富士見丘教会は
,1935年、開拓伝道に熱心に取り組んでいた伝道者並びに信徒達によりさて当教会は
,心身障害児を預かる「止揚学園/福井達雨園長」と40年近くにわたる1960年代後半は,当教会にとって「教育の時代」と位置付けられる。
愛児園のお母さんの中から受洗される人がでてき,又愛児園の卒業生の多くが、
そのまま教会学校に進級し教会学校の活動が大変活発になってきた時期である。
その一環としての教会学校の夏期学校は、色々の変遷を経て,
現在では御殿場にある「東山荘」で一泊二日の研修を持っている。
現在、愛児園児とその親たち,教会学校生徒とその親たちと教会員とが一堂に会し,
相互の距離を少しでも縮め,教会,信仰,祈りと言ったキリスト教の香りを
親たちに伝えたいとの目的を加え,「全体礼拝」を年1回行っているが、
これは、1970年代前半から始まった教会学校との合同での「野外礼拝」の新たなる展開である。
当教会では,「婦人会」「壮年会」「青年会Aグループ」「青年会Bグループ(ビッビア)」等の部会があり,それぞれ目的を持って活動しているが,婦人会による外部奉仕活動について
少し触れたい。
1967年からの止揚学園の「保母さん招待プロジェクト」は、婦人会が主体であるが,
更に1975年代後半に入り,他の障害者施設への奉仕活動を具体化させた。
詳細は省略するが
@重障児センター(社会福祉法人・全国重症心身障害児(者)を守る会の一部門)の
月刊誌『両親の集い』の袋詰め作業の手伝い
A有隣ホーム(千歳船橋)のオムツ畳み奉仕
BJOCS(日本キリスト教海外医療協力)の「使用済み切手回収運動」への協力である。
「信仰の深化」はキリスト者にとっては大切なテーマであり生涯にわたり
模索し続けるべきものであり,「信仰の為の生涯教育」は強い重みを持っている。
教会内部の聖書に関する学びは,当教会の創立以来様々な形で引き継がれているが,
1954年より始められた「教会修養会」は,現在では『全体修養会』として毎年夏,
宿泊を共にしながらキリスト者としての抱える様々な課題に焦点を当て,
信仰の深化と宣教の業の実現に向けた学びが継続されている。
1975年代後半に入って「昇天者名簿」に記載される人数も40人近くになり,
教会墓地建設への希望の高まりに対応し,1983年11月八王子市所在の「上川霊園」内に
教会墓地を建設した。
1991年4月より,東方信吉牧師は実質的に第一線を離れ,東方敬信牧師が後任となり
青山学院大学教授と兼任での牧会者となった。2002年4月に若い米田芳生牧師を主任担任教師として
迎え入れ、2006年4月米田芳生牧師の三重県伊賀上野教会転出に伴い、秋葉恭子牧師を主任担任教師としてお迎えした。東方敬信牧師は担任教師として引き続き奉仕に当たられている。
教会の会堂も献堂以来60年以上を経過し、その間必要に応じた補修等は行ってきたが、各所での建物の劣化が激しくまた耐震性にも問題があり、教会員一同の議論の結果、会堂改修を決議し、2002年12月のクリスマス礼拝は
新装成った会堂で祝うことができた。
改修に当たっては、特に資金調達面で愛児園の父母、教会学校父母、他教会他から多大なご協力をいただいた。
当教会は,1997年に創立60周年を迎え,これを記念して「富士見丘教会60年の歩み」
副題「地域の教会をめざして」が編集、発行された。
このページは、それを参考としてまとめたものである。
当然のことながら60年の歴史の深さ,重さは限られた紙面では伝えることは
不可能である。
我々,富士見丘教会員は,神のみ手に支えられてきたこの教会の60年の重みを感じ,
この様な歴史と伝統を大切にし、21世紀に向けて優れた信仰の継承が行われるよう
精一杯努めていきたいと思います。
2003年(平成15年)9月19日、富士見丘教会が国登録有形文化財に登録されました。富士見丘教会につらなる者として大変名誉に思うとともに、教会の創設より現在に至るまでの信仰の諸先輩を覚え、この地での更なる伝道の継承に励みたいと思います。
世田谷区内では3件目となる登録で、この度、「せたがやの文化財」016--平成16年3月30日発行--にもその概要が掲載されました。詳細については、ここをクリックください。