愛児園 (愛児園は2001年3月で閉園となりました。)
「地域への教育的奉仕」又「キリストの福音伝道」の間接拠点の一つとして
,愛児園の役割は非常に大きい。現在で卒園生は1,000人を少し超え,両親を含めると3,000人の人達がこの教会と交わりを持ったことになる。愛児園の園児数は,発足した1953年の第1回入園児童は15名であった。園庭が規定より僅かに狭かったり等で公的資格は取れないまま,宗教法人としての開設となった。愛児園の際立った特徴は,礼拝と祈りをする保育であり,更に障害児に対する扱いであった。通常の幼稚園では,障害児は敬遠されることが多かった。1955年に入って3歳児保育の必要も叫ばれ始め
,一方2クラスの園児数も増えてきた為に教会堂を使用するだけでは限界に達し,多くの園児父母の支援により,園舎新設のアイデアが急遽具体化の運びになった。父母からの募金,バザーによる収益金等により1958年5月平屋の園舎を新設,更に1960年には10坪の増築を行った。愛児園の建物は,当初資金不足で電信柱を使ったりした粗末な園舎だった為に見栄えも悪く,しかも残ったくぎの腐食で建物の傷みも激しかった。教会/愛児園が共同して新築しようという流れになり1970年2月「教育館建設」が可決された。建物面積160.11u(一階3.61u,二階72.5u)、建設総額950万円は,富士銀行/教団からの借り入れ,及び計画的募金活動により賄うこととした。この新設により,現在の愛児園園舎が誕生,その後,教会員/愛児園父母による献金,バザー等の活動による資金捻出により借入金の返済が計られ,1975年に完済した。1974年には96名に達した園児も
,その後,様々な社会的背景,時代の少子化傾向,当教会の地域的特性による幼児の減少等の影響により1991年には26名に激減,この危機的状況の中で,1990年に教会員から愛児園存続の為の「愛児園協力委員会」を組織し、1991年には「愛児園援助献金」による財政援助が決定され募金への行動が始められた。その後,若干の回復傾向が見られたが1997年度の園児数は32名となった。愛児園の基本は,「キリスト教保育」が全ての原点であり,その点だけを考えると園児の増減に一喜一憂する必要はないが,一方で愛児園の運営に要する必要経費を考えた場合には、存続しうる程度以上の園児数(40名)を確保することは必要不可欠の条件であり,この条件を見たすことが不可能な見通しとなり、2001年を持って愛児園を閉鎖することとなった。 教会の歩みに戻る