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下を見れば、中禅寺湖もガスに囲まれつつある。太陽も雲に隠れ、先程までの日の光はすっかり消えてしまっている。
先般の鋸岳、
先日の白根三山に続き、
今回も頂上からの展望は期待できそうもない。
前回 この男体山に登った時も、
頂上からの展望はあまり良くなかったのだが、それでも未だ頂上に雪を抱いた
奥白根山などが見え、
それなりに満足したのであった。
今回は奥白根山は全く見ることができない。 |
戦場ヶ原も一部が見えただけ。
この調子だと、志津乗越側はもっとガスが出ていそうである。
計画では、前回と同様に志津乗越へと下山し、三本松まで歩いて、三本松からバスで戻ってくるつもりだったのだが、どうもこの状況では心が揺らぐ。
頂上で暫く様子を見てから決めることとする。 | |
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左手に太郎山神社が見えてきた。案の定、神社の後方はガスのようである。
また、本来なら太郎山神社の左手後方には
奥白根山が見えるはずである。
しかし、本日は写真のように全く見えない。
仕方がないなと思いつつ、火山性砂礫の道をジグザグに登る。頂上はもうすぐである。 |
まずは緑色をした銅製の鳥居を潜る。
少し進めば、『 日光二荒山神社奥宮 』 と彫られた石柱が傍らに置かれている石の鳥居。
そこを潜れば、奥宮の祠である。
時刻は 8時42分。
登拝門から 2時間25分かかったことになる。 | |
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奥宮の前に立ち、無事に登頂できたことに感謝する。
後は、三角点を踏む作業が残っているのだが、その前に奥宮の横にある二荒山大神像の方に寄ってみる。
19年前にこの像があったという記憶がない。それともあったことをすっかり忘れてしまったのか ?
ガスによって周囲の景色がほとんど見えないので、三角点の方へと進む。 |
再び奥社の前を通って三角点の方へと進む。
途中に、『 良縁の鐘 』 と名付けられた鐘が鉄塔に吊されていた。
鉄塔には木製の説明板があり、『 大正十年 日の丸講奉納 』と書かれていたが、鐘の方には
『 昭和三十年 八月一日 』 という文字が鋳出されているのがハッキリ見える。この鐘は二代目であろうか。
先の太平洋戦争では、金属物資の不足から再利用できる金属は悉くから徴収されたそうだが、
初代の 『 良縁の鐘 』 は徴収されたのではないか などと勝手な想像が頭を巡った
(盗難にあったというのではちょっとシャレにならないが・・・)。 | |