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やがて、先の方に看板や標識が見えてきた。阿世潟である。
ここで今まで歩いてきた中禅寺湖周遊歩道と分かれ、阿世潟峠へと向かうことになる。
標識にはここから歌ヶ浜まで 3.1kmとある。時刻は 8時35分。
駐車場からほぼ 1時間かかったことになる。道が平らな割に 3.1kmに 1時間を要したのは、
雪の所為であろうか。
標識に従って左に道をとり、山へと向かう。道と言っても、雪の上に踏み跡があるだけであるが・・・。
ここからは所々に赤テープやペンキ印、そして日光の山でお馴染みの、正方形を斜めに黄と赤に塗り分けたブリキのマークが目立ち始める。
出だしはほぼ平坦。徐々に緩やかな斜面となる。 |
足下の雪はかなり多くなり、
深さ 30センチ程となる。踏み跡を辿っていても足が潜り込んでしまうことが多くなり、歩くのに苦労する。
踏み跡が無ければもっと苦労したことであろう。先達に感謝。
阿世潟の分岐から 10分程歩くと、斜面の先に鹿が数頭走っているのが見えた。素早いので写真に撮るのは無理かと思っていたら、
斜面の向こう側にて 2頭がジッとしているではないか。
早速 カメラを向けたが、70mmでは小さくしか撮れない。しかもややピンボケ。残念。
その後も数回鹿を見かけたし、鳴き声もかなり近くで聞こえたが、シャッターチャンスはこの時だけであった。 | |
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先程テープや黄色と赤のブリキマークがあると言ったが、その間隔はかなり離れており、
また見つからないことも多く、恐らく 雪の上に足跡が無ければルートを見つけることは容易ではなかったであろう。
途中、所々に木の柵やロープが現れたものの、大半は雪の下。踏み跡に感謝しながら斜面を登る。
斜面はかなりきつくなり、雪の量も多く崩れやすい状態。従って足場確保が難しく、
しかも捻挫している右足の踏ん張りが利かないので非常に苦労させられたのだった。
さらに悪いことに、持ってきた 2本のストックのうち、1本の雪用バスケットがいつの間にかなくなってしまい、
抵抗なくスッと雪に潜ってしまうのでさらに苦戦することになったのだった。 |
ようやく斜面の先の方に青空が見えてきた。
阿世潟峠と思い、踏ん張って登り着くと、そこにあると思った阿世潟峠の標識が見当たらない。
ここで踏み跡が正規のルートから外れて枝尾根を直登していたことに気づいたのであった。
道理で急斜面だった訳である。
恐らく阿世潟峠はもっと下の方にあるのであろう。盲目的に踏み跡を信ずるのも良くないと反省させられたのだった。
道を間違えて苦労させられたものの、尾根に出れば、
社山の頂上らしき高みも見えてきて、グッと力が湧いてくる。
まず目指すは目の前の高み。その頂上には自記雨量計のアンテナが見える。ということは、
その左に見える白い高みが目指す社山の頂上であろう。 | |
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そして、尾根上を進めば、今まで見えなかった足尾側の景色も目に飛び込んでくるようになる。
残念ながら、明るすぎて良く見えない状態だが、正面に低いながらもやけに立派な形の山が見える。どうやら備前楯山らしい。
そういえば、一昨年に皇海山に再登山した際、
銀山平からの林道途中に備前楯山の案内板があった。その時何でこの場所で備前なんだと疑問に思い、帰宅後に謂われを調べたのだった。
何でも、この山はかつては黒岩山という名だったのだが、備前出身の 2人の農民が1610年にこの山で銅の露頭を発見し、
日光座禅院に報告。その功績が称えられ、備前楯山と山の名を改めたとのことである。
『 楯 』 とは鉱脈の露頭のことらしい。 |
尾根を登って振り返れば、
半月山が見える。
なかなか立派な山であり、先に述べたように、社山、黒檜岳と合わせて縦走したいところだが、半月山頂上のすぐ下まで車道が延びているらしい。
そう聞くと、ちょっと二の足を踏んでしまう。 | |