TEAM.TOKIWAの ゲキレツマンガ道場  

>>この連載は月1回更新します。次回更新は9月1週目です。バックナンバーは下にあります。 >>TOPPAGE

お知らせ 管理人多忙のため、8月頭の更新は1回休みさせていただきます。

次回はスペシャル版! 3人による座談会(リアル『THE 3名様』?)をお送りする予定です。

お題は「音楽漫画」です。お楽しみに。 

 

 第6回 漫画でムラムラできますか?   2005.6.30

今回のテーマはエロい漫画です。漫画に描いたエロは絵に描いたエロですが、そこにはナマの写真に勝るとか勝らないとかいう意味はない、絵にしかあらざるエロがあり……。

 

渡辺水央●ライター
真下弘孝●イラストレーター・デザイナー
粟生こずえ●編集者・ライター

『ドロロンえん魔くん』&『ハイティーンブギ』

 なんかやっぱり少女マンガを思い出しますね、エロっつうと。パッと出てくるのは、小学生女子の生理を確実に早めてたであろうムズムズの女王・いがらしゆみこ? 『ジョージィ!』(原作・井沢満/中央公論新社)は設定や小道具や人間関係の使い方からして言わずもがななんだけど、あれだよね、『まみむめ見太郎』(講談社)ね。さらに言えば個人的には『おませな人魚姫』(講談社)ね。ちょっとむっちりしたキャラクターの線とか、なびいてる髪とかシナってる指も、なんだかヒワイ。あとやっぱり本質的に絵がエッチなんだよきっと、いがマンは。いがらしゆみこマンガは。エッチなエロじゃなくて、エロティックなエロ。そりゃあボーイズラブ方面にも行くわってことですよ。

 実は自分の中のエロマンガの原点って言うと『ドロロンえん魔くん』(永井豪/持ってたのは若木書房版のやつだった気がするなぁ)で、買ったのは小学校1年だったかな、2年だったかな。購入先は近所の本屋さん(ゆえに店主は顔見知り)だったんだけど、止められたからね。「こんなにエッチだけどいいの!? やめときな! アトムにしきな!」って。でも買ったんだけどさ(笑)。あれさぁ、なにがエロかったってやっぱり雪子姫ね。あのスカート(っつうか着物なんだけど)の丈ね。あの太ももね。

 記憶だけで書くと確かカパエルとかシャッポーの行動や言動も、由利徹とかケーシー高峰に通じるような下品で下世話なエロさがあったと思うんだけど、すごかったのが雪子姫がイカかなんかの妖怪に捕まる場面。いや、言い方として緊縛される場面かな。勘の言い方はおわかり? そう、イカの妖怪だけに、雪子姫を緊縛してるものというのは当然、その触手なわけですよ。それが手を縛り、脚にカラまり、そして触手の先は雪子姫の着物の隙間に……って、そりゃ止めるわさ、本屋も。下の毛も生えそろってないようなコワッパに『えん魔くん』買わすの。でも豪ちゃん、当時から触手ものにまで手を出していたわけね。いまから考えるとそれこそエロって言うかエライって言うか……。 そう言えば豪ちゃんのマンガってやたらレイプが出てきますが(『手天童子』にしても『凄ノ王』にしても主人公が超能力に目覚めるきっかけが、ヒロインがレイプされた怒りで、だもん。たまったもんじゃないわな、ヒロイン)、そう、レイプ。エロを感じる・感じたマンガで思い出したのは少女マンガであり、レイプであり、『ハイティンーン・ブギ』(後藤ゆきお・牧野和子/小学館)だったんだよねー。まぁ『ハイブキ』は少女マンガって言うにはアダルトでレディコミに近いんだけど(ただティーン誌連載=『プチセブン』だったんだから、一応は少女マンガ?)、いやぁ、エロかったなぁ。

 これもきっと小学校低学年のときに読んでるんだけど、こんな場面があるわけですよ。ある女が(ヒロインの桃子じゃなくてミキ、ね)、昔なじみの男(シゲ、ね)をホテルに呼び出す。けれども男は自分を抱いてくれない。その裏はいろいろドラマがあるんだけど、そこで女が言うわけですよ。場の気まずさを隠すように、「今度は出すもん出してよ!」(正確には違う言い方たったかもだけど)。

 それを読んだ小学生にどうしろと? と言うか、小学生が読んでんなよ! と。いや、でもそのアダルトな絵柄に、微妙な会話に(って言うかもろおっぴろげな会話ですが)、行間からコマの間から漂うものに、小学生ながらいろいろ感じはしましたよ。あぁ、大人の男女っていろいろあるんだなぁって。ただそれはセックスっていう単純なもんじゃなくて、もっとその先のもの。〈大人の男女はセックスしてるんだな〉じゃなくて、〈セックスしてる大人の男女にはいろいろな寂しさやうずきや渇きがつきまとうんだな〉みたいなことですね、きっと。いまあらためて言葉にして思うと。そうそう、やっぱり『ハイブギ』もエッチなエロじゃなくて、エロティックなエロなんだよね。ダイレクトに性行為を扱ってるかとか、インパクトある性描写が描かれているっていうのとはまた違う。たとえば件のレイプシーン(ヒロインの桃子が主人公のライバルであるシゲという男にレイプされるシーン)にしても、その描写自体はナシ。でも、男の顔――自分の行為に自分で脅えつつも狂気に浮かれた男の歪んだ顔とか、彼がしてる皮手袋の質感とか(それがヒロインの口を塞ぐ!)、倉庫街のほこりっぽくも油っぽい空気感とか、それと対をなす被害者の白い下着の清潔感とか、そういうものが醸し出すものがなんだかとってもあるわけですよ。

 そしてやっぱり牧野和子の描くキャラクターの線がエロイって話になるんだけど、いがらしゆみこはむっちりした質感でエロだったのに対して、牧野和子はほっそりとした質感でエロ。ほかの作品『スキニー』『お婿になって〜っ』『おっきくなーれ』(ともに小学館)にしてもそう。出てくるキャラクターが、みんなそれこそスキニー(=skiny・痩せこけているの意)。ほっそりしてて、手足が長くて骨っぽくて、女性キャラにしても胸は小ぶりで、男性キャラにしても尻が小ぶり。だけどなんかね、線がリアルなんですよ。リアルって言い方が違うなら、説得力がある。マンガの技量って意味でも、人体画の技法って意味でもね、骨格がしっかりしてる。こんな非人間的なラインってあり得ないだろうっていう昔の少女マンガみたいな感じはなくて、細いにしてもバネはありそうだし、男女のカラダの違いはしっかりあるし、そしてやっぱり色気があるしっていう……。

 たとえば男性の言う「あばらが浮き出てそうな女性が好き」とか、女性の言う「手の骨っぽい男性が好き」とかなんだと思う、まさに牧野和子の描く絵って。やっぱりエロの基本は線、ラインですね。絵自体のうまさとか描き込みの多さとかはまったく別のところの別のもので、人物を描くラインにこそエロは宿ると。それはいがらしゆみこしかり、昔の豪ちゃんしかりで、たとえば吾妻ひでおの絵がシンプルなんだけどえっちィのも、池上遼一の描く絵が凝ってるんだけどえっちくないのも、線がキモなんですね、きっと。うわぁ、『ハイブギ』読み返したくなってきた。でも実家だよ、実家。『えん魔くん』はさすがにもう実家にもなかったかな。どうなんだろうね。いま読んでもエロイのかね、『えん魔君』。と言うか、大人になってから読んだほうがエロを読み取る力は長けてそうだなぁ(笑)。

【マンガ読みの余談】  こないだなぜか突然『夏子の酒』(尾瀬あきら/講談社)を読みたくなってしまって(いや、でもフリとしてその姉妹編の『奈津の蔵』を一気読みしたっていうのはあったんだけど)、衝動買いして衝動読み。個人的な好き嫌いで言えば、田舎賛美とか尾瀬あきらとか戦後民主主義とか山本おさむとか性善説とかって大の苦手の大嫌いで(さりげなく作家の名前を2名ほど織り込んでみました☆)、生き方の思想として2人が醸し出すものって受け付けられないなんだけど、それこそマンガ読みとしては侮りがたし。ドラマの持ってき方、広げ方、おさめ方とか、あはやっぱり泣きの部分の作り方ね。マンガ教本を読んでるかのようなうまさですよ、これはイヤ味じゃなく。あぁ、山田洋次の映画に似てるね。よくできてる。よくできているけれど、それって面白いか? みたいな。あれ、なんか違ってきたなぁ。尾瀬あきらと山本おさむ(ちなみにおふたり、ご友人らしいです)を褒めるって趣旨だったのになぁ、自分。ともかく言いたいのは、尾瀬あきらと山本おさむを小バカにするなかれ。夏子、すんげぇうっぜぇムカつくヒロインだけど、作品としての『夏子の酒』は◎です。

【雑木林に捨てられていました】

 お題目はエロ漫画ということですが、これが仕事だったら、何かしら作品を上げ、 あれこれ語っていたことでしょう。仕事ですから。でも、そうでないゆえ今回は何も 作品を上げません。個人的にこのジャンルについて何かしらを語るほどの情熱はないのです。

 しかしこの文章をここで終えるのはいけませんね。やはりもう少し説明すべきでし ょう。エロ漫画に関して語る気がないのは、まずこのジャンルを“漫画”として評価すると、そこにサブカル臭が漂ってくるからです。これは作品として取り上げているから当然ですが。そしてそれが個人的にとてもイヤなのです(特に数年前のエロ劇画ブーム)。ちんこ勃たしてナンボのものを、大袈裟にいちいち言語化するな、というのが正直なところです。そもそも“エロ”より“漫画”として評価するのが作品(及びそれを描いた作家)にとって幸せなことなのでしょうか? 単行本化されたものはともかくとして。

 最近はあまり見かけませんが、かつてエロ漫画はよく雑木林の中に捨てられていました。現在で例えるならエロビデオが不燃ゴミの日に捨てられているようなものでしょうか。私はこれがエロ漫画の向かうべき姿だと思っています。用を済ましたら、ハ イ、おしまい。ティッシュと同じようにポイッ。欲望の残骸は捨てるべし。

 声高に仰々しい形容詞をつけてエロ漫画を評価して何が楽しいのかさっぱりわかりません(原稿料がもらえるのは嬉しいでしょうが)。やはりアレは隠れてコソコソ覗き見たいものです。見飽きたら捨てます。勿論、作家名も作品名も覚えていません。 そして自分がソレを“使っていた”ことなんてまるでなかったように、涼しい顔をして今日も生きています。

【マンガ読みの余談】 ふと『こちら葛飾区亀有公園前派出所』(秋本治/集英社)を読みなおすことがあります。この長期連載漫画、私は112巻を最後に買うのを止めていました。100巻過ぎから読むのにはキツい内容なっていましたので。古本屋で112巻より先の巻を見るとたまにパラパラと捲るのですが、先日、130〜140巻台を見たら、これがあの漫画なのか!? と疑うほど、雑なコマ割と絵柄っぷりでした。長くやっていれば良いと言うわけではありませんね。止めて良かったとあらためて思いました。 

 

『このまま!!じっとしてろ』(春日あかね/小学館フラワーコミックス/03年)

 最近の少女漫画ったら、青年漫画顔負けのいやらしさですが、いやはや昔の少女漫画は実に清純だったものです。描いていいのはキスシーンまで、とか雑誌によって決まってたみたいですね。ベッドシーンがでてきても、生々しさはゼロ。さあこれから、となって画面はブラックアウト。次のコマでは朝の光が美しくさしこみ、真っ白な寝具に包まれた(こういう時、柄物だと所帯臭いからでしょうか)、裸の(胸から下はたいてい隠れていて見えないようになってる)二人。とまあこんな感じで、起こったであろうことは読者の想像に委ねられるのですが、それでもそういうシーンが少ないなら少ないなりに私たちは沸騰し、描かれぬ行間(というかコマ間)を必死に読みとろうとしたものです。

 少女漫画でセックスシーンが解禁され始めたのは、内田春菊や岡崎京子らエロ雑誌出身の女性漫画家たちがブレイクし、少女漫画に逆輸入されたころからだったかなあ? セックス描写のあるなし、というより、私としてはエポックメイキングに感じたのは少女漫画で乳首が描かれるようになった、という点でした。そう、昔の少女漫画ではそれがコトに及ぶシーンかどうかはさておき、女子の裸が描かれるときに乳首が描かれることはほとんどなかったんですね。今のはたいてい描いてあるけどねえ。古い少女漫画、ひっぱりだして見てみてくだされい。胸が露出してても、たいていマネキンの裸みたいに描いてあるから!

 その中で例外だったのは、和田慎二、弓月光、立原あゆみら。おや、こうして挙げてみると男性作家ばっかしですね。彼らの描く裸には乳首が描かれておった。そして、女から見ても非常にエロっぽかった。当時はそんなこといちいちチェックしながら読んでたわけではなかったけど。和田慎二がマーガレット(別マだっけ?)に連載していた『超少女明日香』のシリーズでは、ときどき明日香のヌードシーンが描かれていたが、このコマに作者自身が「一作一回サービスカット」などとかきこんでいたのを思い出す。これは、決して男性読者へ向けたコメントというわけではなかろう、と私は思う。女は、女の裸を見るのが好きなのだ。で、こういうシーンをとても楽しみにしているものなのだ。

 さらに昔語りをしてみます。昔あって、今さっぱり見かけなくなったものに、お気軽なエッチ少女漫画というのがあります。カテゴライズするのが難しいですが、エッチな場面がふんだんに出てくるのだけど、本気でいやらしいわけじゃなく、ギャグ的に描かれてるというやつです。この路線の大家に、私の大好きな山本優子という漫画家がいます。代表作は『美季とアップルパイ』あたりでしょう。絵はギャグ漫画のそれではなくちゃんとストーリー漫画風。一見普通の恋愛漫画ぽいのだけど、“70年代的ドジ”な性格がたたり、主人公はさまざまなハレンチな醜態をさらしてしまうパターンが多用されます。私がお気に入りだったのは、『美季とアップルパイ』で水上スキーをしてた美季の水着がどんどん脱げて、ついに全裸で水上を暴走するシーンです。このヒト、こういうのが非常に得意。最近古本屋で入手した短編集『ただ今恋のメイク中』(集英社りぼんコミックス)の中の作品でも、こんな名シーンが。映画の撮影所にまぎれこんだヒロイン&青年が水に溶ける水着をそれと知らずに着用してプールに入る。ところが、入っている間にスタッフが渦のシーンを撮影しようとプールの底に仕掛けられた巨大プロペラを作動させる。二人は全裸で洗濯機状態(ヒロインは男の両足につかまっており「目がくさる〜!」と絶叫)……映画のスタッフたちは、渦巻きの間に見えるものを指さし「て、手と足がとんでれら」「ナッ、ナイン(死語)もとんでれら〜」……スイッチを切ったあと、気を失った全裸の二人がぷか〜んと浮かぶのであります。あ、やっぱり乳首は描いてなかった(笑)。

 さて、ようやく本題にたどり着きました。あられもないエロ化が進む「少女コミック」系で、最近この山本優子的エッチラインにつながるようなちょっとおもしろい漫画を見つけたのです。それが、『このまま!!じっとしてろ』(春日あかね/小学館フラワーコミックス)。主人公の巨乳ちゃんと、見た目はカッコよく性格ベリークールなんだけどオッパイ好きの男子のラブ・ストーリー(?)。男子くんはいったん欲情してしまうと歯止めが利かなくなり、人が変わったようにケモノ化。たちまちコトに及んでしまうのだ。しかし、巨乳ちゃんをこれでもかとポワ〜ンとしたアホウに描いてるわりに《被害者っぽくなく※これ大事!》表現されてるところが買いのポイントです。山本優子は少女漫画絵とギャグ絵の振り幅が極端に分かれていたけど、この人は少女漫画絵だけで両方やってしまうところがおもしろい存在です。そう、山本優子と通ずると思うキモはおそらく、女の子の積極性でありましょう。多くのやらしい少女漫画においてソノ時は、女の子はなんだか「やられる側」なんです。どんなに相手が好きであっても、女の子側も欲情していても。もったいつけずに「こっちからせまってやろー!」と息巻く山本&春日ヒロインの爽快さ。こういうの、実にいいなあ。

 春日あかねの作品には、乳首はもちろん描いてあります。男性局部や接合部分を描いてしまう少女漫画も珍しくなくなってきたから……そのうち女性局部も描かれるようになるのだろうか?

【マンガ読みの余談】 くどく暑苦しい漫画が好きな私は、影響された少年漫画雑誌をひとつ挙げるとしたら……「チャンピオン育ち」と迷わず公言しておりますが、チャンピオンってやっぱり今もひとクセありますよ〜。今、とても気になる漫画が『フリオチ』(原作/堀雅人 漫画/三三)。なんとコレ、「ラジオ投稿」がテーマの漫画なんですよ。主人公のフリオチくんはじめ、愉快な仲間たちが「男はオモロナイト」という深夜のラジオ番組でギャグを読まれるために投稿しまくり、シノギを削るんですがね。連載13回、フリオチのハガキはまだ一度も読まれてません。ラジオ番組が主要な戦場になってしまうので、ちょっと漫画として苦しい時があるのは否めませんが、しかしときおりハッとするようなおもしろさがあり。なんつうか、新鮮です。読者のネタも応募受け付けてます。

第1回 燃えよ、プロ野球! 2004.11.29

第2回 燃えよ、ケンカ魂! 2004.12.27

第3回 もてはやされよ、ショートコミック! 2005.1.31

第4回 そろそろ読んでみようと思っている漫画! 2005.4.30

第5回 へいお待ち、料理漫画一丁あがり! 2005.5.31