ー明善で出会って50年ー

関東地区34卒同窓会、今年は5月27日新橋第一ホテル(アネックス、ラ・キャピーヌ)に26名の同窓生が集まり楽しい一日を過ごしました。
久留米から木下幸子さん田中恵子さんも参加して下さり、会がにぎやかになりました。
皆さんの笑顔をご覧ください。(文責:佐々木澄子)

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 「写真を見ただけでは判らない。」との一部の意見がありました。関東同窓会の皆さんのご了解をいただき、写真の下に名前を併記しました。関東の皆さんご協力ありがとうございました。    事務局より
  (向かって左より)

前部の人 
古井孝子、渡邊(石橋)弘子、岡(轟)梢、本田高太郎、伊藤忠明

後部の人 
野田茂徳、武内(内田)富子、中根(中富)恵子、富岡(徳淵)麗子、 田村(淺川)豊海、木下幸子、宮崎六男、田中(門司)恵子、門司 宏
 (向かって左より)         目次に戻る

前列座っている人 
佐々木(角田)澄子、稲田俊穂、喜多(富永)さなへ

後列立っている人
桶本勲武、宮田(鎌田)優実、永田(内田)千枝子、佐々木凱男、江藤(池田)節子、飛永(佐々木)桂子、横山(斉藤)陽子、大橋功  
 
   平成19年関東支部34会同窓会報告

 今年は3月3日に新橋の第一ホテルアネックス ラ・パランツアに28名が
集いました。過去8年は女性の方が多かったのですが、今年は男女同数でした。
 最初の席である程度腹ごしらえができたら、席を次々とチェンジ、話の花が咲き
ました。二次会も近くの喫茶店でほとんどの方が参加で、またまた話が盛り上がり
皆さんとても楽しそうでした。
 他地区からは中根さんお一人だったので、来年は多くの方の参加をお待ちして
います。(文責:佐々木)
 
 3月3日(土)、予定通り新橋第一ホテルの「ラ・パランツァ」で開催された。

 以前から案内は貰っていたが、訳もなく欠席していた。今年、意を決して
初めて参加して見た。時は流れて半世紀。初老はとっくに過ぎ去ったものの、
全員がカクシャクとしており安心した。
 今年は初参加者が3人との事で、夫々が洒脱な挨拶を笑いを交えながら
披露した。この時点での参加者は総勢26名。(女性=13名、男性=13名)
 会は2次会まで流れ、都合で1次会には出られなかった荒武(榊)ハツ(3)
さんが 加わった。結果、今年も女性上位になったと主催者の言。
 来年からは常連になろうと思っているし1人でも多くを誘いたい。  
 両方の写真に潜り込んだ勇気ある者が?3人居る。  大蔵

 事務局より 写真は大蔵君より取捨選択するようにとの注文でしたがカットすることはできず全て
掲載しました。その分、写真を縮小しましたので表情は不明瞭ですが、雰囲気だけでもお届けします。


  前列左から
 桑原啓三8、中根(中富)恵子6、飛永(佐々木)桂子2、桑原(柴田)博子※
 古井孝子※、喜多(富永)さなえ5、
  後列左から
 倉成義昭9、野田茂徳4、大蔵隆史5、佐々木凱男6、永武篤9、門司宏2
 佐々木(角田)澄子4、桶本勲武9、永田(内田)千枝子10、富岡(徳淵)麗子4

  前列左から(座っている)
中根(中富)恵子6、田村(浅川)豊海1、宮田(鎌田)優美11、武内(内田)富子11
江藤(池田)節子2
  後列左から(立っている)
岡(轟)梢11、本田高太郎9、伊藤忠明6、大橋功8、久保山芳英7、谷澤一良4、
富岡(徳淵)麗子4、渡邊(石橋)弘子11、桑原啓三8

 明善関東34会 会場の看板

    2次会のスナップです。

  嶋本(弥永)静子さん(5)の新聞記事(平成21年11月8日)

 西日本新聞に表記の記事が掲載されましたので紹介致します。    事務局
                                             関係の記事有り
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   9月15日 北鎌倉に集う

 9月15日(土)、鎌倉に住む嶋本(弥永)静子君5を囲んで昼食会を・・・と 北鎌倉に参集。
当日は思いの他の残暑。じっとしていても汗が流れる暑さの中、 嶋本君は着物姿で現れた。
 
 総勢11名。嶋本君が手配してくれた店で、懐石料理に舌鼓を打ちながらの歓談。
女性9名、男性2人の組み合わせは、どう見ても女性上位の集い?となった。
 暫く歓談の後、近くの「円覚寺(鎌倉五山の第二位)」へ参詣。北条時宗の創建になる700年の歴史を誇る名寺で、季節の折々には牡丹・白木蓮・梅・紅葉で 賑会う。
この日は彼岸花や萩が美しく咲いていた。

 暑いので、当初の予定を変更して、近くの明月院に向かう。
この寺は北条時頼の墓所であり、俗に”あじさい寺”と呼ばれ、6月には多くの人で賑会う。綺麗な石庭があり、その前で全員の記念撮影をする。
暑いので寺社巡りはこの位にして、寺院内にある”茶屋”で全員が冷たい物を口にする。
 
 その後徒歩5分程の所にある嶋本君の店「香り仕事」へ全員で立ち寄り、ハーブティーのご馳走になり賑やかな時間を過ごした。
こじんまりした店に10人も押し寄せ、商売の邪魔になったかも知れぬ。その後は大蔵一人が早々に別れを告げたが 9人は夕闇迫る鎌倉の街に消えて行った・・・・とさ。  
 
    大蔵記                    関係の記事有り
(明月院での集合写真)
 【前列左から】  永田(内田)千枝子10・古賀(久保田)眞須子10・佐々木(角田)澄子4
           岡(轟)梢11・飛永(佐々木)桂子2
 【後列左から】  門司宏2・桑原(柴田)博子※・渡邊弘子11・嶋本(弥永)静子5
           江藤(池田)節子2・大蔵隆史5 
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平成20年関東支部34会同窓会報告


 3月9日(日)、ゲートシティー大崎 ザ・ビュッフェスタイル・ロオジにて平成20年明善34卒関東地区同窓会を開催しました。会の和やかな雰囲気に引かれて、31名(男性15名、女性16名)が参加いたしました。今回は初顔の人も多かったように感じられました。
 11時30分より午後4時まで時間の経つのを忘れて思い出話に興じました。1次会終了後も時間のある人は延長戦ということに相成り、日曜日午後のひとときを大いに楽しみました。

 また、今後の会の運営について次のような事項について意思統一をし確認をしました。

1.次回から東京の幹事は、大蔵隆史君と佐々木澄子さんです、宜しくお願いします。佐々木凱男さん長い間のお世話ご苦労様でした。

2.奇数月の第二日曜日11時から15時まで大崎のロオジを明善34会の集まり場としていくこととしました。そこにいくと誰か来が来てダベリングをしているというシナリオです。なお、この会には幹事は、関与いたしませんので念のためお断りしておきます。


(後列左より)
倉成、宮田、中根、永田、富岡,
武内、大橋、佐藤

(前列左より)
 葉山、飛永,渡邉,稲田,
藤田(尚)


(後列左より)
今村、谷澤、横山、古賀、門司、江藤、大蔵、佐々木、尾石

(中列左より)
 伊藤、平倉、古井、岡

(前列左より)
高須、佐々木、本田、喜多

   2次会
  一次会の「ロオジ」の向かいにある「オリーブの木」へ場所を移しての延長戦。いくら時間があっても尽きぬ話に花が咲く。
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 4月17日 佐藤君が朝ズバッに。。。。。

17日(木)の”みのもんた朝ズバッ!”を見ていたら
画面に何処かで見覚えのある顔が・・・。
とっさに「佐藤義信君」の名前が出ました。
彼は先月9日の同窓会に、初めて出席してくれた仲間です。
優しい人柄がうかがえました。

大蔵 隆史(5)
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平成21年関東支部34会同窓会報告 3月8日(日)


  3月8日(日)に関東支部同窓会を開催した。
  幹事役を渡されて初めての開催に、いきなり開催日の ミス通知をしてしまい、各位に迷惑を掛けてしまった。
 久留米からは執行宏君が参加。名古屋からは常連の中根(中冨)恵子さん(6)に加え、初参加の江上(吉田)弥生さん(6)も。
 関東では柳恵誌郎君(3)と木本(寺崎)美英子さん(3)が初参加。
  30年ぶり?と言う永田忠義君(7)久々の山浦日誠君(7)を加えて総勢33名が集まった。
  柳君は4大大会の解説で、世界中を飛び回っている多忙ぶり。寸暇を会に求めてくれた。感謝!
 2次会では、永田忠義君からギター演奏の申し出があり、
自作の曲やギターの名曲”アルハンブラ宮殿の思い出”の他アンコールも含めて4曲を演奏してくれた。奥様が老後のためにと高価なギターをプレゼントしてくれた由。羨ましい裏話を披露してくれた。
 全員が永田君の演奏を堪能した。
  初参加の人達も十分楽しい時間を過してくれたに違いない。
  執行君からは、2年後に予定される”古希の集い”についての話しがあり関東からも大挙参加しようと盛り上がった。
  酒量が少し足りない面々は、執行君を囲んでの3次会へ流れた。
  来年の会での再会を約して、無事お開きとなった。

  大蔵 隆史(5)

永田忠義君から便りが来ています。


       半世紀のタイムスリップ(34会に参加して)
                      
                           
永田 忠義(7)
 
 
 今まで、高校に限らず同窓会と言うものにはほとんど参加しなかった。

 しかし、今回関東地区の34会に参加してみようと言う気になったのは、趣味でやっているクラシックギターの演奏を聴いてもらいたいと言う欲望からだった。

 下手な演奏に付き合ってくれた皆んなにはこの場を借りて心からの感謝と同情を申し上げたい。

 参加者のほとんどが高校時代には疎遠だったにもかかわらずまるで身内みたいな一体感を味合えた不思議なひと時だった。

 なかんずく片想いで胸を痛めた彼女との再会は、ほとんど忘れかけていた恋の切ない感情を再び呼び覚ましてくれた。

還暦を境に人は再び子供に戻ってそして死んでいくと聞いたことがあるがもう早くも高校時代まで戻って来たのだろうか。

 親しかったT君とも卒業以来の再会だ。半世紀の時間は一瞬にして当時に戻るものだ。

 多感な青春時代に引き戻してくれた34会とお世話いただいた永久幹事のO君とSさんにお礼を申し上げたい。

 どうもありがとうございました。

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  平成21年 寄ろう会の日程 
            平成21年3月10日


 先の同窓会で配った、「寄ろう会」の開催日変更案内を送ります。

 関東支部で作成した住所録に記載してあるメンバー全員には、10日(火)に投函します。


大蔵 隆史(5)




  明善34 関東支部 「寄ろう会」会場案内図

 会友の定期的な集いの機会を作ろうと、「寄ろう会」をスタートさせました。

 奇数月の第2日曜日の11:00にJR山手線大崎駅前の“ロオジ=Rouji”に行くと誰かが来ていると言うものです。

 自由参加です。昼食を挟んで大いに歓談しましょう。

(会場は下記の通りです。)

※ 関東支部 幹事 大蔵 隆史(5)

  5月11日(日)に第一回目の「寄ろう会」を開催。

 当日は小雨交じりで、3月に逆戻りしたような天気。
 会場の「ロオジ」は、日曜日とあって家族連れも含めてなかなかの盛況。
 心配された参加者数も、8名(女性5名・男性3名)がやって来ました。
 女性上位の構図はここでも同じ。
 殆どが常連者で占められましたが、次回の7月13日(日)には、珍しいメンバーも予定されています。
 3時間有余に亘っての歓談。二次会もなく解散。

  細々でも、長く続くことを願っています。

  大蔵 隆史(5)



  7月13日(日)に、第2回目の「寄ろう会」報告。


7月13日(日)に、第2回目の「寄ろう会」開催。
当日は蒸し暑い梅雨の合い間。女性6名 男性2名の参加。
相変わらず雑談に花が咲く。何時会っても話は尽きない。

当日は、K・Tさんの「第60回毎日書道展」で”毎日賞”を受けたとの情報があったので、2次会は全員で「国立新美術館」へ移動し、受賞作品を鑑賞した。
K・Tさんは、10回の入選歴で同会の「会友」の資格を持つ。
更に「会友」として入賞を重ね、今回の受賞で「会員」となる規定のポイントに達したそうである。
本人の弁によれば、『上に上がる為に出品を続けたのではない。趣味を続けた結果として今に至った。』そうである。
仲間が頑張っているのは、実に嬉しい。
今後も無欲の勝利を続けて欲しいものである。
※名前をイニシャルにしたのは本人の希望による。

次回の「寄ろう会」は、9月14日(日)に開催します。

  大蔵 隆史(5)


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9月14日(日)に、第3回目の「寄ろう会」報告。

 まだまだ残暑厳しい中11時半ごろ、大崎の会場に着きましたら、すでに3人見えていて正午ごろには8人が揃いました。これで全員でした。
 「明善」の席も確定したようで、一般の席からちょっと離れた一角で楽しく2時過ぎまで歓談しました。
毎回何時間話しても、話題に困るということはないようです。

 メニューも「わたり蟹のからあげ」や「枝豆やさつまいもや鮭の入ったチラシ鮨」ひじきやきんぴらのおふくろの味、たくさんの野菜のサラダ、甘くておいしいフルーツやスイーツ・・・・ほんの一部を書きましたが、まだたくさんあっておいしかったでです。

 会が終わってからは「H&M」の開店(13日)でにぎわう銀座に行きたいという人がいて6人ででかけました。
 今日もすごい人だったのであきらめて、Tさんが見る予定の書道展(マツザカヤ)に移動、「源氏物語和歌集を書く」というタイトルでした。出品の皆さんの美しい作品の数々を羨望のまなざしで見てきました。

 次回は11月9日(日)です。多くの皆さんと、語り合いたいものです。

 大蔵さんが御用で欠席でしたので、佐々木が報告させていただきます。

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 平成20年11月9日(日) 第4回 「寄ろう会」

 11月9日(日)に第4回の「寄ろう会」が、何時もの場所で行われた。
 11時からの開催と言う触れ込みだが、手慣れたもので近頃はちらほら集まって来る。

今回は、門司宏君(2)と青木範充君(9)が初参加してくれた。
門司君は様々な催しに参加してくれるが、「寄ろう会」は初めて。
驚いたのは、熊本から態々参加してくれた青木君である。
前日に仕事で上京し、序でに会へ参加してくれた。
九州からの参加は、とても嬉しいものだ。
「友遠方より来る!」で、殆どのメンバーが半世紀ぶりの再会だったが彼を中心に懇談は進んだ。
解散前に同君を全員で見送り、再会を約した。

彼らの参加で過去最多の10名(男性4名・女性6名)の会となった。

次回の「寄ろう会」は、1月11日(日)に開催します。

 大蔵 隆史(5)












明善のDVDを見る



















(青木君を除く参加者全員、後日青木君から送ってきたものを追加しました。)

  手前は青木君

  一番奥は門司君
  
  平成21年1月11日  第5回寄ろう会

=「寄ろう会」報告=

新年の屠蘇気分も抜けた11日(日)、予定通り「第5回寄ろう会」を開いた。
家事都合で数名の不参加が予定されたが、事務局の予想に反し9名が馳せ参じてくれた。
今回は伊藤忠明君(6)が初めての参加。
途中参加で途中退席したが、多忙の中の参加は嬉しい。
男性=3名、女性=6名と何時もの事ながら女性上位。
4時間にも及ぶ談論。勢い余って2次会へ。
佐々木(凱)君の案内で、大崎から品川までの散策を楽しむ。
途中御殿山の原美術館(http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8E%9F%E7%BE%8E%E8%A1%93%E9%A4%A8 )の門前で記念撮影。
品川駅前のシンガポール料理店で喫茶タイム。口が擦り切れるほどの
会話を楽しんだ後、3月8日(日)の関東同窓会での再会を約束して夕闇迫る街へ夫々消えていった。

大蔵 隆史(5)

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     平成21年6月14日 第6回「寄ろう会」報告


梅雨入りして鬱陶しいさなかの14日(日)に、 何時もの場所で会を開催。
今回から3ヶ月に1度の開催に変更されて初めての集いである。

今回は小生に卒業アルバムをCDに取り込んでプレゼントしてくれた南公剛君(9)が初参加をしてくれた。
数日前に久留米へ行き、その際そちらのメンバーから歓待を受けた事の報告会である。
何時も常連ばかりの顔触れに、新しい仲間が加わってくれると、新たな話題が増えて何時もより賑やかに展開する。総勢11名で美味しい昼食を頬張りながらの歓談が賑やかである。
途中1名の早退者が出たが、無理を押しての参加は嬉しい。
3時前に解散。女性2名は駅へ直行。南君は、渋谷駅に展示された「岡本太郎」の大壁画他を見たいとの事で大蔵が同行。残る6名は附近を散策、歓談した由。
渋谷駅では壁画を撮影する。その後「109」脇を抜けて渋谷区役所、NHK放送センター附近を散策する。
悉くに於いて南君は熱心である。
久し振りの渋谷は、我々年配のものには聊か喧騒が過ぎるようで落ち着かない。喫茶店で・・・と探すも中々見当たらず。迷っている内に駅に戻ってしまい、それでは解散しようと、実に絞まらぬ形で解散する。
南君には今後も是非出席して欲しいと、皆からの要望である。
大蔵隆史(5)
  
寄ろう会の様子です。

 久留米 その1 宮ノ陣「かじむら」にて

 久留米 その2 ボロン亭にて
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   平成21年9月13日(日) 第7回 寄ろう会報告 

秋の入り口の9月13日(日)、会場のレストランには思い思いの時間に集まる。
今回は、谷澤一良君(4)が秀徳寛君(8)に声を掛けてくれて2人が初参加をしてくれた。秀徳君は都内で歯科医を開業している由。
会は秀徳君を中心に楽しい時が流れる。自分が会った同級生の中では最も元気で若く感じた。楽しい人柄からは、同医院の人気が想像できる。
同窓会には何時も参加の谷澤君の参加も嬉しい。そして沢山の写真も撮ってくれた。感謝したい。

散会後、女性陣から附近を散策したいとの要望があり、品川を目指す。
途中から、「泉岳寺」へ行く事になり、少々暑い中およそ山手線をひと駅半歩く。
境内では、偶然にも長崎の人が案内役になり、境内をお参りした。
参加者11名中4人は私用のため引上げたが、7名でのお参りだった。
参加人員は前回に続いて最多である。

大蔵 隆史(5)
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  21年12月13日(日)  第8回 寄ろう会報告  

年も押し迫った13日(日)に第8回目の「寄ろう会」。
ほぼいつものメンバーに前々回初登場の南公剛君(9)と前回初登場の秀徳寛君(8)も参加。
過去最多の12人が集う。とりわけ秀徳君は、「全員の名前を覚えるんだ」と懐かしい単語帳に全員の写真を貼り、それぞれに名前を記入して覚えてしまった。70歳を前に、頭が冴えている。
さらに30年前から食べて健康を維持していると言う玄米で、「玄米ご飯いなり寿司」を作って会場に持ち込み、 全員に振舞ってくれた。手馴れた奥さんの手料理に、全員が舌鼓を打った。美味!!!感謝 <m(__)m>南君も大いに弁舌を披露してくれた。
彼ら二人のお蔭で、会の雰囲気が明るく賑やかになった。
終了後男性陣は都合で散会したが、女性陣はジングルベルで賑やかな街へ消えていったとさ。

大蔵 隆史(5)

 年齢に比例して、益々意気盛んな寄ろう会の皆さんに敬意を表します。
僕も12月は正式に決まっている忘年会だけでも6回です。
 秀徳 寛君の従兄弟に当たる秀徳 龍彦君(8組)から数年前教えてもらい、僕も玄米を毎日摂っていますが、なかなかおなかの具合がよろしい。
秀徳一族のお陰で、健康維持しております。

来年1月25日(日)は楽しみにしています。

執行 宏(5)




・注記−1 ハガキの案内状では
開催日を3月9日(日)となっ
ていますが、
3月8日(日)の誤りです。

・注記−2 出欠の返信は3月5日
(木)までにお願い致します。

    平成22年3月24日 関東地区同窓会報告

3月第2日曜日、恒例の同窓会を開催した。
参加者は、女性14名。男性13名。総勢27名。
会の案内状は、この所元日の午前中つまり元旦に投函するのが常態化してきた。
これは九州の友がその頃に上京の機会があれば、出来るだけ合わせて貰い、一人でも多くの友の参加を期待しての策である。

今年も久留米から、幹事の一人執行(上村)久美子5さんが遠路参加してくれた。名古屋の中根(中冨)恵子6さんはもう常連である。川本久明君6は数十年ぶり。松尾伸美君5は奥さんの介護の合間を縫って、1時間半だけの参加。
南公剛君9は初参加。
元気な内に1人でも多く、1回でも多く・・・が、幹事の願いである。
尾石辰郎君6が、昨年鬼籍に入った事を報告して会が始まった。
例年の事ながら、間もなく古希を迎える面々とは思えぬほど舌の回転がいい。この歳になると病の話しが多いそうだが、この会では、あまり聞こえてこないのは嬉しい限りである。

 平成22年の関東地区34会の日程表

大蔵 隆史5
松尾5・谷澤4・永田7

永田7・飛永2・執行5

大橋8・古井※

喜多5・本田9

川本6・南9

執行5・川本6

桶本9・渡邉11


関東支部クラス別居住者
   1組   7名    2組   9名
   3組   9名    4組  11名
   5組  11名    6組   4名
   7組  10名    8組   9名
   9組  13名   10組   3名
  11組   5名   ※    4名
          合計 95名 (※ 転校生等)
【後列左から】
岡(轟)11・桶本9・本田9・古賀10渡邉(石橋)11・南9
【前列左から】
大橋8・宮田(鎌田)11・古井(※)永田7・久保山7
【後列左から】
伊藤6・中根(中冨)6・喜多(富永)5・谷澤4・藤田5・川本6・横山(斉藤)2大蔵5・
【前列左から】
飛永(佐々木)2・江藤(池田2)・執行(上村)5・富岡(徳淵)4・佐々木(角田)4・稲田6

  平成22年9月12日 寄ろう会報告


先週の台風9号以降、少しばかり秋の気配を感じるようになった12日(日)に、バテもしない(表面上は?)姿で10名が集まった。
会は、6月に急逝した南公剛君(9)の思い出話で始まった。
会への出席が比較的新しい同君は話題も豊富で人気者であったのでその分一同の悲しみは大きい。
奥様からは、49日法要も無事に済ませたという便りがあり、その旨を報告。

以後は何時もの歓談に入り、時間を忘れる。
途中から平倉早希子君(5)が遠路駆けつけてくれた。
伊藤忠明君(6)は途中で退席。
芸術の秋である。散会後7名は、六本木の国立新美術館の「第95回二科展」鑑賞に・・・。今回は、工藤静香(キムタクの奥さん)が特選を取り、話題になっている。平倉君と大蔵(5)はその場に残り暫し歓談。

70歳を超えて医療費が1割の恩恵を受けるものが、同期の間で続々増えている。来年3月までの恩恵だが、全身のチェックを怠っている人は(居ないと思うが)、この際徹底的にお世話になる方がよい。
何時までも、元気で居たいものである。

出席者:佐々木澄子(4)・谷澤一良(4)・平倉早希子(5)・大蔵隆史(5)
      伊藤忠明(6)・秀徳 寛(8)・古賀眞須子(10)・永田千代子(10)
      渡邉弘子(11)岡 梢(11)

     大蔵 隆史(5)



   第11回「寄ろう会」報告  2010−12−12


師走の街に、ジングルベルが流れる寒い日、早めに会場に到着すると、
この会には初めての永田忠義君(7)が予約席に・・・。
同君は関東の同窓会の2次会で、ギター演奏をしてくれている。
昼近くになると、三々五々何時ものメンバーが揃った。
何時もの事ながら、今の70歳はとても元気だ。
夫々の話は面白く尽きない。その中でも遥か昔の新婚旅行の思い出話をしてくれた人がいて大いに盛り上がる。

自分は、この度追加された当用漢字の「鬱」の覚え方を伝授。
みんな簡単に覚えてしまったので、皆さんにも披露する。
尚、南公剛君の納骨(千葉・佐倉市)が、11月10日に済んだ由。
奥様からの知らせを報告した。合掌

覚え方。 ● 「リンカーンは、アメリカンコーヒーを三杯飲んだ」

リンカーン(木缶木=林の間に缶)は(ワ)、アメリカン(※=米→アメリカン)
コーヒー(Ц=コとヒ)を三杯(三)飲んだ。

大蔵 隆史(5)

















左から
 江藤(2)・佐々木(4)・飛永(2)・大蔵(5)・渡邉(2)・古賀(10)・永田(10)
・永田(7)・武内(11)・岡(11) 以上10名
  
  関東同窓会中止について

 3月13日(日)開催予定の関東同窓会は、急遽中止にしました。
 11日(金)に発生した未曾有の「東北・関東大地震」で、関東地方も大きな被害に遭いました。交通網も大きく乱れており更に余震が続いていたため、やむなく中止の判断をしました。

 古稀の記念行事は計画していなかったものの、33名の方から申し込みがありました。参加希望の皆様には申しわけなく思っています。

 由布院で開催される古稀記念行事に、こぞって参加しましょう。

   34会関東支部 幹事:佐々木澄子4・大蔵隆史5

平成23年 関東地区同窓会の予定




  第12回 寄ろう会 6月12日(日)

 3月の同窓会が中止になり、更に1週間前の5日に由布院の「古稀の旅」を終えたばかりの12日(日)、
参加者が減るのは承知で開催。
 予想通り6名の参加者だった。会が始まって以来の最少催行である(男1名、女5名)。
 それでも嬉しかったのは、鬼村(福山)文香10さんが初参加してくれた事。
 由布院での同窓会の様子の説明に始まり、記念写真を眺めては各自が思い出話を披露。
 3時間に及ぶ談話と満腹の食事に一同満足。
 9月の再会を約束して散会した。

    大蔵 隆史(5)

左から:古賀(久保田)須眞子10、永田(内田)千枝子10、鬼村(福山)文香10 武内(内田)富子11、 飛永(佐々木)桂子2



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 第13回 寄ろう会 9月11日(日)

まだ暑さが残る9月11日(日)、予定通り会を開催した。
今回は、去る6月に行われた”古稀記念の旅”のアルバムが出来たので、そのお披露目と旅の報告も兼ねた。
今回は14名(女性=8名、男性=6名)の参加があり、過去最多だった。
途中、横山(斎藤)陽子(2)さんが退席。

会は途中から、六本木の国立新美術館で開催中の「第96回二科展」鑑賞組(7名)に分かれた。
今回は、二科会会友大久保(村田)リツ子1さんの作品も出品されている。
更に猪立山(野田)正史君7の娘さんの三鈴さんは初入選。
時間の経つのも忘れて、じっくり鑑賞した。


集合写真:後列左から 岡・古賀・江藤・渡邉・永田・佐々木・飛永・大蔵
(敬称略) 前列左から 谷澤・永田・佐々木・伊藤・秀徳

大蔵 隆史(5)


※ 大久保さんの作品名=ブルーポピー(季節風)B、

※ 工藤静香さんの作品名=Spirit精霊

※ 猪立山三鈴さんの作品名=鄙歌

    14回「寄ろう会」報告  平成23年12月11日(日)

師走の慌ただしい中、恒例の「寄ろう会」を開催した。
年末でもあり何人集まるか心配だったが、何時も通りの
メンバーが揃った。

何時も感じることだが、この人達は本当に古希を迎えた人達
だろうかと思う。兎も角元気なのである。
絶えず誰かが久留米へ出掛けている。国内旅行や海外へも
出かけている。疲れを知らない人達ばかりのようである。
元気だから、「寄ろう会」へ来てくれるのだろう。

散会後、男性は全員別れたが、女性陣は会場から程近い
目黒川まで足を伸ばして、イルミネーションを眺めてティータイム。
帰りは夜桜?を見て大崎駅へ戻ったそうな。

次回は3月11日(日)、「34会関東地区同窓会」である。
今回からは、関東地区以外には「案内状」は発送しません。
HPに掲載しますので、上京と重なる方は是非連絡を
お待ちしています。(大蔵)


(写真)
後列左から 大蔵5・伊藤6・飛永2・谷澤4・永田10・古賀10・渡邉11・門司2
前列左から 秀徳8・江藤2・佐々木4・武内11・岡11

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 明善34会 関東地区同窓会のご案内

 昨年は、「東日本大震災」の為、中止しましたので、
 2年ぶりの開催です。
 今回から、案内状の送付を、関東地区に限りました。
 他地区の方は、日程の都合が付けば、是非ご出席下さい。
 大歓迎です。

             関東地区幹事  佐々木澄子(4)
                        大蔵 隆史(5)

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  平成24年関東地区同窓会報告

昨年同窓会開催の2日前に起こった、東日本大震災で中止したため2年振りの開催となった。
開催通知は毎年、元日に投函するのが習わしとなっている。
今年からは、関東地区だけの案内発送に切り替えた。
案内状の回収率は80%で、うち出席者27名だった。
(当日欠席になった2名居たために、25名の出席。?17名。?8名)

会は相変わらず賑やかで、昔話に花が咲く。
会には、卒業アルバムを持参してあり、更に今年は、昨年の湯布院の”古希記念の旅”アルバムが
出来たので回覧した。
殆どのメンバーは、折に触れ久留米を行き来しているため、そちらの土産話にも聞き入る。

幹事からは、2月に開通した「東京ゲートブリッジ」を4月の某日に歩いて渡る計画を発表した所、
21名の希望者があり現在策定中。

6月の「寄ろう会」での再開を約束して散会。二次会へ向かった。

     大蔵 隆史(5)
行事日程
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 第15回 「寄ろう会」報告 平成24年6月10日

関東地方が9日に梅雨入りした翌10日(日)に定例会を開催した。
参加者が減る事も予想したが、運よく雨も避けてくれ、11名の参加となった。

常連の門司君が、ギックリ腰で、幹事の佐々木(澄)さんが法事で不参加。
それでも倉成義昭君9が初参加で、難病を克服した話し等で会を盛り上げてくれたのは嬉しい。

開始時間の前に到着したので、ビルの周辺を散策したら、集合写真を撮るのにいい場所を見つけたので、
会終了後はそこへ移動してパチリ!


     大蔵 隆史
























 前列左から 武内(内田)11 飛永(佐々木)2 横山(斉藤)2
 後列左から 大蔵5 永田(内田)10 渡邉(石橋)11 江藤(池田)2
          古賀(久保田)10 岡(轟)11 谷澤4 倉成9 
                              (敬称略)
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第16回「寄ろう会」報告 平成24年09月09日

残暑の中、何時もの元気者が集まった。(女性7名・男性4名)前回の会から3カ月。
この間、オリンピックやサッカー、高校野球とスポーツ界は賑やかで、眠れぬ夜を過ごした。
定例会も相変わらず賑やかで、それぞれの話題で終始した。
今回、河原(田中)郁子さん(2)が初参加の予定だったが、都合により不参加となった。
次回に期待。
門司 宏君(2)・伊藤 忠明君(6)・佐々木澄子さん(4)とは、ここで別れた。

大久保(村田)リツ子さん(1)から二科展の招待券8人分が谷澤 一良君(4)の元へ届いていた。
鑑賞希望者が丁度8人居たため、散会後六本木の
”国立新美術館”へ向かう。
真っ先に大久保さんの作品めがけて、2階へ直行。

昨年と同じように、ブルーを基調とした力作。
完成までの苦労を思いながらの鑑賞。
会場には、猪立山(旧姓:野田)正史君(7)の令嬢三鈴さんの作品や馬場 亮二君(3)の兄上一郎さんの作品も鑑賞した。
我が同期生には、芸術家も大勢居て頼もしい。

次回12月9日(日)の再会を約束して散会した。
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    第17回 「寄ろう会」報告 平成24年12月09日

12月9日(日)、寒波の襲来で寒風吹く中を、12名(女性9名・男性3名)の
元気者が集まった。午前中は女性陣だけで、飛永桂子2さんの
書道展を上野で鑑賞してからの参加。
会場のレストランが一部改装されて戸惑ったが、無事集合。
集合時間での男性は大蔵5一人だったが、途中から秀徳寛8君と
伊藤忠明6君が参加してくれた。

会は何時もの事ながら、話題は尽きない。執行君から送られた
”明善カレンダー”を、全員に見て貰い好評だった。
途中から、後ろの席にいた若い女性の大食いに話題集中。
テレビで見る大食いコンテストに出るような人を間近で見て、
その食欲の凄さに圧倒された。

次回3月の同窓会での再会を約束して、別れた。
女性陣は相変わらず元気である。2次会?へ出掛けたようである。

今回は、写真なし。
参加者は、
女性=江藤節子2、岡梢11、鬼村文香10、桑原博子※、古賀眞須子10、
    佐々木澄子4、武内富子11、飛永桂子2、永田千枝子10、渡邉弘子11.
男性=伊藤忠明6、秀徳寛8、大蔵隆史5

大蔵 隆史5
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25年 34会関東同期会のご案内







今年も同期会の季節が巡ってきました。
昨年から、関東以外の皆さんには案内状
の発送を止めましたが、関東外の方で都合
の付く方は、どしどし参加をして下さい。

お待ちしています。

幹事:佐々木澄子4・大蔵隆史5

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読売新聞投稿文入選

平成25年1月15日







昨年12月、同紙の投稿欄”気流”に、「同窓会」のテーマで
公募があった。すぐさま思い出したのが、我々の「寄ろう会」。
これで応募して見ようと思い立ち投稿。

9日(水)に、読売本社・世論調査部から電話があり、
掲載候補に上がって居ますとの知らせ。
過去、3〜4回応募したことがあるけど、当たり前だけど入選なし。
時々松尾伸美君5が入選しているコーナーです。
今回は内容に自信があったので、素直に嬉しい。

大蔵 隆史5
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     今年の1月29日、東京で ふるさとの活性化に一役貢献致しました。
 
 久留米市・福岡市・小郡市・鳥栖市・基山町の5行政首長が、一堂に会して、企業誘致を進めるセミナーがあり、私も30万中核市久留米に多くの企業に進出してもらい、地元の活性化が図れればとの想いで4〜5年前からささやかなお手伝いをして来ました。

 当日は企業関係者180数人の参加があり、大盛況でした。

 セミナーの後の交流会で江藤久留米市長や平安小郡市長との34会メンバーのスナップも含めて送ります。

 尚、平安小郡市長は確か47歳で明善の後輩です。

          佐々木凱男

 セミナー風景

 左より 鳥栖 小郡 久留米 福岡 の各市長

 江藤久留米市長も押され気味?

 平安小郡市長もうれしそう?
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   新宿御苑の桜    

 27日、会社のメンバーと新宿御苑にひさしぶりで行ってきました。
 桜が丁度満開で見事でしたので、お送りします。

 東京にもこんな春があります。

     3月31日   佐々木凱男


 新宿御苑といえば4月中旬の八重桜の頃に開催される総理大臣主催の観桜会が有名ですね。平成15年の観桜会に参加する機会がありました。当時は福田さんは官房長官でした。世の中の移り変わりに驚いています。
 
              今村瑞穂           

 

 今年の新宿御苑−1

 今年の新宿御苑−2

 今年の新宿御苑−3

 今年の新宿御苑−4

 平成15年観桜会、当時の福田官房長官夫妻

 満開の八重桜 平成15年4月18日
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    根津神社の「つつじ苑」

 何年か前に行った時のほうが、もっと赤かったという気がしています。
 お休みでなくても、すごい人出でした。
 パンフレットの中に『現在では、久留米市からいただいた新品種や、区制60周年で新たに植えられた クロフネツツジ、ヒカゲツツジなど、約70種3,500株のツツジが咲き競います』という一文に久留米市 がでてきたのでちょっとオドロキでした。
                          佐々木澄子
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   いずれがアヤメかカキツバタ?

 秋葉原事件や岩手・宮城内陸地震で日本中が大騒ぎの中、東京から花菖蒲をお届けします。
 6月11日は明治神宮の菖蒲園14日は潮来あやめ園で撮りました。  
 
 明治神宮に立てられていた『花しょうぶの見分け方』の看板、いつも疑問に思っていたので、撮ってきたものから下の表のように整理してみました。

                                      佐々木澄子

  
  
 写真は最初の3枚が明治神宮、あとの3枚が潮来で撮ったものです。
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   あじさいの季節

 梅雨の中休みの一日、地下鉄の一日券を使って南北線上の四箇所に、あじさいを見に行ってきました。

 まずは本駒込で降りて5分の白山神社から。創開は古く、天暦年間(947〜957)に加賀一宮白山神社を現在の本郷一丁目の地に勧請したと伝えられます。後に元和年間(1615〜1624)に2代将軍秀忠の命で、巣鴨原(現在の小石川植物園内)に移ったが、その後五代将軍職につく前の館林候綱吉の屋敷の造営のため明暦元年(1655)現在地に再度移りました。これが縁で綱吉と生母桂昌院の厚い帰依を受けました。約3000株の色とりどりのあじさいがきれいでした。

 次は、王子の飛鳥山公園、飛鳥山公園は、八代将軍徳川吉宗の指示で1270本の桜を植え、大岡越前の時代、江戸庶民のためにこの地を花見の地にしたのが始まりといわれる公園です。 江戸から現在に至るまで桜の名所と なっていますが、あじさいも公園の外周を、わたしの見たところでは1.5kmくらいは縁取っていると思われます。大輪が多く色も鮮やかです。

 その次は、駒込の六義園。徳川5代将軍・徳川綱吉の側用人・柳沢吉保の下屋敷に、吉保自らが、和歌の世界を庭園で表現しようと設計、開園させたものです。平坦だった当地に丘や池を掘り完成させ、現在に至ってもそれが見事に表現されています。芝生なども整備も行き届いており、都内を代表する日本庭園として多くの観光客が訪れます。ここはつつじが有名なのであじさいは和あじさいしか見受けられません。

 最後に行楽園で下車して小石川後楽園へ、水戸徳川家ゆかりの回遊式泉水庭園で、1629年、初代藩主・頼房が築いた庭園を、2代光圀(水戸黄門)が改修して完成させました。7万平方m以上の広大な園内には、蓬莱島と徳大寺石を配した大泉水を中心に、梅、桜、ツツジ、花菖蒲などが植えられ、四季を通じて情緒豊かな景色が広がっています。庭師の人に「あじさいはありますか?」と聞いたら「沢山はないけど、あちこちに、庭のつくりにあわせて植えています」とのことでした。前回の菖蒲に登場しなかった小石川行楽園の花菖蒲、一枚登場させておきます。

              佐々木澄子

 白山神社

 白山神社

 飛鳥山公園

 飛鳥山公園

 駒込の六義園

 駒込の六義園

 小石川後楽園

 小石川後楽園
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 松尾伸美君との再会 6月19日(日)


 執行宏5君が上京。松尾伸美5君に会いたいとの事で、6月19日(日)に柏を訪れた。
 執行君と松尾君は昨年の1月以来である。その時は、南公剛9君も出席。健在だったが、5ヵ月後の6月に急逝した。

 松尾君は「老老介護」で、時折HPに登場する。
ひと時を空けてもらい、小生の車で柏の郊外へ移動する。

 途中”手賀沼”に立ち寄り、蓮を眺めて小休止。
 グルメ番組でも紹介される、焼き鳥と鰻の店で昼食。
 店内は店主の集めた巨木で埋め尽くされている変な店。

 3人の静かな昼食。松尾君は奥方の介護の為、早々に切り上げ柏駅で散会した。

大蔵 隆史(5)
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    男性介護者の考察

1.経緯

 平成15年10月、妻が突然脳内出血を発症。医的治療1ヶ月、リハビリ専門病院へ転院後5ヶ月の入院生活を余儀なくされた。発症後10日程経った頃、医師から嚥下力(飲み込む力)が相当低下しているので「胃ろう」(チューブで胃に直接栄養を入れる)をつけるという説明を受ける。後々の生活を考えて固辞。以降、毎食介助しゆっくり飲み込むよう促しながら対応。3ヶ月後には飲み込む力も大幅回復。医師を信頼することは大切だが万能に非ずと身に染みて思ったものである
 当初「要介護4」が現在も左半身が不自由しているものの「要介護2」の認定を受けるまでにはなった。何とか普通に歩ける、普通に生活できるようになることが熱願である。

2.私の介護哲学(取り組む姿勢)5か条

 @ 妻の無念を少しでも和らげるべく、力になりたいという
   強い信念をもつこと。

 A 精神面の安定を醸成するため、根気強く話し合うこと。

   ☆ 発症したことを今さら悔んでも仕方ないという精神面の
     安定までには、2年程かかった。現実を直視し
     「焦らず慌てず、諦めず」という基本精神で専念しようと
     何度も話し合ったものである。今は、家の周りを杖をつきつつ
     500程歩けるようになってきている。

 B
痒いところに手が届くような介護の工夫に徹すること。

   ☆ 結婚して40年。互いの長所・短所を知悉しているので、
     何とかこうして欲しい、あゝして欲しいと思うような事を
     見い出す努力をしている。
     右手だけの操作なので、例えば容器類等のキャップは緩めに
     して置いたりしている。

 C 介護は長期戦になると覚悟すること。

   ☆ 寸時不自由、暫時自由。移動時は常時見守り、トイレ介助、
     入浴介助等日常生活に必要なことには時間がとられるが、
     終われば自由になるとの思いでいる。

   ☆ 常時、同室に居ることは避けている。プライバシー保護のためにも、
     食事や団らん時以外は別室にいるようにしている。
     ただ、自室に居るよ等声かけだけはしておく。

   ☆ とにかく活字を追うことが大好きで読書三昧の日々。新聞、雑誌、
     書物を丹念に読んだりしている。  
     折に触れ短歌を詠んだりして退屈という文字とは無縁のようだ。

   ☆ 友人との食事会、読書会等定例会合には積極的に参加するよう促している
     外出時は、社会福祉協議会の移送サ−ビス(有料)を利用。
     車椅子を押して付き添うので、妻の友人とも顔馴染みになった。

   ☆ 起床時には、血圧測定し健康管理にも留意している。

 D 自分固有の時間を創出すること。

   ☆ 早寝早起きに生活スタイルを変させた。早朝4時頃起床し
     朝食準備までの3時間を大切にしている。

3.主婦業の偉大さ実感

 男性介護者の最大難関は料理。主婦にできて男性ができないことはない筈だということが出発点だった。当初は少々戸惑いがあったが、今では慣れた。家事はエンドレスでありノーサイドの笛はない。実感しているのは、主婦業の偉大さである。妻が元気な頃は、全く気がつかなかった。ましてや職業婦人のご苦労は多々であろうと素直に思う。料理の奥は深い。段取りや味付けの工夫も必要で料理のセンスも問われるようにも思う。当初は、毎日どんな献立にすべきかで頭を悩ませていたが、今は予めう3日分程のメニューを考え買い物に行くことにしている。料理は、自分が何を食べたいかではなく、何を食べさせたいかであるということにも気がついた。多品種少量を基本とし栄養のバランスだけは心がけるようにしている。今や男性の在宅介護者は100万人余という。男性方には、夫婦が元気なうちに料理を学んでおくことをお勧めしたい。また、買い物、ゴミ捨てなど家事の部を分担すれば、近隣の人との交流を段と深めることもできるようだ。

4.むすび

 私自身が元気なうちは、在宅介護を基本とし、生涯介護の覚悟はできている。50才の時から書き始めている日記は、今や妻の闘病日記をも兼ねている。メリハリのある日々を過ごすためにも、書きとめることは有用と確信している。ストレスがないと言ったら嘘になろうが、解消にも役立っているのかも知れない。幸い娘2人とも同市内に居を構えており、妻も心強い限りであろう。孫4人全員が成人するまでは、力強く生き抜いていこうと誓い合ったりしている次第である。

 季語不要の新俳句として駄句2句

  「孫4人世を照らせよと駄目な祖父」

  「お〜いお茶妻が呼んでる介護の身」

          松尾 伸美(5)

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        明善校の沿革について(投稿)

 以前からどうしても知りたかった事がある。それは我等が明善校の沿革に

 就いてである。入学以来そして今日に至るまで、これらの事を記載した文書に

 お目に掛かった事がないし、仲間との会話に上がった事もない。

 更に我々34年卒が、一体何期生なのか。これも知りたかった。

  昨年やっと入手した卒業アルバムにも○○期の記載がなく、

 卒業年度の「1959」とだけしかない。

 先日北鎌倉での昼食会の席上参会者に聞いてみた。

『我々は明善校の何期生だろうか?』 『「久留米高女」と併合したから、

 その時点で数えなくなったのでは・・・。』、『分からない』と・・・。

 更に『沿革を知ってる?』、『知らない』とこれも心もとない返事。

  ところが、以前に投稿した、高島野十郎先輩のことを書いた【野十郎の炎 
 
 (多田茂治著)の中に、注目すべき記事があったので以下に記してみる。

   寛政 8年 (1796)  有馬藩校 「明善堂」開設

    明治12年 (1879)  福岡県立久留米中学校 → 明善校1期生

    明治22年 (1889)  福岡県立久留米尋常中学明善校

 以上、はじめて目にした我が校の歴史である。更に判った事は、

 明治12年(1879)入学生を1期生とするとある。

これが正しいとすると、
我々31年入学組はカウントミスがなければ

「78期生」に当たる。

 そこで久留米に在する幹事諸兄に確認したいのです。

 これらの疑義に
対する、知っている限りの事を教えて欲しいのです。

同窓会館へ出入りする
機会もあると思いますので併合時点でカウントしなくなったのか、

 そうでなければ何故カウントしなくなったのか。

 急ぎませんので調べて教えて下さい。

 なお、旧制中学から新制高校への学制改革については、下記を見ると

 よく分かります。参考までに・・・。

    http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%97%A7%E5%88%B6%E4%B8%AD%E5%AD%A6%E6%A0%A1

                   大蔵隆史(5)





1879年 福岡県立久留米中学校設立し、創立128年になります。

明善の公式ホームページにはそのように掲載されています。

ですから、大蔵君のいわれる我々はまさしく「78期生」になります。

ちなみに、男女共学(1949年)なってからは、我々(1959年)は「10期生」

になります。

             執行

> 早々のメール有難う!!!

> 知らせて貰ったホームページで、色々な事が

> 分かりました。

> 小生の勉強不足もよく分かりました。

           大蔵

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    日本はどうやって食べていくか

 日本は今、バブル崩壊後の「失われた10年」そして「改革の5年」を経て、バブルの三つの過剰、「人」「設備」「負債」をやっと克服し、前向きに拡大発展できる新しいステージ、新しい時代に入って来ていると思われます。

 私は14年前に51歳で日立の家電販売部門を退社し、以来60数社、日本・韓国の主にメーカーに於ける資材、原料の調達から生産、そしてお客様へ届けるまでのサプライチェーン改善・改革による、在庫や物流コストの削減と欠品削減によるお客様からの信頼向上を目指した経営効率改善に取組んで来ています。

 今回この誌面をお借りして、私の日常の仕事から離れて、最近感じております事を申し上げてみたいと思います。

 仕事で韓国や中国にも行きますが、その中で日本という国を考えることがよくあります。そうした「国」という視点で日本を考えてみたいと思います。   

   2005年11月

T.日本の現状

 日本は昔から資源の無い国だと言われて来ていますが、グラフで見る通り、鉛で95%、石油99.7%、鉄鉱石100%輸入となっており、メーカーの物造りや生活の基礎として必要な資源は、海外に依存しています。



 今から50年程昔は、食糧輸入は10数%だったのですが、今では60%を輸入に頼り、これからも輸入の割合は増加の傾向にあります。

 米国は自国をまかなって30%、フランスは36%の余裕があります。ドイツは3%、イギリスは29%、スイスは42%の輸入率となっていますが、それらの国に比較しても日本の輸入率は飛び抜けて高くなっています。日本の米の生産量は年に約900万トンですが、コンビニやレストランを含めて、賞味期限が切れたり、食べ残し等で廃棄される食糧は、年1940万トンにのぼるとも言われています。

U.日本はどうやって食糧や資源を買うお金を得ているのか

 資源も食糧も海外に頼っている日本は、それらを買うお金を何で稼いでいるのでしょうか。

 左表に見る通り、今のところ日本は輸出でそのお金を稼いでいると言えましょう。

 限りある世界の資源や食糧をこれからも買っていかないと日本は食べて行けません。しかし、世界の資源や食糧の獲得競争は、これまでの米国やヨーロッパ諸国とだけでなく、中国、ロシア、ブラジル、インドをはじめとする人口や経済が大きく伸びている国々を含め、ますます熾烈なものになっていくと思われます。

V.これからの日本の基盤はどうか

 国の基盤である人口と、その人力はどうであるか。

 まず総人口の変化は、既に2005年の12760万人をピークに減少局面に入り、今世紀の終わりには5000万人程度になると推定されています。

 人口の変化は、国の全ての「しくみ」の基礎になるものであり、特に減少していく中で、今までの国の諸々の機能をどう保って行くのか、行けるのか、日本の国はどうあるべきか、このまま人口が減って行くに任せた小さい国としてまとまって行くのか、移民という異文化の人々を受け入れて少しでも色々な摩擦があっても規模を保つ努力をしていくのか、一人一人が考える時に来ています。

W.では、これからどう考えていくか

 グラフで見て来ました通り、日本は、資源や食糧を大きく海外に依存して生きている国であり、それらを買うお金は輸出で得ている国であります。

 これから少子化の影響が色々なところに出てくると考えられますが、日本が食べて行く「輸出で稼いで、資源、食糧を買って食べて行く」という明治以来のビジネスモデルは簡単には変えられないでしょう。

 そうしますと、輸出する製品を開発し、効率良く生産していく力を絶えず強化していくことが必要であり、少子化し人口が減って行く中で、これまで以上にしっかりした「技術立国」というコンセプトを今一度、国の中で確認し合い、国家戦略の一つとして諸々の具体的対策を、教育という人材育成の場に実施していくことが急務と考えます。

佐々木 凱男(6)

                      


  関東支部からの情報

明善同窓会関東支部の皆様                   平成20年6月吉日
                            明善同窓会関東支部 会長 松平信之

 平成20年 明善同窓会関東支部総会並びに懇親会のご案内

 初夏の候、皆様におかれましては益々ご清祥のこととお慶び申し上げます。また平素より本誌部の活動に対しまして、ご支援たまわり心より感謝申し上げます。
 さて、毎年恒例の明善同窓会関東支部の総会並びに懇親会を下記の通り開催致します。懐かしい筑後弁の響きの中で、旧友との再会を懐かしみ、先輩、同期、後輩と杯を酌み交わしながらご歓談頂ければ幸いです。
 今年は総会において、昭和34年卒業で、現在はダイハツ工業株式会社・取締役会長でおられます、白水宏典様にご講演をいただく予定です。
 幼い頃から将棋、囲碁をたしなみ、ドストエフスキーやヘミングウェーを愛した高校時代。飛行機と船に憧れて大学は造船科に進学するものの、米ゼネラル・モーターズの「キャデラック」に衝撃を受けてから自動車業界にのめり込んでからは技術屋一直線。トヨタ自動車副社長(平成13年6月〜)を経て、平成17年6月からダイハツ工業株式会社取締役会長に就任。自動車業界に40年以上も身を置き、会長となった今もなお「Innovation for Tomorrow」明日の革新のために尽力されていらっしゃいます。
 また、古賀俊一高校校長や同窓会会長、久留米市内の高校の関東地区同窓会会長にもご出席頂く予定でおります。
 皆様におかれましてはご多忙とは存じますが、年に一度の集いでもありますので、是非ご参加をいただきたく、ご案内申し上げます。
 
                      記

 ・開催日時 平成20年7月12日 午後12時30分受付開始〜午後4時(予定)
 ・会   場 東海大学 校友会館(東海倶楽部) http://www.tokai33.co.jp
        東京都千代田区霞が関3−2−5 霞ヶ関ビル33階
        電話 03−3581−0121
 ・式次第 (1)総会 午後1時〜
       (2)講演 午後1時30分〜
       (3)懇親会 午後2時〜
 ・会  費 男性 8000円 女性 6000円 学生 3000円
 ・年会費  2000円(学生は除く)
        同封の年会費振り込み用紙でお送り下さい。
        同窓会出席の方は当会場でも受け付けます。
  出欠のご連絡は、同封の葉書で6月25日水までにご連絡頂けるようよろしくお願い致します。

 ・本件の問い合わせ先 明善同窓会関東支部事務局 樋原茂則(昭和21年卒)
                〒154−0011 東京都世田谷区上馬1−13−3
                電話 03−3241−6071 Fax 03−3421−6014   



 7月12日(日) 関東支部報告

 去る7月12日に霞が関ビル33階の東海大学校友会館に、昭和20年代の先輩から年齢20代までの卒業生、現在の明善の校長先生や久留米市内の高校の東京同窓会会長の方々等、約160人が集って明善時代を、そして久留米を想い盛大に楽しく行われました。

 白水君の講演は、パーティの前に、環境問題とそれへの取り組みや技術の集約であるロボットを、写真をまじえて解り易く40分程で纏めたインパクトの有るもので、皆さん「今日的難しい問題を、理解し易く話してもらい、いい勉強になった」「テレビより良くわかった」と言ってました。

 この毎年7月の東京支部全体同窓会は、いろんな世代の明善同窓生と交流がで出来る大変貴重な「場」だと思いますし、出席して楽しい場になっておりますので、34卒の皆さんも来年から奮って連れだって参加されては如何でしょうか。

                              佐々木 凱男(6)

   
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   偶感「旧陰暦について」
                                     佐々木 凱男 (6)

 池波正太郎や藤沢周平、最近では佐伯泰英などの時代小説の世界に入り込むと、そこは、今の暦とほぼ一カ月ずれた違った季節の旧陰暦の時間が流れている。

 ちなみに、2009年での旧陰暦正月元旦は、今の暦の1月26日となり、冬の寒さの峠か、少し越えたところで、自然の中に微かにでも新しい春への兆しが出てくる頃で、将に「初春」を寿ぐ時節としてぴったりくる。

 皐月は、ほぼ今の暦の6月で「五月雨を集めてはやし最上川」は、梅雨の句として納得。水無月は今の7月で、夏の日差しの晴天が続く梅雨明けの一番暑い季節、となると言葉の由来も解る気がする。

 と、こんなことで「月々の旧来の名称」の由来を探してみました。

◎睦 月 親類知人が互いに往来し、仲睦まじくする月
        稲の実を初めて水に浸す月「実月」が転じた説
        元になる月「もとつき」が「むつき」への説

◎如 月 寒さで着物を重ね着ることから「着更着」とする説
        気候が陽気になる季節で「気更来」「息更来」とする説
     草木が生え始める月で「生更木(きさらぎ)」
     「草木張り月(くさき
はりつき)」等の説

◎弥 生 「いよいよ」「ますます」等を意味する。弥生の「生」は「生い茂る」、
     
草木が芽吹くことを意味する。
     芽吹く月であることから弥生

◎卯 月 卯の花(ウツギの花)が咲く季節なので「卯の花月」の略という説
    「植月」の転じ説、卯月の「う」は「初」「産」を意味する「う」で

       一年の循環の最初を意味したと言う説

皐 月 早苗月が略され「さつき」になった説、
     早苗の「さ」も耕作の「さ」が語源とされる。
     漢字「皐」には、「神に捧げる稲」、という意味がある為、
     皐月が当てられたと思われる。



水無月 梅雨明けで「水の無い月」とする説
       水無月の「無」は「の」にあたる連体自動詞「な」で
    「水の月」と言う意味で陰暦六月は田に水を引く月で
    あることから水無月と言われるようになったとの説


文 月 短冊に歌や字を書き、書道の上達を祈った七夕の行事に因み
    「文披月
(ふみひらきつき)」が転じた説
       稲穂が膨らむ月「稲含月(ほふみづき)」「含月(ふくみづき)」
    からや
「稲見月(ほみづき)」と言う説

葉 月 葉の落ちる月「葉落ち月」転じたもの、
     稲の穂が張る月「穂張り月」

    「張り月」から「葉月」へ等


長 月 夜がだんだん長くなる「夜長月」、
     他に雨が多い季節である為「長雨月
(ながめつき)」から「長月」、
     稲を刈り収める時期の為、長月の「長」は稲が毎年実ることを
     祝う意味から取ったと言う説


神無月 神を祭る月であることから「神の月」が有力、
     神無月の「無」は「水無月」と同じく「の」を意味する
     格助詞「な」である。
     
俗説に出雲大社に神々が集まり、諸国に神が居なくなることから
     「神無月」になったとの説があるが、
     出雲国(島根県)では「神有月」と呼ばれる。
     他に「雷無月」、新穀で酒を醸すので「醸成月(かみなしづき)」の説


霜 月 「霜降り月(しもふりつき)」の略が有力。
     「食物月(おしものつき)」の略や「摺籾月(すりもみづき)」等の説


師 走 師走は当て字で、正確な語源は未詳。
     
師匠の僧がお経をあげる為に、東西を馳せる月「師馳す(しはす)」
        平安末期の「色葉字類抄(いろはじるいしょう)」に「しはす」
     の注として説明あり。

     「師馳す」説は民間語源で、この説を元に「師走」の字が当てられたと
     考えられる。
     
他に「年果つ(としはつ)」の変化、「四季の果てる月」を意味する
     「四極(しはつ)」からとする説、
     「一年の最後になし終える」意味の
「為果つ(しはつ)」説等も有る。

  等などです。興味ある方はいろいろな由来や説を教えて下さい。  
 
 

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   水田君の料理店(ポッカルーポ)

 5月にオープンした水田泰弘君(4組)が運営を引き受けている料理店へ、 総勢13名で押し
掛けて、彼の手による数々の料理に舌鼓をうった。

 お世辞抜きで全ての料理が二重丸!!!心地よい3時間を過ごした。
 水田君は健康そのもの。羨ましい限りだ。

  近在に住む中園隆夫君(5組)にも声を掛けたら、駆けつけてくれた。
 およそ20年ぶりの再会。水田君とも10有余年ぶりの再会だった。
 元気な友に会うのは何時でも楽しくて嬉しいものだ。

 ※ 佐々木凱男君(6組)に全てのお膳立てをして貰った。感謝! 

    大蔵隆史(5)

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  上野の秋....荒武ハツさんの展覧会  その1  その2があります その3があります。  平成20年

 昨日は秋晴れの良い天気の一日(10月9日)、荒武ハツさん(3−3)の絵画グループ展(一線会)が開催中の東京都美術館に写真の面々が集いました。

 パリ、オランジュリー美術館の近くを描かれたとのことで、作品の完成に心血をそそがれる様子も、よくよくお聞きして感動すら覚えました。

 9人でランチがまた楽しくて、もう次の展覧会の話も出るほどでした。

       佐々木 澄子

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  上野の秋 荒武ハツさんの展覧会 (一線会 都美術館)  その2   平成21年
                                      その1に移る その3があります。

 台風18号の煽りを受けて、そぼ降る雨の中、一線会に所属する荒武(榊)初さん(3)の出品作品を見るために上野の東京都美術館に集まった。
 題材を求めてネパールへ出かけての大作(F100号)である。彼女の弁によると、ほぼ1年がかりの労作。
  ”何事も1日にしてならず”である。 会発足60年の展覧会には多くの作品が寄せられていた。
 自分はあまり絵画展を見ない。有名な川柳を拝借すると「後半は足早になる美術展」となるからである。
 でも今回は彼女の案内で、じっくり鑑賞できた。
 その後全員で上野駅附近へ移動して、予約してあった店でゆっくり昼食を堪能し、その後は歓談で盛り上がった。

  大蔵 隆史(5)

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   荒武ハツさんの展覧会  その3 平成22年4月

                                その1に移る    その2があります

 関東地方を、時ならぬ寒波が襲った日、荒武(榊)初(3)さんの絵画展(関内駅)に出かけた。
まるで真冬の陽気で、手がかじかむほどの寒さの中、何時もの元気なメンバーに、当村(矢次)潤子(1)さんが加わり
8人が参加。(当村さんとは卒業後初めての再会)
荒武さんの案内で、彼女の作品を鑑賞。
昨年の秋と同じ「F100号」の大作に一同見入る。
雑な自分には、芸術家のセンスが羨ましい。

 その後は桜木町ランドマークタワーへ移動して昼食。
美味しい昼食に舌鼓を打ちゆっくり歓談。
その後は、同ビルの隣にある横浜美術館で開催中の”ポンペイ展”へ移動。
2千年前の文化に目を見張る。当時日本はまだ弥生後期に当り、あまりの文化の違いに圧倒された。
自分は10年ぶりに桜木町へ来たが、大都会に変貌していた。
再会を約して、夕闇迫る街で別れた。

    大蔵隆史(5)
右から、渡邉(石橋)11・荒武(榊)3・門司・谷澤・
永田(内田)10・武内(内田)11・当村(矢次)1・永武です。

 我が34会は芸術家が多いですね。今回の絵も切迫感があってすばらしいです。間接的にみますが、感動があります。
 平成20年10月9日の絵(都美術館)もよかった!!荒武さんにあったら、九州の連中も喜んでいると伝えてください。

 尚、5月1日から5月5日まで、5組の一富 忠君の屋敷が開放されます。写真家としても、gardenerとしても高校時代には見られなかった才能が今、花開いています。
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  荒武 初さんの展覧会 その4 平成23年4月

 例年行われている、荒武 初さん(3)が所属する”一線美術会”神奈川支部の第四十二回展を鑑賞するため10人が京浜東北線の関内駅に集合した。
 12月の「寄ろう会」以来、久しぶりの再会だった。
 3月の同窓会の2日前に発生した「東日本大震災」で中止にしたので、本当に久しぶりの感があつた。
荒武さんは今年、20号と50号の2点を出品。今回はネパールへは出掛けず、国内での作品だった。彼女の近所を流れる川での一場面を切り取った”水温む”と初めてモデルに挑戦した初々しい”少年”を描いた。
 素人目には、2枚とも筆のタッチが異なるように見えて、興味深かった。
兎角絵画展では、”途中から 足早になる 絵画展”と川柳にあるように、最後はどうしても雑になる。

 鑑賞後は、隣の桜木町まで散策。途中の「馬車道通り」などでは、震災の影響だろうと思われるひびが、そこらじゅうの道路やビルにある。
 震災の大きさが、横浜の先まで来ていた事になり、改めて驚いた。

 食事後は、大震災で店や自宅に被害の出た、平倉早希子さん(5)の支援方法について相談をした。本件は、皆様に別途報告をしたい。

大蔵 隆史(5)

下の写真:参加者名は下記の通りです。
後列左から:永田忠義7・谷澤一良4・渡邉(石橋)弘子11
・永田(内田)千代子10
前列左から:大蔵隆史5・武内(内田)富子11・荒武(榊)初3
・江藤(池田)節子2・佐々木(角田)澄子4・本田高太郎9
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荒武 初さんの展覧会 その5 平成24年4月

 4月4日(水)に荒武初さん(3)の作品を見るため、
関内駅前の横浜市教育文化センターに集合した。
 当日現れたのは、本人を含めて女性6名、男性2名の8人。
 彼女の作品は、@「望郷、高地の民」とA「梅雨の晴れ間に」の2点。
 @は、ネパールの民の作品。Aは、千曲川上流の風景。
 @の作品は、他のどの作品にも負けぬ力作であると言うのは全員の一致した感想だった。

 会場を後にした一行は、横浜中華街まで歩き舌鼓を打った。
 その後は、山下公園まで足をのばし、満開のしだれ桜の下で歓談。
 氷川丸をバックに記念写真を撮り、帰途に就いた。

大蔵 隆史(5)

 一線展 荒武 初さんの展覧会

       その6 平成24年10月








荒武(榊)初さん3が参加している一線会の出品展示が上野公園の「東京都美術館」で21日から始まりました。
昨年・一昨年は横浜開催でしたが、今年は東京です。
例年は仲間が連れだって鑑賞に行きましたが、今年は足並みがそろわず、各自の鑑賞会になりました。
初日に、谷澤一良君4が行って、下記のメールと写真を送ってくれました。
奈良・名古屋でも開催されるので、お知らせします。

大蔵隆史5




第63回 一線展 後援:東京都 2012.10/21-28 於:上野公園 東京都美術館 へ荒武 初さんの作品を観に行ってきました。
 今年 は”工事現場へ”と題した迫力ある力作でした。 谷澤
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 東京ゲートブリッジを徒歩で渡る会

今年の関東同窓会開催に当たり、偶にはアウトドアーでの集いをしたいと考え、
思いついたのが、今年の2月に開通したゲートブリッジを歩こうと言うもの。
同窓会当日、参加希望を確認したところ、25人中21名の希望があった。

快晴で風のない日で寒くなく、見晴らしのきく日と言う難しい条件の日を選ぶため
当初は4月予定だったが、様々な事情で5月に延期された。

5月14日(月)11時、JR新木場駅集合を呼び掛けたら、14名に永田君7の夫人を
加えて総勢15名の会になった。

新木場駅前から臨時バスに乗り若洲公園(終点)下車。少し歩いて、若洲側エレベーターで橋上の歩道部へ昇る。
そこから思い思いに歩き出す。足の速い組やゆっくり組それぞれに、景観を楽しみながら進む。
富士山こそ見えなかったが、東京湾岸・お台場・スカイツリーや東京タワーを一望する。
この橋は渡り切ることは出来ず、途中から引き返すことになる。海面から61m中心点を通過して引き返す。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9D%B1%E4%BA%AC%E3%82%B2%E3%83%BC%E3%83%88%E3%83%96%E3%83%AA%E3%83%83%E3%82%B8

1時近くに戻った一行は、付近のキャンプ場に入場して遅い昼食を取る。
弁当持参の手筈に、自家製のおにぎりや豪華な弁当を楽しむ。まるで遠足である。
楽しい時間を過ごした後、バス乗り場へ向かうが、無情にもバスは出たばかりで次便までは1時間待ち。
元気な一行は、少々暑い中を駅までの4kmの徒歩を選ぶ。
全員何事もなかったような顔で駅到着。多い者の万歩計は、21000歩を超えたそうである。
関東の「古希連」は強い。コーヒーを嗜み5時前に解散した。

さて次回は、高尾山にでも行くか。

さて最後になったが、事前に下見をしてくれた佐々木澄子さん4や永田千枝子さん10に感謝!


大蔵 隆史5
   (集合写真) 
前列左から 喜多さなへ5・平倉早希子5・佐々木澄子4・岡 梢11・渡邉弘子11
後列左から 江藤節子2・倉成義昭9・本田穎子1・當村潤子1・飛永桂子2・門司宏2・永田忠義7・大蔵隆史5・伊藤忠明6
                       (敬称略)
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筑波で蕎麦を食べて花見の集い
         平成21年4月4日



桜前線通過中の関東地方。
 先月の同窓会の席上、平倉(中野)早希子夫妻が 経営する”並木そば”
 (http://www7.ocn.ne.jp/~namiki-s/)
 「蕎麦を食べる会」の話が出て、昨年に続き4月4日に訪問。
 以前から参加を希望していた武内(内田)富子君11と更に門司宏君2が車で駆けつけてくれて総勢7名が訪問した。
 声を掛ければもっと多くの参加者になると思われたが、増えた分彼女の負担が増える為に失礼した。

 何時も手一杯の料理で持て成してくれる為、話の輪に入る暇のない早希子君に余り気を使わないよう予めお願いし、出来るだけ着席してもらい、話にも満開の花が咲く。心尽くしの料理に全員大満足。
 久留米のI君から送られた「蕗」が東京から筑波へ転送されて、彼女の丁寧な処理で写真のような料理になっていた。
 素材の良さと腕の良さに舌鼓を打つ(本当に料理上手)。更に60cmにも及ぶ平目の刺身が出る。これも彼女が裁いた物。築地から来たものらしい。
 メインの天麩羅そばを食べた後は、近くの公園へ繰り出し、まだ少し早めの桜を見て記念撮影。店に戻った後は、手作りのアイスクリームで料理は締め括りとなる。

 有難い気遣いに、次回からはメニューの品だけを食べることにして散会。
 年に1度は少ないので2回にしようと提案され、次は9月頃に行くことにした。
 http://www7.ocn.ne.jp/~namiki-s/


集合写真
 前列左から 武内(内田)11・飛永(佐々木)2・佐々木(角田)4
 後列左から 大蔵5・平倉(中野)5・門司2・横山(斉藤)2・山浦7    


 大蔵 隆史(5)

 (前回訪問時の情報に繋がる)
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     東日本大震災の被害報告

未曾有の大震災から1ヶ月が経過した。
我々明善34会の仲間で、最も被害を受けたのがつくば市で蕎麦店を経営している平倉(中野)早希子君5だと思われる。
こちらからの問い合わせに対し、被害を受けたとの報告を受けたのが、3月17日だった。

東京を中心に少なからず応援団を出そうと問いかけたが、メールのお礼とともに

 「当店の地震災害回復は長期間かかると思いますが、時が解決してくれると思いますので焦らずゆっくりと片付けていきます。
 屋根瓦は落ち、店内はグラス、お皿の破片で足の踏み場もありませんが頑張らざるを得ません。(中略)皆様方から何度も手伝うよーーとメールを 頂きましたが、水が無く途方にくれました。やっとお水が出始めましたが今度は原子力発電所の放射線です。
 外出を控えるよう・・・としきりに広報車が走り回ってます。
 余震はゆりかごに乗っているかのように毎日数十回です。
 大事なお友達を放射能事件に巻き込んではと・・・思いパートと私達夫婦でゆっくり片付けていきます。ご心配下さいまして有難う御座いました。
 本当に皆様有難う御座いました。」


 
と言う回答。しばらく様子を見ることにした。

4月3日に、彼女からのメールがあり


 
 「今まで、病気をした事の無い私でしたが、どうした事か寝込んでしまいました。
   めまい、はきけ、けいれん、ふらついて困ってます。
   病院通いの毎日ですが少しずつ元気になりました。」


心労が重なったものと思われる。



4月4日のメール

  「昔、お店にいた板前さんが車で10分位のところに住んでいます。
   勝手を知ってるので暇なときやって来て片付けてくれました。
   今は傷だらけの店構えですがなんとか格好がついて来ましたよ。」


結局何の手伝いも出来ないまま、店は片付いてしまったらしい。残念、無念。
4月9日、横山(斉藤)陽子君2から、店の営業を再開したので行って来た旨のメール。
様子を知りたくなり、4月11日につくばへ車を飛ばすと、「本日休業」の看板。
定休日だったのだ。慌ててメールを入れると、ご主人と病院へ行き今帰途にあると言う。
やっとの思いで再会を果たす。
屋根の瓦は落ちて、ブルーシートを被せての応急処置をしてある。
店の中を案内してもらうと、至る所にひび割れが・・・。
トイレの扉が力を入れて引かないと開かない。トイレの壁の一部がへこんでいたり
窓のサッシが変形してブラインドが効かない。
復旧には、数百万を要すると思われるが、平倉夫妻は店の再建に力一杯立ち向かっているようすが窺える。
裏の自宅で昼食をご馳走になる。何をしに行ったのか?情けない気がした。

どうぞ応援メッセージでも入れて、励ましてあげて下さい。

nammiki-sob1430@oregano.ocn.ne.jp

大蔵 隆史(5)

 東京の仲間から支援の依頼が来ています。
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 平倉早希子(5)さんへの支援依頼

 困ったときにはお互いに助け合いましょう。
それが我々の持つ「明善34会精神」だと思います。
関東地区はこの葉書を発送しています。

 来る6月の同窓会の席上、出席者の皆様に平倉さんへの応援を訴える予定です。

 松本 豊太郎(6)

 被害状況へつながる
 みんなで訪ねたこともあります。その1
 みんなで訪ねたこともあります。その2
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 災害見舞金を届けました。 6月18日

 東日本大震災で被災した、平倉早希子さん5への見舞金を届ける為に6月18日(土)”つくば”に行って来ました。
 当日は、久留米から執行宏君の上京が丁度重なり、同君も立会い贈呈式を行いました。
 関東地区41名、その他の地区32名、合計73名の友情を詰めて無事渡す事が出来ました。
 皆様の温かい志に感謝をいたします。
 本当に有難うございました。

 歓談をしながら美味しいそばを食し、最後に執行君の音頭で旧明善校歌を斉唱して会を終了。

 当日の様子を添付しました。
 尚、参加者は、門司宏君2・執行宏君5・古井孝子さん9・永田千枝子さん10・武内富子さん11・大蔵隆史5でした。

大蔵 隆史5
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  明善高校三四会同窓会の皆様へ

 男体山と女体山、二ツの連山の筑波山が遠く霞み、清清しい六月です。

 今は、何事も無かったかの様に青々と緑の稲が育って行きます。

 この度は皆様方より多額の義援金を頂きまして、本当に有難う御座いました。

 拝見しまして手が震えるほどのお見舞金、金額の多さにびっくり致しました。

遠路、つくばまで執行さん、東京から大蔵さんほか5名の皆様にお持ち下さいまして最後に励ましの校歌も歌って頂きました。

 久し振りに聞く校歌 感激で胸一杯でした。

 被害は思ったより酷く自宅や店舗は少し西に傾き瓦が落ち壁や厨房の天井は余震のたびに落下します。

 工務店さんに傾いた店の玄関の開き戸、開かない窓 切断した電気の配線、壊れた大型の食器洗い機の修理の手配をお願いし、何とか開業できる様になりましたが今現在も電気屋さんが天井から落ちた照明器具を付け直しています。

  東日本震災で避難された方々に比べたら生活の場所があるだけでも幸せですが未だに続く余震は次に続く大型地震の前ぶれだと言われて恐怖心でいっぱいです。

 皆様から頂きました多額のお見舞金は瓦の修復代に使わせて頂きます。

 御声援頂きありがとうございました。

 古稀を迎えました今年、皆様の御健康と御自愛をお祈り申し上げます。

 最後になりましたたが夫 平倉浩一も心からお礼を申して居ります。

 皆様 本当に有難う御座いました。   

        平成二十三年六月二十一日              平倉早希子

    
 被災情報に繋がる

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 屋根が復旧いたしました。(平成23年10月)

34会の皆様

 猛暑が過ぎ秋の気配が感じられる今日この頃でございます。
 34会同窓生の皆様、お元気でお過ごしの事と拝察致します。

 お陰様でやっと念願の屋根が完成いたしましたので皆様に報告させて頂きます。
 今年3月11日の東日本大震災の影響をもろに受け、崩壊していた並木そばの屋根
(私共のお店・茨城県つくば市)もやっと7ヶ月ぶりですっかり元の姿に戻りました。
 添付の写真は皆様から戴いたお見舞金で完成に至ったお店の全景です。
 本当に有難うございました。

 頂いたお見舞金は古稀記念旅行のバスの中でも無記名で御寄付戴いたそうで
本当に申し訳なく思ってます。重ね重ね御礼申し上げます。
 高校時代は筑後川の堤防沿いに自転車で通学した事を懐かしく思い出します。
 そして、今更ながら母校を誇りに思います。
 皆様の温かい友情に心から感謝いたします。
 本当に有難うございました。

  並木そば 平倉 早希子(旧姓中野・5組)

追伸:お店の手前に車が半分映っていますが、前日の夜に置いて帰られました
お客様の車ですので,動かす事が出来ずそのまま撮影しました。お許しください。
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 北国の桜

 4月16,17日三春の滝桜と花見山公園の花々を見に行きました。
 東京駅から新幹線で新白河駅まで行き、後はツアー会社がさし向けたバスで花の名所めぐり、見事な満開に大満足でした。
 しかし人出は多く、写真にもいやでも避けられませんでした。(花見山公園)
                         佐々木澄子
    
 4月26日朝、三春の滝桜を影絵で描く85歳の老人の話題がNHK全国版で放映されていました。参考のために掲載しておきます。(今村)
 三春の滝桜 
 三春の滝桜

 影絵を創作する85歳の老人(NHK)

  影絵による三春の滝桜(NHK)

 花見山公園

 花見山公園

 伊達政宗手植えの乙姫桜
       
  夏井川千本桜
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  銀座の花祭り






花びらで絵を…銀座の道で、なんの花びらでしょう?
    古井孝子

 この情報はデジカメで撮ったものを古井さんより送ってきたものを掲載したものです。
 皆さんも気軽にデジカメから情報をお送り下さい。事務局

 もう一つのデジカメ情報です。
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