最初に:この記事は2000年7月ごろ、今は亡きサイアスに投稿したものでしたが、結局日の目を見ることはありませんでした。あまり掘り下げていないために問題がある部分が文章中に幾つか出てきますが、以下のような形で掲載することにしました。天動説の箇所や指の相同性、タコのレンズ眼に関わる部分などは今後の興味深い課題であると思います。

 また、通常”分岐分類学”と訳されることが多い”Cladistics”はここでは農林水産省農業環境技術研究所の三中研究官の意見(三中 97 プロローグ「)に従って”分岐学”と訳して使っています。

 

 ロンギスクアマの化石に基づいた『鳥の恐竜起源説への反論』は妥当か?

 Longisquama is really Bird's ancestor???

 Science vol 288 JUNE 2000 pp2202~2205 でテリー・ジョーンズらは鳥が恐竜から起源したことに異論を唱える発表を行った。彼らの論拠は小型爬虫類のロンギスクアマの化石に基づいている。ロンギスクアマが羽毛を持っていたという解釈の是非はともかくとして、果たして彼らの主張する『鳥の恐竜起源説への異義申し立て』は科学的に妥当だろうか?

鳥はやっぱり恐竜だった!!

 鳥は何から進化してきたのか?。この議論の歴史は古いが現在ではほぼ完全な意見の一致をみるに至っている、鳥はある種の小さな肉食恐竜から進化してきたのだ(Holtz 94. Chiappe 95. パディアン&キアッペ 98. Sereno 99. Xing Xu et al 99 )。だが、この意見に強硬に反対する研究者もわずかだが存在する。最近、そうした研究者たちからなるグループが、『鳥の恐竜起源説』を否定する証拠が見つかったとサイエンスで発表した( Jones et al 00. )。このニュースは全世界を駆け巡り、日本でもテレビや新聞で取り上げられたが、はたして彼らの議論は正しいものと言えるのだろうか?

 テリー・ジョーンズを筆頭とする研究者たちが今回注目したのは、中央アジア・キルギスタンの三畳紀後期の地層から見つかったロンギスクアマという小さな爬虫類の化石だ。発見当時から注目されていたが、ロンギスクアマの化石には背中に羽毛を思わせる奇妙な構造が残っている。ジョーンズたちはこの構造物を鳥の羽毛と細かく比較して多くの類似点を発見した。彼らによれば、幾つかの相違点もあるがこれを鳥類の羽毛と同じものと見なしてよいという。

 

 図1:ロンギスクアマのシルエット。この動物の報告自体はすでに1970年代にされている。当初から背中の奇妙な構造が注目されていたが、ジョーンズたちはこの背中の”構造”が幾つかの相違点はあるものの、鳥の羽毛と同じものであるという見解を示している。

 こうした形態の比較や同定の妥当性はともかくとして、問題にしたいのはニュースにもなった『ロンギスクアマが羽毛を持っているのだから恐竜は鳥の先祖ではない』という主張である。奇妙な話だが、彼らの論文は明確にそういったことを主張しているわけではない。ある意味、歯切れが悪いわけだが、ここではニュースとして駆け巡った『鳥の祖先は恐竜ではない説』の妥当性を考えてみよう。なお、論文で明言していないにもかかわらずこのように彼らの主張を受け止めるには理由がある。まず、今回の論文執筆者たちの少なくとも幾人かは激しく鳥の祖先は恐竜ではないと主張しているからだ。実際、そのひとりであるカンザス大学のラリー・マーティンは同じ号のサイエンスの別のページで、ロンギスクアマと鳥の類縁を主張し『鳥の恐竜起源説』への反対意見も表明している(Stokstad 00. )。

 そしてもう一つの理由は彼らが科学的な手法を用いない、いわば保守的な研究者であることだ。彼らは科学的な手法を用いる多くの研究者と対立しているわけだが、こうした対立の構図は興味深い問題ではないだろうか。そしてこの対立の本質を知るには彼らの主張する『鳥の祖先は恐竜ではない説』がカギとなるだろう。

 まずジョーンズたちの言うように羽毛の存在をもってロンギスクアマが鳥の祖先であることが証明されるのだろうか?。実のところそんなことはない。その理由を理解するため、ちょっと寄り道して生物の進化を分析するために使われている手法を見ていこう。

 生物の進化の歴史を探る手段は幾つかあるが、現在主流なのは分岐学と分子系統学のふたつである。後者は生物の遺伝子を比較する手段だからここでは関係ないので、前者について考えてみよう。

 分岐学で生き物の進化の歴史を推定するにはまず形質をとる必要がある。形質とは生物の体の特徴であると考えてよい。化石になった爬虫類や鳥からとれる形質は骨の形や配列の様子などが主となる。例えば99年にサイエンス誌上で恐竜全体の系統を発表したシカゴ大学のセレノ博士は、形質として頭部を構成する骨の配置や筋肉が付着するための突起の大きさ、骨の形・長さの割合などを用いている(Sereno 99. )。

 さて、こうして集めた形質をどのように分析するのだろう。分岐学の基本的な考えのひとつは、幾つかの生物が『体の同じ部分に同じ状態の形質』を持つ場合、それは同じ祖先から受け継いだと考えられる、というものだ。変異しなければ子孫は祖先の形質を継承するのである。例えばヒトもイヌも体毛を持っているが、これを共通の祖先から受け継いだものと考えるわけだ。さらに他の生物の形質を比べれば生物の類縁関係、すなわち進化の様子がより詳しく分かる。ニホントカゲは5本の指を持っているが、それはヒトもイヌも同様だ。以上のことからトカゲとヒト・イヌは『5本の指を持つ共通祖先』を持っており、さらにヒトとイヌは『5本の指と体毛を持つ共通祖先』を持っていることが推定できる。(図2)

 図2:分岐学の考えを説明するための図。データーの解析に基づいた分岐図ではありませんが、ニホントカゲ・イヌ・ヒトの三者の間でどのように形質が分布するのか示してみました。

 シルエットは左からニホントカゲ・イヌ・ヒトを示す。横棒はそれぞれ共通する形質と、トカゲ・イヌ・ヒトにそれらの形質が三者の間にどう分布しているかを示している。Aは5本の指、Bは体毛を示している。ここでは上げていないが、イヌとヒトの間にはこれ以外にも数多くの共通する形質(歯骨のみからなる下顎、耳の内部の骨など)が見られる。

 分岐学ではこのように形質を比較し、進化の過程を明らかにしていく。その妥当性から今や分岐学は系統を推定する手法として(遺伝子解析以外の分野では)他の手法を圧倒している。その理由はこの手法が科学的で極めて明解であったこと、そもそもこれ以外に有効な分析手段がなかったことがあげられる。

 ではロンギスクアマは恐竜よりも鳥に近いのだろうか?。さあ、ロンギスクアマの分岐学に基づいた解析結果を見てみよう!!・・とっ言いたいところだがそれはできない。なぜならジョーンズたちはそもそもそういった分析を行っていないのである。彼らの論文中にあるのは”ロンギスクアマの系統の位置はまだ良く分かっていない”という言葉だけだ。鳥とロンギスクアマの類縁を強調する、つまり系統のことを述べながら系統の分析が無いわけで、これは大変奇妙なことだ。

 『でも羽毛の存在はロンギスクアマが恐竜よりも鳥に近いことを示さないの?』そんな質問をする人がいるかもしれない。では、先の例え話を思い出してみよう。トカゲとヒト・イヌの三者の類縁関係(図2参照)をより詳しく知るには『体毛がある』という形質であったことを思い出して欲しい。体毛の存在が手がかりになったのは、ヒトとイヌはこの形質を持っているがトカゲは持っていなかったからだ。このように分析の手がかりとなりうるのは(この場合は)三者のうち二者は持っているが他は持っていない形質なのだ。

 さて、羽毛は鳥と肉食恐竜、そしてロンギスクアマの三者の類縁関係を明らかにすることができるだろうか?。

 まず鳥とロンギスクアマは羽毛を持っている(少なくともジョーンズたちはそう考えている)。では肉食恐竜はどうだろう、実は肉食恐竜のうち少なくともコエルロサウルス類には羽毛があったことが分かっている。つまり羽毛の存在だけではこの三者の類縁関係を明らかにすることができない。

 図3:シルエットは左からロンギスクアマ・カウディプテリクス(コエルロサウルス類に属する”いわゆる肉食恐竜”の一種:Qiang et al. 98 )・ハト(鳥類:鳥類のPhylogenetic taxonomy=系統分類学に基づいた定義についてはChiappe 95 を参考)

 ハトは言うまでもなく、ロンギスクアマもカウデイプテリクスのようなコエルロサウルス類も羽毛を持っている。(Jones et al 00. Qiang 98. Sereno 99. )Aで示される赤い横棒は羽毛の存在を示している。三者のいずれにも羽毛が見られるために、これだけではロンギスクアマ・カウディプテリクス・ハトの類縁関係、あるいは系統関係を解明することはできない。

 羽毛は鳥と肉食恐竜・ロンギスクアマの共通祖先で発達したのかもしれないし、あるいはそれぞれ独立に生じたのかもしれない。鳥と肉食恐竜・そしてロンギスクアマの類縁関係を分析するにはもっと他の形質が必要だ。だがジョーンズたちはそれを示していないのである、これではどうしようもない。彼らの発見は意義深い、だが彼らの発見は進化の様子をさぐる形質としては不適当なものだ。

 もっともジョーンズたちは

”羽毛のような複雑な形態が生物の歴史で1回以上進化したとは考えにくい”

と述べている。彼らのこうした主張は羽毛を持つロンギスクアマと鳥の類縁性を否応なく強調している。彼らの主張が正しいのならばロンギスクアマと鳥は明らかに祖先を共有するのだろう。もっともこの主張は怪しい。

そもそも複雑な形態が1回しか進化しないと、どうして分かるのだろうか?。

それにどのくらい複雑になれば生物の歴史上1回しか進化しなくなるのだろう。その根拠についてジョーンズたちは述べていない。

 例えばタコの眼は極めて私達の眼に似ている。非常に複雑な器官であるにもかかわらず、タコと人間はほとんど同じ構造のレンズ眼を持っているのだ。では人間とタコは共通の祖先からレンズ眼を受け継いだのだろうか。生物進化に関する私達の知識はそれを否定しているが、ジョーンズたちの意見に従うとすれば、そういうことになるだろう。

 図3:この図は説明のための便宜的なもので、データーの解析に基づいた分岐図ではありません。ともあれ、軟体動物と脊索動物の関係と、その関係を裏付けるであろう形質を上の図に示してみました。

 シルエットは左からカタツムリ・タコ・ヒト・ナメクジウオ。Aで示される4本の横棒はカタツムリとタコに共通して見られる形質(歯舌・神経索が腹側を走る・体節構造が無い・外套膜)。Bで示される4本の横棒はヒトとナメクジウオに共通する形質(背中側を走る神経索・体節構造・脊索・鰓裂)。Cは軟体動物、脊索動物の両者に共通する形質(例えば、多細胞性・口・神経などが上げられる)。上の赤い横棒はヒトとタコに共通して見られる形質、レンズ眼を示している。これは正当な分岐図とは言えないが、なにはともあれこうした形質の分布はヒトとタコのレンズ眼が独立に進化したことを示していると考えるのが”科学的には”妥当であるといえる。

 軟体動物に一般的に見られる形質については、ウィルマー 98. 佐藤 97 pp103. 、脊索動物については、マルグリス&シュバルツ 87 pp246. マーティニ 99. 佐藤 97 pp103. を参考にしました。

 ともあれ、以上のことを含めて彼らの意見、”複雑な形態は1回以上進化しない”を(百歩譲って)受け入れてみよう。ロンギスクアマの羽毛は鳥と肉食恐竜の関係を否定する材料になるだろうか?。そうではない。鳥と肉食恐竜とロンギスクアマは同じ祖先から羽毛という特徴を受け継いだかもしれない、ただそれだけの話である。それは鳥とロンギスクアマのみを結び付ける証拠とはならないし、なりえない。

 そうした議論はさておいて、一方では分岐学に基づいて鳥が恐竜の一種であることを示した論文は数多い。例えばセレノは99年の論文中で204個の形質を用いて鳥が肉食恐竜の一種であることを示している。同時に彼は自分がどのような形質を分析に使ったか、どのように数学的に処理し、その結果がどの程度妥当であるかも述べている。さてここで考えてみよう。科学的な根拠を明解に示したセレノの分析結果と、根拠が不十分な『鳥の祖先は恐竜ではない説』とを科学的に同格のものとして扱ってよいのだろうか、もちろんよい訳がない。 

 だが執筆者のひとりであるマーティンは強気だ。彼はサイエンスのインタビューに対して、私達に分岐学は必要ないということを述べている(Stokstad 00. )。本当だとしたら彼は科学的な仮説の構築や議論を放棄してしまったのだろうか。

 とはいえ『鳥の祖先は恐竜ではない派』の人々の中には分岐分析が間違っていると指摘する人もいる。例えば論文の著者の一人であるフェデューシア教授の解釈は興味深い。教授の考えは彼の著作の中に要約されている。( Feduccia 96 )彼は、多くの研究者たちが指摘する『鳥と肉食恐竜の類似点』は他人のそら似にすぎないと主張しており、その一方でロンギスクアマのような動物が持つ数少ない『鳥との類似点』を強調して『鳥の祖先は恐竜ではない、祖先はロンギスクアマのような小型爬虫類だ』と主張する。

 つまり教授は数多くの類似点を否定し、一方で数少ない類似点を強調しているわけだが、こうした議論の展開は実に奇妙なものだ。なぜ数多くの証拠を否定し、数の少ない証拠の方を採用しなければならないのだろう?教授は『鳥と肉食恐竜の類似点』が他人のそら似である根拠を示しているが、そうした根拠はいずれも説得力に乏しい。

 一例を上げて見よう、教授は最初の鳥である始祖鳥より古いコエルロサウルス類が見つかっていないことを指摘する。コエルロサウルス類は鳥によく似ている動物だ。だが彼は問う、コエルロサウルス類が鳥の先祖なら、なぜ彼らは始祖鳥より古い地層から見つからないのか?。これは誤解だ。なぜなら始祖鳥以前のコエルロサウルス類は断片とはいえすでに見つかっているからだ。中にはジュラ紀初期の地層からテリジノサウルス類の顎が見つかった例さえある(Xijin Zhao & Xing Xu 98)。テリジノサウルス類は一般的に鳥に極めて近い動物と考えられている(Sereno 99. 他、参考としてSues 97. Xing Xu et al 99. )。

 またフェデューシア教授は発生学的に鳥の指は親指を持たないことを示した。一見すると鳥の手の3本の指は親指、人差し・中指から出来ているようだ。鳥の手の外見はこれまたコエルロサウルス類のものと良く似ている。だが発生過程を調べると鳥の3本指は人差し指、中指・薬指から構成されていることが分かった。そこで教授は鳥の手と肉食恐竜の手はまったくの別物だと主張する。しかし、これも根拠は薄い。彼の発見はコエルロサウルス類の手の指がおおかたの予想に反して人差し指・中指・薬指であることを示しているのかもしれないからだ。あるいは鳥の指の発生過程が祖先のものから変化したことを示しているだけかもしれない。(パディアン&キアッペ 98 pp29 )

 それはこじつけではないか?と思う人もいるかもしれないが、そうした解釈に無理がないことも事実なのである。なぜなら、そもそも鳥とコエルロサウルス類の手の構造や骨の配置は基本的に同じものであるからだ。数多くの類似点と発生上のひとつの矛盾、こうした矛盾する証拠を前にして私たちはどのように考えるべきなのだろうか。フェデューシア教授のような意見もあれば、その次ぎに上げたような説明もあるだろう。単純に証拠の数からするとフェデューシア教授の意見はかなり分が悪い。

 注:以上の問題は”相同とは何か??”という議論にいきつくもののように思われる。実際のところ、私達や、おそらくはフェデューシア教授が考えているほど現実は単純ではないらしい。倉谷 99. 森田 99. が参考になりそうだ。

 だいたい『都合の悪い形質は他人のそら似』と任意に主張できるのなら私もあなたも好きなお話を幾らでも作れるだろう。進化のシナリオはそれこそ無限に描けるのである。都合のよい証拠を選び、都合の悪い証拠は忘れればよい。あとはお好みの”お話”を選ぶだけだ。なんといっても選択肢は無限なのだから悩む必要はない。レンズ眼の存在をもってタコから人間が進化する仮説を選んでもよいのだ。だがそれはもはや科学ではない。

 一方、分岐学では形質を最節約的に分析するだけだ。最節約とは特別な説明を最小にすることで妥当な結論を導きだそうとする考えだ。逆に言えば他人のそら似が何十回も発生したと考えること(フェデューシア教授たちは結果的にこうしたことを主張している)、つまり仮定を多く必要とする仮説は妥当ではないと考えるわけである。

 カンザス大学のワイリー教授は最節約が科学的推論の方法であることをその著書の中で示している。(ワイリー 93 pp23 )

 このことから分かるように

 分岐学は系統を推定するために、科学という方法論を用いている。

 かたやジョーンズやマーティン、フェデューシア教授たちの主張は、いわば現代の天動説のようなものだ。彼らはつじつまをあわせるために自分達の主張を非常に複雑でいびつなものにしてしまった。結果として彼らの主張は科学とは言いがたいものになってしまっている。

 実のところ、生物の歴史を調べる有効な手段(分岐学と分子系統学)が提案されたのはおよそ半世紀前にすぎず、さらに有効性が認められて普及してから30年程度しかたっていない。恐竜の進化の様子が科学的に分析されたのは1980年代の中頃のことだ。だが逆に言えば、80年代以降すでに恐竜と鳥の歴史を語るための科学的手法は用意されているのである。それにもかかわらずジョーンズたちはそうした手法を用いようとはしていない。

 結局、鳥の起源をめぐる論争の本質は

 ”どちらが科学的に妥当なのか?”

というものではない。

 ”どちらが科学なのか?”

が問題になっているのである。これはある意味では不毛な議論だ。片方が科学の議論を拒否しているのである。これでは議論が噛み合うわけがない。

 とはいえ科学の視点からはこの論争の行方は明白である。だがメディアはそうではなく、まるで科学的に同格の根拠をもった論争であるかのように扱っている。おかげで頭が混乱した人もいたかもしれないが、科学とは何か?それをあなたが理解しているのなら迷う必要はない。逆に言うとこの問題は

 私達、読者が科学(という方法論:知識ではない!!)を理解しているか?

 ということが問われているといえるだろう。ともあれ系統学という科学的な立場にたつ限り、鳥は恐竜なのだ。大都会に住んでいる人でも恐竜にすぐ会うことができる。例えあなたが東京のまん中に立っていても、おそらくは最も賢い恐竜、カラスを見ることができるだろう。

(文中敬称略)

 

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