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8時3分、右手に 『旧箱根街道 一里塚跡の碑』 が現れた。
ここは江戸から 22里とのこと。メートル法に換算すると約 87kmということになる。 |
一里塚の先で、旧街道石畳道が待っていた。
舗装道をはずれ、石畳を歩く。この後、三島までの間にいくつかの石畳があるが、ここが最初で、なかなか風情がある。
但し、この石畳道も長くは続かず、箱根観音の手前で、すぐに舗装道へと戻ることとなる。
暫く、黙々と舗装道を歩く。観音坂、葛原坂と上り坂が続き、やがて箱根新道須雲川 IC入口を左に見る。 |  |
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先ほどの一里塚跡から約 30分、8時32分に鎖雲寺 (さうんじ) に到着 (左の写真)。
ここには、その敵討ちの模様が浄瑠璃 『箱根霊験躄仇討(はこねれいげんいざりのあだうち)』 にもなっている、
飯沼勝五郎、その妻初花の墓がある (今回はパス)。
その敵討ちの内容は省略するが、愛しい夫のために一心を投げ出して働いた貞女 初花と忠僕筆助の悲しくも美しい物語である。
初花の真心が通じて箱根権現の霊験があらわれたのか、足を悪くして立つこともできなかった勝五郎の足腰が直り、
見事敵討ちを果たすという美談になっている。 |
鎖雲寺から 2分ほどで須雲川自然探勝歩道入口が現れた。
車道は右手の方に続いているが、宗教法人の施設が賑々しく、また音も大きく聞こえるので、そちらはパスし、探勝道を行く。
杉の中の道を進む。上空には青空が広がっているが、日が当たらないので薄暗く、また人もいないので少々薄気味悪い。
やがて東京電力畑宿発電所。ここで須雲川を渡り、再び登り返すと、また車道である。 |  |
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車道を暫く進むと、再び石畳の道が分かれる。
この辺は割石坂と呼ばれているようで、先ほどの曾我兄弟の弟 五郎が富士の裾野に敵討ちに向かう時、
刀の切れ味を試そうと路傍の巨石を切ったところ、真っ二つになったことからこの坂の名がついたとか。
道は写真のような石畳が続く。何でも、関東大震災などで崩壊したものを修復し、学童路としても使っていたとか。道には新たに作ったものと、
江戸時代の石畳そのものの道が混在した形になっている。 |
道は再び車道に至るが、
すぐに向こう側に旧道の続きが待っている。
坂を下り、大沢川を渡って登り返す石畳道が大沢坂である。
傍らにある説明書きには、「当時の石畳の道が、一番良く残っている坂」 と書かれており、
その通り趣のある風景が続く。 |  |