トンガ

わたしは最近、教会員数について調べていましたところ、いろいろ面白いこと
が分かりました。次のものは教会員数の100万人単位の達成年です。

 100万人 1947年
 200万人 1963年
 300万人 1971年
 400万人 1978年
 500万人 1982年
 600万人 1986年
 700万人 1989年
 800万人 1991年
 900万人 1994年
1000万人 1997年
1100万人 2000年

これを見ると、最初の100万人に達するのに、117年かかっています。
それから200万人には16年、300万人には8年、400万人には7
年、それ以降は約3年ごとに100万人づつ増えています。これを見ると、
教会が着実に成長していることが分かります。

言語別の教会員数を見ると、もっと面白いことが分かります。

英語 ――――――――――――――― 約550万人(約3億人、約2%)
ラテン系(スペイン語・ポルトガル語) 約410万人(約4億5000万人、約1%)
フィリピン系(タガログ語等) ―――  約48万人(約6500万人、約0.7%)
日本語 ――――――――――――――  約11万人(約1億2500万人、約0.1%)
韓国語 ――――――――――――――   約7万人(約4400万人、約0.15%)
サモア語 ―――――――――――――   約7万人(約28万人、約25%)
トンガ語 ―――――――――――――   約5万人(約10万人、約50%)

教会がどの地域で成功しているのかが良く分かります。英語はおそらく、合衆
国・カナダ・オーストラリア・ニュージーランドでしょう。ラテン系言語は、
メキシコと中南米です。そして、フィリピン、日本、韓国、太平洋諸島地域が
続いています。アメリカ大陸と太平洋に面した地域で、成功しているのです。
括弧で示したのは、その地域の人口と、人口に占める教会員の割合です。驚く
べきなのは、太平洋諸島地域です。特にトンガは人口が10万人ほどしかいな
いのに教会員が5万人もいるのです。

太平洋諸島地域の神殿の建設状況を見ていると、まだ、神殿がユタ州にしかに
ない時期の1919年に、世界で5番目の神殿がハワイで奉献されました。
1983年には、サモア、トンガ、タヒチでそれぞれの神殿が奉献されました。
人口は少なく、市町村規模しかない小さな国々ですが、このように早い時期か
ら、この地域には福音が広まっているのです。

地図帳で見ると、トンガの面積は714平方kmで、佐渡島や奄美大島ぐらい
です。国の宗教人口はプロテスタントが99%になっています。

以下は1984年10月の総大会でのグローバーグ長老のお話です。
「トンガ王国は、日付変更線のすぐ近くにある小さな島国です。ですから、世
界中で一番早く安息日と迎えます。トンガは小さな国で、世界の中で見れば貧
しい国です。この国では、ずっと昔に一人の賢い王様によって、安息日を永遠
に聖日とせよという命令が出されているのです。
  それからいろいろな形で近代文明の波がトンガに押し寄せました。平日に首
都ヌクアロハの街を訪れて御覧なさい。いつでもトラックや乗用車が激しく往
来し、豊富な品物を並べた店や市場がいつもの買い物をする大勢の人々で混雑
いているのを目にすることでしょう。また、封切り映画を見たり、ビデオを借
りたりするために人々が列を作るのを見るでしょう。最新型のバスが観光客を
ジェット機まで運ぶのを見たり、通信衛星でアメリカ合衆国と結ばれた電話回
線の速さと明瞭さにも気づくでしょう。街は人や車で混雑し、景気も良好です。
訪れた人は、「何だ、世界のほかの街とちっとも変わらないじゃないか」と思
うかもしれません。
  ところが、日曜日が始まると、トンガ王国はすっかり変わってしまうのです。
通りから人影が消え、タクシーやバスも見当たらなくなります。商店、市場、
映画館、事務所はすべて閉じています。飛行機の離着陸や船の出入りもありま
せん。すべての商売は休みなのです。スポーツの試合も行われず、人々は教会
に行くのです。トンガでは、国全体で安息日を聖く守っているのです。
  世界中で一番先に安息日を迎える国が安息日を守っているというのは、意味
あることです。
  主はトンガの人々を祝福されたでしょうか。世の人々には分からないかもし
れませんが、実に重要な点で、主は豊かな祝福をお与えになりました。イエス
・キリストの福音をお与えになったのです。トンガは、全人口に占める教会員
の割合が世界のどの国よりも高くなっています。
  簡素ながらも手入れの行き届いた教会堂が島のあちこちに点在し、清潔な身
なりをした、いつも笑顔を忘れない地元の宣教師の姿が至る所に見られます。
トンガにはまた、長年の約束が果たされて、とりわけ美しく整えられた神殿が
建っています。しかも、私たちの予想通り、教会員の集会への出席率や什分の
一をきちんと納める割合は、トップを争っています。ここ数年、聖徒たちはか
なり激しい反対運動にあってきましたが、それも心から永遠の生命を求める者
をさらに聖める結果となりました。」(教会機関紙「聖徒の道」より引用)

これら成功している地域の人々(アメリカ大陸や太平洋地域の原住民族の人々)
はレーマン人の子孫(ヨセフの部族)です。主は、再臨が近づくとレーマン人
は義にかなう尊敬される民になると言われました。
「主の大いなる日が来る前に、レーマン人はばらのように花咲くであろう。」
(教義と聖約49:24)
このしるしは、彼らが福音による祝福を受けることによって成就しています。
彼らは、モルモン書は自分たちの先祖の記録だとみなし、誇りをもっています。
太平洋地域の教会員はモルモン書に記されたハゴスの子孫であると信じていま
す。(アルマ63:5−8参照)

NHKの人体3「DNA」という番組では、古代の縄文人と現代のアイヌ人が
遺伝子が同じで、さらに、南アメリカの原住民族と遺伝子がとても近いと言っ
ていました。とすると、日本人も幾分かレーマン人の子孫と言えるし、同様の
祝福を受けるのだろうと思われます。

使徒のアイリング長老は1998年に、日本に来られたとき、宣教師訓練セン
ターで、次のように話されました。
「わたしには、主が日本において、教会を劇的な方法でお建てになり、発展へ
と導かれるという証があります。日本には長い年月の間、同じような状態にと
どまっているかのように見えました。しかし実際には、主は基をお据えになっ
たのです。そして、その基から奇跡は起こるのです。その奇跡は、日本の教会
員の心に大きな変化が生じると言う形で起こります。それは今始まったばかり
なので目に見えないかもしれません。しかし、日本の教会員が職場の同僚や近
所の人たちに教会について話すことを特権だと考える日がやって来ます。皆さ
んの子供たちはあなたが今見ている日本とは違う日本で生きることになります。
なぜなら教会が驚くべき発展を遂げ始めるからです。教会は傑出した存在とな
り、人々は教会について知りたいと思うようになります。彼らは興味を持ち、
やって来ます。皆さんの子供たちはイエス・キリストについて証することを恥
ずかしく感じることのない学校や地域社会で育ちます。彼らは自分たちが末日
聖徒であることを、いっっしょに学校に行く友達や、また先生にさえ喜んで伝
えるでしょう。彼らは恐れません。すべての人が教会に入るわけではありませ
んが、多くの人々が教会員になるでしょう。あなたたちはその始まりを見てい
るにすぎません。その奇跡の幾分かを、ここにいるすばらしい宣教師に続く次
の世代の人々は見ることになります。しかしそれは今始まります。それはこれ
までの日本における教会のイメージを、主が変えてくださることによって果た
されます。日本の教会員が教会に属していることを、また宣教師から福音を学
ぶように人々に勧めることを喜びとする日が来ます。」

きっと、近い将来、日本にもトンガのような状態が訪れるのでしょう。しかし、
アイリング長老は、次のように付け加えています。
「主が、教会外の人々の心を変え、教会に対して尊敬の念を抱くようにされた
としても、それによって宣教師に友達を紹介したいと思わなければ、また周り
の人々が主の教えに耳を傾けるよう、福音が真実であることを行いで示さなけ
れば、主の業は減速してしまいます。」(教会機関紙「リアホナ」より引用)

最も必要とされているのは信仰だと思います。サモアの聖徒たちの純粋な信仰
はモンソン長老の証(その1)で紹介しました。

トンガの聖徒たちの信仰はどのようなものなのでしょうか。1991年8月号
の「聖徒の道」に、トンガの伝道100周年を記念して、「トンガの聖徒たち
―信仰の遺産」という記事が載りました。ここから一部引用したいと思います。

「トンガの初期の末日聖徒の宣教師たちが生存していれば、1991年8月に
迎えるトンガ伝道100周年記念を、まさに奇跡と呼ぶでしょう。スムート長
老とバトラー長老によってサモア伝道部が開設されてからわずか5年9ヶ月後
の1897年にトンガ地域は閉鎖されることになったからです。1891年か
ら1897年の間に、20人の宣教師がトンガで働きましたが、15人のバプ
テスマがあっただけでした。昔のプロテスタントの宣教師たちの努力のおかげ
で、トンガには根強いキリスト教の伝統が存在していたのですが、王とその宗
教に対する義務感や、人々を厳しく見張る村の牧師たちの目もあって、多くは
アメリカ人の末日聖徒から遠ざかっていました。
 1907年に伝道が再開されて、初めはゆっくりと、ついには急速に発展を
遂げ力強い聖徒の群れとなりました。3万を超える教会員、10のステーク、
90の教会堂、(2001年現在では、5万弱の教会員と147の教会堂)
12の中学校、2つの高等学校、そして神殿―これらは、今日のトンガの奇跡
を表しています。
 今日のトンガにおいて、教会が会員数だけでなく、活動や、教会員たちの熱
心さにおいても、これほど顕著な存在になっているのはなぜでしょうか。はか
ばかしい発展もみられず、伝道がむずかしいトンガの地を、世界の中でも目立
って改宗者が増えつづける地域に変えたものは何なのでしょう。
 その答えは、会員たちのこれまでの生活と、そこに見られる会員の生きた証
の中にあります。トンガにおける教会の成長の基がその中に示されるのです。
それは宗教への深い信仰、主のみ業を成し遂げるために厳しい自然の力に立ち
向かう信仰、個人の習慣や先入観を克服しようとする信仰、そして主が祈りの
答えを与えてくださるという信仰です。」

トンガの教会員の証は証集に載せました。
・ツポウ兄弟の証パオンゴ兄弟の証ハビーリ兄弟の証バイカトー姉妹の証

参考)トンガにおけるキリスト教の歴史
 メソジスト派の前身であるウェスレー派の宣教師たちがトンガにキリスト教
を広めました。彼らは聖書を翻訳し、学校や教会を組織しました。
 1831年にタウーファ・アハウ酋長が洗礼を受け、土着の宗教に反対をし
始めてから大きな変化が起こりました。アハウ酋長はジョージという洗礼名を
名乗り、完全に読み書きができるようになって、教会で常任説教師として働き
ました。
 1845年にアハウ酋長がトンガの王になると、非キリスト教国との関係を
極端に縮小しました。ウェスレー教会は国教として受け入れられました。
 1885年にジョージ王は独自のトンガ自由教会を設立しました。形式や教
義の上ではウェスレー教会と同じでしたが、独立した自主管理体制を施行しま
した。この分離により、混乱が起こり、宗教的な不満や怒りが絶えませんでし
た。
 こうした状況の中、1891年に末日聖徒の宣教師がやって来ました。トン
ガの人々は当時、平和と調和を強く望んでいたために、新しい宗教を受け入れ
にくい状況にありました。そのときの宗教紛争により1897年伝道部は閉鎖
されることになりました。
(教会機関紙「聖徒の道」より引用)

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