光明寺には 12時52分に到着。 道の左手にバスの停留所と光明寺の案内図が立つスペースがあり、 その先に光明寺の総門が見えている (写真)。 総門の建立は明応4年 (1495年) で、 寛永年間 (1624〜28年) に再興されたとのこと。 当初はもっと大きな門だったようである。 | |
総門を潜ると広い駐車場があり、その先に立派な山門が見えてくる。 この山門は 1847年に再建されたものだそうで、間口が約16m、奥行が約7m、
そして高さが約20mあり、鎌倉の寺院の門では最大の格式を備えたものだそうである。 なお、五間三戸とは、正面から見ると柱によって 5つに間仕切りされており、 中央の 3つの間にはそれぞれ両開きの大板戸があって、それが入口になっているものをいう とのことである (光明寺のHPより)。 |
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山門を潜り抜けると、その先には広い境内が広がっており、 正面には大殿 (本堂) が見えている。 この大殿は現存する木造の古建築では鎌倉一の大堂だそうで (重要文化財)、 中には本尊である阿弥陀三尊像のほか、善導大師等身大立像、弁財天像、如意輪観音像、宗祖法然上人像が安置されている。 この寺の創建は寛元元年 (1243年) で、
開基は鎌倉幕府第四代執権 北条経時、開山は浄土宗の第三祖 然阿良忠 (ねんな りょうちゅう) 上人、
そして鎌倉に比較的少ない浄土宗の寺である。 | |
大殿の左手には寺務所のほか、 歴代の法主 (ほっす = 住職) の御影を祀っている開山堂 (写真) が建っており、 右手には鐘楼、繁栄稲荷大明神、延命地蔵尊、そして墓地がある。 また、大殿の右隣 (南側) には 『 三尊五祖の庭園 』 という枯山水庭園があり、 その庭園全体の構図は煩悩多いこの世 (此岸) と救われていく彼の岸 (彼岸) とを示しているとのことである。 |
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大殿の左側、開山堂の右手後方には 『 記主庭園 』 と呼ばれる大きな庭園もあって、 蓮が水面を埋め尽くしている池の奥には宗祖 法然上人 800年大御忌を期して建てられた大聖閣 (たいしょうかく) が建っている。 但し、この記主庭園は大殿と開山堂を繋ぐ回廊に隠れていてあまりよく見ることができない。 しかし、毎年7月に観蓮会が開かれ、蓮を眼前に抹茶を頂きながら静かな時の流れを感じることができるとのことである。 なお、記主とは良忠上人が亡くなられた後、伏見天皇によって贈られた 『 記主禅師 』 の謚号 (しごう = 貴人の死後に奉る生前の事績への評価に基づく名) による。 | |
一通り境内を見た後は、光明寺の後ろにある天照山へと進む。 大殿の横にある延命地蔵尊の前を通り、左に曲がって三尊五祖の庭園の脇を抜け、
さらに左に曲がって大殿の裏手を進む。 写真は大殿の裏手の道。 |
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