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1.シャブデカの備忘録 寺崎一
シャブデカの備忘録
〜北朝鮮ルート覚せい剤密輸入事件捜査始末記〜
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福岡県警察本部保安課
管理官 警視 寺 崎 一
プロローグ
検挙着手の命令が電波に乗って八方に飛んだ。張り込みを続けて5日目、それまで凝らしていた息を爆発させるかのような管理官の「突撃!」の声に、草に伏し岩陰に隠れていた68名の捜査員が地を蹴って飛び出していった。
墨を流したような暗闇の中に無数のヘッドライトが一斉に点灯、その光の束が雪崩を打つかのように海岸の波打ち際に殺到した。ライトに浮かび上がった白いワゴン車。一瞬立ちすくんだ男達が蜘蛛の子を散らしたように逃げる。懸命に逃げる男達を、けん銃と防弾チョッキに身を固めた捜査員が追った。
特捜班長がワゴン車に近づいた。その中に積まれたボストンバックの山。チャックを開き手を入れると、ザラリとした感触が手のひらに伝わる。「ウワァ、バサラカあるばい」思わず漏らした班長の震えを帯びたその声が、捜査史上最大と言われた覚せい剤密輸入事件検挙のプロローグとなった。
覚せい剤565キロ押収、被疑者10名を逮捕。捜査員の地道な努力の積み重ねにより、ついに幸運の「風」が我が保安課に向かって吹き始めたのである。そうした捜査員の努力とともに転がり込んだ幸運に感謝しつつ、着任以来半年間の捜査の中で思いつくままにしたためた「備忘録の」一部を、いささかの照れくささに耐えて、ここに紹介する。
逮捕の瞬間動画と実況
3月4日(曇り一時雨)
県警の人事異動発令。「覚せい剤第三期乱用期」の到来と機を同じくして、かって20年間を過ごした保安課に管理官として久々に返り咲くことになった。下世話な表現をすれば、思いがけないところで分かれた女房と巡り合った、そんな気持ちでもあった。
さぁ、それからというものは中年男の焼けボックイに火でもついたのか、すっかり張り切ってしまったのである。時あたかも、世間は入社式のシーズン。新入社員に対する社長訓辞がある日の新聞の見出しを飾った。「3ヶ月経っても実績なき者は去れ」。企業は、これほどの厳しさを社員に求めているのである。
すっかり感心してしまい、保安課長K警視に早速その記事を持って御注進に及んだ。それが失敗の始まりであった。「そのセリフ、そのままアンタに進呈するバイ」、なんとも厚かましくつれない返事とともに、その記事の拡大コピーが小生のデスクに張り付けられる羽目となったのである。エライことになってしまった。「藪蛇」とはまさにこの事であった。
6月1日(曇りのち晴れ)
驚天動地の赴任日から、キロ単位のブツを見ることもなく瞬く間に2ヶ月が過ぎた。あと僅かで約束の「3ヶ月」、すっかり焦ってしまった。
全国を眺めてみると100キロ単位の事件が相次いで摘発され、シャブ屋の業界はまさにバブルの真っ盛り。このままでは、昨年当課が受賞した3本の長官賞が泣こうというものである。
業を煮やした課長の一喝により、本日から特捜班長に課業開始1時間前の報告が毎日義務づけられた。それからというものは、課長の叱咤激励ならぬ「叱咤、叱咤」の連続。 「オマィ達は百姓でもしとる方が向いとるとやないか?」と、言われてもクニに帰って耕す田畑があるわけでなく、まさに地獄の毎日であった。
不思議なもので、捜査には理屈のつかない人の力では如何ともしがたい「風」が存在する。一旦あらぬ方向へ吹き出すと、後はなかなか思う方向には吹いてくれない。その風向きを変えるには、地道な捜査の積み重ね以外に策はないのである。
その後の6月中旬、特捜E班とO班の連合軍の努力により覚せい剤1キロの所持事件を検挙。 伝統を誇る我が保安課にとっては僅かな量であったが、そのお陰で恥ずかしながら小生の「執行猶予」が、更に3ヶ月延長されたのである。
8月21日(曇りのち雷雨〜鹿児島地方、薄曇り)
ひとつの情報がもたらされた。「本日、台湾人2名が福岡入り、100キロ単位の覚せい剤の密輸入を計画している」との内容である。
情報どおり、台北発香港経由のキャセイ航空機から福岡空港に降り立った台湾人2名は、出迎えの東京在住の貿易商と共に市内のホテルに宿泊。翌22日、迎えに来た熊本ナンバーの車で九州縦貫道を一路南下、熊本市内に入る。途中、一旦失尾したものの熊本県警捜査員の懸命の捜索により、縦貫道を更に鹿児島方向に進行している対象を発見。直ちに福岡、熊本、鹿児島の3県合同による行動確認体制がとられた。
対象は鹿児島市内に入り指宿を通過、やがて川辺郡笠沙町の海岸で車を止めたのである。特捜班長からの報告により「黒瀬海岸」の地名が浮上したとき保安課内は色めき立った。そこは本年3月、ボストンバックに入った29キロの覚せい剤が遺留されていた場所であった。「ブツの陸揚げ場所の下見に間違いなし」、疑惑は確信へと変わった。ついに不思議な事件の「風」が、こちらの向かって吹き始めたのである。課長の「叱咤、叱咤」からの解放が間近に迫っていた。
その直後の8月26日、保安課長K警視のご栄転に伴い、その後任にY警視が着任。新たな体制による捜査が開始されたのである。
9月1日(雨のち曇り)
これまでの捜査によって、黒瀬海岸での覚せい剤の密輸入は、疑惑から確信へと変わった。そのため本件警察本部において、警察(福岡、熊本、鹿児島、警視庁)、海上保安部(七管、八管)、税関(門司、長崎)の3機関による合同捜査会議が開催され、「黒瀬海岸のブツを確認した後に現場検挙」との捜査方針が確認された。あくまでも検挙着手はブツの陸揚げ後であり、抜け駆けは天下の大罪というわけである。
後は、それぞれの機関の連携をいかにして図るかということである。3機関8所属で編成された大所帯による捜査の運営が果たして成功裡に進められるか否か、という大きな懸念が残されていた。しかし、その不安は杞憂に終わった。「案ずるより生むが易し」であった。
それにしても、思う。覚せい剤捜査において「他機関との連携」が叫ばれて久しいが、覚せい剤という同じ獲物を狙う関係機関が対等の立場で連携を図る事は至難の技と言わざるを得ない。
しかし、組織といえども所詮は個々の人間によって構成されているのであるから、お互いの職員同士が信頼の絆で結ばれる限り、それはあながち不可能ということではない。難しい理屈は抜きにして現場の指揮官同士が良好な関係をつくれば、その部下のすべてが協力を惜しまずに捜査目的の達成に邁進するのである。
「連携」等と叫んで、大げさに拳を突き上げる必要はない。必要なのはお互いの信頼なのである。それは、小生が、この一連の捜査の中で学んだ最も単純で最も素晴らしい心理であった。
9月28日(晴れ〜鹿児島地方、晴れ)
待ちかねた追加情報がもたらされた。「先に下見に来た台湾人Hが近く来日する」というのである。早速、熊本県警本部において関係3機関による緊急捜査会議が開かれ、捜査の最後の詰めが行われた。
後は、命令一下、全捜査員と巡視船艇が無言無声のままするすると動き出し、それぞれの配置につくだけとなった。すべての手筈が整ったのである。
情報に基づき福岡空港を張り込むこと1週間、ついに台湾人Hが単身福岡空港から入国したことを確認、その追尾が始められた。
一方、黒瀬海岸の所定の場所には、直ちに捜査員と巡視船艇が配置を完了し、海保と鹿児島県警の航空隊には、いつでも離陸できる待機命令が発令された。黒瀬海岸は陸海空から包囲され、完全に捜査陣の監視下に置かれたのである。
ただ、その時すべての捜査員の脳裏を重苦しく占め続けていたものは「もし他の海岸に陸揚げされたらー」という懸念であった。しかし、こうした場合に迷いは禁物であることは、捜査員の長年の経験と勘がそれを裏付けていた。
かくして「ブツの陸揚げは黒瀬海岸」とする不動の方針の下、その後5日間に及ぶ不眠不休の張り込みが続けられたのである。
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10月3日(晴れ〜鹿児島地方、晴れのち曇り)
鹿児島県川辺郡笠沙町、黒瀬海岸。そこは周囲を小高い山に囲まれ、海岸はリアス式の切り立った岩場が続いている。付近には地元の人が所有する別荘が一軒あるだけで他に人家はない。
人目につかずにブツを陸揚げするには格好の海岸であったが、そうした好条件はわが方にとって更に有利に働いたのである。この種事件は着手のタイミングが難しい。少しでも早ければ陸揚げを中断され、遅ければ逃走を許してしまうという危険性が常につきまとっていた。しかし、ここでは一本の山道さえ封鎖してしまえば、じっくりとブツの陸揚げを待ち、後は一網打尽ができる格好の地形であった。
沖合に浮かぶ無人島にも捜査員が派遣され、そうした小島の陰には海保の巡視船艇5隻と税関の監視艇1隻からなる「連合艦隊」が、海岸を取り囲むようにレーダー網を張り巡らせ、密輸船の出現を今や遅しと待ちかまえていた。
ある者は波に揺られ、そしてある者は地に這い樹木の陰に隠れて今日で5日目、捜査員の体力は限界に近づいていた。
そうした中で不眠不休の疲れを一気に吹き飛ばす朗報が舞い込んだ。去る9月28日、成田空港から一味と見られる香港人が入国していたが、その男が借りた「品川ナンバー」のレンタカーが鹿児島県警の遊撃班によって発見されたのである。すべての捜査員は色めき立った。
しかもその後、例のレンタカーが黒瀬海岸に至り、その付近で行きつ戻りつを繰り返し始めたのである。警察の配備をチェックする典型的なシャブ屋の動きであった。更に海岸を望む別荘下に不審な白色のワゴン車が停車。
それを境に、単調な報告の繰り返しであった無線機の交信がたちまちの内に頻繁となり、緊迫の度を加えていった。
0 19:09 (無人島から指揮本部)
ワゴン車がロープをはずして中に入る。まもなく海岸着。
0 19:25 (無人島から指揮本部)
別荘下の空き地からワゴン車が沖に向かって信号を送っている。
0 19:33 (検挙班から指揮本部)
「品川ナンバー」が別荘入り口の空き地に停車し、枕崎方向にパッシングをしている。
0 19:34 (巡視船えびすから指揮本部)
北緯31度20分、東経130度11分の地点に無灯火の不審線が停泊中。
0 19:40 (無人島から指揮本部)
ワゴン車が海岸線まで降りた。
0 20:40 (検挙班から指揮本部)
「品川ナンバー」が別荘入り口の空き地から盛んにパッシングを繰り返している。
0 20:45 (検挙班から指揮本部)
男が無線機で話している。中国語のようだ。
海岸の男が、懐中電灯を沖に照らし合図を送っている。
0 21:00 (無人島から指揮本部)
ゴムボートが近づいた。接岸した。ボートは2隻。
0 21:17 (無人島から指揮本部)
3〜4人の男が、ボート付近をうろうろしている。
0 21:24 (現地本部から各班)
取引を終了したかもしれない。確認するまで待て。
海岸線で何か作業している。
0 21:30 (無人島から指揮本部)
男達がボートから荷物を降ろし出した。
別の男がその荷物を車の付近まで運んでいる。往復している。
0 21:34 (無人島から指揮本部)
ボートが沖に向かって動き出した。海岸の男達は荷物を数えている。
ワゴンに荷物を積み込んでいるようだ。
0 21:37 (現地本部から各班)
検挙班は、検挙着手。阻止班は道路封鎖。
慌てるな。落ち着いてやれ。
総合指揮本部からは「(検挙)はまだか、まだか」の矢の催促。しかし「慌てる乞食はもらいが少ない」と言うではないか。小生焦った揚げ句に60キロのブツを海中に投棄された苦い経験を持っている。ここに至っては焦りは禁物であった。
捜査のクライマックスが迫っているときに私事にわたり恐縮であるが、生来のガサツでセッカチな性格であるせいか、捜査員の奴ら日頃から小生のことを「バケツの中のザリガニ」などと陰口をたたき面白がっているのである。そのためここ一番、何がなんでも悠揚迫らざる態度を捜査員に見せつけて、平素の汚名を挽回しなければならない。その絶好の機会であった。
21時37分、ブツの陸揚げは完全に終了した模様だ。深呼吸すること2回、3回。ついに引き絞られた矢は弦を離れた。「検挙着手」のゴーサインを発令。ついでに「慌てるな、落ち着いてやれ」という、おまけまで付けてやったのである。ところが次の瞬間、たまらなくなり「突撃」の絶叫とともに捜査員を押しのけ撥ねのけ、体はひとりでに飛び出して行ったのである。その後、又も捜査員の失笑をかったことは言うまでもなかった。
しかし、いずれにしても覚せい剤565キロを押収するとともに、現場の海岸において被疑者4名(海上で5名)を逮捕。さらに山中に逃走した1名は、鹿児島県警機動隊の山狩りによって翌日逮捕となった。
一方、沖合の海上では、
0 21:41(指揮本部から巡視船きりしま)
「これより海上における指揮をとれ。」との指令により、島影に隠れ満を持していた海保と税関の連合艦隊は、四方から猛然と密輸船に襲いかかった。密輸船は巡視艇の停船命令にも従わず、無灯火のまま全速力で逃走。巡視艇は猛追撃に移った。
追跡すること30分。ついに沖秋目島の西方海上において、巡視艇「むらくも」と「あさぎり」は密輸船を左右から挟撃、停船させるに至った。直ちに海上保安官と捜査員が密輸船に乗り移り、台湾人船長をはじめとする被疑者5名を逮捕し、「黒瀬沖海戦」はその幕を閉じたのであった。黒瀬沖海上、「本日天気晴朗ナレド波高し」。
エピローグ
12月28日(晴れ)
昔風に言うと、本日は御用納めである。九州各地を飛び回り「御用、御用」で明け暮れた波乱の1年が終わろうとしている。
思えば、今年は苦悩と歓喜が交差する1年であったが、前半の苦悩の連続が捜査員の圧縮熱を高め、それが後半の歓喜の大爆発に繋がったのである。10月3日、鹿児島の黒瀬海岸において、警察、海保、そして税関の3機関の協力によって検挙した「覚せい剤密輸入事件」は、大量のブツの押収と被疑者の一網打尽。そして謎に包まれた覚せい剤北朝鮮ルートの解明に迫るなど、捜査は「理想的」と評され多くの人々の賛辞を得た。
捜査幹部としての冥利これに過ぎるものはないが、捜査員の御輿にただ漫然と乗っていた小生にとって、その賛辞は余りにも晴れがましく照れくさい。まさに汗顔の極みですらあった。
しかし、とにもかくにも空前絶後と言われた捜査は終結に近づき、我々は「この一戦」に勝利したのであるが、「シャブの福岡」と称えられた我が保安課の伝統を保ち得た安堵感とともに、なぜか「祭りのあと」にも似たむなしさを覚えているのは、小生だけであろうかー。
逮捕の瞬間動画と実況
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ホンジュラスからの便り 蒲原善彦 | |
その1 幹事役なにかとご苦労様です。 明善のHPは末松嬢から連絡をいただき楽しくまた懐かしく見させてもらっています。 関西支部同窓会では黒岩龍男、田中倫美、末松嬢、井上君等に可愛がってもらっておりました。出発前には9組の南公剛や倉成(陸上クラブ出身で火災保険の鑑定士みたいな仕事をやっている)くんに東京でmini同窓会をやりました。 私は出来が悪くてはずれ者でしたので、覚えている人は少ないでしょう。 拙文でしたがHP掲載了解です。因みに家の時計屋は六角堂から明治通り寄り2軒目大坪フトンやの隣でした。 しばらく中米の水に浸かって、当地での生活うをしっかりenjoyします。 では 蒲原拝 その2 執行さんへ 長い長いご無沙汰でした。貴兄のことは風の便りに色々耳にしておりました。人は生まれ故郷に戻るのが人情。ところがこちらは行き過ぎて勝手に自分の第二の故郷と称するラテンへ年甲斐も無く、来てくれと言われたわけでもないのに勝手にやってきて、アッとゆう間に半年過ぎました。 現在中米HONDURAS共和国の国立職業訓練所で教育カリキュラムと教材作りのお手伝いをしています。と言うと聞こえは良いですが、私はグループコーディネイターといってJICA国際協力機構のシニアボランティァの各専門家(空調、電気、金属加工など)と現地パートナーとかJICA事務所とのコーディネイト業務をやっている訳です。と言ってもまだ分かり難いでしょう。 ありていに言えば現地の人達とアルコールなどを飲みながらオシャベリしたりして国際交流みたいなこつばしとるだけですたい。 自然は豊かで人も良いし快適な標高1,100mts(熱帯ですが年中軽井沢って感じでしょうか)の首都Tegucigalpaにお越しの節はご一報ください。 任期2年で2007年10月まで当地に滞在します。 メールアドレス登録宜しくおねがいいたします。 当地の復活祭の写真添付します。極彩色のおがくずで作った絨毯の上を行進します。 9組 蒲原善彦より(生まれも育ちも久留米市あけぼの町の時計屋) |
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1部 ホンジュラス便り 平成19年2月 2部 ホンジュラス生活ご紹介 蒲原 善彦(Honduras, Tegucigalpaより) しばらくです。日本は記録的な暖冬から一転大雪だと聞いていますが、34回同窓の諸兄は如何お過ごしでしょうか。 |
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1951年製 |
クリスマスイブ明け 裸足の淑女 |
Cabaret Tropicana3 |
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Saxofon 奏者 Angelo |
1959年 キューバ革命 |
海外だより ホンジュラス生活ご紹介 蒲原 善彦 185回目の独立記念日(9月15日)で祝日になった金曜日の昼下がり、灼熱の太陽を浴びながら石畳の坂道をおりていくと、ノコギリ型の山脈が眼前に広がる見晴台にたどり着く。その右手にあるすっかりおなじみになった食事処Casa del piano(ピアノの館)を覗く。「やぁ、マリオ元気かい!」「どうした、ホルヘ元気そうじゃないか」。マリオはここで働くベテランウェイターだ。人懐こくていつも朗らかで典型的なHondurenoである。スペイン語でオンドゥレーニョと発音します。ホンジュラス人のことです。 ホルヘというのはここでの私の名前だ。皆いい奴ばかりで大好きなんだけど日本人の名前は難しくて覚えるのが大変だよ、とマリオが言うのでラテン流のニックネームにしてもらったわけです。 私に付き合ってくれたのはどちらも海外生活がはじめての海外青年協力隊のお嬢さん達である。1人は沖縄出身の、中米では珍しいハンドボールの指導にやってきたスポーツ万能のM嬢だ。毎週12の学校へ巡回指導をしているそうだ。もう1人は京都生まれで、いつもファイト満々の日本語教師のA嬢。当地の教育大学で学生さんのみならず、一般市民も含め100人以上の希望者が殺到する新設の日本語講座を受け持つ魅力的な女性だ。僕も生徒になりたいほどです。 現在ホンジュラスではいろいろな専門分野で100人あまりのJICAボランティアが活動中で、横の繋がりを利用して新たな活動を展開するのも楽しい試みのひとつでもある。日本紹介とか日本語会話のお手伝い、スポーツイベントなどなんでもいいから、ホンジュラスと日本の相互理解に役立つ活動ができないか、いろいろ模索中で今日はその相談も兼ねて首都圏から近い郊外の閑静なSanta Lucia(サンタルシア)村へやってきました。 *ホンジュラスってどんな国? 北の巨人・USAと未来の大陸・南米を結ぶパナマ運河から北側にある中米6カ国(日本の総面積より少し広い程度)の中央にあるのがホンジュラスで、赤道に近いラテンアメリカ諸国同様に、ホンジュラスの先人は涼しい環境を求めて高地に定住地を探したようです。首都テグシガルパは標高1000mのところにあります。日本のような四季はなく、乾季と雨季の二季ですが、高地ゆえに1日で春、夏、秋を経験できます。朝方には冷え込むので風邪に要注意とはいえ、とにかくこの上ない快適な気候です。言葉はメキシコ以南の中南米の殆どの国(ブラジルはポルトガル語)とおなじくスペイン語です。コロンブスが新大陸を発見してから半世紀も経たないうちに、ラテンアメリカの殆どの国々をカトリック教とスペイン語圏に変えてしまった訳です。 国連が発表する貧困度ランキングでは中南米諸国中でワースト5に数えられ、国民の3分の2が日給2ドル以下の所得水準の国だといわれています。近年は働き盛りの若者達のアメリカ合衆国への出稼ぎ移民(不法移民が多い)が話題になっています。ホンジュラスのセラヤ大統領が去る9月19日の国連総会で演説をし、科学・経済の発展が、一方では世界のモラル低下(貧困・暴力・腐敗など)をもたらし、社会格差を広げてはいないか?と問題提起して内外に波紋を呼び起こしています。 *なぜ、なにをしにホンジュラスへ? JICA=通称ジャイカ(国際協力機構)のシニアボランティアプロジェクトに応募し、2年の任期でホンジュラス派遣となった。商工業・農業・サービス業分野への人材供給をになう国策事業(職業訓練所)で自動車整備、空調・冷凍、金属加工のカリキュラムと教科書作りのお手伝いをする、いわば草の根グループコーディネイターとして活動。 発展途上国にとって、昨今の無慈悲きわまりない市場開放・自由貿易などの潮流が世界の国々や個人間の格差拡大を生んでいるのではないか? この中で国としてまた個人としてなにができるかいろいろ考えるところです。飽食の時代を満喫する日本を外から見ると、今まで見えなかったものがみえてくる。このままでいいのだろうか。自戒の念です。 |
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吉田保徳君を偲んで 今年6月8日逝去した吉田保徳君を偲んで、8月11日仲間が集いました。 遠くは、埼玉から広光喜代一君も参加してくれました。 吉田君の実家を訪ね、菩提寺にお参りし、宮の陣駅近くの「かじむら」で親交を温めました。 そのときのスナップをお届けします。 向かって左より 今村 執行 寺崎 中島 松本 広光 樺島 森山 |
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下田さん、藤田さん、執行さん |
松本豊太郎さんの報告 |
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床島、古野君は途中退席、執行、中富、松田 |
執行、古賀、辻、右端は他の学年の人 |
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床島、古野、執行、中富 |
渕上、今村、床島 |
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執行、中富、今村、高須、青木 |
中島、青木 |
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床島、古野、執行、執行、中富、中島 |
会場風景 |
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栗山(緒方)伊津子(5)さんも出席でしたが、 途中で退席されました。 スクリーンの映像を見ている。 |
余興風景 |
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花柳三枝さん(46卒) |
花柳三枝、花柳光(高女19卒)さんの舞 |
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占部先生と。一人だけ迷い込んだ人がいる。 |
執行、古賀、辻 |
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2次会のひととき−1 |
2次会のひととき−2 |
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2次会のひととき-3 |
2次会のひととき−4 |
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18年明善大同窓会 青木範充君からの報告 青木範充君からCDを送ってきてくれました。これまでの写真とダブらないように、ここに紹介します。 |
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この区画の写真は青木君から送ら れてきたものを掲載しました。 |
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創立百三十周年記念式典 平成21年10月31日 明善校創立130年式典と祝賀会に同窓会理事として出席しました。 正門を入ると左手に校訓碑が建っています。「克己・盡力・楽天」と伸びやかで堂々とした書が彫りこまれ、その上に校章が記されています。在校生は50年前の私たちと同じようにこの校訓碑に護られて、毎日の学校生活を送っています。 明善は県立移管して130周年ですが、「学問所」からすると、227年に及ぶ歴史があるそうです。 227年の歴史の中で明善の名を4度変え、幾多もの変遷を経て明善の名は引き継がれ、定着し、人材輩出の成果により、その重みを増し現在に至っています。 皆さんの心の中にずっしりと入り込んでいる校訓の「克己・尽力・楽天」は自己実現に向けた克己尽力の血の努力を重ね、後は天命にゆだねるという安心立命の境地を意味します。 明善を卒業して50年。まごころの道の向こうにある自分の夢を1つ・2つそれとも、もっとたくさんかなえられたでしょうか?いろんなことを思いながら、大きな声で在校生と一緒に校歌を歌いました。 50年まえにもどって、自分の姿を思い出し胸が熱くなりました。そして、感動の1日でした。 5組 執行 久美子 (上村) |
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一冨 忠君のこと |
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一冨 忠君(5組)のことが新聞に掲載されました。 久留米で見に行くには遅すぎましたがご紹介いたします。 なお、東京での展示日程情報が下の 欄に記載されています。 松本豊太郎 町田市フォトサロンのホームページ http://www9.ocn.ne.jp/~ph.muse/map.html 東京での展示日程情報 ↓ |
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新聞で紹介された久留米での展示会の様子(岩田屋) |
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姉川 昌彦君(3組)、一富 忠君(5組)の写真展 に行ってきました。 ・姉川 昌彦君の作品名は「寒風を待つ」 ・一富 忠君の作品名は「砂 紋」 いずれもカラ−全紙、3枚組写真です。 松本 豊太郎君、執行 久美子、執行 宏が両君の作品の説明を聞きながら、楽しいひと時を過ごしました。 10月17日(土) 執行 宏 |
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一冨 忠 君の作品(5組) 作品名:月光の渓谷 3枚 え-るピア 久留米 市民ギャラリ−(2階) 平成23年10月12日(水)〜10月16日(日) |
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久留米市総合美術展(10/14日〜25日 於:石橋美術館)で下記の34会卒メンバ−が、受賞の栄誉に輝きました。 水墨画部門 久留米市奨励賞 --- 「春光」 9組 松田 邦久君 写真 部門 久留米市文化推進協議会賞 --- 「休日」 5組 一富 忠君 あいにく、一富君不在につき本人の映像なし。 報告 執行 宏 |
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石橋美術館の中庭にて 向かって左より 松田 執行 執行(久) |
展示場風景 |
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「春光」 9組 松田 邦久君 |
「休日」 5組 一富 忠君 |
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第41回 西部写真コンクール アサヒカメラ賞「カルストの晩秋」 一冨 忠 (福岡県 久留米市) 田沼武能氏 : 全日本写真連盟会長 評 「カルストの晩秋」....写しこまれた石や草原を通し、地球の変貌のドラマを感じさせるネイチャー写真になっている。 (11月23日付朝日新聞に一冨忠君の写真が掲載されていましたので、34会HPに転載方よろしくお願い致します。熊本の青木範充君から連絡がありました。 松本豊太郎) |
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久留米光画会 12月21日(水)に一冨 忠君の出展作品を見てきました。 生き生きとした立派な作品(北海道旅日記)でした。 まだ12月25日まで開催されています。 執行 宏・久美子(5) |
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第60回記念賞 作品:水墨画「玉龍雪山写生」 松田邦久君(9組) 第60回記念にふさわしく堂々とした深みのある作品でした。 於:平成23年10月23日(日) 石橋美術館1階 松本 豊太郎・執行 宏報告 |
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松永一夫氏の作品 久留米連合文化会の会員美術展で松永一夫氏(3)の作品を見ました。 彫刻と絵と2つ出品していました。彼も頑張っていますね。石橋 美術館で13日までです。 2011−09−18 一部追加 松永一夫君と会いました。彼の作品の前で。松本豊太郎。平成23年9月18日。 松本豊太郎 2011−09−27 さらに追加 執行宏 |
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2011-09-18 松本豊太郎氏より送付 |
2011-09-18 松本豊太郎氏より送付 |
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松永一夫氏の作品(9月25日) 9月25日(日)松永 一夫君(3組)の西部水彩画展を見に行きました。 西部水彩画教会の会員松永君は東北大震災に因んだ画の題名は「切り取られた風景T」・「切り取られた風景U」です。 執行 宏(5) |
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松永 一夫君(3組)・執行 久美子君(5組) |
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石橋美術館 1F 正面が松永君の画 |
正面玄関 松永 一夫君 |
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第63回 西部水彩公募展 2012-04-12 4月12日(木曜日)石橋美術館で、会員・松永 一夫君(3)の出展作を観に行きました。 作品は「(デッサン)だれもいない裏通り」木炭画の傑作。松本 豊太郎(6)、執行 久美子(5)、 執行 宏(5)の三人で作者の説明を聞きながら、じっくり観賞。 久しぶりの好天に恵まれ、美術館周辺は初夏を思わせる光景でした。 執行 宏より |
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42回 久留米連合分科会「会員美術展」 平成24年6月 石橋美術館1階で開催されています。 我々の34会からは、松永 一夫君(3)の洋画「雲の上で遊ぶ」と、 一冨 忠君(5)の写真「月光のナラワラ」が出展されていました。 (注−「ナラワラ」とは塩害で枯死した北海道のミズナラのことらしい。アイヌ語 http://ramblingonmyhokkaido.blog112.fc2.com/blog-entry-103.html) 残念ながら、出展期日がずれているため松永君の彫刻「おれのいる場所」は観れませんでしたが、 6月1日(金曜日)数人の友人と鑑賞に行き、心地よいひと時を過ごしました。 松永 一夫君の作品を作品を囲んで、 左側から執行 宏(5)、松田 邦彦(9)、下田 敦子(3)、松永 一夫(3)、松本 豊太郎(6)の皆さんです。 執行 報告 |
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「雲の上で遊ぶ」 |
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「月光のナラワラ」 |
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2012年 西部水彩展 2012年 西部水彩展を鑑賞に行きました。(9月20日) 会員 松永 一夫君(4)の作品「記憶の街」は街のイメ-ジが膨らむ作品でした。 観賞後、カフェギャラリ−ショップ「楽水亭」で34会の皆さんと楽しい会話が弾みました。 写真の人物は左から、辻 和武君(2)、藤田 敏子さん(5)、執行 宏(5)、下田 敦子さん(3)、松永 一夫君(4)、松本 豊太郎君(6)です。 報告 執行 宏(5) |
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久留米野草の会「40周年記念展」 久留米野草の会「40周年記念展」を鑑賞に行きました。(10月14日 石橋文化センタ−・市民ギャラリ−) 会員・辻 和武君(2)の作品「ヤチマタイカリソウ・・熊本地方では肥後イカリソウ」前で撮影。 この作品が、会場に展示されている数多くの作品の中で一番華やかに感じました。 展示室では、作品作成の苦労話や34会生の話題で会話が弾みました。次回は、来年3月とのこと。 辻君の作品は「34会生の窓」の表紙に毎月掲載をさせてもらっています。その月の終了後には1つのファイルにまとめて整理し掲載しています。その数はすでに60枚をこえました。 写真掲載の人物は、辻和武君・松本 豊太郎君(6) ・執行 久美子さん(5)・執行 宏(5) 報告 執行 宏 |
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平成24年12月 一冨君の作品 2題 (青木範充君(9)よりの情報提供) ・第73回 国際写真サロン 審査員特別賞 ・久留米市光画会 翠嶺賞 |
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第73回 国際写真サロン 全身全霊の祈り 「講評」 構成力が優れている。 鐘を突く人物の手の部分を入れていないの が、逆に想像をかき立てている。 後で拝んでいる人が脇役となり梵鐘(ぼんしょう) の響きを感じる。 ごく自然な感じでデジタル技術を活用している。 |
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林田博隆君2年連続の栄冠 国際味覚品質審査会において林田博隆君の紅乙女ゴールドが2年連続の三つ星を受賞しました。 焼酎として昨年初めて表彰されたのだそうです。2年目だからあまりニュースバリュウーは無いのではないかと 本人は謙遜しているようですが、江藤久留米市長からは「2年連続だから一層受賞の重みがある。」とのコメント を戴いたのだそうです。 「世界の人に楽しんで飲んでもらうような美味しい焼酎を造りたいと思います。」とは本人からのあくまで控え めなコメントです。 紅乙女酒造のHPはリンクの窓または以下のURLからアクセスしてください。 http://www.beniotome.co.jp/ |
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明善34会の皆様 明善34会世話人一同 平成20年 明善大同窓会のお知らせ 残暑厳しい中皆様方にはますますお健やかにお過ごしのことと思います。 さて、毎年恒例の明善大同窓会が、下記のとおり開かれます。ご承知のとおりこの同窓会は、先輩から後輩までのいわゆる“オール明善”の同窓会です。34会の全員の方にはご案内せず、久留米や福岡など地元の人を中心に、これまで参加いただいた方々などに、口コミなどで呼びかけている程度です。それでも関東、関西方面からの人も含めて毎年20名程度の同期の方が出席され、同じテーブルを囲んで歓談しています。懐かしい恩師や先輩、後輩との交流やアトラクション、記念品もあります。会の後は、喫茶「ボロン亭」に席を変えたりして、なかなか話しが尽きないようです。 ご案内が行ってない方々にも多いので、お誘い合わせのうえご参加下されば幸いです。今年も34会に25枚のチケットの割当てが来ています。世話人あてご一報下されば早速送らせて頂きます。
明善大同窓会 と き 平成20年10月12日(日) 午後2時30分〜5時
ところ 創世 会 費 5,000円
送迎バス 2時頃からJR ※ 世話人() 市丸利正 (0942―33―8301) 今村瑞穂 (092−585−3479) 執行久美子(0942―33―6755) 執行 宏 (0942―33―6755) 下田敦子 (0942―43―2751) 高須 攻 (0942―32―2354) 辻 隆資 (0942―32―5094) 寺崎 一 (0942―35―5839) 中島恭子 (092―918―1577) 西山慶子 (0942―38―4057) 藤田敏子 (0942―34―3947) 渕上靖子 (0943―73―1802) 松田邦久 (0942―35―6701) 松本豊太郎(0942―21―4744) |
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平成20年明善大同窓会 10月12日、平成20年度の明善大同窓会が久留米市内の創世で開催されました。 34年会から10数名の参加者がありました。 |
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平成21年 明善大同総会 10月11日 10月11日は恒例の明善大同総会が市内創世にて開催されました。権藤君と鮎川誠さんの対談もあり同級生も28人が参加いたしました。 大同総会終了後は34年組だけで篠山城近くのピエトロで二次会を開催、歓談のひとときを過ごしました。 |
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平成22年度 明善大同窓会報告 2010年10月9日(土)14:30時〜 ホテルマリタ−レ創世(久留米市東櫛原町900) 西山 慶子(1)、末松 由里子(1)、寺崎 一(2)、中島 恭子(2)、 中村 満子(2)、下田 敦子(3)、市丸 利正(4)、栗山 伊津子(5)、 執行 宏(5)、佐々木 凱男(6)、松本 豊太郎(6)、黒岩 龍男(7)、 高須 攻(7)、古賀 義幸(8)、古野 公啓(8)、青木 範充(9)、 今村 瑞穂(9)、松田 邦久(9)、渕上 靖子(11) 集合写真は寺崎 一、今村 瑞穂氏は入っておりません。所用のため帰宅。 最後の2枚は「ボロン亭」にて2次会時のスナップ写真です。 |
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平成23年度 明善大同窓会報告 2011年10月21日(土) 14:30時〜 ホテルマリタ−レ創世(久留米市東櫛原町900) 今年は21名が参加致しました。 「来年(昭和24年)の大同窓会案内です。」 |
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<34会生集合写真> |
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後ろ三列目左から、加藤 研二郎(4)・小篠 俊之(4) 後ろ二列目左から、青木 充範(9)・辻 隆資(6)・中冨 舒行(5)・藤田 敏子(5)・高須 攻(7) 市丸 利正(4)・福田 義明(4)・松田 邦久(9)・古賀 義幸(8)・緒方 昭男(5) 床島 昭男(6) 前列左から、 執行 宏(5)・執行 久美子(旧:上村5)・中島 恭子(2)・下田 敦子(旧:上滝3) 高向 洋子(旧:青木2)・淵上 靖子(旧:横溝11)・松本 豊太郎(6)・古野 公啓(8)・ 灰塚 昌弘(5)・栗山 伊津子(旧:緒方5) 以上23名 |
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木村フォト写真セミナ−写真展2010 二人からの報告 え-るピア久留米 市民ギャラリ−(2F) 平成22年10月13日(火)〜10月17日(日) |
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永年、趣味の写真を続けている二人。 現物を見ると、本当に時間をかけてシャッタ-チャンスを逃さずとらえた、苦労した作品だと思います。 執行 宏(5) 10月14日(木)訪問 左より 高須 攻(7組)・執行 宏(5組)・姉川 昌彦(3組) |
お久しぶり! 山本先生(右) 去る10月16日姉川昌彦君も出品している写真展に行きましたら、山本義人先生に久しぶりにお会いしました。 79歳になられたそうですがとてもお元気そうでした。 懐かしかったので姉川君との2ショットを撮りました。 松本豊太郎(6) |
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瀬音(カラ−全紙・3枚組写真) 姉川 昌彦君作品(3組) | |||||||||||||||||||||||
平尾台(カラ−全紙・3枚組写真) 一富 忠君作品(5組) | |||||||||||||||||||||||
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第95回 二科展 平成23年2月 2月19日(土曜日)、二科展を観に福岡美術館へ行きました。 数ある作品の中で、大久保 リツ子さん(1組・二科会友)の絵も傑作の中の一つです。 ブル-の色が今でも頭に焼き付く位印象的な作品でした。 執行 久美子(5組) |
作品名: ブル−・ポピ−(季節風) F100 |
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左側:大久保 リツ子さん 右側:執行 久美子 |
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第96回 二科展 平成24年4月 絵画の部で会友・大久保 リツ子さん(1組)が例年通り出展。作品名「ブル−ポピ−(季節風)」 昨年よりもっと鮮やかなブル−が印象に残りました。4月26日(木曜日)観賞。 作品を囲んで左から松本 豊太郎(6組)・執行 宏(五組)・大久保 リツ子(旧姓村田 1組)・高向 洋子(旧姓青木 2組) |
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松永和夫君(3)の水彩画 4月24日(日曜日) 西武水彩画協会会員の松永 一夫君(3組)の作品展を鑑賞してきました。 古を思い出す素晴らしい作品でした。 執行 宏(5) 左は配布された公募展の表紙 下は西部水彩画会員の松永 一夫君(3)の「土壁のある風景 右は作品をバックに作者松永君、4枚目は松本 豊太郎君(6)、執行 久美子さん(5)、松永 一夫君 右下は石橋美術館から見た公園の模様 |
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合唱団で頑張っています。 平成23年10月16日 10月16日、混声合唱団「くるめ市民コール」の第6回定期演奏会で、古野公啓君と栗山伊津子さんの両団員に会いました。 栗山さんはソプラノで古野君はバスで頑張っていました。 曲目はイギリスやドイツのホームソングやからたちの花、組曲「旅」などでした。 なおこの演奏会は東日本大震災チャリティコンサートでもありました。(松本豊太郎) |
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10月の健康まつりの写真 デイケアボランティア組の「振られちゃって・・」という踊りで会場を沸かせました。 17日の土曜日はクリスマスパーティーで40名のみなさんの前でまたまた踊りました。 みな忘れて反対向いたりして、これがまた受けて楽しかったです。 3月には700名を前に大きな舞台で、春の文化祭でこの高齢者集団が踊ります。 会場が笑いの渦になるのが楽しみです。 もう一度生まれ変わったら吉本喜劇に入りたいと思います。 私は前から2列目、右から1番目です。 向(旧姓 青木 洋子・2) |
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阿蘇周辺の小旅行 平成24年1月14日〜15日 1月14〜15日は「食べログ」以外の処で食べてきました。 明善34会友人との阿蘇周辺の小旅行です。 写真は根子岳、阿蘇高森の郷土料理「田楽」、阿蘇神社参拝等々。 今年も大いに楽しみましょう。 執行 宏 |
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青木繁の墓 平成24年彼岸 高向 洋子(旧姓 青木・2組)さんより次のような写真添付のmailが来ました。 「順光寺(久留米市日吉町139)は私の実家の菩提寺です。祖父のお墓のななめ向かいが青木 繁のお墓です。 昨日(9月22日)祖父をお参りに行きました。そばにある繁のお墓が100年もそのまま放置されているようで、 佇まいがそのあまりにも淋しく、説明書きも消えかけて読めず、おまけにお墓の基礎石がボロボロと崩れています。 石橋美術館のあの光景と比較して、その落差大きいのに憤りさえ感じました。祖父の実家が荘島町で、常日頃 何かしら親近感を感じていましたので、余計に腹が立ったのかもしれません。」 とありました。 久留米の宝である青木 繁の礎となるお墓がこんな格好ではなんとも言いようがありません。 石橋美術館に「海の幸」や「わだつみのいろこの宮」に見られるようなすばらしい絵が展示されているのと比較すると、お墓の みすぼらしさには落差が大きすぎます。繁の旧居は荘島町の保存会で立派に守られているのに!! 私自身も久留米市文化推進課や久留米市観光コンベンション国際交流協会に問い合わせました。 その後職員現場訪問、即返事がありました。「お墓は個人の所有であり、どうしようもない。 そして相続人は東京在住らしい」との返事でした。 福田たねとの間に生まれたのが笛吹童子でおなじみの「福田蘭童」、 その息子がクレジ−キャッツの「石橋 エ−タロ-」。その末裔は東京で何をしておられることやら、不明らしい。 久留米市は順光寺を通して末裔を探し出し、関係者の考え方を聞いてみたり しながら、何とかいい方向に向かってもらいたいものです。 執行 宏(5) |
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平成24年7月14日 北部九州の洪水 降り続けた豪雨がやっと治まりましたので、宮ノ陣周辺から筑後川を撮影 してきました。昭和28年6月、我々が中学1年の時は、豪雨で筑後川が氾濫し、 久留米市を中心に広範囲にわたり大きな被害を受けました。 然し、その時の二の舞を演じないように土手にある桜並木を伐採したりして 各方面が堤防の強化に尽力された結果、中心部は大事には至らなかったようです。 然し、耳納山裾にある田主丸付近、近隣では柳川市、八女市星野村、三井郡大刀洗。 近県では熊本、大分及び佐賀県はところにより甚大な被害を受けました。 執行 宏(5) |
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無料公開土曜講座のご案内 ご無沙汰しております。 さて、事故や事件、竜巻など自然の猛威で喧しい毎日ですが、昨年に続いて今年も4月から「高等教育コンソーシアム久留米」で 大学と実業社会を結ぶ土曜講座を行っています。 その中で一般の方も無料で学生さんと一緒に受講頂ける公開講座も有りますので、 地元の34会の皆さんにもご紹介したく、予定表をお送り致します。 今月の講師の安元氏は明善の2年先輩です。 興味のある講座に是非おいで下さい。 お待ちしております。 お手数お掛けしますが宜しくお願い致します。 佐々木凱男 |
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金環日蝕がきれいに見えました。 西日本はだめでしたが、東日本はところによっては見えたようです。 ラッキ−な人もいるものです。関東にいる友人から、送信してきました。 執行 宏 友人の言葉「朝から薄曇りでしたが、それが幸いしてメガネなしで見えデジカメでも綺麗に映りました。 出稼ぎに来ています、千葉市稲毛の施設5階からの様子です」 |
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