再び樹林帯に入った後、抜け出した所からは、 四阿山山頂部が良く見通せるようになる。 見事なピラミッド型である。 道の方は、一旦少し下って登り返し、 四阿山山頂へと続く尾根に入ることになる。 | |
すぐに記憶通りの木の階段が現れる。 | |
階段を登りながら左方を見れば、根子岳は既にこちらよりもかなり低い位置にある。 根子岳の右後方には
高妻山、焼山、
火打山、
妙高山が見えており、
さらに、高妻山の左手に、先程まで雲の下にて見えなかった戸隠山方面も見え始めている。 | |
木の階段を登り終え、一登りすれば、
まずは上州祠が現れる。 なお、前回の登山記録では、ネットで調べた上でこちらを信州祠としていたが、
今回、この祠が向いているのは東の方、上州側なのでこちらは上州祠というのが正しい と気が付いた。 | |
上州祠からさらに先へと進む。 この信州祠も外壁が剥がれていて かなり傷んではいるものの、 軒を支える 2本の柱は残っており、扉も付いたままである。 なお、前述の通り、前回の登山記録ではこちらを上州祠としていたが、 先の理由により、こちらを信州祠とする。 | |
祠の周りには数人の人が居たので、
そのまま休まずに先へと進み、今回も三角点を踏むべく、北峰 (写真) を目指す。
ということで、信州祠のある頂上は南峰となるが、その位置関係から頂上を西峰、
三角点のある峰を東峰と呼ぶ場合もあるようだ。 なお、
四阿山という名の由来は、
日本武尊が東征の際に自分の妻を恋しく思い、『 吾妻よ 』 と言ったため という説など、諸説あるようだが、
山の形が東屋 (あずまや) の屋根に似ているためというのが、一番尤もらしいと思われる。 |