比企能員の末子である比企大学三郎能本 (よしもと) が日蓮上人のためと、 比企一族の霊を弔うためにこの地にお堂を建てたのが始まりとのことである。

ということで一応コースの下見は終了したものの、 問題が生じてしまった。
先に述べたように、衣張山への登りが意外に本格的であり、当日のメンバーには少々厳しいと思われるのである。
例え、何とか引っ張り上げるようにして衣張山に登ったとしても、スタミナを使い切ってその後の行程が心配である。

そこで、帰宅後に本日のコース周辺についてネットで調べたところ、杉本寺から報国寺に至り、 そこから巡礼古道を進んで衣張山の南側に出るコースがあることを知る。このコースを辿ると衣張山はパスすることになるが、 その後の行程で景色などはカバーできることから、十分と思われる。
なお、巡礼古道というのは、坂東三十三観音霊場の第1番札所である杉本寺から報国寺のある宅間ヶ谷を越えて、 第2番札所である逗子の岩殿寺 (がんでんじ) を目指すための巡礼の道とのことである。

しかし、古 (いにしえ) に巡礼者が通った道とは言え、 実際に歩いてみなければ当日のメンバーに適しているかどうかの判断ができない訳で、やむを得ず、 11月16日(水)に下見の第二弾を実施する。

≪ 11月16日(水) : 下見第二弾 ≫

前回と同じ電車、そしてバスに乗り、杉本観音にて下車。
杉本寺を見て回った後、10時40分に杉本寺前から県道204号線を東へと進む。
なお、この日も天気予報は大きく外れて曇り空、本当についていない。

バス停 1区間を歩き、報国寺入口の信号にて右折して少し進むと、 右手に報国寺の山門が見えてくる (写真)。時刻は 10時45分。

山門を潜り暫く進むと、右手に本堂が見えてくるが、 この寺の一番の魅力はその本堂左手から入る 『 竹の庭 』 にある。

拝観料 200円也を払って中に入ると、すぐに目の前に孟宗竹の竹林が広がる。
晩秋でも青々として真っ直ぐに伸びている竹の林は見事で、加えて竹林の隙間から降り注ぐ日の光が優しく (尤もこの日は薄曇りのため、それが良かったのかも知れない)、何故かホッとさせられる場所である。

観光客が多いと少々しらけてしまうが、 誰もいない時を見計らって是非とも写真に収めたい場所である。

また報国寺には、この竹林の他に、やぐらや石仏、 そして見事に手入れされた枯山水の庭園もあり、なかなか見所の多い寺である。

写真は報国寺内にある足利氏のやぐら。
報国寺の開基である足利家時や、永享の乱で自刃した足利義久のものだと言われている。

10時55分に報国寺を出発し、先程歩いてきた道をさらに先へと進む。

2分程歩くと、道の左手に巡礼古道の入口が見えてくるがこれが少々分かりにくい。
少し入った所に 『 浄明寺宅間C地区急傾斜地崩壊危険区域 』 の標示板があり、 その下に手書きの 『 巡礼古道 』 と書かれた木札がぶら下がっているのだが、 事前に知識を得ておかないとこの入口を見過ごしてしまう可能性がある。

なお、その入口の所には、『 浄明寺二丁目 6 』 との街区標示板が付いた電柱が立っているので、 これを目印としたいところである。
時刻は 10時57分。



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