勾配の方は結構 急になり (とはいえ、斜面を登ると言ったほどの傾斜ではない)、
足下の岩も一面が濡れている状態の上、泥と混ざり合ってできた泥濘もそこかしこに見られるようになる。 今、この道を通る人は散策目的が主だからまだ良いが、往事はここが主要道路であり、雨の際はかなり苦労されたことであろう。 また、この辺はあまり日が当たらない上に、ジメジメしているからであろう、苔が周囲の岩壁を覆っていて、それが独特の風情を醸し出している。 | |
やがて、何も無かった坂道の左側に石仏が現れる。 よくよく見ると、仏の周りに彫られた文字のいくつかは読み取ることが可能で、 左側には 『 延宝三卯年十月十五日 』 と彫られた文字が、右側上部には 『 浄誉 』 という文字が確認できる。 帰宅後調べると、延宝三年 (卯年) は 1675年のことであるから、 この石仏は江戸時代に建てられたものということになるのだが、一説によると、 この石仏はこの切通の修繕・整備を行った浄誉向入 (じょうよこうにゅう、没 延宝三年十月十五日) という僧のことを称え、供養したものとのことだそうである。 |
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傾斜も緩み始めると、泥濘はほぼ無くなるとともに、足下は土の道に変わる。 先ほどの石仏に加え、崖を掘って 『 やぐら 』 のようになっている中にいくつかの供養塔が見られるようになり、
そこには 『 安永九子天 (1780年) 坂道普請 南無阿弥陀仏 』 や 『 道造供養塔 』 といった文字が彫られている。 | |
道がほぼ平らになり、周囲にシダ類が多く見られるようになると、この朝比奈切通の中でも一番高さがあると思しき切通が現れる。 また、この高い岩壁には磨崖仏を見ることができる (写真)。 |
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先に述べたように、この磨崖仏の少し先から下りに入る。 先ほどまでは、ほとんど苔むした岩壁が続いていたのだが、この辺は完全に自然林となり、 その中を緩やかに下って行く。 岩壁に沿って左に緩やかに下って行くと、『 熊野神社 』 と彫られた石柱の他、
『 右 かまくらみち、左 熊野神社 』 と彫られた石の道標、そして熊野神社の由緒が書かれた案内板が立っている場所に下り立つ。
熊野神社分岐である (熊野神社へは右に道を取る)。 | |
鎌倉散策本番では、ここから熊野神社方面へと向かうのであるが、 折角 ここまで来たのであるから、切通をもう少し先まで進んでみることにする。 熊野神社の聖域に入るからなのであろうか、右手はスギ林となり、
足下は石畳のような道が続くようになる。 |
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