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再び正規の道に戻り、熊沢山を下って大菩薩峠へと向かう。
こちら側は完全に樹林帯であり、足下には雪がかなり残っている。雪の一部は凍っており、
軽アイゼン無しの身ではかなり気を遣わねばならない状態であった。
滑りやすいところは木にしがみつきながら降りたり、迂回したりして慎重に下る。
やがて、先の方が明るくなり、道が平らになったかなと思ったら、大菩薩峠介山荘の裏手に飛び出したのであった。
時刻は 10時2分。 |
介山荘の横を進めば、
すぐに大菩薩峠の標柱が現れる。時刻は 10時3分。
先ほど第二展望台で追い抜いた 2人組はもう とっくにここを通り過ぎてしまったのだろうか。
それにしても、ここは 13年半前とほとんど変わっていない感じである。ただ、家に帰って写真を比べると、
13年半前の写真では標柱とその横にある表示板が真新しかったのに、今回はかなり古くなっている。
標柱、表示板とも、13年半の風雪に耐え抜いたという風格が感じられるのであった。
小屋の方はかなり変化しており、以前はテラスという感じであった右側にも建物が建てられていた。
やはり 13年半も経てば人間の扱うものは大きく変化するということである。 |  |
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大菩薩峠の標柱を過ぎると、素晴らしい展望が待っていた。
とにかく南アルプスの眺めが素晴らしい。
写真では、一番右に甲斐駒ヶ岳。
そこから左に、アサヨ峰、仙丈ヶ岳と続き、
地蔵岳、観音岳の鳳凰三山を経て、
羽を広げたような北岳へと続く。
北岳の左には間ノ岳、
農鳥岳が続き、
塩見岳も良く見える。 |
そして、
塩見岳の左には恐らく蝙蝠岳。
蝙蝠岳の左には悪沢岳、千枚岳ががっちりとスクラムを組んでおり、
大きな赤石岳へと続いている。
赤石岳の左には、兎岳を間に挟んでピラミダルな
聖岳が見えている。
そして、聖岳の左には上河内岳、笊ヶ岳、どっしりとした布引山が見える。
誠に素晴らしい。風が冷たくなければ、いつまでも見ていたい光景である。 |  |
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そうそう、富士山を忘れてはならない。
上日川ダムを下に従え、富士山がデンと座っている。
やはり、大菩薩には
富士山が欠かせない。
それにしても、稜線上に雪がほとんど無い。1月の終わり、一番寒い時期というのに何ということであろう。
毎年変化があるのは当たり前だが、1990年の 2月に登った時は雪も多く、稜線上では吹雪のような状態になり、
冬山の恐ろしさを体験したのであった。そして、視界が全く得られずただ登っただけという状況が悔しく、
翌週 また大菩薩に出かけて、晴天の雪山を満喫したのであった。
それを思うと、今の状態は寂しい限りである。 |
親不知ノ頭を越えて賽ノ河原へと下る。
この辺は雪が多く残っており、しかも締まっているので歩行が楽しい。
稜線上は風が強く、しかも冷たいので立ち止まる気にならなかったのだが、この賽ノ河原では風も穏やかになり、日差しも暖かく感じる。
時刻は 10時16分。
ここまでほとんど休んでおらず、食べ物・飲み物の類は全く口に入れていなかったので、
ここで大休止とする。 |  |