ありえない!? 生物進化論
データで語る進化の新事実
クジラは昔、カバだった!
2008年11月15日発売
サフトバンク・クリエイティブ
952円+税 本文執筆・イラスト:北村雄一
まずはお詫びと正誤表:
今回うかつなことにイラストのキャプションと本文との間に幾つかの不整合と誤植があります。以下にその正誤表を示しました。PDFファイルになったものはこちら。*印刷して切り離し、本の間にはさむことを想定しているのでサイズは小さいです。
10ページ:2段落目1〜2行目
(誤)今から2億3000万年あまり前→(正)今から2億2000万年あまり前
10ページ:下から3行目
(誤)せいぜい30センチくらい→(正)せいぜい15センチくらい
11ページ:ロンギスクアマのイラストキャプション
(誤)およそ2億7000万年→(正)およそ2億2000万年
22ページ:3行目
(誤)ほんの1500万年→(正)ほんの1800万年
78ページ:9〜12行目
シロナガスクジラ→イワシクジラ
ちなみにこの78ページの修正、シロナガスクジラ→イワシクジラに関してはちょっと補足が必要です。修正されていない本文78ページに出てくるナガスクジラ類において見られるサイン配列の多型に関する以下の記述についてなのですが、
”BRY28はナガスクジラとシロナガスクジラを支持するが、IWA31はシロナガスクジラとコククジラが近縁であることを支持する。そしてSei23はそのいずれとも違う系統を支持する”
これも実は間違いではありません(二階堂 et al 2005, 化石, vol.77, pp22~28 を参考のこと)。シロナガスクジラもイワシクジラも、そのどちらもサイン配列BRY28とIwa31を共有しています。ですから主語をシロナガスにしてもイワシにしてもどちらでも間違いではありません。ただし、Sei23はシロナガスクジラからは見つかっておらず、ミンククジラとイワシクジラがこのSei23を共有します。このことから81ページのイラストでは、イワシクジラ、ナガスクジラ、ミンククジラ、コククジラを取り上げて説明しました。
しかしこのせいでシロナガスクジラを取り上げてサインの矛盾を説明した本文と、イワシクジラを取り上げて説明したイラストとの間に齟齬が生じたわけです。
つまり78ページの本文と81ページのイラストもどっちも正しいのですが、しかしこの場合はイラストに準じて本文でもシロナガスクジラではなく、イワシクジラを例にするのがより適切であると考えました。それにしてもこのような”齟齬”を見落としていたのはまったくのうかつ。我ながらどうかしていたとしか思えません。
また、ノースイースタン・オハイオ大学のThewissen 博士を50ページではツビッセンと表記しているのに68ページではテビッセンと表記してしまっています。表記の不統一というわけでこれまたうかつ。第2版以降が出るのなら以上は直す予定です。
概要:
今回の書籍は、タイトルでは進化論と言いつつも、内容はダーウィンの進化理論の解説ではなくて、むしろ系統推定をどう行うのか?というものです。とはいえ系統推定の専門書はいくらでもあるので、技術的なことについては語っていません。そうではなくて、こういう時にはどう考えるべきか? かつて研究者が巻き起こした議論と仮説の展開、そして理論の興亡に主題を置いています。ようするに生物進化と系統推定をめぐる科学者の戦いを紹介する本といったところでしょうか。あまりハードなところにまで突っ込んではいませんが考えてみればかなり変わった本かもしれません。とはいえ、ページの半分はほぼ漫画というかコミカルな説明イラストなので、雰囲気は、ほへ〜〜〜って感じ。
内容の構成とめぼしいトピックスはおよそ以下の通り
第1章:クジラは昔、カバだった!?
ロンギスクアマは鳥の祖先なのかそうでないのか? クジラに一番近いのはカバだった サイン配列はなぜ証拠として強力なのか 一部のデータから全体を推論するのは普通でしょう クジラの進化をアンブロケタス、パキケタス、インドヒウスから見る 祖先多型 ナガスクジラ類は急激に進化した
第2章:特別を見つけよう
始祖鳥、ミクロラプトル、カウディプテリクスをめぐる議論 鳥の飛行はどのように進化した? 地上説か新しい樹上説か? ここで斜面登坂説を カウディプテリクスは鳥だった!!?? 始祖鳥は鳥ではなかった!?
第3章:手がかりを探せ!
恐竜は火山噴火で絶滅したのか、あるいは天体衝突か 恐竜がじょじょに滅びたという仮説はじょじょに滅びつつある シニョールリップス効果 サンディサイトの植物と恐竜の化石
第4章:よりよい仮説を求めて
バージェス生物群の節足動物とは何者か? グールドさんの仮説・これらはいかなる節足動物とも違うのだ!! いやいやグールドさん、異質性といわれても・・・ ブリッグスさんの仮説・これらは普通の節足動物に収まりうるでしょう バットさんの仮説・アノマロカリスと比較することでもっと妥当な解釈を
備考:
本の基本的な考え方に関して:この本は要するに科学者の議論を通してみる”データをどのように解釈して解析するべきなのか?”というものなのですが、その解析手段は基本的に最節約法(あるいは分岐学)に基づいたものです。距離法とか表形学的な話は今回は省略しました。そうした方面の事柄を含むより深い議論を知りたい人は適切な参考書籍をあたってください。また、以下のような文献も参考にしました。
「科学哲学」サミール・オカーシャ 2008 岩波書店
「統計学を拓いた異才たち」 デイヴィッド・サルツブルグ 2006 日本経済新聞社
「円の歴史」アーネスト・ゼブロウスキー 2000 河出書房新社
参考として以下の記事を:この本で取り上げたことの幾つかはここ10年ぐらいの間に北村が別の記事や本でもごく簡単に述べているので、参考までにそのリンク先を。ただし文章の書き方や内容はさすがに古いですし、今から見ると理解が不十分である部分もあります。
人間の距骨の動きに関して:第1章26〜7ページで人間の距骨の形態や動きについて説明していますが、この説明でいいのかどうか、ちょっと要検討。人間の距骨の遠位部分の形はボール状というよりはむしろ多面体・・・でしょうか。
始祖鳥の飛行に関して:第2章冒頭の92〜3ページにおける始祖鳥の飛行の様子に関してですが、この描写は基本的に112ページあたりで紹介した地上説(疾走して離陸するという説)に基づいています。ただし第2章の最後の方で述べたようにより”包含的”な説明である斜面登坂説に基づくともう少し違う復元になるのかもしれません。例えばもう完全に飛んでいたとか・・・。
ミクロラプトルの足の向き:115ページで示したミクロラプトルの復元イラスト。これは一応、足の裏がやや外側を向くように描いています(とても微妙ですが)。なぜこう描いたのかというと、彼らの足の羽はおそらくですが後ろ向きに生えていたので、これが揚力を発生させるような向きになるとしたら足の甲の裏側が外側に向かなければだめだろう、という発想に基づいています。そういう復元があるわけではありませんが、まあ、イラストを描く身としてはどうしてもそこまで考えなくてはいけないので。
でも本文121〜2ページでも述べたように恐竜の後ろ足は基本的に股割りができるような構造をしていません。股割りができないのに足の裏を外に向けるとはこれいかに? 実はこれ、股割りをしないで足を外側に向けているという想定で描いています。なんか訳分からない言い様に聞こえるかもしれませんが、どうも少なくとも一部の鳥はこういうことができるみたいです。ただしそれには特別な構造(そんな大層なもんじゃありませんが)が必要なみたいで、ミクロラプトルにそう言う構造があったかどうかは不明。というより確認のしようがありません。どの標本も大腿骨が派手につぶれてパキパキに割れていますから。あれでは確認のしようがない。
なお、ここでも改めて書いておきますが恐竜も鳥も大腿骨の骨頭が直角に曲がって腰の骨の、しかも穴のなかにすっぽり収まっているので、ゆえに原則、股割りができません。先に上げた”一部の鳥はこういう姿勢がとれるらしい”というのもこのような制約から解放されているわけでなく、我々が言うような意味での股割りは無理です(少なくとも見た限りでは)。基本的に恐竜が樹上生活にまるで向いていないことは本文でも述べた通りですね。その恐竜であるミクロラプトルがなぜ樹上生活者であるのかも、それはすでに色々なところで述べられ、そして述べた通り。
節足動物の上唇について:第4章の192〜7ページにかけて論じたのは節足動物の”上唇:Labrum(人によってはレイブラムと発音)”の起源にも関わる話なのですが、テーマはあくまでもバージェス動物群の解釈をめぐるものですので、今回、レイブラムの起源とその議論については踏み込んでいません。踏み込んだらどえらいことになると思いますが、さりとてまったく無視するわけにいかないのもまた事実です。これらのことは将来的に要検討。
なお、レアンコイリアがアラクノモルファであるという推論に基づいた復元は、子供向きですがこちらの書籍を参考のこと。
論理や直感で系統仮説を作っちゃうことに関して:これは蛇足めいたことですが、私たちはしばしば直感で系統を発見しちゃうことがあります。あるいは論理的に系統を発見することもあります。おそらくどっちも問題で、直感であれば当然のことながら根拠不明。論理的であってもこれまた根拠不明です。
直感はブラックボックスですし、論理はそれだけではたいした意味がありません。矛盾のない体系的な説明なんていくらでもあるので、論理的である事は矛盾がないことは示すものの、現実をうまく説明できるかどうかはまったく保証してくれません。例えば羽毛は1回しか進化しなかったから、羽毛を持つロンギスクアマと鳥は同じ系譜であるという主張。これは論理的ではあるのですが無意味です。
たぶん以上のどちらもデータからグラフを描くべきなのに、まずグラフありきで考えているのが悪いのでしょう。グラフはデータを総合的に見て描くべきであって、データの中のこれが直感的に重要なのだとか、出来たグラフに矛盾がないです!!だけでは商品としてはダメだってことですね。サイン配列のような例も、あれは質が確率的に保証されている特定のデータを使って、そこから系統を導きだしたという話です。ここで話しているような、”どういう基準で選んだのか知らないがあるデータを論理的に配置して矛盾のない説明を論理的に編み出しました”という無内容なことではありません。
グラフとか答えが先にありきというのは非常にまずい考えで、しばしば疑似科学への出発点になってしまうようです。かつてこんな風に進化が起きたに違いないずら、そう言われても困るってことですね。こういう発想では、いくらデータを加えてもデータをグラフに合わせていかようにでも解釈できます。そうなったらグラフと仮説と理論は不死身になりますが、それはもう科学とは呼べません。
人によっては最節約法に基づく分岐図とか、あるいは距離法に基づく樹状図を不安定な答えを表現したいい加減な図だと批判するみたいですが、それはありがちであると同時におおいなる誤解。科学者は仮説を検証しているんであって、そのためには叩けば揺るがす事の出来るグラフを必要とするは、これ必然。
論理:今回のこの本で、北村が不当に論理を貶めているのではないか? と考える人もいるかもしれないので一応、蛇足の蛇足に。歯車は機械を作ることに必須な部品のひとつだと思いますが、歯車だけで、例えば自動車が作れるかといったら、まあ可能かもしれませんが出来上がるのは我々の知るような自動車ではないでしょう。だからといって、歯車が役に立たないわけではありません。もし、これをもって歯車は役に立たないというのならそれは間違い。しかし、歯車を万能視して歯車だけですべてを構築できると思ったら、それもまた大間違いですよねって話。