モンソン長老の証

その1

何年も前のこと、わたしはデビッド・O・マッケイ大管長が深く愛したサモア
のサウニアツという有名な村を初めて訪れました。そのとき、妻とわたしはお
よそ200人の幼い子どもたちが集まった大きな集会に出席しました。これら
の内気な、しかし麗しい幼い子どもたちへの話しを終えると、わたしは現地の
サモア人教師に、閉会行事に移りましょうと言いました。しかし、彼が最後の
賛美歌を発表したとき、わたしはふいに、子どもたち一人一人と個人的にあい
さつしなければならないという強い気持ちに促されました。時計を見ると、そ
のような特権に浴するには時間が短すぎることは明らかでした。出国する飛行
機の時間が決まっていたからです。それで私はその気持ちを打ち消しました。
閉会の祈りがささげられる前に、わたしはもう一度一人一人の子供と握手しな
ければならないと感じました。そこで教師にそのことを知らせると、彼はあの
おおらかで美しいサモア人の笑顔を見せました。そして、サモア語で子どもた
ちにこのことを発表しました。すると、子どもたちも輝くような喜びの表情を
見せてくれました。

教師は、彼と子どもたちが喜んだ訳を次のように話してくれました。「十二使
徒評議会の一員が教会本部からはるか遠く離れたサモアのこの地を訪れてくだ
さるということが分かったとき、わたしは子どもたちに、熱心に心をこめて祈
り、昔の聖書の話のように信仰を表したら、その使徒はサウニアツの小さな村
を訪れて、皆の信仰によって一人一人の手を握ってあいさつしようという気持
ちを抱いてくださると告げたのです。」その貴い少年少女達が恥ずかしそうに
歩み寄ってきて、かわいらしい小声で「タロファラバ」と麗しいサモア語のあ
いさつの言葉かけてくれたとき、私は涙を抑えることができませんでした。あ
つい信仰の表れを、そこにはっきりと感じました。

その2

わたしの友人スタンは、重い病気にかかり、体に麻痺が残りました。歩くこと
も立つこともできなくなってしまったのです。優秀な医師が治療を続けました
が、彼は病院のベッドに横たわったままでした。彼は車いすの生活になりまし
た。ある日、わたしがジムで水泳をしていたとき、静かではあるがはっきりと
御霊のささやきを感じました。
「おまえの友人スタンは病院のベッドで身動きもできずにいるというのに、お
まえは悠々と水泳などしている。病院に行ってスタンに祝福を授けなさい。」
わたしは泳ぐのをやめ、服を着て、病院のスタンの部屋へ急ぎました。ベッド
は空っぽでした。車いすでプールの所へ行ったと看護婦が教えてくれました。
急いでそこへ行くと、スタンがたった独りでプールの一番深いところの縁にい
ました。あいさつを交わしてから、彼の病室にもどり、そこで神権の祝福を授
けました。ゆっくりと、しかし確実に、力と動きがスタンの足に戻ってきまし
た。まず初めに、よろよろとした足で歩けるようになりました。次に、以前の
ように一歩一歩、歩けるようになったのです。

彼は、そのときのことをこのように話しています。あの日の午後、プールの縁
で車いすに座り、絶望的な人生を思い、憂うつな暗い気持ちになりました。そ
れから逃れるため、深いプールに向かって車いすを押し出そうと考えました。
しかし、ちょうどそのとき、友人のわたしの姿が目に入ったのです。スタンは
その日、文字通り、人は独りで歩くのではないことを知りました。その日、わ
たしもまた教訓を得ました。決して、決して、決して、御霊のささやきに従う
のを引き伸ばしてはならないということです。

その3

何年も前、わたしが監督をしていたときのことです。ワードの会員のメアリー
・ワトソンが州立病院に入院したという知らせを受けました。早速見舞いに行
くと、たくさんベッドのある大部屋だったので、彼女を探すのに苦労しました。
ようやく彼女を見つけてベッドに近づき、言いました。
「こんにちは、メアリー。」
彼女が答えてくれました。
「こんにちは、監督さん。」
わたしはそのとき、メアリー・ワトソンの隣のベッドの患者が、シーツの下に
顔を隠したのに気づきました。わたしはメアリー・ワトソンに祝福を与え、握
手して、「さようなら」と別れを告げました。しかし、どういうわけかその場
を離れることができません。まるで見えない手が肩に置かれているかのようで
す。そして、心の中に次のような声が聞こえてきました。
「あなたが来たとき、隣のベッドで顔を隠した小柄な女性の所へ行きなさい。」
わたしはそうしました。導きを受けたら引き伸ばしてはならないことを経験か
ら学んでいたからです。わたしは隣のベッドに近づき、優しく肩をたたいてか
ら、顔を覆ったシーツをゆっくり下げていきました。何ということでしょう。
彼女もワードの会員だったのです。彼女が入院しているなんて知りませんでし
た。名前をキャスリーン・マッキーと言います。彼女はわたしの目を見ると、
涙ながらに言いました。
「ああ、監督さんがドアから入ってきたとき、わたしの祈りに答えて、祝福し
に来てくれたと思ったのです。ここにいるのを知ってくれたのがうれしくて。
でも、他の人の所へ行ったので、がっかりしました。わたしに会いに来たんじ
ゃなかったのだと。」
わたしはキャスリーン・マッキーに言いました。
「わたしが知らなかったことは、問題ではありません。大切なことは、天父が
御存知だったこと、あなたが神権の祝福を静かに祈り求めたことです。わたし
をあなたの所へ導いたのは天父なのです。」
祝福が与えられ、祈りは答えられました。わたしは彼女の額にキスをし、御霊
の導きに感謝しつつ病院を出ました。この世でキャスリーン・マッキーに会っ
たのは、それが最後でした。しかし続きがありました。

彼女が亡くなったとき、病院の人が尋ねてきました。
「モンソン監督、キャスリーン・マッキーが今晩亡くなりました。彼女は万一
の時に、あなたに知らせるよう手配していました。そして、彼女の地下のアパ
ートの鍵をあなたに残しました。」
キャスリーン・マッキーには身寄りがありませんでした。わたしは愛する妻と
一緒に彼女の慎ましいアパートへ行きました。鍵を開けて中に入り、電気のス
イッチを入れました。清潔な2間のアパートでした。小さなテーブルの上に薬
の瓶と、その下にキャスリーンの手書きのメモが置いてありました。こう記さ
れていました。
「監督さん、什分の一がこの封筒の中にあります。薬の瓶の中のコインはわた
しの断食献金です。これで主に認めていただけます。」
こうして彼女への領収書が発行されました。あの夜のすばらしい気持ちを忘れ
ることができません。神への感謝の涙がわたしの心をぬらしたのです。

その4

わたしは監督として、教会から離れている人、集会に出席していない人、責任
を受けていない人のことをいつも心配していました。ベンとエミリーの住んで
いる辺りを運転していたときも、そのような気持ちを感じました。彼らは老齢
になり人生のたそがれを迎えていました。高齢者につき物のうずきと痛みのた
めに活動から遠ざかり、家に閉じこもりきりでした。日々の生活の主だった活
動や交際から孤立し、引き離され、締め出されてしまったのです。わたしはそ
のとき集会に行く途中でした。しかし間違いなく御霊のささやきを感じて、ベ
ンとエミリーを訪問するために車を止めました。わたしは家のドアをノックし
ました。エミリーが出てきました。相手が監督のわたしであることに気づくと、
彼女は言いました。
「一日中電話が鳴るのを待っていたのに、電話は鳴りませんでした。郵便屋さ
んが手紙を届けてくれるかと思いましたが、届いたのは請求書だけ。監督さん、
今日がわたしの誕生日だとどうしてわかったんですか。」
わたしは答えました。
「神様はご存知です。エミリー、あなたを愛しておられますから。」
静かな居間に通されたわたしは二人に言いました。
「今日どうしてここに導かれたのか、わたしには分かりません。でも天父はご
存知です。ひざまずいて祈り、天父にその理由を尋ねてみましょう。」
わたしたちは祈り、答えが与えられました。エミリーは聖歌隊に入って、来る
べきワード大会で独唱をするよう依頼されました。ベンは、御霊のささやきに
従ったときに身の安全が守られたという経験談をアロン神権の若人に話すよう
に頼まれました。エミリーは歌い、ベンは話をしました。そして、二人が活発
になったことに大勢の人が喜びました。二人はその日から天父のもとに召され
るまで、聖餐会を欠席することはほとんどありませんでした。御霊の言葉が与
えられ、聞いて理解されたのです。心が動かされ、人が救われたのです。

(教会機関紙「聖徒の道」「リアホナ」より引用)

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