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2002年度奈良県外国人教育研究集会報告 2002.10.15(第1分科会A分散会、五條市民会館ホール)
 http://www5b.biglobe.ne.jp/~kurosan/NKG/02H.htm ※在日外国人教育掲示板(閉鎖) ※校正記録


日々の課題アラカルト
LAST UPDATE 2002-11-17
日々日常の在日外国人教育にかかわる実践課題を整理し、どのようにしたらもっと取り組めるのか、新たに取り組むべき課題には何があるのか、一教員として考えてみたい。
1.はじめに 2.「ほんであんたは何してん?」 3.本名(民族名)入学のために 4.入学式と提出書類
5.日本籍外国人生徒 6.意識調査から 7.奈良県外教の諸調査をきっかけに 8.朝鮮奨学会とウリ文化祭
9.ソダン・在日外国人生徒交流会 10.「くろちゃんからのお手紙です」・卒業生とのかかわり
11.外国人登録・指紋押捺拒否 12.家庭訪問 13.人権HR・歴史教科書問題 14.職員研修
15.人権作文・夜間中学 16.解放研活動 17.人権講演会・外国人教員 18.就職・進学
19.卒業式 20.差別事象への取組 21.インターネットの可能性 ※参考リンク・その他

■1.はじめに■
 理論的な話より、僕のささやか(中途半端?)な取組を紹介し、本日参加された方々との実践交流ができればいいな、と思っております。
 また、この報告文はネット上でも公開し、関連資料ページや諸サイトへもリンクしてあります。お互いの実践資料になるようにと願い、今後も充実させていくつもりです。ただし、ネットの性質上、具体的事例の紹介には限界がありますので、ご了承ください。
 ◇http://www5b.biglobe.ne.jp/~kurosan/NKG/02H.htm


■2.「ほんであんたは何してん?」■
 まだ教員になりたての頃、金井英樹さんに日朝関係史の講演をしてもらった時、「この人は実にいろんなことを知ってるようだから一つ聞いてみよう、と質問したことがある。少し前に、プロ野球の張本選手に関わる「ある手紙の問いかけ」という教材を扱ったのだが、「いやなら帰れ」という感想文が多かったことをぶつけてみた。さぞやたくさんの対応策を教えてくれることだろうと思っていたのに、全く違う答えが返ってきた。「ほんであんたは何してん?」知る人ぞ知る金井氏の切り返しである。一瞬、ムカッとしたのだが、次の瞬間には感動してしまった。実践という次元で受け止めてはいなかったことを、その一言が指弾してくれた。豊富な知識よりも、もっと大切なものを、この時知らしめていただいたと思っている。
 ◇拙文「子ども達の成長と僕ら側の変容」〜「ならヒューライツニュース61」(2002年8月号,奈良人権・部落解放研究所[なら ヒューライツステーション])
■3.本名(民族名)入学のために■
 本名(民族名)を伏せて暮らすことを強いられる状況は、不自然であるばかりか、重大な人権侵害だと思います。いわば、「創氏改名」がいまだに続いていると言えるのではないでしょうか。アジア系の多くの在日外国人が日本名を名のらざるをえない状況があります。本名(民族名)を明かさない友達関係が子ども達の心にどれほどの影を落とすか、と考えるとき、そしてそうした息苦しい状況を温存させている日本人の意識を問うべきなんだと気づくとき、とりわけ教員にとってこの問題は、「身近な問題」であり、「自らの課題」です。

 奈良県内の学校に通う在日コリアン生徒の場合、本名(民族名)使用率は、保幼小中で約15%・高校で約20%(2001年度)とのことですが、かなり増えてきているとはいえ、まだまだ不自然であることには変わりありません。

 高校在学中に日本名から本名(民族名)に変えることは、生徒にとって大変な精神的負担だと思います。それを乗りこえてほしいし、そのための環境作りが僕たち教員の課題なんですが、実際的には入学時が本名(民族名)に変えるチャンスです。高校からは本名(民族名)にしようか迷ったんだという話も聞きます。受け入れる学校側の問題でもあるんですが、本人や家族の決心も必要です。それを促すには、合格発表の後、すぐに取りかかるべきです。逆にこの時点での取組で、高校入学を機に日本名にする生徒を減らすこともめざしたいものです。県内のある私学では「合格者説明会」の日から早速取組が始まることもあって、在籍する在日朝鮮人生徒の本名(民族名)使用率がほぼ60%ということです。個人情報の取り扱いに十分配慮しながらも、新入生の人権保障のために、入学前の段階で、それも「決心に至る時間」をとれるように取組を始めたいものです。入学式の呼名簿や座席表・名列票などの準備の都合でこのチャンスをつぶすのはもってのほかです。
 ◇参考「奈良県在日コリアン生徒(高校新入生)実態調査」〜「季刊Sai第42号(2002.SPRING)」(KMJ(社)大阪国際理解教育研究センター)
 ◇参考「在日外国人教育に関する提言(最終報告)」(在日外国人教育将来構想検討委員会,2002.6)

【各国語で祝辞】

■4.入学式と提出書類■
 ある年の入学式の日の出来事です。
 新一年のある担任のところへ、一人の保護者がやってきました。朝鮮籍のオモニでした。

 入学式当日には提出書類がいろいろとあります。住民票もその一つですが、外国籍者は住民票がなく、かわりに「外国人登録原票記載事項証明(当時は外国人登録済み書)」を提出されます。その新入生は日朝ダブルの日本国籍でしたから、住民票はあるんです。でも、オモニの証明書を合わせて提出しようかどうかと迷っておられたようです。

 でも、入学式会場の体育館正面にあったベニヤ板2枚分の立て看板を見て、「やっぱり提出しよう」と思ったとのことでした。これはビデオ「叫びとささやき」(日豊)の物まねで、各国語で「おめでとう」と書いた大きな看板を解放研の取組として作ったものだったんですが、思わぬ出会いをもたらしてくれました。
 その後、文化祭や「ならサンウリム」に解放研が出店を出す際、解放研生徒と一緒に自宅を訪問し、このオモニにチヂミの作り方を教えてもらうことになります。またこの生徒は、在日外国人生徒交流会にも参加しました。卒業して随分立ちますが、今も時々連絡をとりあっています。

 また、入学式当日の提出書類の点検はとても大切です。外国籍の場合、16歳の誕生日の約一ヶ月に外国人登録(→9.)の通知が家庭に送られるようですが、少なからず本人達は動揺するはずです。登録への同行も含めて、誕生日によっては直ちに取組をすすめる必要がでてくるため、特に外国籍生徒の誕生日の把握は入学式当日中にすべきです。以前、入学前の春休み中に誕生日を迎え、登録もすでにすませたという生徒がいました。そんな場合でも、登録後の心境などを聞く取組から始めたいものです。
 ◇拙作「在日外国人生徒の提出書類等について」・・・・新一年担任への依頼文


■5.日本籍外国人生徒■
 女子差別撤廃条約の批准にともない、国籍法が改正(1985年)され、父母両系主義になってから、ますます日本籍外国人が増えています。日本国籍を取得する人もたくさんいます。外国人に対して差別的・排外的なこの国で、それらがすべて自由選択の結果だとは決して言えないと思います。
 「日本籍外国人」「在日日本人」という概念の定着が、多文化共生社会を作る条件になると思われるからです。「日本国籍を取得(いわゆる「帰化」)したからといって外国人でなくなった」と言ってしまってほしくないのです。
 日本国籍を取得しても、外国人としての誇りをもっていてほしいし、周りの日本人も日本籍外国人のそうした意識を否定すべきではなく、むしろ称えるべきではないかと思うのです。記事の末尾に「民族的・文化的多様性がもたらす良さを期待すべきである」とありますが、これは国会に限らず、日本という国のさまざまな場面にも当てはまるし、日本国籍を取得する(取得した)子どもたちのアイデンティティにも関わる大問題だと考えます。
 ◇拙文「『元外国人』という表記に違和感を感じる」〜「週刊金曜日401[投書]」(2002.3.1)

 以前は、日本籍外国人生徒への取組は二の次という観がありました。やはり、それではいけないと思います。また、「『帰化』申請を出しているから」と、関わりを拒もうとされる保護者もおられます。「帰化」申請者に対する行政の脅迫めいた「指導」が、教員の取組を遠ざけようとする面もあるでしょう。しかし、考えてみれば、日本籍外国人生徒や日本国籍取得生徒こそが最もアイデンティティの悩みを持つはずです。そして今や、新生児の35人に1人はダブルであり、どのクラスにもダブルの生徒がいるという時代になりつつあり、その子ども達はかなりの割合で日本国籍が選択されるでしょうから、日本籍外国人生徒への取組は、今後ますます重要な課題となるはずです。

 しかし、個人情報保護の観点からも、学校にとって、日本籍外国人生徒の把握はますます困難になっていきそうです。個々の生徒や家庭との密接な関係づくりからしか、個別の対応への糸口は見えてこないでしょう。一方で、目の前の子ども達には、さまざまなルーツを持つ子どもがたくさんいるはずだという前提で、教育活動に取り組まねばなりません。仮に国籍上は全校生徒が日本国籍だとしても、すべての生徒が日本人であるという前提に基づいた授業や学校行事は再考しなければならないと思います。

■6.意識調査から■
 入学直後に、人権教育に関わる意識調査を実施している学校も多いかと思います。勤務校の最近の調査では、約5割の生徒が在日朝鮮人が多い理由を説明できるとしながらも、その理由として「強制連行の結果住み続けている」と答える生徒がかなりいます。強制連行された人々は日本敗戦=解放後に帰国された方が多く、戦後在日を余儀なくさせられた人々の多くは日本の植民地支配の下で経済的に追いつめられ渡日するしかなかった人々が多いと聞きます。また「創氏改名」や「民族学校」については「知っている」と答える生徒は2割程度しかいません。正しい歴史認識を培うための系統だった学習が必要と思われます。
 ◇拙作「朝鮮と日本の近代史年表」プリント〜「日本と朝鮮の関係史ノート PART 2」


■7.奈良県外教の諸調査をきっかけに■

 評価の高い奈良県外教の実態調査ですが、「調査のための調査」に終わらせず、外国人生徒との関わりを深める手段として利用したいものです。調査用紙に細々とした項目があるのも、つっ込んだ話ができるようにとの意図からということのようです。しっかりと話を聞く関係をつくるのか、単に立ち入った話を聞き出すに終わるのかは、教員の姿勢にかかっていると言えます。
 ◇奈良県外国人教育研究会


■8.朝鮮奨学会とウリ文化祭■
 朝鮮奨学会奨学金は、例年4月末が申請期限なので、新入生については入学してすぐに取り組み、手続きをする必要があります。ここへ電話すると、まず朝鮮語で挨拶されるので一瞬驚きますが、その後は日本語で丁寧に応対してくれます。また「朝鮮」との名称から敬遠される韓国籍の保護者もおられますが、この奨学金は南北いずれかの側に立つものではありませんので、是非とも薦めたい奨学金です。ただし、ダブルの生徒でも日本籍を選択していると申請できません。

 毎年暮れに大阪でウリ文化祭が行われ、全国から奨学生が多数集まり、さまざまな文化発表を繰り広げます。少数点在の奈良の在日朝鮮人生徒にとって、あれだけ大勢の同胞の若者が元気な姿をみせる舞台は衝撃で、毎年のように生徒を連れて行ったものです。何度か生徒を出演させてもらってもいます。ウリ文化祭に限らず、いろいろな民族文化祭には是非とも生徒を連れて参加したいものです。
 ◇朝鮮奨学会


■9.ソダン・在日外国人生徒交流会■

 「ソダン」の世話人を、一時していたことがあります。1980年から始まった「ソダン」(書堂:寺子屋の意)は、前年に高校の教員が中心となって結成された「奈良・在日朝鮮人教育を考える会」(以下、考える会)の先達が、各校に一人とか二人とかという少数点在状態の奈良の在日朝鮮人高校生を出会わせたいと組織したものでした。1990年、県外教結成総会の後、たまたま知っている教員と晩飯を食べに行き、さらに、そこで出会った別の教員に連れられて帝塚山高校ハングル講座の勉強会の後の酒の席に参加して、という具合に気づいたらいろんな場所に足を運ぶようになっていました。そんな折、「若いkurochanが世話人に加わったらどうか」とのことで、世話人の1人に加えてもらいました。

 初期のソダンは会場を借りるのも一苦労で、案内状の郵送代も当日のおやつも、カンパでまかなっていたものです。そのうち県外教の在日外国人高校生交流会(のちに在日外国人生徒交流会)が充実してきてバトンタッチしましたが、内容を考え、案内文を作り、子ども達と時間を共にすることを通して、いろいろな出会いがあり、さまざまなことを学びました。長らく、主として世話役を引き受けていた石野さんは急死されてしまいましたが、石野さんの自宅で子どもたちと語り合ったり、体育館や集会所を借りてプチェチュムやプンムルノリやソルチャングの練習をしたり、高校の調理室を借りて民族料理づくりにチャレンジしたり、いろいろな集会に参加したりと、現在の生徒交流会の基を作ったと思っています。

 県外教の在日朝鮮人生徒交流会(のちに在日外国人生徒交流会)は、行政からの補助もある教育研究組織が主催しているとあって、やはり、教員有志によるソダンに比べて、会場を借りるにしても、各校の教員に子どもたちを連れてきてもらうにしても、格段の違いがありました。おかげで、参加する子どもたちの数もレギュラーメンバーも増えたし、この交流会をかけがえのない場だと思ってくれる子どもたちも確実に広がりを見せています。そんな生徒交流会も、すでに100回を優に越え、全国的にも例のない歴史を積み上げるにいたっています。

 でも教員にとっての基本は、「子どもたちを出会わせたい。そして自らのルーツに前向きに向き合わせたい」という思いと働きかけではないでしょうか。案内文を確実に渡すとともに、あわせて本人や保護者の思いを受け止め、仮に交流会につなげられなかったとしても、この案内をきっかけに外国人生徒とのかかわりをもちたいものです。
 ◇県外教在日外国人生徒交流会・・・・今後の交流会の案内や、参加生徒の感想・これまでの歩みなどが掲載されています。
 ◇帝塚山学園ハングル講座・・・・2002年度は毎週木曜日、16:00〜生徒の部、18:00〜教員の部、講師は天理大学への留学生


■10.「くろちゃんからのお手紙です」・卒業生とのかかわり■
 ある時、在日外国人生徒交流会の案内を渡すついでに、できれば僕からも「連続私信」という形で作ったプリントを渡そうと思いつき、「くろちゃんからのお手紙です」を創刊しました。創刊といっても年に数回がいいところでしたが、学校内外の話題を盛り込んで、その時その時の在日の生徒の状況を考えながら語りかけ、交流会の案内もするという内容です。封筒に入れて、僕から直接渡したり、学級担任から渡してもらったり、場合によっては、親が先に見て親から子どもに渡したいということなので、親宛に郵送したりもしていました。

 さらに、卒業後も送付し始めると、卒業生からも連絡が返ってくるようになり、結婚したとか、自動車免許をとったけれど免許証を友達に見せられないだとか、中国語を学び始めたとか、卒業後の様子がいくらか見えてきます。16歳の外国人登録にはかかわっても、通常では5年後の21歳の登録にもかかわれたらと思います。

 「くろちゃんからのお手紙です」は「チョンサントンシン(☆☆通信)」(☆☆は前任校の名前)と改題して発行していたんですが、昨年度の転勤後で、途絶えてしまっています。でも、この報告を機に再改題して復刊しようかと考えています。
 ◇拙作「チョンサントンシン(くろちゃんからのお手紙です)」(28,1998.5.20)


■11.外国人登録・指紋押捺拒否■
 「なぜ自分だけ学校を休んで、市役所へ登録に行かなければならないのか」と疑問に思ったり、「気にしない」と口ではいいながらも、市役所の窓口で知り合いに会わないかとそわそわし、帰り道に妙に無口になったりと、16歳を迎える外国籍生徒にとって外国人登録は、とても重い出来事です。
 Aさんと登録に関して話していき、私が付き添うことになっていたのですが、当日になって「先生に悪いから一人で行きます」と言ってきました。ただ単に遠慮しているように見えましたが、そう言い張るので、放課後一人で行かせました。でも私はこっそり市役所の前で待っていました。忘れた印鑑を持参し駅前で彼女をひろったオモニの車が来て、Aさんだけが市役所に入って行きました。私はオモニに挨拶すると、「仕事着でみっともないから、車で待っててと言われたんです」ということなので、「オモニもついて行きたいでしょう?一緒に行きましょう」と誘い、二人で市役所に入って行きました。のんきなAさんもさすがに緊張していて、写真のサイズのことで注意されたときもオモニの「それでいけるはずですよ」という一言がなければパニックに陥っていたでしょう。窓口の職員はしっかり研修しているようで、配慮の行き届いた応対でした。オモニの車の中で身内の話やら色々聞かせてもらいました。最近も三者面談の際、オモニたちを社会科準備室に招きいろいろ話を聞かせてもらったりしましたが、このオモニは彼女の弟の中学校の卒業式にはチマチョゴリで出席したり、・・・・
 ◇拙文「朝文研をめざして」(1994.2,県外教への活動報告文)

 Bくんは韓国籍のアボジと日本人の母親をもつ3年生の男の子です。1年生の時、全朝教奈良大会の当日会場まで来て、ソダンの高校生たちのサムルノリを観ています。
 Bくんは指紋押捺を拒否すると言い出しました。3月末生まれのBくんは期限ぎりぎりに役所へ行くということで、高2の4月に話をつめていきました。「やっぱりおかしいから拒否したい」という率直な思いでした。それがどういう意味を持つのか、どんな決意を持って欲しいかを語り、また「アボジともよく相談するように」と話しました。母親の話では、「アボジと話して欲しいが仕事が忙しくなかなか会えませんよ」ということで、出張で飛び回っておられるアボジと、互いの暇を見つけては電話連絡で話をしていきました。「指紋なんかを超越したところで生きてくれればいいんだ」、とこれはアボジ自身の外登法への思いであったように思います。そして、「息子の気持ちはよく解るが、親として将来『帰化』する場合のことも考えてやっておきたい」という考えをされていました。仕事で銀行から金を借りるのも困難があるということでした。6月から外登法「改正」の移行期間に入るのでなんとかごまかしてすべりこめそうだ、ということで登録を遅滞させていました。しかし、息子には民族の自覚を持って生きていって欲しいが、生活上の理由で「帰化」の必要に迫られるかもしれないので、その場合不利になるのではないかとアボジは心配されました。これには考えさせられました。私は、「帰化」して欲しくないと言いたいところですが、アボジの親としての気持ちも否定できない。結局、本人の今の気持ちを十分に考えて判断してやって欲しい、と言うことしかできませんでした。Aくんは「指紋を押します」と私に言いに来ました。でも本当はおかしいことで、民族としての誇りは持って生きて行くという決意でした。これはアボジに押しきられたな、と感じましたが、彼らが出した結論に私も従いました。
 6月になっていました。私を含む同教部員2名・Bくん・母親の4人で市役所に行った時のことです。市職労にも話を回してもらっていて、本人の意志を尊重して扱ってもらえるようにしていたのですが、「パスポートを出してください」・「いつから日本にいるのですか」などという、全くわけの分からない応対で、これだけ社会問題になっていることの当の現場の無知さに拍子抜けしたものです。つまらない押し問答の末、やっと慣れた職員が応対してくれました。開口一番「押捺拒否されますか」には驚きましたが、市職労から話を聞いている人だったんだと思います。ところが、手続きを終えると「登録してもらって嬉しいですわ」と言うのです。カチンときました。私は、「これは個人的に言いますが」と前置きし、カウンター越しに抗議しました。「これがうれしいことなんですか」「いえいえ問題だとは思っています」「じゃあ組合かなんかで取り組んでおられるんですか」「・・・・いえ何も」。その後、役所前の喫茶店で母親も怒っておられました。
 Bくんは推薦入試後、現在も受験勉強中です。9月にもった校内在日朝鮮人高校生交流会でも積極的な姿勢を見せてくれ、卒業までの間に下級生に対し、いい役をこなしてくれることを願っています。
 ◇前出 拙文「朝文研をめざして」(1994.2,県外教への活動報告文)
 また、実際に指紋押捺拒否の取組に発展したこともありました。

 教員になって数年後の春、教科会議で授業の受け持ちクラスを決める時に、本名(民族名)入学してきた朝鮮人生徒がいるクラスの現代社会の授業を希望しました。しかし、なかなか声をかける事ができずにいました。その生徒の国籍だけを取り上げて話をすることは、当時の僕にはどこか一方的に感じられたのです。僕の側にぶつけるものが無いんだと気づきました。そんな時、先にふれたハングル講座へ通うようになって「これだ!」と思ったのです。授業が終わった後の廊下で機会を窺っていると、彼が教室から出てきました。そこで、「この間から、ハングル講座に通ってんねんけど、ハングル知ってたら教えてよ」ということを言ったんです。彼は即座に「ハングルなんて全然知らん」というように言いました。実際は、民団のハギハッキョに行ったりして、全くハングルを知らないはずは無かったんですが、まずは彼と民族について話するきっかけになりました。

 やがて彼が、突然僕のところにやってきて「指紋押捺拒否したいねん」と言いました。担任・同教部長が家庭訪問をしましたが、こういった取組はよほどのメンバーが揃っていないと一校の同教部で担えることではないと判断し、「奈良・在日朝鮮人教育を考える会」の面々に相談して、家庭訪問を重ねた上で当該市役所との交渉に入りました。他府県で先進的に取り組んでこられた方々からも情報を提供してもらいましたが、夜な夜な何度も開かれた市役所職員との会議で、彼のオモニが思いをぶつけてくださったことで、市役所職員の方々も職務を全うしなければならないという立場に立ちながらも、何とかできないものかと苦慮していただくことになりました。実は彼の兄も指紋押捺を拒否しようとして、教員に付き添ってもらって市役所に行ったところ、一人別室に呼ばれて、半ば脅迫されるようにして押捺してしまったことがあったようで、弟の彼の場合はできるだけ前面に出さないようにして取り組みました。

 1997年を最後に、外国人登録への付き添いはできずにいますが、これからも働きかけていきたいと思っています。

■12.家庭訪問■
 外国人登録に付き添った「新渡日」生徒が、外登証受領にも付き添ってほしいとのことで、担任と市役所へ同伴し、その夜家庭訪問したときのことです。
 学級担任に付き添って、「新渡日」の中国籍生徒の家庭訪問をしたが、担任はなかなか在日であることに触れようとしない。初対面の父親に遠慮していたようだ。で、僕から切り出した。母親よりは日本語が上手だが、それでもたどたどしい発音の父親は、来日してから苦労なく暮らせる日本はすばらしいと繰り返した。「では何故、表札は日本名なんですか?」との僕の問いかけに、しばらく言葉を詰まらせた父親は一転して、来日してから転職を繰り返して、辛い日々を過ごしたことを語ってくれた。黙って正座して父親の話を聞いていた娘は、自分の本名の文字は知っていても、発音は知らなかった。発音を教えてやってくれと告げたときの父親の顔が忘れられない。自分の名前も発音できないのか、という悲しみと、おまえの名前はこう発音するんだよ、という誇らしげな表情が入り交じっていた。そしてそれまでのたどたどしい日本語と対照的な美しく自信にみちた中国語。
 ◇前出 拙文「子ども達の成長と僕ら側の変容」〜「ならヒューライツニュース61」(2002年8月号,奈良人権・部落解放研究所[なら ヒューライツステーション])
 こういうことがあるから、やはり家庭訪問は大切です。親の日本語能力や生活はどうなのか、家庭に民族的な「におい」が感じられるか、など生徒の状況や親の願いを把握して、子どもと接することができればなおいいのではないでしょうか。また、オモニや一世のハルモニが子どもと一緒にハングル講座に来ていろんな話をしてくださったりしたこともありましたが、保護者とのつながりは、教員にとっての貴重な研修にもなるものです。現任校でも、まだ会えていない保護者がおり、いろいろと伺いたい話もあります。一升瓶を持って泊りがけの家庭訪問なんてこともは、結婚してからはさすがにしていませんが、家庭訪問はこれからも大事にしたい取組です。

■13.人権教育HR・歴史教科書問題■
 参加体験型学習が流行っていますが、やはり生徒には好評です。しかし、教員の戸惑いの声もよく耳にします。「生徒を遊ばせただけではないのか」「体験に主眼をおくと一定の答えにたどり着けないのではないか」という声などがそうですが、意義や目的をはっきりさせて取り組みたいものです。模擬体験することによって、「人によって感じ方は違うんだ」ということを認識し、「認め合うべき違いとは何なのか」を考えさせるのが、こういった学習のねらいではないかと思っています。

 前任校で、まさに「多様」であることをテーマに、「同時多発体験学習」を企画したことがあります。クラスも解体して、個々の生徒が希望のメニューを選んで体験学習をし、クラスに戻って体験交流をするというものでしたが、同日同時に多様な講師陣を揃える日程調整と予算の面で、実際はクラス単位で相互入替で実施することになりました。メニューに加えたのが、チャング体験です。チャングを20台ほど準備します。2クラス合同約80人を4人の班に編成し、大きな部屋で各班1台ずつチャングを持たせます。チャングができる在日朝鮮人の知人にお願いして、指導してもらいました。少し話をしていただいた後、50分のHRで、チェの持ち方から始まって簡単なチャンダンの演奏まで、生徒たちはあっという間にマスターしていきます。1人あたり約10分チャングに触ることになるだけですが、それでも生徒たちは嬉しそうです。中には、小学校や中学校で体験したという子もいて、はじめから上手さが違います。異文化との楽しい出会いは、高校段階では遅いのかもしれませんが、日本人生徒にとっても、外国人生徒にとっても、やはり意義ある取り組みだと思います。
 ◇2000年度同和教育ホームルーム年間計画


 また、座学になりがちな歴史学習を、発表学習形式で取り組んだこともありました。
 去年前任校で、世界史とホームルームを連動させて日朝関係史の発表学習をしたんだけどさ、学校でたくさんの資料を買い込んで、調べ学習の時間をかなりとって、生徒たちも結構頑張ってくれたんだ。ところが「日本と朝鮮の本当の歴史に詳しい知り合いがおるねん!」と言い出す生徒がいて、話を聞いてみると、「つくる会」の主張の曖昧な受け売りなんだね。他の生徒の手前、軽く批判してみたんだけれど、「すごく偉い学者も言っているらしい」云々、と言い出すので、「新しい歴史教科書をつくる会」や「自由主義史観研究会」が、いかなる団体で、どんなメンバーで、何が問題かを、これは俺の意見だ、と言いつつも語ってやった。生徒たちも「先生、熱いなぁ」なんて言っていたっけ。当の生徒は、驚いた顔をしていたけれど、その後が良かったね。自分で調べて考える!とばかりに、安重根を調べだして、朝鮮植民地時代の日本による侵略の実態や、朝鮮民衆の怒りを、自分の言葉で噛んで砕いた文章と挿絵で、発表プリントを仕上げてくれたんだね。とっても力作だった。
 ◇拙文「あれじゃ『右翼皇国史観教科書』だよ。」〜「季刊Sai第40号(2002.SPRING)」(KMJ(社)大阪国際理解教育研究センター)

 国籍条項に関しては、公務員国籍条項への闘いでマスコミ報道もされた卒業生に聞き取りを行ったりもするなど、生徒個々がかなり主体的に学習に取り組めたのではないかと思います。その結果、「朝鮮人の怒りがよくわかった。他のアジア諸国も同じである」「またやりたい」など、生徒の感想も好評でした。
 ◇拙作「日朝関係史発表学習作業指示プリント


 歴史教科書問題については、正しい歴史認識こそが豊かな未来をもたらすと考えていますが、僕たち教員自身もしっかりと研修し、声をあげていくことが必要だと考えます。またこの問題に限らず、マスコミ報道には差別的発言や内容が見られます。一人一人が抗議の声を届けることも必要だと思います。
 ◇拙文「つくる会教科書批判」等


■14.職員研修■
 正しい歴史認識のためには、奈良にも各地にある強制連行・強制労働の跡地を訪ねたいものです。僕も、県内では、天理柳本飛行場跡・生駒トンネル・どんづるぼう地下壕などのフィールドワークに参加したことがありますが、「奈良・発掘する会」(奈良県での朝鮮人強制連行等に関わる資料を発掘する会)の出版物やホームページが大いに参考になります。天理柳本飛行場跡に職員研修で行ったときは、社会科の教員が生徒とともに再度フィールドワークをして、先の公開HRで発表したことありました。
 ◇奈良県での朝鮮人強制連行遺跡


 また、古代日朝関係を学ぶには、飛鳥のフィールドワークは欠かせませんし、県外教や全外教の学習会や研究集会にもぜひとも参加して、いろいろな取り組みに学びましょう。もちろん、胃袋を満たす企画は、僕も大好きです。

■15.人権作文・夜間中学■
 ある夏休みの課題で、在日中国人生徒が人権作文に、中国への熱い思いを書いてきたことがあります。夏休み中に家族で中国へ行き、民族意識を強くもったようで、北京大学に進学すると言い出して、進路指導部が慌てたということもありました。海外へ修学旅行に行く学校に勤務したことはありませんが、母国を訪問した生徒たちはどんな作文を書くのでしょうか。子どもたちの作文はさまざまなことを教えてくれます。先に紹介した在日外国人生徒通信に、本当は在日の生徒の文章を載せられるようにもっていきたいと思っているんですが、まだ実現していません。

 その中国人生徒についてですが、他の生徒には自らの民族を明かしていませんでした。打ち明けられそうな親友がいたんですが、なかなか切り出せないようです。そこで、その親友も一緒に畝傍夜間中学につれていくことにしました。夜中には中国人の生徒さんもいましたので、その読み書きの手伝いをさせてみたいと思ったんです。学校で事前学習をして、夜中でも吉川弘先生に話をしてもらい、それなりの意識付けをした上で教室に入りましたが、とうとう彼は自らの民族は明かしませんでした。でも彼は、卒業後時々連絡をくれ、現在は大学に編入して中国語を学んでいるようです。
 ◇拙文「夜間中学について


■16.解放研活動■

 入学式(→4.)のところで紹介したように、文化祭と「ならサンウリム」でチヂミを焼くことになり、オモニにつくり方を教わりに行ったことがありました。また、現任校では昨年度、文化祭でサムルノリに取り組みました(これは他の解放研顧問や県外教在日外国人生徒交流会に参加していた他校の卒業生が頑張ってくれた成果なんですが....)。生野民族文化祭や県外教在日外国人生徒交流会など、連れて行きたいところや、取り組ませたいことはいろいろとあります。もう一歩踏み込んで、在日外国人問題について考えほしいと思うこともあるんですが、高校時代の体験がのちに生きてくることを願って今後もいろんなことにチャレンジしてくれることを願っています。

■17.人権講演会・外国人教員■
 僕の勤務する学校でも、人権講演会として、講演を聞いたり映画や芝居などの文化鑑賞をしたりと、たくさんの人に来てもらってきました。外部の講師に来てもらい、当事者の話を聞いたり、心に届く歌や芝居を鑑賞することは、新鮮でダイレクトな学びの場を作ることになりやすく、「国際理解」を越えて「多文化共生」に近づくために、こうした取り組みを今後もすすめたいものです。

 外国人に関わる問題については、日本人教員が語ることの限界があると思います。外部から呼ぶほかに各高校にはALTの教員がいます。ALTの教員に文化祭に出演してもらったことはありますが、機会をつくって話してもらうことも面白いかもしれません。また、外国人教員の教諭採用も、とりわけ外国人生徒にとって大変意義あることだと思います。

■18.就職・進学■
 かつては、公務員の国籍条項を言い訳に外国人を排除する民間企業がたくさんありました。まだ問題のある企業はあるものの、ずいぶんと状況は変わりました。公務員についても変わりつつあります。高人教・県外教・高進協が共催する「在日外国人高校生のための就職セミナー」は、こうした状況の変化を伝える貴重な場です。

 大阪市役所を何度も受験して、この問題への関心を高めた文公輝くんがいましたが、僕も在日朝鮮人生徒と一緒に大阪市役所への抗議行動に参加したりもしました。同じく抗議に来ていた小学生が、大きな庁舎を見て「ぼくも将来こんな会社で働きたい」と言ったことは忘れられません。やがて、国籍条項の壁に気づき、将来への展望を失うことになるかもしれません。奈良県職でも同様の取り組みがありました。「入口と出口」とよく言いますが、豊かな出会いとともに、外国人生徒の進路保障も教員にとって大切な取り組みだと思います。

 空港職員を夢見る生徒がいました。そのための専門学校の説明会に参加した彼女は、外国籍であることを明らかにして、それでも就職は大丈夫なのかと質問したようです。その場では大丈夫という返事だったようですが、不安に思ったアボヂがその専門学校へ電話すると、就職は厳しいという話です。僕は、早速その専門学校を訪問しました。あいまいな回答で彼女を傷つけた点を問いただし、実際の就職状況はどうなのかを聞きに行ったのですが、運輸省(当時)航空局の管理下での制約や、それを見こした民間業者の就職選考の実態などが明らかになってきました。しかし、彼女は他の進路を選びます。アボヂが生きてこられたそれまでの苦労が背景にあり、この件については進路変更を促されたようです。しかし、快活なアボヂからでた、「お父さんが韓国人でごめんな」という娘へのセリフはあまりに悲しいです。なぜこんな言葉を言わなければならないのか。誰がこんな言葉を言わせているのか。それは、この僕も含めた日本人だと思います。日本人が、在日朝鮮人をして、そう言わざるを得なくさせているのです。

■19.卒業式■
 入学式(→4.)で紹介した前任校での立て看板は、実は卒業式でも使っていました。「入学」と「卒業」を張り替えるという安易なものです。しかし、特に卒業式では、毎年この看板の前で記念写真を撮る親子が多く、好評です。母親がブラジル人の生徒がいましたので、彼女に依頼し、ポルトガル語の「おめでとう」も追加した写真をネット上でご覧ください。

 せめて、卒業式の呼名は本名(民族名)でしてほしいという在日朝鮮人の生徒がいました。彼は生徒交流会やハングル講座など、いろいろなところに積極的に参加する生徒でした。卒業を控えた2月の学級登校日に、彼は朝鮮人宣言をします。でも「気にせえへんで」という友だちの言葉に彼はがっかりします。「気にしてほしい」から宣言しているからです。宣言そのものが、本来は不自然なことですが、不自然な状況であるということも含めて本名(民族名)の意味について生徒たちに学ばせていかねばならないと思います。

■20.差別事象への取組■
 口頭で報告します。

■21.インターネットの可能性■
 差別的なサイトや掲示板投稿が問題視されているインターネットですが、一方で貴重な情報源でもあり、民主的な市民社会にとって有力なツールでもあることは、いまや誰しもが認めるところでしょう。差別的状況への対処の延長としての意味も含めて、積極的な情報発信もできればと思います。

 現在、僕も県外教ホームページの編集に関わっていますが、提供して欲しい情報・紹介したい取組や自作プリントなどを募っているところです。教員だけではなく、子どもたちや保護者にとっても有益なサイトを作っていきたいと思っていますので御協力・御指導をお願いいたします。

 また、便利なWeb作成ソフト等も増えてきました。プライバシー保護やウィルス対策等、注意点はいろいろありますが、みなさんも、できれば子どもたちとともに、Web作成に取り組まれては如何でしょうか。地域住民として地域の歴史を掘り起こすことにも取り組めたらと思います。
 ◇例 「大和高田市の『平和のための戦争展』


 この報告(Webページ)も、そんな試みの一つとして作ってみたんですが、ご感想・ご教示をいただければ幸いです。 (終)


【参考リンク集】
 奈良県外国人教育研究会
   http://www3.kcn.ne.jp/~nagaikyo/index.htm
 全国在日外国人教育研究協議会
   http://members.at.infoseek.co.jp/zencho/
 KMJ(社)大阪国際理解教育研究センター
   http://www1.odn.ne.jp/~kmj/

【お薦め参考図書:入門編】
 「一問一答在日外国人教育」(2002,全国在日外国人教育研究協議会編)
 「在日外国人 新版」(1995,田中宏著,岩波新書)
 「きみたちと朝鮮」(1991,尹建次[ユンコンチャ]著,岩波ジュニア新書)
 「全朝教ブックレット@〜H」(全朝教)
2002-9-21以後のアクセス
在日外国人教育掲示板(閉鎖) mail
校正記録

※報告本文語句修正
(2002/9/24)
 ■3・11・19■ 本名 → 本名(民族名) 《引用文をのぞく》
 ■3■  創氏改名 → 「創氏改名」、100% → 60%
 ■4■  外国人登録簿記載事項証明 → 外国人登録原票記載事項証明
       オモニの「外国人登録済み書」を → オモニの証明書を
 ■11■ ハギハッキョに言った → 行った
(2002/10/2)
 ■3■ 子とも達の心に → 子ども達の心に

資料@語句修正
(2002/9/24)
 外国人登録簿記載事項証明 → 外国人登録原票記載事項証明

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