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先程の刀利天狗は 8時47分に通過。
ここからは視界の利かない樹林帯を黙々と進むこととなる。
道は山の中腹を巻く形でほぼ平らな道が続く。左手の斜面の上が恐らく黒戸山ということになるのだろう。
やがて、道は下り坂。折角稼いできた高度をかなりはき出すこととなる。
途中、樹林の間から甲斐駒ヶ岳が見えた。
バックは雲一つ無い青い空。頂上に着くまで今の状態が保って欲しいものである。それにしても頂上は遠い。 |
道は一旦 棚のようになった場所に下り着いたので小休止。
この広い棚状の場所からは甲斐駒ヶ岳がよく見える。
そして右を見れば、建物があったような雰囲気の場所。
そう、ここが五合目小屋跡である。
20年前、10時過ぎに竹宇宇駒ヶ岳神社を出発し、この五合目小屋には 15時前に着いた覚えがある。
雨の中難儀をしながらの登りであったが、この小屋でジュースを頼み、囲炉裏の前で小屋の主人と話をしたのを思い出した。
その小屋が無くなっていたのは寂しい限りである。
時刻は 9時25分。
小屋跡に座って、当時を思い起こしつつ食事を取る。 |  |
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小屋跡の後方に大きな岩があり、その前に道がある。
この道はどこへ続くのかと思いそちらに進んでビックリした。
その大きな岩が刳り抜かれていたのである。
また、岩には人物のレリーフとプレートもはめ込まれている。
プレートを読んで分かったことがいくつかある。
まず、この岩は五丈岩。この場所は駒ヶ岳神道の修験行者植松嘉平治が人力で彫った祈祷所であること。
そして、レリーフは五合目小屋の主人、古屋義成氏 (1999年没) であること。義成氏の父親が、
祈祷所の休泊所であった小屋を譲り受けて、五合目小屋を創設したこと等々。 |
五合目小屋で 16分程休憩した後、先を急ぐ。
棚状の場所から更に下り、鞍部に至る。
目の前には屏風岩。張り出して庇のようになった岩の下には祠が祀られている。
20年前はこの辺に壊れかけた屏風小屋があったはずで、目の前の梯子を登る前に身を整えるべく雨宿りをした覚えがある。
石碑が多く立つ屏風岩の右に長い梯子がある。
これなら登るのが楽である。20年前の状況はあまり覚えていないが、
かなり危うい梯子だったような覚えがある。 |  |
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屏風岩からは梯子の連続。それとともに登山道周辺に立てられている石碑の数が一気に増える。
また、高度もグッと上がり、先程は頂上が雲に隠れていた
蓼科山も雲がとれた姿が良く見える。
そして、さらに先に進むと、再び鳳凰三山 地蔵岳と
富士山がよく見えるようになった。
やがて下方に木の橋が現れた。古い橋の上に新しい橋を架け直したようだ。
これまで続いた梯子にしても、この橋にしても良く手が入れられていることに感心する。 |
梯子とともに鎖場も連続する。
それ程 難しい鎖場はないが、慣れていない人には厳しいところもあるようだ。
ある鎖場では、下ってきた 3人組の 1人が足をどこに着けて良いか分からず、友人の指示を受けながらの下降で、
下で 2分程待たされるケースもあった。
昔の人たちは鎖場も十分でない環境で、どのようにして頂上まで登っていたのであろう。 |  |