恨み

 

1.ヴァッスーラ

2.ルイザ・ピッカレータ

3.マザー・テレサ

 

 

1.ヴァッスーラ

ヴァッスーラ/神のうちの真のいのち/10巻P244

‘02・9・8

 

書きなさい、聖書では こう述べている:

 

 「人が人に対して 怒りを抱くならば、

  どうして、癒されることを主に求めることができようか。

  人間同士、憐れみを示さないで、

  どうして、自分の罪のために祈ることができようか。」(*)

 

*シラ書28・3−4

 

我が愛の掟を思い出し それを真心込めて守っていくように・・・。 あらゆる恨みや 暴力的な思いを捨て去り 私のほうを向きなさい・・・ヴァッスーラ、この世代のあまりに多くがこの罪を犯している。 怒りと恨みという罪を。 自分の情念の奴隷となって 悪を行うとなるや勇み立つ・・・(*)

 

誰も正しい者はいない、それでも、私、イエス・キリストは、いたわりと溢れるばかりの愛を 人類に示した そして私は あなた自身で果したかも知れない善意や正義については関心もなく 追求もしていない。 我が慈悲に駆られて憐れみ救うほどに あなたへの思いやりは大きく、新しく生まれるための浄めの水と 聖霊による刷新によって それを行った。

 

*主は 深刻な罪の中にいる人たちに話しかけられておられます。

 

 

ヴァッスーラ/神のうちの真のいのち/10巻P246

‘02・9・8

 

私は復活 そして私を通してあなた方皆を 復活の息子 娘たちとした。 あなたが罪にとどまり、隣人を許さず、心を恨みで満たして硬直したままなら、至高なる神をその目で見るのを拒まれる。 罪の負債があるなら 全き聖である霊はご自分を現わさない、悔い改めの行為を そして愛の行為を、意識的に拒んだゆえに・・・

 

この罪にとどまっているなら 私にこう言ったと同じ、「師よ、私は自分の墓にいるほうがいい。 死んだまま 死人の間で生きるほうを選びます。」肉がすでに腐り始め、朽ちかけていながら、まだいのちを拒むのか? あなたが自分の罪を否定するのは いのちを否定するのと同じ。 それよりも私のそばに来なさい そして聖人たちや 地上でも完徳に達そうとしている人たちのそばに 近よりなさい、私を観想している間 心が済みきっているこの者たちを、私は 神聖なる富と天上の神秘のうちに浸している。

 

 同質にして聖なる 三位一体の神よ、

 この時代の 神にたいする背きと否定は

 キリストの教会の一部を 崩壊させました。

 私たちの あまりに貧しい状態では、

 どうやって自らのうちに キリストの御からだを認められましょう?

  

 いのちない物体のように 私たちは散らされています、 主よ、

 自我と 傲慢の霊によって引き裂かれて。

 私たちのうちに 愛というはっきりした信仰のしるしが

 どこに見いだせるでしょう?

 

 そこにあるのは常に対立への傾き、

 過去の恨みさえ いまだ生きています、(*)

 多くの心のうちには 執念深い霊が住みついているのです。

 

*ここで私の思いは 正教徒の聖職者たちの中には、少なくとも、分離以来カトリックの兄弟たちに恨みを抱きつづけている方たちもいるという 過去の経緯へと引き寄せられました。

 

ああ、寛大さという 全き−祝福された行為、愛徳の行為よ、あなたを迎え入れた者たちは 幸い!あなた方には もはや染みがなく 贖い主より 額に口づけを受けよう。 自らの罪を捨て去る者は 幸い、宝なる、私と見(まみ)えて、聖性の小道に分け入ろう。 我が十字架を 喜んで熱烈に抱擁する者は 幸い、至福のヴィジョンのうちに分け入って、霊魂は 至上の歓びを知るだろう!

 

世代よ、今日私は、不思議と我が声の響きによってあなた方を圧倒している。 負っている負債と 罪の泥沼から引き出そうと 私は天国の歌をうたい 我が心の寝所の秘密を見せた、あらゆる悪より放免しようと私は絶え間なくあなたの前にいる。 もしあなたの花婿がその目で見えないとすれば、それは罪の瘡蓋(かさぶた)が目を封じているため・・・

 

すでに言ったように、すべての暴力的な思いを捨て去り 誰かに対する怨念を握りしめて サタンに付け入られることのないように、さもないなら天の御父は あなたを厳しく扱われよう。 自分に負債のある仲間の僕を 無慈悲にも牢に投げ込んだ悪い僕のようであってはならない。

いのちを失ったままではいないように、むしろあなたに抱く 我が言葉に絶する慈悲を思いなさい、世代よ。 そこで 私が述べた一切を実践し 恵みの聖霊を受けなさい。 一つでいるように ♡

 

 

2.ルイザ・ピッカレータ

 

ルイザ・ピッカレータ/被造界の中の神の王国/1巻P68

 

主は正当にも私をお叱りになりました。なぜなら私の心の中にあるこの恨みの感情をお嫌いになり、お恵みを取り返すと私をおどかられるのでした。

 

 

ルイザ・ピッカレータ/被造界の中の神の王国/1巻P86

 

ああ、私は何と悪い人間だったことでしょう。しかも今もやはりそうなのです。なぜなら本当とはいえ、私のことを我がままで不従順だと人が非難するのを聞くと、恨みの心を感じたくないと思っても未だに強くその気持ちを感じますから! もし私がなぜ私の心の中にいつも恨みの心が生きているかという理由を調べてみますと、やはりそれは私の考え方、振る舞いが私の愛するイエスのそれとはとても似通っていないということに原因がみつかるでしょう。そのご生涯のあいだに、あらゆる種類の反対の標的となられた主は、ご自分の中に決して少しの恨み心をも具象化なさることはなく、いつも心騒がすことなく、次々に降りかかる侮辱や敵対を平和と静けさをもって忍ばれるのでした。そしてそのような機会は、この世のご生涯のあいだ数限りなくありました。

 ところが私はといえば反対に、申すも恥ずかしいのですが、いったい何回にがい涙を流したことでしょう。そして主にたいしてさえ恨み心を持つまでになり、イエスに嘆きを訴えて、我がままとか不従順などという不当な非難を受けないため、また激しい苦しみや哀しみに服さずにすむようにと、できるだけ主にたいして抵抗いたしました。けれどもこのように悪く、惨めな私にたいしてなんと主はよくして下さったことでしょうか。主は私の恥ずべき抵抗にたいして、最初のうちはなにも私にかまわないかのような振りをなさって、何もおっしゃることなく遠ざかれるのでしたが、それもちょっとだけで、間もなく主から離れていることが原因となって生じる寂しさの中にいる私を、予期しない時に訪れて下さいました。こうして主の優しいあやしと愛撫はその聖なる御旨を私が果すようにと導き、再び私を死の苦しみの手の中へと身を投げさせるのでした。それは私の愛するイエスから、そのまま私に伝達されますが、私を回復させるために神父様がいらっしゃいますと、その方は厳しい調子でおっしゃるのでした。

「もうこれ以上あなたは、このような状態におちいらないで下さい。」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

3.マザー・テレサ

 

マザー・テレサ/愛するために/ドン・ボスコ社/P86

 

イエスに最期まで従いたい人は皆

その苦しみにもあずからなければなりません。

 

勇気を持ちましょう。

苦しみを受け入れる勇気を持てるようにと祈る勇気を。

わたしたちは十分に祈らないので、人間的な面しか見ていないのです。

わたしたちは神の働かれる面を見ていません。

そのため、神を恨むのです。

今日の、苦しみについての誤解の大部分は、恨みと不満から生じているのです。

 

不満は、伝染しやすい病であり、

癌であり

その中に怒りが潜んでいます。

苦しみは、清くなるため

聖化するため

キリストと似た者にするためにあるのです。