TEAM.TOKIWAの ゲキレツマンガ道場  

>>この連載は月1回更新します。次回更新は11月の第1月曜日です。バックナンバーは下にあります。 >>TOPPAGE

 

 第8回 子どもの日々を垣間見る   2005.10.3

今回のテーマは「子どもの情景」です。大人になってから読む「子ども」の漫画は格別です。もう二度と小学校には行きたくないけど、漫画で読む分には微笑ましいぜ、子どもの生活!

 

渡辺水央●ライター
真下弘孝●イラストレーター・デザイナー
粟生こずえ●編集者・ライター

【さそうとあきらと松本大洋】

 なんか最近また子供を扱ったマンガって増えたような? たとえば書店の少女マンガ誌のコーナーでも10代の妊娠とか避妊とか出産とかを扱ったようなマンガが山のようにあって……ってそりゃ違いますね。子供がどうとかって話じゃなくて、日本の性教育はどうなってんだと!? 膣外射精は避妊じゃないぞと!!  いや、でも本当、子供を扱ったマンガ、増えてますよ。『スピリッツ』(小学館)連載の小田扉『団地ともお』(のびのびとすくすくとおバカな子供っぷりが◎)に、『IKKI』(小学館)に掲載されてる吉野朔美の『Period』(吉野版『悪童日記』といった感じ?)。少女マンガでも『クッキー』連載の東村アキコ『きせかえユカちゃん』(子供の持つ勢いがうまい具合にマンガ化されてる!)に、『別冊フレンド』連載のジョージ朝倉『溺れるナイフ』(子供の残酷さやせつなさをラブストーリーに昇華)がある。

 あぁ、『モーニング』(講談社)でやってるいわしげ孝『青春の門 筑豊編』(原作・五木寛之)もここに入れていいかもしれない。骨太で強がりで真っすぐな少年の姿が読んでて心地いいです。いわしげ孝、バンザイ!  いまここに挙げたものって、個人的に好きで読んでるもののいくつかなんですが、これだけじゃないもんね、いまの子供マンガ。少子化なんのその、逆に少子化だからこそなのか、数多い。それってつまるところ、子供描くのが上手な作家が増えてるってことなんだと思う。嘘っぽくなく子供が描ける。もしくは嘘っぽくはあっても魅力的な子供が描ける。いい年になるとなかなか子供キャラって感情移入できないものだけれど、いいなぁと思うもん。本当、小田扉とかさそうあきらのマンガ読んでると。当人たちが子供を取材して描いてるかどうかはさておいて、子供をよく観察してるよな、子供がわかってるよなと思わされる。子供の思考、趣向、クセ、会話のノリとかがすごくなんて言うか本物っぽい。

 そうそう、子供をうまく描けるかどうかのポイントのひとつはまったくもってこの会話のノリ。つまり会話のノリって思考のノリともなるわけですが、それで言えば松本大洋の描く子供とさそうあきらの描く子供は抜きん出ているんじゃないかと。うん、子供マンガはこのふたりの作家を抜きには語れません。

 たとえば松本大洋の『花男』『鉄コン筋クリート』(ともに小学館)はなにが衝撃だったって、個人的には独特な絵とか独自の表現方法以上に子供の“しゃべり”の見せ方のうまさ。『花男』の都会育ちのクールな素振りの小学生・茂雄が、海辺の町の小学生たちに秘密組織(いわゆる子供探偵団)への入団を勧められて、「抜本的な改革が必要だな」といろいろ改革案を出す。するとひと言、「具体性おびると冷めるよ。茂チン」と言われてしまって、茂雄は顔を真っ赤にして「なんか文句あんのかよ」。あぁ子供だなぁと思う。はたまた、『鉄コン筋クリート』のシロとクロのこんなやりとり。「ねぇクロ、いっこ聞いていい?」「んー?」「夜って悲しい気持ちなのね」「……」「きっとあれだな、死んじゃう事とか考えちゃうからだなっ。死んじゃう事とかいっぱい考えちゃうから、悲しい気持ちなんだなっ」。言ってることもその言い方も、なんとも子供らしい。子供の時間に流れてるもののグルーブ感がある。してやられたりな気分にさせられる。

 さそうあきらにもやっぱりそうした子供を子供らしく見せる会話や思考のノリがあるんだよる。これまでいろいろな子供を描いてきている氏ですが(双葉社『珠玉短編集 子供の情景』は必読!)、短絡的なのに深い存在としての子供の描き方が本当にうまい。いまどきの郊外の小学生ってきっとこうなんだろうなぁというリアリティと鮮やかさがあって、それがただただいまどきっぽいっていうだけじゃなくて、名ゼリフや文学的なものとして響いてくる感じ。なんて言うんだろう。子供もちゃんと一個人の人間として描かれてる感じ? それでいて動物的なあの感じとか子供特有の頭の毛から発する酸っぱさとかが失われてない感じ? 下品で粗野なんだけれど羞恥心も繊細さもちゃんと持ち合わせていて、倫理観はないんだけれど子供ならではの論理感はあって、刹那的な中で永遠を生きている子供。それが確かにそこにいる。あえて引用はしません。ともかく読んでみてください。

 考えてみれば松本大洋とさそうあきらって立ち位置はよく似ていて、どちらもちょっとトンがったいまどきの作家みたいなサブカルチャー的評価を受けてきた作家。それでもさそうあきらだけがなぜかもう少し枯れた領域に入っていると言うか、作家としてよくも悪くも老成しちゃってるのは、達観しすぎちゃってるからなのかもしれないなと。

 松本大洋が子供と同じ視点でリアルな子供を描いてるとしたら、さそうあきらはもっと俯瞰でリアルな子供を切り取って描いていて(だけど決して嘘っぽくなくて描いていて)、それは言ってしまえばリアルな子供を間近に見ているリアルな親の視点ということになるのかもしれないけれど、なんせ氏の最近作にして代表作とも言える『コドモのコドモ』は小学生のコドモがひょんなことから妊娠してコドモを産む話。コドモのさらに次の代となるコドモまで描いてしまっているわけだから、たいした作家で大人だなと思う。子供がうまく描ける作家の中でもすこんと突き抜けたものがある。そうしたことから言えば、さそうあきらは大人を描くのも上手。大人の子供っぽさと子供の大人っぽさをちゃんと別物として描ける作家って、なかなかいるようでいていない。いや、『神童』とかでびびってる場合じゃないです。さそうあきら、いいよ。

【マンガ読みの余談】『本当にあった愉快な話』(竹書房)、『本当にあった笑える話』(ぶんか社)、『ほんとにあった笑っちゃう話』(朝日ソノラマ)等々、体験談、失敗談なり告白話なりのエッセイコミックが大流行りですが、秋田書店もここに参戦! 増刊で『お笑いちゃんねる』なるものが出たなと思ったら、『全部ホンネの笑える話』といった形で雑誌化(されたのかな?)と。しかもなんとも作家陣が豪華。流水りんこ等々他誌とのかぶりは一部あれど、榎本俊二に松井雪子、安田弘之に阿部潤に山本ルンルンと独自の路線をつらぬいていて、いいんだ、これが。面白いんだわ。阿部潤の日常夫婦マンガとか、山本ルンルンのゴキブリマンガ(!?)とか、かなり感慨深いものあり。エッセイ四コマ誌界、花盛りです。

『Papa told me』(87年〜継続中?/集英社/榛野なな恵)

 この作品を読んでいると、主人公(おませで可愛い小学生の娘)の鋭い視点からの 言葉に、ふと目を覚まさせられます。ベタに言うならば、大人になった自分だけれど、果たしてこれで良かったのか? 何か大切なものを捨ててしまったのでは? 妥 協をしてしまったのでは? みたいな感じです。そんなワケですから自分を見直すにはなかなか良い作品でないでしょうか。しかしそれだけだったらどこか説教臭くて鼻に付きますね。偉そうな作者だよ、などと言ってみたくなります。言うまでもなく本作はそれだけでありません。

 むしろそれ以上に思うのは、作者はいわゆる世間が大嫌いなのでは、ということです。それは世間一般に認められている家族や社会(今の言葉を使うなら「勝ち組」です)を醜悪なものとしてしばしば描いているからです。詳細は長くなるので割愛しますが、要は電車の中でも平気で騒ぐ家族や、偉そうにガナるサラリーマンオヤジたちについてです。この辺はなかなか痛烈で、作者の内なる怒りを感じとれます。さらにその視点は皮肉や斜眼では決してなく、ストレートに本質を付いているのです。

 さて、そんな輩の対岸にいるのが、小学生の主人公なのですが、この作品は巻数を 重ねるごとに、子供のみならずさまざまな人種が主人公の周囲に集まってきます。それは独身の人や離婚や死別で家族が欠けてしまった人、また時には老人やフリーター などなど…。ちなみに彼らは孤独と自由が実は背中合わせだということをちゃんと知っている人たちです。当然、上述の人々のように、騒いだりえばったりして他人の領域にずけずけ入り込むようなことはしない人たちです。  よって本作はいつしか「子供の視点」という言葉だけでは治まらなくなってきま す。むしろマイノリティの観点に立った作品として成立していきます(余談ですが、 本作と同時進行していた他の榛野作品の多くもこの立場で描かれています。『卒業式』96年、『ダブルハウス』98年、『ピエタ』00年、『パンテオン』02年など)。 尚、主人公も母と死別したため父と2人だけの「不完全な」家庭に育っています。

 しかしこの主人公、なかなかませた台詞を喋るユニークな存在でしたが、近年はすっかり周囲の大人たちと同じ次元の言葉を使うようになりました。もはや年齢不詳で、外見が子供なだけです。そのせいかこの作品を読んでいることを知った友人はかつて「こんな女のコを娘に欲しいでしょ」と私に言っていたものですが、そんな話も めっきりなくなってしまいました。主人公はもはや単なる子供でありませんから。… …ヘンなオチになってしまいましたが、とりあえず社会の悪い色に染まらないよう、 子供も大人も真摯な気持ちで生きていきましょう。

【マンガ読みの余談】  9月は『エロイカより愛をこめて』(青池保子/秋田書店/写真)と『さよなら絶望先生』(久米田康治/講談社)を購入。一方で不要なマンガを20冊ほど売却。ちなみに大した額にはなりませんでしたが。近年は増えたら減らすことにして、何とか本棚のバランスをとっています。

『あずきちゃん』(木村千歌・秋元康/講談社/93年)

 児童文学ふくめ、10〜12歳くらいがツボです。この年齢って、ものすごく個人差あるんだよね。大人っぽい子と子どもっぽい子の差が、いちばん激しい時期だと思う。言うまでもなく学校は人種のるつぼである。高校ともなれば選ぶ学校によって人種はやや均一化されるし、大人になるにしたがってあんまりドはずれて「住む世界」が違う人とは付き合わなくていいようになっていく。ちょっとくらい人と違うことをしても指さされなくなっていく。しかし、公立小学校はねえ……ものすごい人種のるつぼだもん。そのなかで強く生き抜くってサバイバルよ。ものすごい試練よ。しかし、あの試練にもまれて人は強くなっていくんじゃないだろうか。吉野朔美の『ぼくだけが知っている』(集英社)は、吉野の作品の中では地味だけど実にいい漫画です。なにしろ1ページめのモノローグが「子供の頃から大人だった」ですからね。この主人公男子の描き方がウマい。描かれがちな「大人っぽい子ども」って、勉強できて達観してて他の子を見下してる、みたいな感じだけど、それこそ類型的すぎ。この主人公は勉強できないし見た目も頼りない。子どもらしさ皆無なわけじゃない。ただ、いわゆる「定型の子ども」の一人として均一に扱われることに困っている。その一点で大人なのですね。

『あずきちゃん』はけっこうヒットした作品なんだけど掲載誌が『なかよし』だったんで、大人の皆さんには認知度低いかも。絵を描いてるのは『KISS』はじめレディース雑誌方面でおなじみの木村千歌なので、大人の鑑賞にもたえるのではないでしょうか。そして原作が秋元康! 秋元ねえ……雑誌に対談なんかで出てたらとばすし、著書は読む気にすらならない……まあ興味がもてない人なんだが、この原作がうまいのは認めなければなるまい。あざといほどにうまい! うーん、やっぱあざとい! 「川の流れのように」の歌詞を書いた人ってのが腑に落ちるあざとさだ。

 主人公のあずき(※本名が「あずさ」なのでこういうあだ名なのである)はこれでもかっちゅうくらいフツーの女の子。恋のお相手・勇之助は転校生。頭良くてスポーツできてモテモテの男の子である。恋のライバル・ヨーコちゃんはキレイで成績良くて積極的なので強敵である。ああ、みごとなまでの定石。でも、話作りがうまければ定石も退屈にはならないのよ。話は小学5年生から始まる。二人は両思いになるものの、勇之助が家の事情でアメリカに行ってしまって中学編に突入。中学に入ったら、勇之助とは対照的なキャラが登場。取り柄は運動神経でお調子もんの竜一に猛攻されるうちに、あっさり落ちてしまうんですね。遠恋大失敗です。キスとかもしちゃうのだ。ところが1年半後、勇之助が帰ってくるわけですね。「どっちも好き」状態に陥るあずき。さあさあどうする!

 この漫画のいいところは、それなりにクサいシーンはあれども、わざとらしい修羅場がないところです。キッパリできないあずきは、このふたまた状態を打ち明けられず一人でビクビクしながらかなりひっぱるのだが、バレンタインを機に竜一に別れを言い渡す。で、一方の勇之助には(帰国から5か月もたって)「竜一とつきあってるの?」と訊かれ、ようやく諸事情をゲロするわけです。かといって、ここですぐに勇之助とヨリを戻すのでないところが、少女漫画にしては冷静です。男子諸君も「オレをだましてたのか!」「どっちが好きなのかここで決めろ!」とかキレたりしないしね。また勇之助が、イヤミなほどに大人なんです。でもウソっぽくない。実は「天然」、結果として「大人」に見えるように描かれているから。少女漫画では「クールな男」(パッと見ものすごく冷たいけど、表現がヘタなだけで実はやさしい、みたいなの)が昔から多い。最近とみに急増傾向にありますが、コレ描きようが難しいところ。単にコミュニケーション能力がなさすぎるしょうのない男に見えてしまうケース多し。やっぱりね、「話せばわかる」or「話してもわからない」様をちゃんと描いてほしいね。乱暴な漫画だと、「おまえが好きだ」と言いながら理由も説明せずに「でも二度と会わない」とか言ってたり……なんらかのワケありでこうなってるという様を衝撃的に描こうとするあまりそんななってるのだろうが、ついていけん。理由を説明しろ!理由を訊け!話し合え〜!

 延々と悩み苦しむ主人公を「悲劇のヒロイン」化しないのも、本作のうまいところ。全5巻で小学校5年〜中学3年までを描いてるのですが、つまりは成長物語なんですね。ダメを繰り返してちょっと成功、ダメかと思ったら意外や成功……はたまた主人公が理不尽な嫉妬をすれば「あ、これはあずきが悪いんじゃん?」と読者にもわかるように描いてある。あずきがもろもろの体験を繰り返して「結局自分は何を求めているのか」「そのためにはどうしていけばいいのか」を学習していくわけだ。リアル。かつてのライバルはさっぱりふっきれて高校生と付き合ってるという設定とか、当初は典型的ブリっ子として描かれる新しいライバル嬢も一方的に「悪」として描かれないのも奥行き深い。秋元康を「恋愛の神様」とは認めたくないが、『あずきちゃん』を「恋愛の教科書」(※コミックスの謳い文句にアリ)と呼ぶのは許せるんだなあ。

【マンガ読みの余談】なんと、季刊で『SWANマガジン』なるものが出ました。有吉京子『SWAN』のハイライト紹介、バレエ談義やバレエ知識の記事、そして目玉は『SWAN』の続編連載です。ありがちですが、次世代編ね。時は流れて真澄とパートナーのレオンが結婚しており、その間に生まれた娘(サラブレッドですな)が主人公になってるワケです。やっぱ『テレプシコーラ』人気&大人のバレエブームが追い風になってるのでしょうか。平積みの山の減り具合からみて、けっこう売れてるようでしたが。しかし、かつてのバレエ漫画の巨匠・山岸涼子と有吉京子が再びバレエ漫画を描いてるとなったら、次は上原きみ子が参戦するべきズラ! 上原きみ子は『いのちの器』終わらせて、『まりちゃん』シリーズを復活せよ! ちなみに小野弥夢もまたバレエ漫画描いてるのね。ちょっと絵がキツイんですが。

 コミックの文庫化はげしい今日このごろですが、『クルクルくりん』(とり・みき)の文庫版表紙のいただけなさに、店頭で絶句。絵が下手になってる人に、わざわざ表紙描きおろしてもらっても全然ありがたくなーい! ただただマイナス。くりんが可愛くない、というかまるで別人なのに軽くショック。

 

 

第1回 燃えよ、プロ野球! 2004.11.29

第2回 燃えよ、ケンカ魂! 2004.12.27

第3回 もてはやされよ、ショートコミック! 2005.1.31

第4回 そろそろ読んでみようと思っている漫画! 2005.4.30

第5回 へいお待ち、料理漫画一丁あがり! 2005.5.31

第6回 漫画でムラムラできますか? 2005.6.30

第7回 スペシャル座談会 TEAM TOKIWA「音楽漫画」を語る 2005.9.5