憎むな

 

 

憎しみ・憎悪敵意

怒り激怒恨み

赦せない心復讐

 

 

 

マリア・ワルトルタ/聖母マリアの詩下P88

 

(イエズスの従兄弟ヤコボとユダの父アルフェオに)

「あなたこそ息子たちは許しなさい。子供たちの心をあなたが理解しさえすれば、私はあなたを慰められます。心に遺恨があれば私には何もできない」

「許すだって?」

(中略)

 

「私の言うことが聞けないのなら、さっさと出て行け! あの二匹の蛇に、年老いた父がおまえたちを呪いつつ死んでやる、と言っていたと伝えておけ」

「いいえ、それだけはいけない。自分の霊魂を滅ぼすことになる。そうしたいなら私を愛さなくてもよい。メシアだと信じなくてもかまわない。しかし憎むのはよくない。私をあざ笑うのも狂気と言うのもかまわない。しかし・・・憎むな」

 

 

 

マリア・ワルトルタ/イエズスに出会った人々2/P169〜172

 

(みなしごの)マルジアム:「善いお方の神様が、おじいさんまで泣かせたような悪いドラスをどうして愛せるのですか」

マリア:「神は苦しみと怒りをもってドラスを見ているけれど、もしもあの人が回心すれば、ほら、あの父親が帰って来た放蕩息子に言ったのと同じことばを言うはずです。あなたはドラスが回心するように祈ればいいと思うけれど・・・」

マルジアム:「おお、お母様、とんでもない! 僕はあいつが死ねばいいと祈ります」と、子供は意気込んで言う。

 

天使らしくない思いがけないことばが、どれほど強く、どれほど真実か、その必死の様子に他の人たちは苦笑せずにいられない。だが、すぐさま、マリアは真面目な優しい先生に戻って話す。

「いえいえ、愛する子よ、罪人といえども、そんなことをしてはいけません。神が、あなたのその祈りを聞き届けるはずはないし、あなたのことも厳しく見られるようになるわ。私たちは、たとえとても悪い人でも、隣人のためにいつも善いことを頼むべきです。生きることは、神の御前に功徳を得る機会を持つことになるから、善いことなのです」

「でも、その人が悪かったら、罪を重ねるだけです」

「善くなるように祈るのです」

 

子供は考え込む・・・しかし、崇高な教訓がなかなか飲み込めないらしく、

 

「僕が祈ったって、ドラスが善くなるわけがないよ。あれほど悪い奴はいない。僕と一緒にベトレヘムのあの殉教者たちが皆、祈ったって善くなるわけがない。あなたは知らないと思うけど、あの日・・・僕のおじいちゃんを鉄棒で打ちのめしていました。仕事中に腰かけているのを見つけたからと言って。体の具合が悪くて立てなかっただけなのに。・・・ドラスはぶちのめしたあげく、息も絶え絶えになったおじいちゃんの顔まで蹴った・・・僕は塀の後ろに隠れていたから、最初から最後までずっとこの目で見ていました。そこへ行ったのは、二月から、だれもパン一切れ、持って来なかったので、とてもお腹がすいていたんだ。・・・おじいちゃんがひげまで血まみれになって、死にそうになって倒れているのを見ると、悲しくて泣きじゃくっていたけど、だれかにばれると困るので逃げ出した・・・泣きながら、パン一切れの施しをもらいに行ったけれど、その時のパンはいつもここに残しています。そのパンは、血とおじいちゃんと僕の涙と、拷問する人を愛せない皆の涙の味がするから。

 

僕は自分がたたかれたらどんな気持ちになるか、あのドラスに思い知らせるために、棒で打ちのめしてやりたい。飢え死にすることがどんなことか思い知らせるために、パン一切れだってやりたくない。じりじりと照りつける日射しの下で、泥まみれになって何も食べられず、番人の看視のもとで働かせてやりたい。自分が貧乏人にどんなことをしているか、思い知らせてやりたい。僕はあいつを愛するなんてとてもできない。だって・・・だって、あいつが僕の聖なるおじいちゃんをなぶり殺しにしていて、それで、あなたたちに会えていなかったなら、僕は、僕はどうなっていたでしょうか」

 

 婦人たちはびっくりし、感動して、子供をなだめようとするが、子供は本当に苦しみのあまり発作を起こし、何一つ聞こうとしない。

「いやいや。あいつを僕が愛したりゆるしたりなんて絶対にできない。僕は、皆に代わってあいつを憎む、憎むとも・・・」

子供は悲しみと恐れに捕らわれる。苦しみ抜いた人だけがする反応である。

「無邪気な子供の心に憎しみを抱かせること、これこそドラスの最大の犯罪です」

 

イエズスはこう言った後で、子供を抱っこしてあやしながら話しかける。

 

「マルジアム、聞きなさい。いつの日か、お母さんや、お父さんや小さな兄弟たちやおじいさんと、一緒に行きたいでしょう」

「うん」今にも泣きべそをかきそうになって、子供は答える。

「それだったら、だれも憎まないでね。天国には憎む人は入れません。今はドラスのために祈れないって? じゃあね、祈らなくてもいいから、憎むのはやめなさい。何をすればよいか教えてあげましょうか。過ぎ去ったことを、振り向いて見たりしてはいけません」

「でも、苦しんでいるおじいちゃんは、昔の話じゃない」

「それはそう。でもね、マルジアム。そう、こういうふうに祈ってみなさい。

“天におられる私たちの父よ、私の考えることをあなたにお任せします”

御父は、今のマルジアムが想像もできないように、マルジアムのことを聞き届けてくださると思います。仮に、おまえがドラスを殺したらどうなると思いますか。お父さんにもお母さんにも、もう二度と会えなくなってしまうかもしれないし、おまえが好きなおじいちゃんの苦しみはなくなりませんよ。こんなことをするには、おまえはあまりにも幼い。でも、神にはできます。神様にこう言いなさい。

 

“私はおじいちゃんと不幸な人、皆をどんなに愛しているか、ご存じですか。何でもできるあなたが考えてください”と。

 

どうやって、だって? おまえはよい訪れを宣教したいでしょう。でも、そのよい訪れは、愛と苦しみとゆるしとを語っています! おまえ自身が愛し、ゆるすことを知らなくて、どうやって他の人に憎んではいけない、ゆるしなさいと言えますか。善い神様にすべてを任せれば、神様がどれほどの善いことを準備しているか分かるはずです。そうしてくれますか」

 

「はい、そうします。あなたが好きだから」

イエズスはマルジアムに接吻し、地面に下ろす。こうして、このエピソードは終わり、道のりも随分はかどった。

 

 

 

 

マリア・ワルトルタ/受難の前日/P76

 

イエズスは、それをたしなめて、

「あなたたちは、彼と同じことをしてはいけない。人を憎んではなりません」と言う。

 

 

 

マリア・ワルトルタ/イエズスの受難/P19

 

ラザロ:「では、ユダは逃亡するのですか。それでもかまわない。『彼に出くわしたら』とさっき言いましたが、こう言い直します。この世の果てまで追いかけてユダをたたき殺す、と」

イエズス:「そんなことを望んではいけない」

ラザロ:「いや、あいつを殺ってやる」

(中略)

 

イエズス:「ユダはサタンのところにいるはずです。そして、あなたはいつになってもサタンのもとへは行けない。それよりも殺人の考えを“すぐ”捨てなさい。さもなければ私はあなたから離れます」

ラザロ:「おお!・・・しかし・・・あなたのためならば・・・ああ、そうだ、先生! 先生! 先生! 」

 

 

 

 

マリア・ワルトルタ/イエズスに出会った人々2・P343

 

私はもう憎しみを知らない者になりました。なぜなら、しつこい憎しみは不毛のもとだとここで分かったからです。

 

 

 

マリア・ワルトルタ/イエズス―たそがれの日々/P90

 

 「彼が私を年端のいかぬ子供のように扱うときでもですか? 普段はともかく彼はときどき常識外れなことを言いますよ」

 

「黙ってそれを聞き流すのです。それが怒りを鎮める唯一の薬なのです。謙遜と忍耐をもって沈黙しなさい。相手を罵らないで、もう黙っていられないと思ったら、そこを去りなさい。黙ることを知り、逃げることを知る。これは卑怯のためではなく、返答に窮したためでもない。ただ徳のため、賢明のため、謙遜のためです。議論のとき、正義を守るのは決して易しくないし、心の平和を守るのも難しい。

 

何時でも何かが心の中を濁し、雑音を立てる。そのとき人間の心に反映している神のかたどりは消えてゆき、もう神のことばを聞くことができない。兄弟の間の平和! 敵に対しても平和。彼らが我々の敵であればサタンの友だちである。自分を憎む人を憎んで、自分もサタンの友人になりたいのですか。愛から外れている人が、どうして他人を愛へ導くことができよう。

 

あなたたちはよく私に言う。『イエズス、あなたは何回も教えを繰り返すだけでなく、それを実行しておられるのに、それでもあなたは憎まれている』と。私はこのことを何時も繰り返そう。何時かあなたたちと一緒にいられなくなるときには、この教えを天から聖霊を通して繰り返そう。我々は敗北ではなく勝利を教えたい。このために神を賛美しよう! 回心者がいない日はなかったか、神の働き手はこれに注意すべきで、うまくいけば主をたたえ、勝利を手にしないときも世間の人々のように平和を失うことがないように。そうすれば・・・」

 

 

 

 

マリア・ワルトルタ/イエズス―たそがれの日々/P243

 

おまえたちは私の子羊の群れに属していないから、信じない。

(中略)

 

おまえたちが子羊の群れの中にいるのは、相手を傷つけ苦しませるためである。私の羊はおまえたちを怖がっている。同じようなできの人間だったら、おまえたちを憎むはずだが、彼らは平和と愛とあわれみの牧者の子羊だから憎むことを知らない。

 

私が憎まないように、私の羊もおまえたちを憎まない。憎みを取れ、それは三重の欲望の実である。肉体とともに霊魂もあることを忘れている野獣のような人間の抑えのきかない自我も取れ。