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展覧会の紹介

(敬称略) 

札幌の美術2003
19+1の試み展
2003年3月5日(水)〜16日(日)
札幌市民ギャラリー(中央区南2東6)
(その2) 日常からの出発 

 日常の営みを表現の出発点としている作家が多く集まったのは、偶然だが、今回の特徴といえるかもしれない。
艾沢詳子のインスタレーション「part of Earth」  まず、艾沢詳子のインスタレーション「part of Earth」。
 彼女は、近年ほぼ毎年のように海外展に参加するなど、もっとも活躍している道内在住の版画家のひとりだが、今回は、ワックス(蝋。パラフィン)をつかったインスタレーションを発表している。
 素材は、札幌の電話帳。これを1ページずつちぎって漏斗の形にまるめ、蝋で、てんぷらのように揚げ、その後にすこし燃やしたものを、何百枚何千枚と、床にばらまいている。
 遠目には、灰色の波が凍ったようにも、色を失ったドライフラワーの束のようにも見えるが、全体として動感に満ちているのは、版画やドローイングの作品とよく似ている。
 電話帳を1ページずつ揚げていくなんて、気の遠くなるような作業の集積だが、作家と話をしていて、ふと気がついた。
 そのコツコツとした積み重ねという性格は、版画やドローイングとおなじなのである。
 彼女のドローイングは、大きな紙に細かい線がもしゃもしゃと描かれているのだが、それは何日もかけてびっしりとひかれたものだ。
 それらの線は、それ自体ではなにも語らないが、作家の日々の感情の襞が、折りたたまれているのだ。 
 以前、彼女は、じぶんの作品を日記に譬えたことがあったが、こんどのインスタレーションもその意味では、あの漏斗ひとつひとつに、日常が密封されているのだろうと思う。
 
 ところで、6日にワークショップがあって、筆者も作品をつくって会場に置いてきました。
 チリ紙にサインペンで着彩し、蝋で揚げてキャンディーみたいな形にしたものです。
 たのしかった。右がその写真です。
ワークショップで作ったもの
 
高橋靖子「記(3つの赤)」 130センチ×130センチが3点  ところで、かつて自作を語る際に「日記」の比ゆを使った作家が、もうひとりいる。
 高橋靖子(江別)である。
 彼女は、アルファベットなどの記号をびっしりと書き連ね、画面を埋め尽くしていく。
 その記号は、単純な反復のように見えて、手作業であるから大きさなどが少しずつ違っていくし、また、故意に、異なる記号が混入されることもある。 
 これらの記号は、作者のイニシャルなどで、それ自体にはおそらくほとんど意味はない。
 まるで編物でも編むように、丹念に置かれていくもの。それがこの記号なのだ。
絵の拡大図上の絵の一部を拡大した写真です  もう1点おもしろいのは、地と記号が、鮮烈な色彩の対比をなしていて、作品によっては目がちかちかしてくるほどだということ。
 もっとも作家本人は、近づいて描いているせいか、そのようなことはないという。
 左の写真の絵でも、赤の字に緑色の記号がびっしりと並んでいる。
 ただ、視線を近づけると、色合いが微妙に異なってくる。キャンバスから離れてみると、今度は記号に、実際には描かれていない影ができて、浮き上がってくるように見える。人間の目とはふしぎなものだとおもった。
 今回は、ピンクの地に黒の文字が連なる「記(ピンク)」など、あたらしい色の組み合わせにも挑んでいる。
「どこかで、桜の花への思いがあったのかも」
 画風に、これまでとの違いはないとはいえ、6点の絵画はほとんど新作。作家の意欲を感じさせる展観だった。
 ▲
 井上まさじは「untitled」と表示のある絵画14点を展示している。
 彼の、きわめて特徴ある作品については、一昨年の4月の個展について別のところ(「てんぴょう」8号)でくわしく論じたことがあるし、一昨年の11月昨年の8月の個展の際にも紹介したので、ここでは詳述はしない。
 ただ、彼の作品には、大まかにいってふたつの系列があり、毎回個展がひらかれるギャラリーミヤシタ(札幌)では、そのいずれかを交互に発表している。今回は、両方の系列が同じに見られるたいへんめずらしい機会である。
 ふたつの系列とは、ひとつは、ペンで、フリーハンドで直線や小さな円を、おびただしく書いたもの。
 とても定規をつかわずに書いたとは思えないほど精緻に、ちいさな間隔でびっしりと線がひかれている。とくにモティーフのない「意味から解放された絵画」である。
 もうひとつは、アクリル絵の具をローラーで何度も塗り重ね、カビのような、あるいは、歯ブラシのブラシを1本1本植え込んだようなマティエールを持つ、色彩の美しい絵画である。
 昨年、ギャラリーミヤシタで見たときの感動がよみがえるが、自然光のまったく入らないホワイトキューブの空間では、やや感動が減ってしまうのはやむを得まい。それでも、純粋な色彩のもつ微妙な移ろいを追う喜びは、なにものにも代えがたい。
 
 
 出品者のなかに真砂雅喜の名を見つけたとき、正直なところ、なぜ? という思いが先にたった。
 彼は、90年代末、人間を巨大な洗濯機のような機械に入れて回した様子を撮影するなど、肉体のあり方を問い詰めたような特異なビデオアートでデビューを果たし、ドイツ・ハンブルクでの展覧会にもくわわったものの、その後は作品を発表しておらず、筆者にとっては作家というよりも、アーティストのプロフィルなどを掲載した英語のウェブサイト「ART CORE JAPAN」の主宰者としての活動が目立っていたので、意外だったのだ。
 ことし、彼は、この「札幌の美術」を機に活動を再開し、欧州で個展をひらく計画もあるという。ビデオをつかったアートを手がける作家は道内ではまだまだすくないだけに、今後の活動に期待したいと思う。

 今回のビデオインスタレーション「Entropy #6」は、以前のような暴力的な緊張感とは正反対の、しずかで、しかしさまざまな問いを見るものに投げかける作品になっている。
 暗い会場の中央に、病院のベッドが1台。白い布団が掛けられている。
 本来なら人が寝ているあたりに、老人の映像が投影されている。
 聞くと、ぼけ始めて病院に入っている作家の祖父だという。
 祖父は大工で、めったに過去について口にしない人だったが、現在のような状態になるすこし前、兵役にとられるはずが病気で除隊になり仲間はほとんど死んでしまった−という話を、作家にしてくれたという。
 寝たきりで、ほとんど動かない映像。ときおり、表情をわずかに変えたり、手を動かしたりするだけで、劇的な変化はなにもない。
 ただ、波乱万丈の年月を生きてきた人間が、寝台の上に、存在していながら不在であるという事態が、現前しているのだ。
 そこには、老人介護という社会的な問題から、終末期を生きる人という哲学的な問題までが、集約されている。シンプルだが、奥の深い作品だと思う。
 
 

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