*単行本の価格は購入時のものです
カラーメイル/藤原カムイ | ヒカルの碁(1〜)/小畑健+ほったゆみ |
スタンダードブルー/宇河弘樹 | エイリアン9(全3巻)/富沢ひとし |
バイオ・ルミネッセンス/志摩冬青 | 入神/竹本健治 |
くみちゃんのおつかい/軽部華子 | MAXI/TAGRO |
電影遊戯/関崎俊三 | 本土決算/志野靖史 |
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とてもきれいな本です。出版社勤めの知人に見せたところ、これは8色刷りだろう、4色とは印刷のきれいさが違うとのこと。1800円もするのはそのためなんでしょう。
1800円の価値がこの本にあるか。値段も確かめず買ってしまったもんで買うときの「むー、高い」という葛藤はなかったんですが、読み終わって値段を知ってなお、いいもの買ったとにまにましてるのは事実であります。
ストーリーは単純です。ある日世界中の色が失われ、世の中はすべて白黒になってしまった。その原因が、色を司る妖精が封印され、守護天使も捕われたためだと知らされた主人公が、封印を解き天使を解放するために旅する物語です。
最初の封印を解き、白黒だった世界に赤が加わる。喜ぶ主人公たち。と同時に白黒だった印刷に赤が加わり、読み手のわたしは「ああなんてきれいなんだろう。」と同じように喜ぶ。主人公たちと同じ体験をむりやり疑似体験させられて。印刷上色が増えていくのがそんなにうれしいかというと、これがうれしいんです。夕焼けの橙が、草原の緑がうれしいんです。こうなると理屈もへったくれもありません。視覚から得る情報はまことに強烈なものがあります。
この手法は反則といえば反則です。物語や絵の力で読み手を引き込まずとも、登場人物と読み手の感情が同期するのだから。印刷メディアとしてのまんがにはこういう使い方もあるのだよということを示したその手法の鮮やかさには、脱帽するしかありません。
装丁のこり方も藤原カムイらしいこの本は、もちろん大人が読んで楽しめるまんがです。でも、今のうちにもう一冊買っておいて、今年生まれた姪が絵本を読める年になったときにプレゼントしようかな‥てなことをふと考えていたりします。年端も行かぬ子供に読ませてみたい。そういう本です。
・エニックス・ガンガンコミックススペシャル | ISBN4-87025-448-4 C0979 1800円(本体1714円) |
去年(1998年)の暮れ。キオスクで見た少年ジャンプの表紙に、碁石を持った少年を見つけたときはかなり驚きました。碁?ジャンプで?
驚きのあまり買ってしまったジャンプに掲載されていた第1話はなかなかの出来でした。ジャンプを毎週読む習慣がなかったので、第2話以降は読んでなかったのだけど。単行本が出たら買ってみようというのは、予定の行動でした。
ただのやんちゃ坊主だった小学生・ヒカルにとり憑いた、平安時代の囲碁名人・藤原佐為(女性←と書いてましたが大嘘です。男でした。恥ずかしい)の魂。彼女に乞われるまま、ヒカルはその存在も知らなかった碁会所に行き、言われるままに碁石を置いて、同い年の天才少年・アキラを負かしてしまう。はじめは囲碁に全く興味を示さなかったヒカルだけど、次第に‥というあたりで1巻は終わっています。
まるで素人の少年が、いきなり強くなる。ライバルもちゃんといる。絵柄も正統派少年まんがなら、ストーリーも正統を歩んでいます。一般的には「わりとよくできた少年まんが」という評価になる、のかもしれません。
だがしかし。このまんが、特殊な読み手に限り、特殊な読後感を残すのです。少なくとも1巻においては。
まんがに囲碁の対局が登場することはときどきあるけど、そこに描かれる碁石の配置は、ほとんどの場合は碁になってません。もちろん連珠/五目並べのそれでもなく、ただ黒石と白石が適当に描いてあるだけ。そりゃ普通のまんが家は碁なんて知らないからしょうがないし、目くじらたてる気もないですが、このまんがの主要な対局シーンは、さすがにしっかり碁になってます。(主要でないのは碁になってないですが)77ページのヒカルがアキラを負かした棋譜、黒のアゲハマ(取られた石)が3つだとすれば、実際に黒2目勝ちです。描くの大変だっただろうなあ、これ。
だがしかし、特殊な読後感の原因はここにあるのではありません。
たとえば、アキラがヒカルとばったり再会した場所として描かれる、市ヶ谷駅周辺の風景。そのあと碁会所へ向かうべく乗った都営新宿線。あるいは、ヒカルが参加するために訪れた、小中学生の囲碁大会の会場。そこで使われるチェスクロック、少年少女たちの表情。これらにリアルさを感じ取る読者はごく限られるはずだけど、でもたとえばわたしは−−そしてたぶん監修の梅澤由香里二段も−−少年たち少女たちがこんな顔をしている(た)ことを「知って」いるし、たとえそこに駅名が示されなかったとしても、そこが市ヶ谷であることがわかったでしょう。それが市ヶ谷である必然性も。
だからどうだと言われると、別にどうということはありません。車を描いたまんが、鳥を描いたまんが、その中にはディテールが正確なものもあればいいかげんなものもある。正確であったほうが、物語のリアリティは増す。一般的にはそれだけのことです。
つまり、このまんがは碁打ちのみ必読のまんがなのです。それもこどものころや学生時代に大会なんかに出ていた、ごく一部の人たちに限り。見知った風景がここにはあります。
心配性のわたしは、そのうちヒカルが日本の名誉を賭けてアメリカ人碁打ちと打ったり、地球の命運を賭けて宇宙生命体と打ったりするんではないかと、いまから心配してます。ジャンプのまんがでリアルを維持し続けることが難しいのはわかってるけど、せっかくすべり出しの出来がいいのだから、ここはひとつがんばってほしいところです。
・集英社・ジャンプコミックス | ISBN4-08-872717-7 C9979 410円(本体390円) |
伊藤明弘、六道神士、宮尾岳、内藤泰弘、がぁさん、やまむらはじめ‥ヤングキングアワーズの連載陣や執筆陣には、ほかでそれなりのキャリアを積んできた人がそろっています。そのなかで数少ない生え抜き新人、宇河弘樹。その初単行本です。
海の便利屋を営む祖父のもとに、いきなりあらわれた少女・志磯(しき)。屈託なく振る舞うその姿は一見元気少女そのものだけど、家出してまで祖父を訪ねたのは、4年前に海の事故で亡くした父親の死について、自分なりの整理をつけるため。祖父の同僚たちに囲まれてさまざまな出来事に対峙していろいろ失敗して、志磯はゆっくりと成長して行く‥‥という、まあそういう話です。海洋舞台の少女成長物語。
初単行本だけあって、このまんがの完成度自体はそれほど高くはありません。
例えば、山場でのコマの割り方。もっと大きいコマを効果的にはさみ、もっとコマとコマの間をとってゆけば、読後感がだいぶ違うはずです。あるいは、しばしば見受けられる不要なギャグ。スパイス代わりにときどきはさむのはいいけど、この物語にはたくさんは必要ないはず。ラストシーンも‥‥描き手としてこれがやりたい気持ちはとてもよくわかるのだけど、でももうひとひねり欲しいよなあ。お約束といえばちょいとお約束にすぎるかなあ。等々。基本的にこの話はとてもいい話なのだけど、そのよさ加減のわりに、個人的にはいまいち引き込まれないのは、そのあたりの理由かなあと思います。
では、このまんがをここでとりあげたのは、未熟な点をつっついて批評したいがためかというと‥もちろんそうではありません。
まんが界開闢以来数十年、大家と呼ばれているまんが家はたくさんいるけれど、そのデビュー作や初単行本を読むと、多くが実につたないのにおどろかされます。ごく一部の例外を除き、最初っから上手い人なんていやしないのです‥絵だって、まんが技法だって。そういう意味ではこのまんがは上々だと思うけど、もちろんそんなことを言いたいのでもありません。
このまんが、主人公の志磯によく似ています。まだよくわかってなくて、未熟なところもあって、でも背筋が伸びていて姿勢がよくて、前を向いている。このまま伸びていけばとても魅力的な存在になりそうな、そんなところがある。「んなもん魅力的な存在になってから見つければいいじゃねえの」と言う人はいるだろうと思うけど、もちろんそれは人それぞれではあるけれど、まんが家のまんががどんどん上手く/おもしろくなっていくのを見るのはとても楽しいものです。少女/女性がどんどん魅力的になってくのを見るのと同じように。(別に少年/男性だってかまやしません。変な意味ではなく)
連載時からこのまんがを読んでいて、スケジュールに追われて泣いて、絵がどんどん荒れていくさまも、1回落としながらそれでもなんとか完結させたのも知っている。単行本ではずいぶん絵がよくなっていて、大幅に加筆したんだろうなあというのも知っている。いろいろ知っているから情がうつっているのかもしれません。でも、それだけではないはずです。
作者・宇河弘樹はけっこう器用な人で、この連載の前にはH系増刊誌に下ネタコメディを描いたりしてるし、中国風や昭和初期風の読切をいくつか発表している。決して正統一本やりの人ではないけれど、正統を描けるというのは貴重なことなのだから、大事にしてくれるとうれしいなあと思います。もちろん次の連載がぜんぜん違うまんがであったとしても、おもしろければそれはそれでいっこうにかまわんのですが。
・少年画報社・ヤングキングコミックス | ISBN4-7859-1891-8 C9979 530円(本体505円) |
雑誌で読んでいてもそうなのですが、単行本でまとめて読むとつくづく思います。なんですか、これは?
おおよそまんがというものにはお約束ごとがあります。コマがあって、コマは場面順に並んでいて、セリフは吹き出して書かれている‥とか。当然、まんが表現はここまで広がりを持つに至っているので、コマ割りもセリフの書き方も多くのヴァリエーションが存在するけど、コマとコマがつながってまんがのストーリーを構成しているというような基本的なところは、ほとんどのまんがに共通しているといっても大丈夫でしょう。
このまんが、そのあたりのお約束ごとがどこかで壊れています。1ページに男の子の顔を縦に3つ並べて「あーつまんない/エイリアンに取り付かれた男子一同」とか、3ページ6コマで「かすみちゃん家の別荘 到着/海/すいか割り/肝だめし/昆虫採集/宿題」とか、こういう表現方法はわたしのまんがの教科書にはありません。「まんがの教科書なんてない、どういう表現をしようとまんが家の勝手だ」というのはまことにもっともな意見で、その一方でわたしのあたまの中には確固としてまんがの教科書が存在して「まんがっつのはこういうもんだ」と書いてあるんです。これはだれのあたまの中にも存在する、はずです。まんがの教科書だけでなく、いろんな教科書が。
教科書にないまんがを読んだとき、読み手は強い違和感に襲われます。「異様なまんが」とか「とっても変」とでも表現しようがないくらい。そこから先、そのまんがを近づけるか遠ざけるかは読み手の個性というものですが。あいにくわたしは変なの大好きなのであります。
内容について簡単に触れておくと、図書係やわすれもの係とかと同じ学級係のひとつ・エイリアン対策係になった小学6年生の3人の少女が、共生型エイリアンをあたまにのっけて他のエイリアンをおっかけたり戦ったりおそわれたり食われて死んだり生き返ったり一体化したりしながら学校生活を送る、というおはなしです。なんでそんなことになっているんだと問われても作品中に説明がないのでわからないし、このまんがに限っては説明のないまま進んでもいっこうに構わない気がします。そんなのはどうでもいい、というのは言い過ぎにしても、説明抜きですでにまんがとして成立してしまっているので。異様な形で。
いろいろな意味で、このまんがは間違いなく最前線に位置しています。新しいもの好きな人。変わったまんがが読みたい人。手広くまんが読んでいると自任しているいる人。そういう人たちであれば、これを読まないという選択肢はないはずです。読んでおもしろいと思うかどうかは、わたしには知るすべもありません。
・秋田書店・ヤングチャンピオンコミックス | (1)ISBN4-253-14607-4 C9979 540円(本体514円) |
(2)ISBN4-253-14608-2 C9979 540円(本体514円) |
完結刊となった3巻では、少しずつ物語の背景が明かされていくと同時に、物語自体はシリアス色を濃くしていきます。いや、ほんとはもともとシリアスな話で、それが明らかになったというべきか。ラストに着地した時点では、このまんがは相変わらず異様なまんがではあるけれど、得体の知れない異様さからSFとしての異様さに収斂されたように思います。2巻までの奔放さがやや薄れた感もしますが、1・2巻/3巻と分けて読まずにはじめから3巻通して読んだら、たぶんまた別の感想を持つことになったでしょう。
これでほんとに完結なのか続きがあるのかが話題になってるけど、個人的にはきれいに完結していて続きはいらないと思います。物語背景や設定の説明はこれ以上あってもしょうがないし。もちろんこちらの想像を凌駕した続編が描かれるのであれば、それは大きな喜びですが。
1997年にラポートから出版されたまんがです。ファンロードに発表された掌編・短編群を一冊にまとめた短編集。作者の初単行本でもあります。
作者の名前は「しま・そよご」と読みます。「そよご」というのが何なのかまだわからないのですが、うちのFEP(WXG)では変換したので、そういう単語があるのは間違いないのでしょう。こんど調べてみます。
収録作品数は多いけど、作品の色調は共通しています。こどもごごろというか、不思議なものを不思議なものとしてそのまま受け入れる感じがベースにあって、それぞれの作品はその上に描かれています。巧みにでも、鮮やかにでもなく、そっと。
読みごたえのある短編集、というのではありません。読後に少し物足りない気持ちが残るのは事実です。では何が足りないかというと、べつに足りないものはありません。そもそも食欲を満たすように作られたまんがではないという、それだけのことです。
虫の声、風のそよぎ、草のにおい、潮の音。古い家のひそとした感じ。この短編集から最初に受けたイメージはそういった静けさ、夏の昼間の静けさでした。それは何度となく読み返した今も変わっていません。
名作でも傑作でもないけれど、いつかまんがを読まなくなるようになるその日まで、この本は本棚のその場所に置いてあるような気がします。そんな本です。
・ラポート・ラポートコミックス | ISBN4-89799-258-3 C9979 530円(本体505円) |
囲碁まんがです。それまでほとんどまんがに描かれることのなかった囲碁が、ここにきて相次いでまんがの題材にとりあげられたのはすこし不思議ではあります。若年者囲碁人口が増えてるかというとそんなことはないし(むしろ減少の一途をたどってるし(そもそも若年者人口が減少の一途だからしょうがないのですが))。梅沢由香里の影響力‥と断じるのは性急に過ぎるでしょう。ジャンプが囲碁まんが始めた意図はジャンプ編集部にでも聞かないとわからないですが、竹本健治のほうは明らかに囲碁が好きだから描いたのです。
この「入神」は「ヒカルの碁」と同じく、囲碁の楽しさをメインテーマに据えたまんがです。ただ両者の描く楽しさはすこし異なっていて、「ヒカルの碁」が囲碁を打つことの楽しさを描いているのに対して、「入神」は囲碁そのものの楽しさを描いたといったほうが近いでしょう。楽しさ、と言ってしまうにはそれはあまりにも業の深いものなのですが。
以前に某所で書いたのですが、このまんがはよくできた囲碁入門まんがだと思います。入門まんがの条件である、うそを書いてないこと、知らない人にもわかること、そのジャンルの魅力が伝わることといった点を、このまんがは十分に満たしています。
では入門まんがとそうでないまんがの違いはなにかというと、そのジャンルについてある程度知っている人をどれだけ引き込むかということだと思います。わたしはアマチュアの碁打ちとしては決して強い部類ではない(アマ三段くらいです)けれど、このまんがに描かれていることの多くは、わりと常識的に知っています。知らない人には耳慣れない数多くの術語はもちろん、登場する実在の棋士たちや架空の登場人物のモデルである実在の棋士たちや、碁を打つ人の集中のしかたやコンピュータ囲碁ソフトが全然弱い(一時期よりはずいぶん強くなったですが)ことや、耳赤や因徹吐血や坂田の外ノゾキのエピソードなどなど。断っておかないといけないのですが、たとえばわたしは耳赤のエピソードは知ってるけど、耳赤の一手の意味は断じてわかりません。藤沢名誉棋聖が神様が100知ってるとすればおれは4か5かと言ったのも、それを伝え聞いたのちにタイトルホルダーとなる若手棋士がそれならぼくは1万分の1だと言った(ということになってます)のも、その線でいけばおれは1000万分の1くらいかと思うのも、決して謙遜でも卑下でもないのです(1000万分の1でさえ驕りすぎかと思うくらいです)。こけおどしでもなんでもなく、囲碁というのはそういうものです。
話をもとに戻して、じゃあ入門まんがでない囲碁まんがはどういう姿をとるのか。ある知人は、江戸時代の家元どうしのドロドロを描いたらおもしろいんじゃないかと言い、それは確かにおもしろいものになるとは思うけど、囲碁そのものを題材に据えるなら、描かれる対局内容がホンモノであることは欠かせないでしょう。このまんがで言えば、牧場=桃井戦の棋譜を巻末に載っけて、一手一手の意味を追っていく。「入神」の場合、作者もあとがきで触れているように、桃井の妙手を描くために実際にはありえない局面を使っているためにそれは不可能なのですが、それ以前にそんなことやってたら1局でまんが数冊分になってしまいます。そして困ったことに、そもそもそういうまんがを読まなくとも、碁が好きである程度の棋力がある人なら、棋譜と解説と碁盤があればそれで十分なのです。
まんがの本筋とは関係ないことをえんえんと書いてしまったけど、「ヒカルの碁」の感想では書かなかったこういうことを書いてしまうことも「入神」が囲碁そのものをテーマに据えていることの証しでしょう。
念のため書いておきますが、「よくできた入門まんが」というのはこのまんがをおとしめているのでもけなしているのでもありません。作者と同じように、わたしもこれを読んで興味を持って囲碁を始める人が一人でも多くいることを願うものであります。なんか最後は国会答弁みたくなっちゃったなあ。でも本心です。
・南雲堂 | ISBN4-523-51402-X C0979 905円(本体) |
本屋でこの本を手にとってみます。表紙を見るかぎり、お耽美系のような気もするけど、なんかちょっと違う気もします。裏表紙と交互に見比べるうち、なんとなく馬鹿にされてる気分になってきます。そこで開いて中を見ます。ぱらぱらとめくってなにやら尋常でない雰囲気を感じとるのは容易なことです。なんだこりゃ。困ったもんだ。
こうしてくみちゃんはわたしのおうちにやってきます。もしかしたらあなたのおうちにも。
‥これで終わってやろうかと思ったけどあんまりなんで続けます。
絵柄はお耽美系に弐瓶勉と桃吐+福耳コンビをまぜこぜにしたような感じです。でもって内容は全然お耽美じゃありません。お耽美まんがの主人公は無表情のままペロペロキャンディーなめ続けたりしないです。この絵柄でスプラッタでギャグなあたり、遠く高橋葉介の血をひいているかもしれません。でもこの子は(もとい)このまんがは正しく90年代のまんがです。なにが90年代かというと設定と登場人物のありさまが。主人公はなんだか魔女の家系にうまれたらしいですが、母はいるけど父はなく、でも父はサーカス団の団長やりながらこっそり母娘を見守ってたりして、そんでもって母の会社(黒魔術信仰会(株))は経営不振のためいきなりサーカス団と合併してしまい、母父は再会します。要約のしかたに問題はあるかもしれないけど、うそは書いてません。
最後にほんとは魔女になりたくなかった祖母が自ら命を絶つくだりは、わりとほろりとくるエピソードです。でもそれまでがそれまでだけに、どういうつもりでこんなエピソード持ってきたんだろうとつい勘繰ってしまったりします。うたぐり深いのはよくないことだけど、生きていくためにはしょうがないのです。
できれば買う前に、カバーのかかってない本屋で確かめたほうがいいです。ぱらぱらめくって見るだけで、この本が自分を呼んでるかどうかわかるはずです。呼ばれてしまったらあきらめて、おとなしくレジへ持ってってください。
・朝日ソノラマ 眠れぬ夜の奇妙な話コミックス | ISBN4-257-90390-2 C0979 760円(本体) |
巻頭の描きおろしカラーイラストは、内容があんまりエロくないんでサービスで入れたのかなあなどと、よけいなことを考えながら確かめると、これ18禁じゃないんですね。小学生でもOKです。でももうちょっと大人になるまで待ったほうがいいかもしれません。いろんな意味で。
あんまりエロくないと言ってもそこはそれ、エロいまんがもあります。あるんだけど、変態博士の実験台になって複乳(2つではありませぬ)になったり単乳になったり体中ま○こだらけになったりするまんがや、腹がなくて体が上下に分かれてる女の子とHしたりしたら伝染っちまったというまんがは、わたしにとってはエロっつうよりはギャグです。エロでギャグでないまんが(I don't know Gabrielle)もあるけれど、強くなり肉体の痛みを覚えることがなくなったアンドロイドが心の痛みを知るというこれは同時に恋愛まんがでもあります。
エロくないのもあります。「宇宙賃貸サルガッ荘」はSF仕立てのほのぼのラブコメだし(いいまんがです)、「スナオちゃんとオバケ国」はエロでもラブでもコメでもなく、似たまんがを探すとすると「のらくろ」くらいまでさかのぼるしか‥というのはうそで、「しあわせのかたち」に近いかもしれません。ちがうなあ。なんというかこどもらしいファンタジーまんがです。大人の描いたものをこどもらしいというのも変ですが。
巻末には「LIVE WELL」が収録されています。同人誌に掲載されたときと比べるとトーンとベタが増えていてセリフが写植になっていて、実はそのままのほうが好きではあったりするんですが、他の収録作とのつりあいを考えると当然のことだろうし、たぶんわたしのつまんないこだわりです。同人誌で読んだときはろくな感想書かなかったのでどうしようかと思ったけど、内容的に読者に予断を与えるようなことは書きたくなくてやめました。いまのところ、1999年のベスト短編です。
・コアマガジン・HHMCコミックス | ISBN4-87734-301-6 C0979 1000円(本体) |
こうやって感想書いてるまんがのなかには、感想の書きように困るまんががときどきあります。ひとつはあんまりにもおのれの好みにどんぴしゃり過ぎて、作品と距離をとって言葉をつなぐことができないとき。これはまんが好きにとって至福のときでもあるわけだけど、そういうわけでもないのにいざ感想書くとなると難渋することがあります。なんで自分がそのまんが好きなんだか、よくわからないときです。
作者の2冊目の単行本であるこの本は、スタント女優を主人公に映画撮影の場をメインステージとして描かれたまんがです。映画は好きだけど、アクション映画はどっちかっつうと守備範囲外に近い(機会があれば見るけど)し、ストーリーとして撮影舞台裏といったふうのこの手の話が特段好きなわけでもありません。特に目の描き方に特徴のある絵は好意をもってながめているけど、好みかというと決して好みではないような気もします。濃いとかくせがあるとかそういうまんがでもありません、わりと普通の娯楽作です。じゃあ、なんで?雑誌に不定期掲載されてたときから追っていて、単行本になったのがかなりうれしい、その理由は?
‥わたし自身、未だ「これ」という理由が見つかりません。であれば答えはひとつ、上手いのです。まんがが。
前述したとおり主人公はスタント女優なんだけど、勝ち気でよく独走する彼女と、不機嫌そうな映画監督という組み合わせは、掲載誌だったヤングアニマルの多くのまんがと違って特定層に受けることがないにしろ、登場人物の造形にしろ、ストーリー展開にしろコマ割りにしろ、上手いまんがだと思います。それがどちらかというとさりげない上手さで、「これ」と特長的に捉えにくいものだから、評判にもなりにくい。でも上手いからそこそこ人気があるし、本も出る。そういうことなんじゃないかと思います。
まあでも「うまい」じゃなんのことやらわからんので、探して見つけた特徴が2つ。ひとつは登場人物の意志の強さ(我が強いとも言います)。これははじめて読んだこのひとの読切「NINE BALL BLUES」の盲目の女性ハスラーにしろ、初単行本に収録された読切「ダウン・ロード」の登場人物たちにしろ、共通して言えることです。もうひとつはテンポのよさでしょう。こればっかりは読んでない人には説明しようがないのですが。
全くどうでもいいのだけど、こんだけ難産だった感想も珍しいです。まあ、それでも書きたいくらいおもしろかったということで。
・白泉社・ジェッツコミックス | ISBN4-592-13304-8 C9979 505円(本体) |
なんでタイトル変えちゃったんでしょう、これ。「よみがえる日本」のほうが好きだったんだけどなあ。こっちのほうが売れると踏んだから、なのかもしれないけど。
小学生のころにたくさん読んだ学習歴史まんが。まんがが好きだったからというより歴史が好きだったからなんですが、それらは大筋としては史実に忠実でありつつ、まんがとしての読みやすさを保つため、架空の登場人物や史実にはないギャグを交えて描いてありました。
ちょっと見ると、このまんがも同じスタイルをとっているように見えます。冒頭に「この作品は、その細部において事実と異なる部分もございますが‥」と書いてあるけど、たぶんこれは冗談です。吉田茂の車がサンドイッチされて大磯まで運ばれたとか、警官隊がいっせいに足踏みしたら安田講堂が倒壊したとか、そもそもタイトルの由来である「本土決算」そのものにせよ、細部のほとんどは事実とは異なります−少なくともわたしの知るかぎり。でもって「‥大枠は戦後史を正確に描写したものです。」のほうは違いないとなると、ふむこれは大人むけの学習歴史まんがかな思われるかもしれません。
でも、このまんがはそういうまんがではありません。少なくともふたつの点で。
ひとつ。このまんがのベースになっているのは、戦後の日本史を本土決算という架空のシナリオを設定して眺めるとこんなふうに見えるんだよという、歴史観の提示です。本土決算と経済至上主義の違いは、いわゆる経済至上主義は社会が主義自体に律されているのに対し、本土決算という概念では経済至上主義が手段に過ぎないこと。つまりは「日本を復興するために、経済至上で行きましょう」ということです。その時代に生まれていなかった身としては推測するしかないけれど、往時の気分としてはこれはそんなに外れていないと思うし、だから「大枠は戦後史を正確に描写」と言われても違和感がないのでしょう。
でもってその歴史観の提示をきまじめにやるのではなく、あるいは学習歴史まんがのようにギャグを交えて描くのでなく、ユーモラスに描いていること。これがもうひとつ。ギャグとユーモアのあいだには百万里の開きがあります。
ユーモアのある表現には、これもふたつのものが欠かせません。対象への客観視と、なにより対象への愛と。そもそもこんなまんがをヤングアニマルに連載し、さらにそのあとでちば賞(だったと思う)に歴史まんがを投稿するなんてお金にならなそうなことは、作者がよっぽど歴史が好きでないとできたもんじゃないはずです。そしてユーモアに欠かせないこのふたつは、華麗な絵やテンポやセンスのよさなどより、ときに読み手を大きく動かすのです。読み手が対象について無関心でなければという条件はつくし、だからこそこれは茨の道なのですが。
単行本装丁で1300円でという形であれ、このまんがを単行本化した祥伝社に感謝します。途中からしかスクラップしてなかったという個人的な理由においても、それ以外の意味でも。
・祥伝社 | ISBN4-396-42008-0 C0979 1238円(本体) |