激怒

 

 

天界の秘義4077

 

社会はその社会がそれまでそのもとにいた者からは容易には後退はしないのであり、その社会がそのもとにいる者が後退すると、その社会は激怒してここのラバンがヤコブに振舞ったように振舞い、いな、もし何らかの善がかれらを手段としてその人間に来たことを認めるなら、それはかれらからかれのもとへ来たのであると言うのである、なぜならかれらは憤りの余り悪から語るからである。

 

 

天界の秘義4077[2]

 

 再生しつつある人間各々の場合もそれに似ているのである、すなわち、その社会そのものからではなく、その社会を手段として純粋な諸善と諸真理とを導入するうえで役立つところの社会が主によりその人間に適用されるが、再生しつつある者が他の社会へ移されると、前にその者のもとにいた社会は激怒するのである。

 

 

神の摂理250(ロ)

 

偉大な人間の高貴も、王または皇帝のそれすらも、たった一年後にはありふれたものとして認められ、もはや彼の心を喜びで膨らませることもなくなり、その目には無価値なものとすらならないか。これらの人間は、農夫やその召使のような、低い、または最低の地位にある者よりもさらに大きな幸福をその高貴から得ていようか。農夫や召使は何ごともうまく行って自分の運命に満足しているときは、さらに大きな幸福を楽しむことが出来よう。自分自身を愛する者は、特に自分がその心の誇りに応じて尊ばれないときは、また、その好みと欲望に応じて成功しない時は、他の何人にもまさって心が安まらず、容易に苛立ち、猛烈に激怒する。それ故高貴は目的または用に何ら貢献しないならば、観念以外の何であろう。そしてこのような観念は自己と世とを目標として、この世が凡てであって、永遠は無意味であると仮定する考え以外のいかような種類の考えに在ることが出来よう。

 

 

 

天界と地獄6

 

 世に生きていた頃、父を承認はしたが、主を他の人間のようにしか考えず、かくて主が天界の神であられることを信じなかった霊が若干いた。それで彼らは方々をさすらって、主の天界以外の天界が何かあるかないかを、何処であろうとその欲する所で尋ねることを許された。彼らは数日尋ねてみたが、何処にも全くそれを見出さなかった。彼らは天界の幸福を光栄と主権とに置いた者らの仲間であり、その望むものを得ることは出来ず、しかも天界はそうした物から成ってはいないと告げられたため、激怒して、他の者を支配して、世におけるように卓越した栄光を持つことの出来る天界を得ようと願ったのである。

 

 

 

天界と地獄481

 

形体的な愛にいる者らは天界の熱の中では全く生きることは出来ず―なぜなら天界の熱は天界の愛であるから―地獄の熱の中に生きるが、その熱は自分自身に好意を示さない者に対しては激怒する愛である。他の者を軽蔑し、敵意を持ち、憎悪し、復讐することがその愛の楽しさであり、彼らはそうしたものの中にいるときに、自分の生命の中におり、善そのものから、また善そのもののために他の者のために善を為すことの何であるかを知らず、ただ悪から、また悪のために善を為すことしか知らない。形体的な愛にいる者らはまた天界では呼吸することは出来ない、なぜならたれか悪霊がそこへ連れて来られると、彼は激しい競技でもしている者のように息切れがするからであるが、これに反し天界的な愛にいる者たちは天界の奥深くにいるに応じて益々のびのびと呼吸し、また益々豊かに生きるのである。