鎌倉散策 ( 祇園山 約 60m ) 2018.4.4 登山



【PHOTO & 記録 鎌倉散策 7】

車道を右に少し進んで行くと右手に見晴台が現れる。
そこからは、下方に山門を始めとする光明寺の建物の屋根が見える他、由比ヶ浜の海、そして稲村ヶ崎、江ノ島を見ることができる。

ここからも 富士山が見えるようであるが、 先程の祇園山見晴台と同様、この日は全く山を見ることはできなかったのであった。

なお、ここからの景観は 『 かながわの景勝 50選 』 に選ばれているとのことである。

写真では、稲村ヶ崎の左後方に江ノ島がうっすらと見えている。
また、大きな屋根は光明寺の山門の屋根。

車道を進み、案内板に従って左折して第一中学校校庭の横を進む。
突き当たりを左に曲がり、階段を昇って行くと、歴代住職の墓が並ぶ場所に昇り着く。時刻は 13時1分。

後方には山があって樹木が生い茂る中、 墓所は白い鎧塀 (よろいべい) に囲まれ、足下には敷石が敷かれていて土は全く見えない。
そして、僧侶の墓塔として使われる、塔身が卵形をした無縫塔 (むほうとう) が、 小生の立っているスペースを取り囲むようにして前方と左右に整然と立ち並んでいる。
恐らく正面の大きな無縫塔が良忠上人のものと思われる。

辿ってきた道をそのまま戻って再び境内に入り、さらに少し中を歩き回った後、 13時10分に光明寺を後にする。

先程の車道に戻ってさらに先へと進む。
途中、車道は急に狭くなるが、その先でまた広い道になり、右手に国道134号線を見ながら進むようになる。

海はその国道134号線の向こう側にあり、 歩いている道の左手にはウインドサーフィン関連のスクールやショップが並んでいる。

再び道が少し狭くなって、左にカーブする国道134号線の下を潜ると (光明寺から約300m)、右手に海へと下りられる場所が現れる。
時刻は 13時13分。

砂浜に下りる手前、右手にある高台には 『 国指定史跡 和賀江嶋 』 と彫られた立派な石碑が立っている。

この海岸が材木座海岸であるが、足下が砂浜であるのに対し、 砂浜には似合わない河原にあるような丸い石がゴロゴロと集まって海に突き出ている場所が左手に見えてくる (下の写真)
これが人工の島である和賀江島である。

先程の石碑の傍らに立つ和賀江島の説明書きには 以下のように書かれている (なお、石碑には和賀江嶋とあるがここでは和賀江島を使う)

「 和賀江嶋は、日本に現存する最古の築港遺跡です。 このあたりは、遠浅で荷の上げおろしが難しく、大風や波浪で難破する船が多くあったことから、 貞永元年 (1232) に勧進僧 (かんじんそう) の往阿弥陀仏 (おうあみだぶつ) が港を造ることを幕府に求め、 第3代執権北条泰時の援助を受けて完成したことが 『 吾妻鏡 』 に記されています。」

さらに説明書きには

「 その際、石材は相模川や酒匂川、 伊豆半島海岸など遠くから運ばれてきたと考えられています。 (中略)
江戸時代までは修復されながら利用されていましたが、潮の流れや災害などで石が散乱しており、築造時の姿はわかっていません。 (以下 省略)

とある。
なお、勧進僧とは寺院の堂塔、仏像、鐘、あるいは各地の橋梁などの造立・修復のために資財 (金品) を募って回国する僧のことである。

幸いなことに、この時間は干潮に当たっていたため和賀江島を見ることができたが、 満潮時には島は水没するとのことである。



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