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2月26日(土)
まいったなあ。
体調がしばらくよくないのだ。
症状は微熱。36度8分くらい。
2日に1度は出る。
からだがふわふわ浮く感じがする。ほかに、頭痛とか咳などはない。
これが38度とかになったら、おもいきって(大手を振って?)仕事をやすむのだが…。
36度8分だと、仕事をやろうと思うとできる。「体調がわるい」と断言できるほどは、わるくないのだ。あしたできることなら、きょうやろうとは思わないくらいのビミューな熱なのだ。
すっかり、体温を測るのが日課となってしまった。やれやれ。
2月21日(月)
6日ぶりの更新。
18日から19日、会議のため函館に出張。
とはいっても、昼まで長万部などで取材し、会議の直前に函館に着く特急に乗り、その晩は函館支社の送別会。翌19日の朝イチの特急で八雲に戻ってきた。
どうしてこんなにあわただしいのだ。
ただひとつ、函館ですごいなーと思ったのは、宿泊した函館国際ホテル(大手町)のラウンジバーからの夜景。
これは一見の価値あり。筆者がこれまで見た夜景の中でも一、二を争う絶景だ。
さて。
さいきん、いろいろなblogを巡回している。
そんなヒマがあるなら、いま読んでいて遅々として進まないベンヤミンを早く読み終えるとか英語の勉強をするとかしたほうが、有意義だと思うのだが、つい安きに流れてしまう。
きょう読んでしまったのが「宿命を超えて、自己を超えて」という日記のブログ。
種明かしを先にすると、この日記の書き手は、最後の記述にあるように、ほんとうにナイフを手に交番を襲い、現行犯逮捕されてしまったらしい。
無気力なニートの自暴自棄、基地外に刃物とはこのこと−というふうに、かんたんには片付けられないなあと、このブログを読んで思った。
さいきんのエントリー(ブログでは、主宰者のカキコをこう呼ぶ)を読むと、たしかにヤケクソで、人生を投げてかかっているように感じる。しかし、最初のころを読んでみると、とてもおなじ人物とは思えない。
たとえば、2005年2月18日の「糞親」は、読んでいて不快になるだけだが、2003年12月7日の「父親」は、家族会議で自分をさらけ出した父親への人間的な感情に満ちていて、1年余りでこうもかけ離れるかと思うほどだ。
斎藤環や東浩紀やフランクルを読み、ラカンに挑戦するような人間が、どうして大学をやめ、自殺を試み、家出して失敗……というふうになっちゃうんでしょう。
なんだかなあ。
2月15日(火)
さっぽろ雪まつりは、今年で真駒内会場が終わるため、見納め、というか、すべり納めということで、子どもを連れて行った。
混雑しそうなので、開場にまにあうよう早めに行ったのだが、それでも待ち時間45分。
すべるのは、たったの数秒だ。
時間帯によっては、2時間近く待たされた人もいたらしい。
このままでは、こっちが雪像になってしまいそうなので、昼前に脱出した。
午後は、エルエテギャラリースペース(中央区南1西24、リードビル2階)のWさんにお別れを言いに行ってきた。
翌13日は、朝の特急で八雲に帰った。
子どもたちも午後から「八雲さむいべやまつり」にやってきた。
こちらは、大雪像が5つ。このうち、すべり台つきが4つもある。
もちろん雪像そのものの大きさでは、札幌にはかなわないのだが、札幌は雪像の真ん中あたりからスロープが出ている。
したがって、すべり台の長さでは、札幌も八雲もさしてかわらない。
5秒と4秒、くらいの差しかないと思う。
それが、待ち時間ほぼゼロで楽しめるのだから、こりゃぜったい八雲のほうがいいって。
待ち時間ゼロといっても、そこそこのにぎわい。
すくなくても、人口では八雲の7倍近くいる北見の冬まつりよりも、盛り上がっていた。
さて、ライブドアによる、ニッポン放送株買収の話が、マスコミやネットをにぎわせている。
そのことで、いまさら筆者ごときがつけくわえることはなにもない。
ただ、ひとつだけ、気になったことがある。
というのは、フジテレビなどにくらべて、ニッポン放送の知名度ってどれぐらいだろう? ってこと。
テレビ局なら、キー局の名前は地方の人にもよく知られている。
しかし、ニッポン放送はラジオだけだ。
筆者のように、むかし「オールナイトニッポン」に耳をそばだてていた人間ならいざ知らず、ふつうのオバサンなんかは、意外と知らないんじゃないか。
ニッポン放送について、すくなくてもはじめのうちだけでも、「関東で放送されているラジオ局」というまくらことばをちゃんとつけていたマスコミがどれくらいあっただろう。
東京の人間は、東京のことは日本中の人が知っていてあたりまえ、という態度を、時として露骨にあらわすことがあるように感じる。
また、マスコミにも、マスコミ内部の用語を外部に対してもわりと不用意につかう傾向がないとはいえない。
だいたい、北海道なんて、産経新聞の実物をいちども見たことのない人のほうが多いと思うよ。印刷してないんだもん、こっちで。(北海道だけでなく、関東・関西以外はだいたいそうなんじゃないか)
気をつけてほしいと思う。自戒をこめて。
あーとだいありーを更新した。
昨年見た展覧会について、ようやくアップし終わった。
また、最近の新聞で読んだ話題などについては、新しいページで書いた。
2月10日(木)
あすから2泊3日で札幌に行きます。
さっぽろ雪まつりを子どもに見せるのがおもな用事です。
12日午後にギャラリーなどをまわれるかもしれません。予定は未定。
13日は朝イチの特急で帰り、仕事です。
仕事のひとつは、「八雲さむいべやまつり」の取材。
ことし、八雲パソコン同好会、八雲養護学校などが、会場にライブカメラを設置しました。
準備作業中も見ることができます。
こちらをクリック!
2月8日(火)
また熱が出た。
37度。しかも症状は熱だけ。
微妙だ。
急ぎの用事があればなんとかできる熱だが、とくになかったので、家で休んでいた。
ことしは、いまのところ完全週休二日制だ。(笑い)
ところで、掲示板にも書いたけれど、古幡靖さんらが昨年まで毎年つづけているSNOW PROJECTについて、ことしは行われるかどうかなど、ご存知の方がいらしたら教えてください。
2月6日(日)
長万部へ一家4人で散歩に行ってきた。
古いおもちゃのいっぱいある玩具店があった。
ちょっとたのしかったけど、冬は寒い。
こんど、あたたかくなったら、また遊びに行こう。
2月3日(木)
八雲神社で厄年の厄払い。
元来、筆者は信仰心のまったく欠如した人間なので、気が進まない。
むかしからある神道とか仏教とかは、まだわかるけれど、大安・仏滅とか、血液型占いとか、そういうのを信じている人がいることじたい、よくわからんです。
2月1日(火)
やっと夕方、雪がやんだ。
積雪は70センチを超え、札幌に迫りつつある。
「あーとだいありー」の更新をボチボチおこなっている。
昨年夏までは、だいたい当日か翌日のうちに書き終えていたような内容なのに。
ちっとも、読んでやくにたたないテキストばかりで、もうしわけない。
目次の「TOPICS」は、けっこうマメに更新している。
きょうは道立近代美術館の情報を載せた。
同館をはじめ、情報を寄せてくださるみなさまに、あらためて感謝いたします。
1月31日(月)
29日から雪が降り続いていたが、昼過ぎ、ようやく峠を越したようだ。
だれと会っても、あいさつは
「よく降るねえ」。
ところで。
せがれがこの春入学する小学校で、保護者向け説明会があった。
筆者はこの種の催し(運動会とか)があるたびに思うのだが、どうしてどいつもこいつも自動車で来るのだ。
6歳や7歳の子どもが歩いてこられる距離を、五体満足な大人が車でやってきて、そこらに路上駐車していく神経が理解しかねる。
1月30日(日)
北海道新聞の記事から。
道は新年度、観光に文化・芸術を組み合わせた「アートツーリズム」の定着を目指し、モニターツアーやモデルルートの開発などに取り組む。道内には美術館や博物館、郷土資料館などが200カ所以上あり、こうした施設巡りを観光に結びつける考えだ。
アートツーリズムは、文化・芸術を楽しむ目的型観光の一つ。農村で自然に親しみ農作業などを体験する「グリーンツーリズム」などと並び、最近注目されている。
道内には現在、札幌市の道立近代美術館や彫刻家安田侃氏の作品を集めた美唄市のアルテピアッツァ美唄など公設、私設の美術館が43カ所あるほか、渡辺淳一文学館(札幌市)、三浦綾子記念文学館(旭川市)などの文学館が9カ所、各市町村の郷土資料館が151カ所ある。
ツアーで昼間はこうした施設を巡り、夜は札幌交響楽団の演奏を楽しむことも想定している。
道はまず、ツアーを旅行会社に企画してもらい、道央、道南、道北、十勝、釧根、オホーツクの6圏域ごとにモニターツアー(各圏域20人規模)を実施する。また、観光学の専門家や旅行会社関係者らによる「検討委員会」をつくり、モニターツアー参加者の声を生かしながらモデルルートを作るとともに、道内外の観光客や旅行代理店へのPR方法などを検討する。
アートツーリズムは、道外では香川県が2003年度から取り組んでおり、猪熊弦一郎現代美術館(丸亀市)など県内の14美術館と観光地を組み合わせたマップを作製したり、旅行会社や観光客へPRしたりしている。
道は来月下旬開会予定の第1回定例道議会に関連予算案を提出する予定で、「観光は北海道の目玉。文化・芸術と組み合わせることにより、新たな観光客を誘致できれば、文化・芸術活動の振興などの波及効果も期待できる」(環境生活部)と話している。
発想はいいと思う。
ただ、これはかなりきつい言い方かもしれないが、道内の美術館のコンテンツが、道外からの観光客に訴えるものがあるかどうかというと、三岸好太郎美術館や札幌芸術の森、道立近代美術館といった一部例外をのぞけば、かなりきびしいものがあるのではないだろうか。
1月27日(木)
八雲で、熊石町・八雲町の合併協議会。
協議がすべて終わり、2月25日調印式、3月の両町の議会で承認、10月1日の合併で、新しい「八雲町」が生まれる予定だ。
ほんとうは「あーとだいありー」欄で書くべきなんだろうけど、あまり更新してないので、ここで「おくやみ」を2件。
彫刻家の志水晴児さんが亡くなった。76歳。
東京藝大を卒業したあと、野外彫刻を中心に活躍し、札幌の教育文化会館(地図C)の庭(南側)に「湧水彫刻」がある。
傾いた立方体を上下に二つ重ねたような形態で、その名の通り、上の立方体から水が湧き出ている(ただし、冬は出ていません)。
現代日本美術展で2年連続して最優秀賞を得たり、東京オリンピック屋内総台競技場玄関ホールに大理石彫刻を設置したり、経歴を読むかぎりでは華々しい活躍ぶりなのだが、それほど名前を聞くことがないような気がするのはどうしてだろう?
洋画家の須田寿さんが亡くなった。98歳。
1949年に牛島憲之らと「立軌会」を組織したベテラン。
1月25日(火)
このページは八雲町職員のアクセスも多いそうなので、筆者の正体をあまり克明に書くとまずいかもしれないが、実を言うと最近、けっこうヒマです。というか、やはり冬になるとネタがない。
神経がもっと図太い人だと、あちこち回ってネタが見つかった時点で支局に戻り、原稿を書いてその日の仕事はおしまい! あとは本でも読んでいる…
というふうにやれればいいのだが、なにせ小心者なので、そこまで割り切ることもできず、だらだらと支局ですごしていることが多かったりする。
23日の夜、NHKアーカイブスをつい見てしまった。
1982年、オフコースに密着したドキュメンタリーの再放送だった。
いまの若い人には信じられないかもしれないが、フォーク/ニューミュージック系のミュージシャンは、このころまで、テレビに出演することがきわめてめずらしかった。
井上陽水、松任谷由実といった人々は、テレビにほとんど出なかったのだ。
だから、この番組は、「素材の新奇さ」という点にかなり頼っていて、正直なところ、盛り上がりには欠けていた。
それに、まだ「情熱大陸」とか「トップランナー」などの番組がない時代で、ミュージシャンに密着する番組のスタイルというものができていなかったといえる。
だから、ぎこちない演出だけど、裏を返せば、初々しい番組だとも形容できそうだった。
23年も前だけど、いまと変わってないところは変わってない。
スタジオにこもってアルバムを制作する風景。そのスタジオにある、チャンネルの多い卓などなど。
思考実験として、1982年の23年前のことを考えてみよう。その時代には、そもそもアルバム制作という発想があまりない。シングルレコードはまだモノラルで、32だの24だののチャンネルのある録音設備も存在しなかった。巨大なPAをそなえたライブコンサートもなかった。
1月23日(日)
取材は道新杯囲碁大会のみ。
あとはたまった雑用など。
いろいろなblogを読む。世の中のことを真剣に考えている人が多いことを、あらためて知る。
いったいじぶんは何なのだろうなあと思う。
というか、この盛り上がらなさは何なのだ。
1月17日(月)−22日(土)
週なかばに四たび風邪がぶり返し、またも休みを取った。
やれやれと思ったが、今月は週休二日制をきちっととっていると思うことにした。
どうも支局に来てから、どうせ支局だから月に4日やすめればいい、それ以上やすむのは怠けている、という気持ちが心のどこかにあって…。
そのくせ、それほど勤勉じゃなくて、だらだら原稿を書いているのも否定できなかったりする。
話はかわって、22日夜、めおと楽団ジギジギという2人組のライブが八雲であった。
たのしいご夫婦です。奥さんは歌がうまい。ダンナさんはギターが上手。しかし、やっていることは可笑しい。
とくに「ホテル北津軽」は名曲だ。
「なごり雪」と「レット・イット・ビー」がほとんどおなじコード進行というのもこのライブで知った。
まあ、筆者がうかつだという見方もできるかもしれないが…。
1月11日(火)−16日(日)
1週間もなにをしていたかというと、11日夜から三たび風邪が悪化し、ほとんど寝込んでいたのだった。
12日にちかくの医院に行って薬をもらってきて、家で寝ていたが、いっこうに快復する気配がない。
しかたがないので、14日の夕方、パジャマを脱いで起きることにした。
12、13日も、パジャマのまま原稿を書いたりしていた。
15日は、熊石で、合併協議会がひらかれたので、取材へ。
さいわい、峠の雪はとけていた。
しかし、せっかく書いたのに、べた記事でした。
ひきこもっていた間、たまっていた新聞を読んだ。
へーと思った記事。
その1。1月3日だったかの日経。
日立が社内のパソコンを全廃する話。
パソコンごと盗まれて個人情報が外部に流出する事件があいついでいるが、日立は、グループ社員にくばるパソコンを、ハードディスクのない専用端末に順次置きかえるとのこと。
これは、思い切った発想だ。
その2。
1月5日の毎日。
新浪剛史ローソン社長のインタビュー。
24時間営業を見直すと言い切っている。
これまではとにかく「顧客第一」で、便利な生活を優先していた。しかし、便利さの裏で、悪い部分はなかったのか。夜型人間が増え、コンビニへの強盗も増えた。暴走族の集合場所になり、近隣住民への迷惑になっているコンビニもある。それでいいのかと。
欧州では、日本のように24時間営業の店はほとんどない。でも生活は豊かだ。ひと昔前の日本は、夜に物が足りなくなったら、お隣さんに借りに行っていた。そんな地域のつながりが消えつつある。
もっと言うなら、なぜコンビニはこんなに多くの商品を捨てるのか。食品は賞味期限が切れればすべて捨てる。その額は当社では経常利益を上回るほどだ。こんなビジネスモデルが今後30、60年続くとは到底思えない。
業界2位のコンビニエンスストアの社長がここまで考えているとは。
その3。
1月7日の日経「やさしい経済教室」。
宇沢弘文東大名誉教授が紹介していた話。
米国の製薬会社では、ブラジルのジャングルに出張して、長老から、伝統的な薬のつくりかたなどを聞きだし、サンプルを持ち帰って化学的に製法を分析、新薬を開発するということがじっさいにおこなわれているという。
すごい長老になると5000種類もの治療法を知っているというのだ。
ブラジル政府は、巨額の利潤を得ている米制約会社に対し、アマゾンの長老たちに特許料を支払う制度をつくった。
ところが、長老たちは、特許料を受け取らなかったという。
自分の持っている知識が人類の幸福に役立つほどうれしいことはない。そのよろこびをお金にかえるというさもしいことをしたくない、というのだ。
かっこよすぎ。
おまけ。
1月3日だかの道新。
高橋はるみ知事と上田文雄札幌市長が対談していた。
上田市長が文化的なまちづくりということで、中心部のビルのショーウィンドウに絵を飾るという提案をしていた。
これを読んだ札幌商工会議所の人はがっかりしただろうなあ。
だって、もうやってるんだもん。(さっぽろ窓辺展)
上田市長、クラシック音楽はくわしいけど、美術はあんまり、って感じですね。
もうひとつ、札幌駅と大通を結ぶ地下道(これから建設するそうです)にギャラリーをつくるという構想もぶちあげていた。
筆者は、この構想に反対します。
民業圧迫以外のなにものでもない。
行政だったら、どうして民間が、カネがなくてできないことに手を差し伸べるという発想にならないのか。
1月8日(土)−10日(月)
世間では3連休とのことだが、筆者は3日とも取材や用事が入った。
ただし、9日朝から風邪がぶりかえしたため、午前は風邪薬をのんでおとなしく寝ていた。
「あーとだいありー」の欄に載せた、ことしのおもな美術展について増補した。
1月7日(金)
函館で道新函館支社など主催の新年交礼会。
大儀だと思ったが、道南各地からも町長などが出席するから支局長も来いとの仰せである。
10時半から1件、取材を済ませた後、八雲駅から特急に乗って函館へ。
特急が遅れ、函館駅のプラットフォームを全力疾走。乾杯の音頭がはじまろうとしている会場のホテルにとびこむ。セーフ。
まさかこのトシになって「函館マラソン」をやることになるとはおもわなかった(逆方向だけど)。
函館マラソン
かつて、貧乏な若者が北海道を休暇中に旅行する際、夜行急行(寝台ではない)と青函連絡船を乗り継いで函館入りするのが通例であった。彼らは指定席券などを買うお金がないので、自由席を確保するため、下船するやいなや、改札口から遠く離れた自由席車両までプラットフォームを全力疾走した。これを一部の鉄道マニアが「函館マラソン」とよんだ。函館発の急行、特急は昔から、手前が指定席、先頭が自由席になっている
用語解説のコーナーでした(笑)。
交例会とその後の社用は2時に終わった。
このまま八雲に帰るのはもったいないので、電車に乗って、道立函館美術館(函館市五稜郭町37の6)で行動展を、となりの芸術文化ホールで全道展支部展を見た。
あーとだいありーで書いたが、行動展の移動展が来年で一区切りつけるのは本当のことだった。
残念。
本展の会場が東京都美術館から六本木のナショナルギャラリーに移る予定のため、日程が大変動し、移動展の日程もまだ決まらないのも理由のひとつとのこと。
それにしても、函館の行動美術の方にはもう6、7年はお会いしていないはずのに、筆者のことをおぼえてくださっていたのは、とてもうれしかった。
大急ぎで函館駅に戻り、スーパー北斗に乗った。
車内で検札があり、車掌さんが言った。
「この列車は東室蘭まで止まりませんよ」
……。
1日に1本、八雲を通過するスーパー北斗がある。札幌と函館を3時間ジャストで結ぶ、日本の在来線で最速の特急である。
まさか、それに乗ってしまうとは。
不覚。
なにが悲しくて、1時間弱で行った道のりを4時間以上かけて帰らなくてはならないのだ。
1月6日(木)
まだねむい。
このままなにも起こりませんように。
いま、ヤヤコシイ事件なんかがあったら、メロメロだろうな、きっと。
それとも、急にしゃきっとするかな。なら、いいけど。
いや、やっぱりよくない。
平和がいちばんです。はい。
ところで。
年賀状のことで筆者がえらそうなことを言う資格は、なにせ住所変更のお知らせと兼用してしまったくらいだから、もちろんないのだが、気がついたことがある。
住所を調べようと思って、個展などの案内状を整理していて、はじめてわかったのは、じぶん(作家)の住所が書かれていない案内状が意外と多いことだ。
とくに若い人に多い。
それでも、公募展に出品している人は、図録の巻末に名簿が掲載されているので、しらべられるのだが、若い人は公募展に出していない人が多いので、お手上げである。
何人か、住所変更を知らせたい人がいたけど、かなわなかった。
プライバシーを知られたくないという気持ちはわかる。
でも、そういう人がひらいている展覧会で、こちらが芳名帳に住所を書く義理はまったくないのではないか。
というわけで、今後、案内状や会場内に連絡先の住所が明記されていない作家の展覧会については、求められても一切じぶんの住所は書かないことにきめた。
それに、東京でギャラリーをまわっていると、芳名帳にはほとんど名前しか書いてないしね。
なお、筆者の連絡先は、「スケジュール」のいちばん下にありますが、もちろんメールで問い合わせてくださってもかまいません。
1月5日(水)
風邪をこじらせ、ひきこもり状態。
やっと5日昼から長万部へ。消防出初式の取材。
しかし、長万部の出初式は、行進だけで、はしごの上の曲芸はやらない。
とにかく寝た年末年始だった。
寝ていると、だんだん自己嫌悪モードになってくる。
筆者は、さいきん多いといわれる「ひきこもり」の人のきもちがわかるような気がする。
どうせじぶんのことなんて、と思うのだ。
じぶんが世界で最も価値のない人間だと感じられてくる。
それでもむりにふとんから起きるのは、何日何時にだれそれと会う−という約束があるからだ。
だから、ひきこもりの人も、とりあえず、じぶんに敵意を抱いていないことが確実な人がいれば、その人とどこかで会う約束をするのがいちばんいいと思う。
1月3日(月)
初詣が誤算だったのか、風邪をひいた。やれやれ。
リンク集に大量に追加するとともに、リンク集の表紙にのせている「更新がひんぱんなサイト」を相当入れ替えた。
また、石狩の彫刻家川上りえさんからのメールをもとに、あたらしいページをつくった。ぜひごらんください。
川上さん、ありがとうございます。
あー、それにしてももう三が日も終わりか。
どうして休みになると時間のたつのがこんなにもはやいんだろう。
2005年1月1日(土)
あけましておめでとうございます。
ことしもよろしくおねがいします。
この年末年始は、八雲ですごしています。
31日は年賀状を書いていた。
ことしは、転居通知のはがきがついに出せず、兼用となったため、とんでもない枚数(約450枚)になった。それでもまだ出せていないところ多数。この場を借りて、おわび申し上げます。
深夜、長万部へ。
有志グループが毎年おこなっている花火の打ち上げを見に行く。
冬の花火はなかなかきれいだった。
寒いけど。
会場では「日本一早い結婚式」なども催され、にぎわっていた。
支局にもどり、今年いちばんはやい原稿を送ってやろうと、ちゃめっけで函館支社に送信したら、支社のデスクから電話が来た。一瞬ドキッ。
「いやー、こんな時間に仕事している人がいるなんて。思わず電話しちゃいました」
お互いさまだとおもうんですけど…。まあ、いいや。
1日午後、あるいて八雲神社に初詣。
寒かった。
子どもと一緒にあるいているので、通常の倍の時間がかかってしまう。しかも、子どもたちは途中で、駐車場の除雪をしたあとの雪山などを見つけると上りだしてしまう。それが誤算だった。
あまりに寒いので、家族を神社そばのコンビニエンスストアに置いて、ひとりであるいて支局にもどり、車で迎えに行った。