雁ヶ腹摺山 (雁ヶ腹摺山:1,874m) 2013.2.10 登山



【PHOTO & 記録 雁ヶ腹摺山 3】

最初、樹林越しに南アルプスが見えた後、写真のように、間に何も遮ることなく 富士山が見えるようになる。
富士山の手前の山は、 三ツ峠山 (左) と鉄塔が立つ御巣鷹山である。三ツ峠山の右手前には 本社ヶ丸が見え、 三ツ峠山の左手前の山は鶴ヶ鳥屋山である。
そして、本社ヶ丸、鶴ヶ鳥屋山の前に見えている山は 滝子山である。

南アルプスの山々も良く見えるようになるが、 少々灌木が煩い。

しかし、少し進めば、 その南アルプスも間に何も遮るものなく見通すことができるようになる。

写真 中央の山は 荒川東岳 (悪沢岳) で、 その左に赤石岳聖岳と続く。
赤石岳聖岳の間に 2つの山が見えるが、 恐らく小兎岳、兎岳ではないかと思われる。
聖岳のさらに左に見える白い山は 上河内岳で、 その上河内岳と聖岳の前方を走る黒い山並みは、偃松尾山、そしてその左の 笊ヶ岳 (写真 左端の山) である。
なお、赤石岳の手前に見えているのは、 南大菩薩の大蔵高丸。

そしてこちらは、大蔵高丸の右側の山々。
大蔵高丸から右に下った稜線は、白谷丸 (雪で白くなっている山) へと再び盛り上がり、 さらに右の黒岳 (写真 中央) へと続いている。
さらに、黒岳の右には川胡桃沢ノ頭が見えている。
この後、牛奥ノ雁ヶ腹摺山、小金沢山と続くのだが、 ここからは見ることができない。

また、大蔵高丸の左には、ハマイバ丸、大谷ヶ丸と続き、 先程の滝子山へと続いている。

暫し素晴らしき景色を堪能した後、 再び樹林の中に入れば、先の方に石垣のような岩が見えてくる。時刻は 11時50分。
神奈備岩 (かむなび or かんなび or かみなび いわ) で、『 神奈備 』 とは 「 上代、神霊の鎮座すると信じられた山や森 」 という意味だそうである。

この岩にそのような名前が付けられた謂われは不明であるが、 自然が創り出したこの芸術作品を見れば、昔の人が この岩に 「 神が宿っている 」 と考えたとしてもおかしくない。

『 神奈備岩 』 を過ぎ、樹林を抜けて小さく斜面を乗り越えれば、目の前に写真のようなカヤトの原が広がる。
頂上はもうすぐである。

姥子山への分岐を右に見て、至る所につけられている溝状の道を辿り、再び少し斜面を登れば、 雁ヶ腹摺山の頂上であった。 時刻は 11時57分。

頂上には、『 山梨百名山 』 の標柱の他、 『 秀麗富嶽岳十二景 一番山頂 』 の標識や、『 旧五百円紙幣の裏側に印刷されている富士山の図は、 ここから撮影したものが原画になっている 』 といったことが書かれた説明板が置かれている。

その 富士山の光景がこの写真。
やや逆光気味だが、懸念していたほどではなくて、ホッとする。

旧五百円紙幣の話は知っていたが、説明板にある五百円札を見ると、 確かにここからの構図に間違いないことが確認できる。
五百円札には、富士山の手前に見えている 三ツ峠山、鶴ヶ鳥屋山、 滝子山もしっかり書かれている。

日当たりの良い、誰もいない頂上にて暫し休憩。
頂上の岩に腰を下ろして再び食事とする。

ところで、小生がこの雁ヶ腹摺山 に登った 1992年頃、この山の標高は 1,857mとされていたのである。
昭文社 1991年発行の地図 『 大菩薩嶺 』、山と渓谷社 1989年発行 アルペンガイド別冊 『 東京周辺の山 』 ガイドブックともに、この山の標高は 1,857mとなっているのである。
また、当時 『 山梨百名山 』 の標柱も 1,857mだったのである (こ こ)

しかし、現在は 国土地理院の電子地図を始めとして、どの地図を見ても、 標高は 1,874mとなっており、さらには、『 山梨百名山 』 の標柱も、 旧の標高表示の上に 1,874mの標高が貼り直されているのである。
山の標高は、測量精度向上、測量場所の変更などにより、多少変化することはあっても、この 17mのプラスは俄に信じがたい。
ネットでもその理由は見つけられず、大きな謎である。



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