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緩やかな傾斜の道を順調に進む。
周囲にはササが目立ち始める。やがて桟橋を 2つ連続して渡る。本当に道は良く整備されている。
樹林の先が少し明るくなり、樹林を抜けると平坦で明るく開けた場所に登り着いた。フルコンバである。時刻は 8時21分。
ここで、丹波山村へと繋がる丹波大菩薩道と合流する。
なお、今まで登ってきたのは小菅村からの道ではあるが、丹波大菩薩道に対する小菅大菩薩道ではないらしい。
辿って来た道は明治13年に開かれた新道のようで、小菅大菩薩道の方は上日川峠から石丸峠を経て牛ノ寝通りを進み、
小菅村田元に下るものらしい。ということは、そのほとんどを本日辿ることになる。 |
このフルコンバでは、
今まで見えなかった北側の山々を見ることができる。
一番目立つのがズングリとして大きな飛龍山。
その左には先日登ったばかりの大常木山、竜喰山が続き、
さらに左には平坦な尾根の中で少し飛び出ている唐松尾山が見える。
そして、唐松尾山のある尾根が左に下り始める所に黒槐ノ頭があり、さらには笠取山と続く。
フルコンバを過ぎると、周囲のササが量を増し、傾斜も先程よりは急になり、
少し登山道らしくなってくる。 | |
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ササの多くなった斜面を登っていくと、やがて道が分かれ、傍らの標識には 『 山道 』 と書かれている。
これでは全く何のことか分からない。
なお、牛ノ寝通りを下っている時、やはり 『 山道 』 と記された道が分かれていた。お互い繋がっているのだろうか。
そして、この分岐の傍らには朽ちた標示板も落ちていた。そこには 『 ニワタシバ 』 と書かれている。
何のことかすぐには分からなかったが、『 荷渡し場 』 が正しいようだ。
その名の通り、昔 ここは丹波や小菅の人々と塩山側の人々との交易の場であったらしい。時刻は 8時41分。 |
『 荷渡し場 』 の標識を過ぎると、
すぐに小さな沢を横切ることになる。歩き始めて 2時間以上経っているので、丁度ノドも乾いており、沢の水を戴く。非常に美味である。
沢を過ぎると、足下は土から石の道になり、さらに進むと整備された石畳まで現れる。
やがて、右手には明るいササの斜面が現れ、その先には稜線も見えている。もうすぐ大菩薩峠という感じがかなりしてくる。
そして、ササの中の道を登っていくと、徐々に稜線は近くなり、やがて前方に標識、ロープが張られた柵が見えてきた。
もう大菩薩峠に違いない。 | |
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そして斜面を少し進めば、そこは案の定 大菩薩峠であった。到着時刻は 9時5分。
ここは今までの静寂が嘘のように人で一杯である。特に大菩薩峠の標識が立つ場所は記念写真を撮る人でごった返している。
仕方なく、妙見ノ頭方面を写真に収める。こちらはいつ見ても伸びやかで気持ちが良い。
方位盤の先にある岩場で大休止とする。 |
この場所からは南アルプスの山々が見えるが、
残念ながらかなり霞み気味で、冬場に見た時程ハッキリは見えない。
それでも、甲斐駒ヶ岳、
鳳凰山、
北岳、
間ノ岳、
農鳥岳、
塩見岳、
荒川東岳 (悪沢岳)、
赤石岳、
聖岳といった
南アルプスの主要な山々は確認できる。
後は富士山という訳で、
少し妙見ノ頭方面へと進むと、熊沢山の右斜面後方にその姿を見ることができたのであった。 | |