東海道 箱根越え ( 小田原 − 箱根 − 三島 31.2km )  2009.1.3



【PHOTO & 記録 東海道 箱根越え 4】

暫く先で、車道を横切り、そのまま山の中の坂道が続く。
本日の靴は普通のスニーカー。靴底が柔らかいので、デコボコした石畳の道は、結構こたえる。
白水坂を過ぎ、写真のような山道を進む。甘酒茶屋から元箱根まで続くこの道は、皇女和宮が徳川家に嫁ぐために通ることを踏まえ、 徳川幕府が直々に代官に命じて改修させたとのこと。結局、和宮は中山道を下ったのだが、旅人にはこの改修は恩恵となったことであろう。
箱根馬子唄の碑を過ぎると、道は下りにかかる。権現坂を下り、大きな杉の木が現れれば、もう芦ノ湖である。

オランダ通商使節の一員であり、 箱根の美しさを世界に喧伝したドイツの博物学者ケンペルと、英国の貿易商バーニーの顕彰碑を過ぎ、右手に下ると、もう芦ノ湖湖畔。
これまでの静かな世界から、賑やかな観光の世界へと一気に変わり、そのギャップに戸惑う。
渋滞して動かない車の間を通り抜け、芦ノ湖湖畔に至る。時刻は 10時38分。
芦ノ湖の如何にも冬らしい群青色の水と箱根神社の赤い鳥居が印象的である。

右手を見れば、駒ヶ岳が青い空に台形状の姿を浮かべている。せっかくの景観に、駒ヶ岳ロープウェイと駒ヶ岳頂上駅が水を差す。
今朝8時にここから東京箱根間往復大学駅伝競走の復路走がスタートしたはずだが、今はそれを感じさせるものはあまりない。

写真は賽の河原。 掲げられていた説明板 (箱根町教育委員会) には以下のように書かれていた。
『 この地は地蔵信仰の霊地として、江戸時代東海道を旅する人々の信仰を集めたところです。 その規模は大きく、多数の石仏、石塔が湖畔に並んでいました。
しかし、明治時代に入ると、仏教の排斥から多くの石仏が失われ、また芦ノ湖湖畔の観光開発の中でだんだんとその規模が縮小し現在のようになりました。
現存する石仏、石塔の中にも鎌倉後期と推定される艘塔を始め貴重なものがあります。』

そして本日初めての富士山とのご対面である。
残念ながらやや雲がかかっているが、やはり富士山を見るとホッとする。
一富士 二鷹 三茄子のうち、正月から富士山を見ることができ、嬉しい限り。 今年は良い年でありますように。

富士山の姿をたっぷりと楽しんだ後は、 ここ元箱根のもう一つのお楽しみ、杉並木である。
葭原久保 (よしわらくぼ) の一里塚跡から見事な杉並木の道が続く。右側には車道が通っており、 その排気ガスが懸念される。ずっと残しておきたい素晴らしい道である。



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