車道を右に少し進んで行くと右手に見晴台が現れる。 ここからも 富士山が見えるようであるが、 先程の祇園山見晴台と同様、この日は全く山を見ることはできなかったのであった。 なお、ここからの景観は 『 かながわの景勝 50選 』 に選ばれているとのことである。 写真では、稲村ヶ崎の左後方に江ノ島がうっすらと見えている。 | |
車道を進み、案内板に従って左折して第一中学校校庭の横を進む。 後方には山があって樹木が生い茂る中、
墓所は白い鎧塀 (よろいべい) に囲まれ、足下には敷石が敷かれていて土は全く見えない。 |
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辿ってきた道をそのまま戻って再び境内に入り、さらに少し中を歩き回った後、 13時10分に光明寺を後にする。 先程の車道に戻ってさらに先へと進む。 海はその国道134号線の向こう側にあり、 歩いている道の左手にはウインドサーフィン関連のスクールやショップが並んでいる。 | |
再び道が少し狭くなって、左にカーブする国道134号線の下を潜ると
(光明寺から約300m)、右手に海へと下りられる場所が現れる。 砂浜に下りる手前、右手にある高台には 『 国指定史跡 和賀江嶋 』 と彫られた立派な石碑が立っている。 この海岸が材木座海岸であるが、足下が砂浜であるのに対し、
砂浜には似合わない河原にあるような丸い石がゴロゴロと集まって海に突き出ている場所が左手に見えてくる
(下の写真)。 |
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先程の石碑の傍らに立つ和賀江島の説明書きには 以下のように書かれている (なお、石碑には和賀江嶋とあるがここでは和賀江島を使う)。 「 和賀江嶋は、日本に現存する最古の築港遺跡です。 このあたりは、遠浅で荷の上げおろしが難しく、大風や波浪で難破する船が多くあったことから、 貞永元年 (1232) に勧進僧 (かんじんそう) の往阿弥陀仏 (おうあみだぶつ) が港を造ることを幕府に求め、 第3代執権北条泰時の援助を受けて完成したことが 『 吾妻鏡 』 に記されています。」 | |
さらに説明書きには 「 その際、石材は相模川や酒匂川、
伊豆半島海岸など遠くから運ばれてきたと考えられています。 (中略) 幸いなことに、この時間は干潮に当たっていたため和賀江島を見ることができたが、 満潮時には島は水没するとのことである。 |
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