鎌倉アルプス (葛原岡・大仏ハイキングコース) ( 天柱峰:約 97m ) 2016.5.13 登山



【PHOTO & 記録 鎌倉アルプス 2】

暫く進んでいくと、 やがてシェアアトリエ・ハウス 『 たからの庭 』 の手前で車道は終了し、細くなった道はアトリエの左横を抜けていく。

足下はコンクリートの緩やかな階段となり、その後、傾斜がやや急になった階段が続く。

階段を昇って高度を上げていくと、 やがてコンクリートの階段は丸太で土留めした土の階段へと変わり、さらには木の根が露出した土の道が現れて、 そこから山道が続くようになる。

前回の 鎌倉アルプス散策でも見られた 凝灰質砂岩が所々に露出した山道を進む。
山慣れた者には何でも無い傾斜の道であるが、初めてこういう所を歩く人にとっては少々辛いかも知れない と思いながら進む。

暫く緑を楽しみながら登ってくと、目の前に小さな高みが現れ、 登り着いた所には 『 天柱峰 』 と彫られた石碑や供養塔などが立っている。
時刻は 10時51分。

この天柱峰は浄智寺の裏手に位置しており、 中国の高僧で浄智寺の住職を勤めた 竺仙梵僊 (じくせんぼくせん) が名付けたとのことである。
標高は約 97m。因みに、写真中央の供養塔は、その竺仙梵僊を供養したものらしい。

天柱峰を過ぎ、小さなアップダウンを繰り返しながら進んでいくと、 やがて 『 葛原岡神社・源氏山公園 200m、銭洗弁財天 600m 』 と書かれた標識が現れる。

道はその少し先で丸太で土留めされた階段にて大きく下っていく。

その後、小さなアップダウンを経てやがて道が平らになると、 すぐに葛原岡神社の横手に飛び出す。
右に入れば葛原岡神社であるが、やはりここは鳥居を潜ってから境内に入るべきと思い、さらに少し進んでいくと道は広い参道に合流する。

合流点の右には葛原岡神社の石の鳥居があり、そこを潜って境内に入る。 時刻は 10時58分。

この葛原岡神社の祭神は後醍醐天皇に仕えた日野俊基 (ひのとしもと) で、 俊基は 1332年 (元弘2年)、鎌倉幕府倒幕計画に参加した罪でこの葛原岡で斬首されている。
しかし、後醍醐天皇による倒幕計画は俊基の死後も着々と進められ、約一年後の 1333年 (元弘三年) に楠木正成、 新田義貞らの活躍によって、ついに鎌倉幕府は滅亡し、さらに建武の中興へと至ったのである。

このことから、明治天皇は俊基の足跡 (そくせき) を 明治維新の先駆けとして深く追慕せられ、明治20年にこの葛原岡に俊基を祭神とした神社を創建されたとのことである (写真は 葛原岡神社の本殿)

境内を一回りした後、広い参道を源氏山公園に向かって進む。
時刻は 11時2分。

途中、参道から右手に下る道が分かれる所にて、青空に浮かぶ 富士山の姿を 木々の上に見ることができたのだった。



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