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前を見れば、高みの上に石の祠らしきものが見える。
あれが甲斐駒ヶ岳の頂上であろう。
もうほんの少しである。
ようやく辿り着いたかと思うと嬉しい。
しかも、雲一つ無く、久々に快晴のもとでの頂上到着が可能となりそうである。
展望はますます大きく開け、甲斐駒ヶ岳の斜面の右横には
御嶽も見える。 |
やがて、真新しい石の祠の前に到着。
そばにある石柱には 『 駒ヶ嶽神社本社 』 とある。
いわゆる駒ヶ岳神社の奥社ということになるのであろう。
祠には石の扉があり、そこには武田菱の上に入り山形というのだろうか、『 へ 』 の字を 2つ重ねたような山形紋が彫られている。
やはり甲斐の国、武田氏に関係があるのだろうか。
そばの高みには石碑、鉄剣などが林立しており、
往時は 駒ヶ岳講の活動が盛んであったことを示している。 |  |
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甲斐駒ヶ岳頂上はもうすぐ。
左から北沢峠−駒津峰からの道を合わせる。
御宝岩の少し先で、下山してきた人と話をした時、
この合流点から頂上まで登山者が列をなしていたと言っていたが、それ程ではないにしても、急に混み出したことは間違いない。
その北澤峠への道を見やれば、摩利支天がドーム型の姿を見せており、その頂上に多くの人が居るのが見える。
当初は摩利支天にも行きたいと思っていたが、かなり下っており、もうそこまで往復する気力はない。 |
そして、ついに
甲斐駒ヶ岳頂上に到着。
時刻は 12時17分。
途中の休憩も含め、6時間47分かかったことになる。お疲れ様の一言である。
目の前には 20年前と同じと思われる石祠がある。
祠にはこの山を開いた信州の人 今エ門の次男、権三郎こと開山威力不動尊が祀られているとのこと。
面白いことに祠にある木の格子には草鞋 (ワラジ) が括り付けられている。
『 わらじ奉納 』 は交通機関が未発達だった時代、人々が旅の安全祈願や無事に戻ったお礼参りとして始まった とされているらしいので、
ここの草鞋も同じ思いが込められているのであろう。 |  |
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祠の裏に回れば、一等三角点がある。
一等三角点は明治 21年陸地測量部が新設され、日本の基本図として 1/50,000 地形図を作成するにあたって、
その骨格となる三角網を設定するために造られたものとのこと。
Wikipediaによれば、三角点の等級は設置される山自体の等級を表しているのではなく、
あくまで三角網の形状 (できるだけ正三角形に近い形が望ましい)、
測角のための相互視通等の条件により大きな三角網に設定されたかどうかによるもの とある。
そうとは分かっていても、超一流の山に一等三角点というのが一番感覚的に受け入れられる。
富士山の三角点が
二等三角点ではやはり感覚に合わない。 |
さて、登山者で混み合う山頂であるが、
人の間を縫うようにして山頂を歩き回ることで展望を楽しむことはできる。
まず目に付くのは、本日初めてのご対面となる
仙丈ヶ岳。
小仙丈カールからこちらに延びる小仙丈尾根、そして薮沢カールからこちら側に延びる馬ノ背と右に延びている地蔵尾根が、
重厚な雰囲気を作り出している。小仙丈尾根と馬の背の間に見える薮沢の深い抉れも印象的である。
南アルプスの女王と呼ばれているが、どうして非常に力強い。
しかし、鋭角に尖った北岳と違って、
この仙丈ヶ岳を見ると何となくホッとするのは、
やはり女性だからなのかもしれない。 |  |