鳥と恐竜の進化はどのように考えられてきたか? 発見と認識の時代 1824年:イギリスのウィリアム・バックランドが北オックスフォードシャーから発見された化石骨をメガロサウルスとして記載
1825年:イギリスのギデオン・アルジャノン・マンテルがイグアノドンを記載。
1841年:イギリスのオーウェン(大英博物館自然史部門の初代館長)がメガロサウルスとイグアノドン、および1833年に記載されたヒレオサウルス、これら3種類の動物が絶滅した爬虫類であり、爬虫類のなかの特異なグループであることを示し、このグループを Dinosauria :ダイノサウリアと命名する。
Dinosauria つまり恐竜というグループはこの時、始めて認識されました。
系統と進化が認識されはじめた時代 1859年:イギリスのダーウィンが種の起原 [ ON THE ORIGIN OF SPECIES BY MEANS OF NATURAL SELECTION OR THE PRESERVATION OF FAVOURED RACES IN THE STRUGGLE FOR LIFE ] を刊行する。
この著作のなかでダーウィンは、
:生物の進化は機械論で説明可能であり、神の創造や生物が持っている内的な向上力などによる説明は不必要なこと
:進化は分岐すること
:人間が認識する生物界におけるグループとは生物の系統を反映したものであること
を明らかにしました。
ダーウィンの説明によると生物の進化はじりじりと連続的に起こります。しかし実際には生物のグループにはしばしばはっきりと区別できるギャップがあります。例えば鳥のように明らかに他の脊椎動物とかけ離れたグループがある。ダーウィンはこのことを、
鳥と他の動物の間をつなげる動物群がまるごと絶滅しているためこのようなギャップが生じている
と説明しました。ギャップとなった絶滅動物たち、今から考えればそれは恐竜だったのですが、この時点ではまだ誰も気がついていなかったようです。
1861年:始祖鳥の骨格化石がドイツのゾルンホーヘンから発見される。鳥の特徴である風きり羽を持つ一方で、長い尻尾という爬虫類的な特徴を持つ始祖鳥はまさに爬虫類と鳥の中間であり、ダーウィンの仮説を支持する証拠になりました(注:中間という言い方は厳密には不正確なのだけどあくまで便宜的につかっています)。
1868年:ダーウィンの友人で生物学者、古生物学者であったハックスリーがコンプソグナトスが鳥に極めて近いこと、オーウェンのダイノサウリアもまた鳥に近いことを後ろ脚の特徴などから指摘。ダイノサウリア+コンプソグナトスで Ornithoscelida :オルニソスケリダという分類群を提案。
この時点で恐竜と鳥の関係がここまで深められました。しかしこうした仮説は以下に述べるようにやがてかえりみられなくなります。恐竜はさほど興味をもたれないものになり、さらにはダーウィンの仮説も勘違いや誤解から時代遅れの仮説であると勘違いをする人が多くなりました。なお、当時の恐竜発掘で有名なコープとマーシュのどつきあいやスターンバーグ親子の貧乏話、男色家ノプシャ男爵の大冒険、彼氏を射殺などのエピソードは割愛。興味のある人は「恐竜の発見」ハヤカワ文庫などを参考のこと。
古典的な仮説の成立と衰退 1926年:ゲルハルト・ハイルマンが鳥は恐竜とはあまり深い血縁関係にないことを示唆。今から考えるとその根拠はだいぶん薄弱で、膨大な収斂進化を想定しないと成り立たない結論だったのだけど、当時はかなり影響力を持ったようです。こうして作られたこの時代の恐竜に関する認識は
:鳥と恐竜は関係ない
:恐竜は異なる系統を適当に集めた人為分類群で寄せ集めだ
というものでした。当時は系統解析の手段が開発されていなかったので、このあたりが限界だったのでしょう。ちなみに以上の仮説は現在では崩されています。なお、仮説の妥当性うんぬんはともかくとして、ハイルマンの本に掲載された彼のイラストや説明図、恐竜の復元画はいずれも印象的ですね。
科学としての進化論の成立と系統解析 1920年代〜30年代:イギリスの遺伝学者フィッシャーやホールデンによりダーウィンの理論とメンデル遺伝が融合。ようやくダーウィンの理論がまともに理解されるようなあんばいに。
1950年:ドイツの昆虫学者ヘニングにより系統解析の手法が開発される。ダーウィンからほぼ1世紀。ようやく研究者は生物のこれまでの進化を推論する具体的な方法を得ました!!。ヘニングが提案したのは今日では分岐学(分岐分類学、あるいは最節約法)と呼ばれるアルゴリズムで、英語圏に影響を与えはじめたのは60年代の中ごろから。またこのころから分類学の世界では、生物分類のありかたと系統解析のありかたをめぐって、数量分類学(表形学派)、分岐分類学(分岐学/最節約法)、進化分類学による3つの学派の三つどもえの大乱戦が始まります。詳しくは「生物系統学」三中信弘 東京大学出版会 1997 を参考のこと。
当時の議論はおそろしくハードなものだったようです。ともあれ議論のすえに、数量分類学は遺伝子の塩基配列から系統を推定するアルゴリズムとして、分岐学は遺伝子の塩基配列のみならず形態からも系統を推定するアルゴリズムとなってその地位を確立していきました。結局、分類と系統解析というのは別ものですから、分類と系統解析は乖離してしまって、系統推定という手法自体はアルゴリズムとして洗練されることになったのかもしれません。
ちなみに進化分類学のその後はよく分かりません。絶滅はしていないようですが、さりとて栄えているわけでもないようす。
なお、分類諸学派の争い+分類vs系統の争いが進行するのと同時に、さまざまな生物分野のみならず恐竜研究にも分岐学の浸透が始まります。ただしそれが決定的と言えるようになったのは1986年で、それまでは過渡期と言えるような状況が続きました。
過渡期 1973年:イェール大学のジョン・オストロムがディノニクスと鳥に数多くの類似点があることから、恐竜から鳥が進化したという仮説を提案。いわばハックスリーの仮説の復活。
70年代:ロバート・バッカーが既存の恐竜に鳥を含めて、さらに爬虫類から分離することを提案。ただし彼の提案は系統解析に基づいたものではなかったので、むしろ古典的な分類学だったといえそうです。なお、バッカーは恐竜が鳥や哺乳類と同様に温血動物であると主張して旋風を巻き起こしましたが、彼の論文はデータが粗いなどさまざまな点が問題にされました。論文というよりは記事でしかないですが、詳細を知りたい人は「恐竜発掘」ドン・レッセム 二見書房1993 を参考にしてください。
ちなみに現在では恐竜の代謝を推定することにはさまざまなアプローチが試みられています。また一部で誤解があるようですが、冷血であること=動きがにぶい、ではありません。もしそうならゴキブリはのろまな動物のはずですがそうでしょうか?。
1984年:ジョンホプキンス大学にいたグレッグ・ポールがセグノサウルスの系統を分岐学で論ずる。また1988年には [Predatory Dinosaurs of The World ] 和訳 [ 肉食恐竜辞典 河出書房新社 1993 ] を書く。しかし彼の本は分岐学の考えにそってはいるが、データーマトリックスが公開されておらず、文章中で語られる論理だけではそのような系統が導けない部分があるなど客観性がいまひとつ見えにくい。だから分類と系統の区別がついていない、あるいは系統解析が十分に理解されていない時代の過渡的なものかもしれません。また、彼の分類体系は系統にそっておらず、いわゆる進化分類学であるらしい。
1985年:テキサス工科大学のチャタジー(チャテルジー)が三畳紀の地層から始祖鳥よりも古い鳥の化石を見つけたと発表(記載ではなく発表)。しかしこの化石、プロトアヴィス(あるいはプロトエイヴィス)はあまりに断片的で、さらに骨の同定にあやまりがある可能性が指摘され、多くの議論を呼ぶ。この議論はしばしばマスコミなどに
分岐学を使う先鋭的な研究者(プロトアヴィスには懐疑的)vs 古典的な仮説を支持する研究者(プロトアヴィスには好意的)
新しい発見を認めない分岐学者という多数派 vs 新しい発見を認める少数派
の争いであると簡単に報道されるように見えます。しかし実際には骨の同定に関する問題の方がネックであるらしい。例えば古脊椎動物学者に聞くと、プロトアヴィスの又骨は爬虫類の尻尾の神経棘突起だ、という返事がしばしば返ってくる。結局、プロトアヴィスは良く分からない化石として保留されたような扱いに。お手軽に詳細を知りたい人はこれまた「恐竜発掘」ドン・レッセム 二見書房1993 を参考にしてください。ものすごくスキャンダラスなことが書いてある(チャタジーが魚のウロコを哺乳類系統の動物の顎骨と鑑定したとか、そういう話はどう解釈するべきか難しいものを感じます)。
分岐学と恐竜の系統推定 1986年:現在イェール大学の教授であるジャック・ゴーティエが最節約法(分岐学)で、鳥と恐竜、類縁の爬虫類を含めた系統解析を行う。鳥は75以上の特徴でディノニクスその他とたばねられ、鳥が恐竜と呼ばれる系統群に含まれることが始めて科学的に示される(簡単な解説はこちら)。また恐竜はひとつの祖先から進化した単一のグループであることも明らかにされた。彼の研究によって明らかにされた事柄、
:鳥は恐竜とよばれる系統群に内包される(つまり正確には鳥は恐竜である)
:恐竜は単一の祖先から由来した単一のグループである(つまり単系統である)
これらの仮説は現在まで崩されていない。これ以後に見つかった新しい証拠はいずれもこの仮説を支持している。こうしてハイルマン以来の古典的な仮説は事実上、この時をもって終わりました。
1994年:現在、メリーランド大学にいるトーマス・ホルツによって肉食恐竜全体の系統解析が行われ、ティラノサウルスがコエルロサウリアであることが示される。
1995年:アメリカ自然史博物館のキアッペが鳥の進化の総論的な論文を発表する[ Chiappe 1995, The first 85 million years of avian evolution . nature, vol378, 23, pp349~355 ]。鳥はディノニクスと姉妹グループをつくり、恐竜に内包されることを支持し、ハイルマン以来の古典的な仮説であった鳥の祖先は樹上性の爬虫類であるという仮説はもはや支持されないことを示す。
反撃 (かもしれない) 1996年:ノースカロライナ大学のアラン・フェドューシア教授が鳥の恐竜起原説に反対する書籍、 [The origin and Evolution of Birds, Yale University 1996] を出す。教授の仮説は、鳥は樹上性爬虫類から進化した、という古典的なものだった。いわば古典的な仮説からの反撃である。同じようにラリー・マーティンなども反撃を試みています。
しかし教授たちの仮説は鳥と恐竜の共通の特徴はすべて収斂であると仮定しないとなりたたないし、また彼らの仮説を支持する証拠が一向にでてこないために、当時も今もほとんどの研究者に支持されていません。
ちなみに北村が教授のこの本を持っていることを海外のある古生物学者に話したら、「お前、あんなの持ってるのか??」と笑われました^^;)。とはいえ、ある意味では興味深い本です。一般には分岐学や系統解析に関する誤解がネットだの書籍だのでいろいろ出回っていますが、そういうのを見てもこんな誤解があるんだなあ、とは分かりますが正式には引用できません。でも研究者の本なら引用できる。じっさい、研究者という肩書きを持つ人がこれだけの力わざを本に書いたものはなかなかないかもしれません。
羽毛の発見 1998年:中国から原始的な羽毛の痕跡を残した肉食恐竜の化石、シノサウロプテリクスが見つかる。
以後、羽毛を持った恐竜がぽつぽつと見つかり、いわゆる恐竜も羽毛を持っていたことが示される。鳥と、鳥に類縁が近い恐竜との区別はあいまいになり、ダーウィンの予言があたったことになる。もしすべての絶滅生物がこの世にあらわれればすべてはつながってしまうだろう。ダーウィンは150年前にそう述べたけど、新しい化石というデーターは鳥と恐竜のギャップを急速に埋めていて、彼の予言の通りになりつつある。
1999年:シカゴ大学のセレノによって恐竜全体の系統解析が行われる。鳥類にもっとも近い恐竜はディノニクス、そのつぎはオヴィラプトル、そのつぎはオルニトミムス、アロサウルス、ケラトサウルス、アパトサウルス、トリケラトプス・・・・という類縁関係が示される。この仮説は現在までほとんど変わっていない。この論文で、少なくともコエルロサウリアは共通の特徴として羽毛を持つことが示された。
鳥の飛翔の起原に関する新しい議論 ここまでの時代、鳥に近縁の既存の恐竜はすべて地上性であった。 そのためキアッペなどが提案した、鳥の飛翔の起原は地上から始まったという仮説が有力であった。 そもそも樹上から鳥が飛翔したという証拠はおよそまったくなかったのである。 その状況は2000年代に劇的に変わる。 2003年:中国の徐星によって後ろ脚に風きり羽を持つ恐竜、ミクロラプトル・グイが報告される[xu,etal 2003, Four-winged dinosaurs from china, nature,vol.421,23,pp335~340]。樹上に適応した恐竜から鳥が進化した可能性が指摘され、議論を呼ぶ。
ミクロラプトル・グイが与えた影響と与えうる可能性についてはこちら→
なお、徐星の仮説はハイルマンからフェドューシア教授へ受け次がれた鳥の樹上起源説とはまったくの別物であることに注意。
:鳥は恐竜に内包されず、樹上性の未知の爬虫類から進化した
:鳥は恐竜に内包され、樹上性に適応した恐竜から進化した
という2つの仮説はまったく異なる。
彼の仮説の要点は鳥の起原ではなく、鳥の飛翔がどのように進化したのか?という点にある。つまり現在の議論は鳥は恐竜から派生したか、あるいは否か?、が議論になっているわけではなく、、
:鳥は恐竜に内包され、飛翔は地上から始まった
:鳥は恐竜に内包され、飛翔は樹上から(樹上に適応した恐竜)から始まった
が議論されているわけ。ただし、国立科学博物館の真鍋研究官が指摘するように、じつはこの2つの仮説は矛盾しあう関係ではなくて、進化の異なる部分を別々に説明しているのかもしれない。
以上の概要については真鍋研究官監修による左の書籍を参考のこと。
2005年:ペドペンナの化石が報告される。鳥の飛翔が樹上から進化したこと、鳥の進化において後ろ脚に羽を持つ段階を経た、という徐星の仮説がサポートされる。
さて、これから先はどうなるだろう?。