災い

 

 

地獄から流入を通して有毒な物が地上に生み出されている

2001.9.11テロ新破壊兵器戦い

洪水干ばつ不幸地震病気飢饉

 

 

 

 

1.災い

2.洪水

3.地震

4.旱魃(かんばつ、干ばつ)

5.飢饉

6.疫病

7.戦争

8.神はすべてを常に把握していて、罰のためには、この世の蟻や虫に至るまで使えることを覚えておきなさい

9.災いは人間が引き寄せる

10.災いは必要

11.天罰を遠ざける

12.あなた方がこの世の者たちから讃えられるなら災いである

13.災いへの対処法

14.「この度はわたしはわたしの災いをことごとく送ろう」(出エジプト記9・14)

 

 

 

 

1.災い

 

 

聖母から司祭へ1987.12.31

 

次に、あなたたちの時代に、自然界の災難がふえてきました。地震、ひでり、洪水、さまざまな災難が起こり、そのため突然、いく千人もの人が死に、またいたる所に拡がっていく伝染病と不治の病気があります。

 

 

 

デボラ/生ける神より明かされた英知/5巻下P20

1999年8月17日

  あなたに言う。私は弱い人たちの苦しみを通して、強い人たちを断食状態に置くだろう。彼らが私の威厳を体験しなくてもすむように、あなたの祈祷を私に与えなさい。(お声の調子は、特別に厳しいものです)。私は、激烈な地震の罰を制止することはしないだろう。その時のために準備しなさい!

 

 

 

 

2.洪水

 

 

天界の秘義660

 

『洪水』により悪と誤謬の氾濫が意味されていることは前に最古代教会の子孫について述べられていることから明らかである、すなわち彼らは醜悪な幾多の欲念に取り憑かれ、信仰の幾多の教義的なものをその中に浸してしまい、その結果真理と善を尽く消滅させる誤った信念を持つと同時に、残りのものに対する道を閉じてしまい、それが働きかけることも出来なくなってしまったため、彼らは彼ら自身を滅ぼさないわけにはいかなくなったのである。残りのものに対する道が閉ざされる時は、人間は最早人間ではなくなってしまうが、それは彼はもはや天使により守られることは出来なくなって、人間を破壊することのみを究め、欲求している悪霊らに全く取り憑かれてしまうためである。ここから洪水以前の人々の死が生まれたのであって、それが洪水により、または全的な氾濫により記されているのである。悪霊から流入する諸々の幻想と欲念とは洪水に似ていなくはなく、それでそれは聖言の色々な所に洪水または氾濫と呼ばれている。

 

 

 

聖母から司祭へ1986.7.30

 

 それで、わたしは、わたしに奉献された愛する子らであるあなたたちに、世間から、毎日の心配から、また、被造物と、あなたたち自身への不純な愛着、そして中途半端な生活となまぬるさ、日毎に広がっていく無味乾燥から高く離れるようにと、招きます。

 天の母が、あなたたちの救いのために準備してあげた避難所にのがれなさい。それは、すでに襲いかかっている大嵐の恐ろしい日々を、わたしの汚れなき心の中で安全に過ごすことができるためです。

 わたしは、新約の箱舟ですから、わたしの中に非難するのは今です。

 ノアの時代、大洪水がはじまる前、この恐ろしい天罰をのりこえて生き長らえるように神が定めていた人々が箱舟に入りました。

 今のこの時代にも、わたしは、汚れなきこの心の中に作りあげた新約の箱舟に入るようにと、すべてのわたしの子らを招きます。それは、主の日の到来に先だって、わたしの子らが大きな試練の血まみれの重荷を耐えしのぶように、わたしの助けを受けられるためです。

 よそを見ないでください。昔の大洪水のあのときと同じようなことが今おこっているのです。それは、人々が待ちかまえているこの恐ろしい天罰のことを誰も考えないことです。

 だれもが、自分のことだけに、自分の世間的利益のことだけに、楽しみに、どんな方法を使っても自分の不純な邪欲を満足させることだけを考えるのに忙しいからです。

 

 

 

 

3.地震

 

 

天界の秘義3355

 

 内意では『地震』は教会の状態における変化を意味していることは以下から明白である、すなわち『地』の意義は教会であり(566、662、1066、1067、1262、1733、1850、2117、2118、2928番)、『震えること』または動くことの意義は状態の変化であり、ここでは、教会の事柄にかかわる、すなわち、善と真理との方面の変化である。そのこともまた聖言の他の記事から明白である、例えばイザヤ書には―

 

 怖ろしい者の声から逃れる者は坑に陥り、坑の中から出て来る者は罠にかけられるようになるであろう、瀑布は高い辺りから開かれ、地の基は揺るがされた、地はこぼたれ、またこぼたれ、地は動かされ、また動かされ、地はよいどれのようによろめき、またよろめき、小屋のように彼方此方に揺れる、そのとがはその上に重くかかり、かくてそれは倒れて、再び起き上がりはしないであろう。かの日エホバは高い辺りに高い所の軍勢に、土地の上で諸王に報いられるであろう(24・18−21)。

 

 この記事では『地』は教会であることは明白である、なぜならとり扱われているものは、教会であって、その基礎が、もはや善と真理とが知られなくなると、『揺るがされる』と言われ、教会自身は『くだかれ、動かされ、あちらこちらとよろめき、揺れる』と言われるからである。『土地の諸王』は真理であり、ここでは報復される[報いられる]誤謬である。(『王』は真理であり、その対立した意義では、誤謬であることについては、前の1672、2015番を参照、『土地』は『地』のように教会を意味しているが、しかしそこには相違があることは、566、1068番を参照)。

 

 

 

 

4.旱魃(かんばつ、干ばつ)

 

 

天界の秘義2240

 

『水』である知識が何ら存在しない

 

 

 

天界の秘義3580[2]

 

ハガイ書には―

 

 天は閉じられて露を降らせない、地も閉じられて作物を実らせない。わたしは地に、山々に、穀物に、新しいぶどう酒に、土地の生むものに干ばつを求めた(ハガイ1・10、11)。

 

 ここでは『干ばつ[日照り]』は露と雨が欠けていることを、かくて善から派生している真理が欠けていることを意味し、『穀物の上の干ばつ[日照り]』は善が欠けていることであり、『新しいぶどう酒の上の干ばつ[日照り]』は真理が欠けていることである。

 

 

 

 

5.飢饉

 

 

天界の秘義1460[2]

 

『飢饉』は知識の欠乏を意味していることは、聖言の他の所から明白であり、例えばイザヤ書には―

 

 かれらはエホバの御業を熟視しない、その御手の為されることを見ない。それでわたしの民は知識を持たないため、捕らわれるようになる、かれらの栄えは飢饉で死ぬ者であり、その多くの者は渇きのためにやかれている(5・12、13)。

 

 『飢饉で死ぬ者』は天的なものにかかわる知識の欠乏を意味し、『多くの者が渇きのためにやかれる』は霊的なものにかかわる知識の欠乏を意味している。

 

 

 

天界の秘義5360

 

『飢饉』の意義は真理と善との欠如であり(1460、3364番)、従って荒廃[荒涼]である。飢饉はこのような欠如、または荒廃を意味していることは、天的な霊的な食物は善と真理以外の何ものでもないためである。これらのものは天使たちと霊たちとを養うものであり、またかれらが飢えたとき切望し、渇いたとき渇望するものであり、それでまた物質的な食物はそれに相応しているのである―例えばパンはたは食物に属している凡ゆる物と同じく、パンは天的な愛に、ぶどう酒は霊的な愛に相応しているのである。それゆえこうしたものが欠けているとき、『飢饉』がおこり、聖言にはそれは『荒廃』と『剥奪』と呼ばれており―真理が欠けたときは『荒廃[荒涼]』、『善』が欠けた時は、『剥奪』と呼ばれているのである。

 

 

 

6.疫病

 

 

天界の秘義7102〔2〕

 

 聖言には四種類の剥奪と刑罰とが記されている、即ち、剣、飢饉、悪い獣、疫病が記されており、『剣』により真理の剥奪と誤謬の刑罰とが意味され、『飢饉』により善の剥奪と悪の刑罰が意味され、『悪い獣』により誤謬から発した悪の刑罰が意味され、『疫病』により、誤謬からは発しないで、悪から発している悪の刑罰が意味されているのである。

 

 

 

天界の秘義7102〔3〕

 

『疫病』により悪の刑罰とその堕地獄とが意味されていることは以下の記事から明白である。エゼキエル書には―

 

 荒れた所にいる者らは剣によって死に、畠の面にいる者をわたしは野獣に与えて、これをかみ食わせ、砦と洞穴とにいる者らは疫病で死ぬであろう(エゼキエル33・27)。

 

『荒れた所で剣により死ぬこと』は真理を剥奪されて、そこから誤謬の堕地獄(の状態)にあることを意味し、『畠の面にいる者が野獣に与えられてかみ食われること』は誤謬から発した悪にいる者らの堕地獄(の状態)を意味し、『砦と洞穴とにいる者らが疫病で死ぬこと』は、誤謬によって悪を強固にする悪そのものの堕地獄(の状態)を意味している。

 

 

 

 

7.戦争

 

 

天界の秘義6656

 

「戦い」の意義は真理と誤謬についての争闘であり、すなわち、霊的な争闘である。(1664、2686)

 

 

 

 

8.神はすべてを常に把握していて、罰のためには、この世の蟻や虫に至るまで使えることを覚えておきなさい

 

 

マリア・ワルトルタ/聖母マリアの詩 下/P253

 

あなた方には、この奇跡に神の正義が不在だと見えても、神はすべてを常に把握していて、罰のためには、この世の蟻や虫に至るまで使えることを覚えておきなさい。

 

 

 

 

9.災いは人間が引き寄せる

 

 

神の愛と知恵345

 

地上の有害な物は人間から発し、引いては地獄から発していることは、聖言に記されているように、カナンの地の状態により示すことができよう。すなわち、イスラエルの子孫が誡命に従って生活した時、地はその作物を増し、羊と牛も同じようにその仔を増したのであるが、彼らが誡命にそむいた生活をしたとき、地は不毛となり、記事に従えば、呪われ、作物の代りに、いばらとおどろがはえ、羊と牛は早産し、野獣に襲われたのである。エジプトのいなご、かえる、しらみからも同じことを推論することができよう。

 

 

 

ヴァッスーラ/神のうちの真のいのち/2巻P276

‘88・8・15 被昇天の祝日

 

主イエスよ、祝福をお受け下さい。

 

♡主なる私はあなたを祝福する♡ 我が聖心は痛みにあえいでいる、私を愛し、祝福し、探し求めるすべての人は、茨の棘に包まれた私を癒し 慰めてくれるように、私は小さな霊魂たちのほうを向き そのほうに行く、そこには小さいがゆえに憩いがある、安らぎがある、

 

ああ イエス、そのように苦しんでおられるのを感じて私はとても辛い・・・

 

救われる必要のある霊魂のために祈りなさい、私に向って祈りなさい 私の名は救う−者(He‐Who‐Saves)。 時が失せている、もう清算する日々が始った、報復の時代が来ている、この時代の罪があまりに大きく 背教が非常に深刻なため 私どもの心はどちらも その不正と目にあまる背きによって たび重ねて貫き通された、私に立ち返り 私のほうを振り向くようにと懇願する そうするなら本当に赦す! 愛にしっかりと留まるなら 祝福を降り注ぐ、互いを正しく扱い 親切にし、互いに愛し合い、我が光の子となりなさい。 どのように多くの艱難が近づいているかを理解しなさい、それらはあなた方の霊魂に蓄積した悪によって引き起こされている、私に立ち帰り 我が血潮で清められなさい ♡

 

 

 

ヴァッスーラ/神のうちの真のいのち/3巻P45

‘88・10・5

 

この時代は新たなソドムとゴモラを 自分たちのさ中に造ってしまったのだから。 彼らは今降りかかっている災難が 私からのものだと信じるほどになった、悪を引きつけるのは悪であり 自分で支払った報いを今受けているとは 決して理解せずに。

 

 

 

ヴァッスーラ/神のうちの真のいのち/4巻P158

 

 聖母:

 時がせまっていながら 多くの者たちはいまだに気づかないで 深い眠りにひたっています。 日がなくなり私の心は今日の若者たちを天上から見ていて 深い悲しみに沈んでいます。 

 

愛が欠けています・・・けれど彼らは愛と出遭ったこともないのです、彼らの多くは 母親に与えるものがなかったため そのぬくもりや愛情さえ受けたことがありません。世は冷たくなってしまいました、氷のように、そして両親は互いに歯向かい、子どもは愛情の不足から両親に歯向かいます。 子どもが愛を乞うても母親はそれを拒んでしまいます。世には愛の心がありません、憎しみ、貪欲と自己本位が 地球全体をその中核まで支配しているため 深い暗やみの中にあるのです。

 

この暗い世の中の罪 そして聖櫃そのものの中に浸透していった背教、こうした恐ろしい光景に身震いしています、災難、飢饉、不幸、戦争や疫病、このすべてはあなた方が引き寄せたものです。地上から来るすべては地上に戻ります。地上は自らを破壊しているのです そして多くの人はそう信じがちですが このすべての災いのもとは 神ではないのです。 

 

神は義なる方で 慈しみに満ちておられます、けれど悪が悪を引き寄せるのです。 一所懸命祈りなさい、あなたの時代の改心と救いのために 心から祈りなさい。私の子どもたちよ、あなた方の祈りが必要です、祈ってください それを神に捧げましょう。 どこへ行こうと 必ず一緒にいます。私の子どもたちであるあなた方を、決して離れません。 皆に祝福を与えます。

 

 

 

ヴァッスーラ/神のうちの真のいのち/10巻P193

‘01・11・13

 

「神に由来するどんな話にも 進んで耳を傾けよ」という意味が分かっていようか? あなたはずっと耳を傾けてきたか? 被造物のどの行為もその者の眼の前にある。 あなた自身の手と罪によって今や 私の花(*)は災難、疫病、飢饉、悲しみ、戦争、流血や死にとって代わられてしまった。

 

もう長年 川のようにあなた方を訪れては、この荒れ地に祝福をもたらし、我が祝福をもって 洪水のように浸してきた。 空にはしるしを現し 洗足の天使たちを送っては、あなた方の心を、我が言葉によって燃え立たせてきた、時代よ、彼らを送っては警告を与えてきた 自らの罪を悔い改め、祈り 罪の償いをして、生き方を正していかないなら、そして我が聖体を尊び 聖なる生き方をして、私と一致し 私を心に封印としておかないなら、自分自身の落ち度によって、地上のあらゆる悪を引き寄せる と。 地より発するすべては 地上に戻る。 世界全体が そのような悪に満ちている。

 

*祝福の比喩的表現

 

 

 

マリア・ワルトルタ/イエズスに出会った人々1/P261

 

そうです。皆がそう考えれば互いに憎しみはなくなります。さっき、あなたは、あの人たちの“宗教”は何でしょう、と言ったけれど、それに私が答えます。

 第一の掟は、神と隣人への愛を命ずる聖なる宗教です。敵国であっても、法律への従順を教える宗教です。イスラエルの兄弟たちよ、聞きなさい。神のゆるしなしにこの世で起こることは何もない。自国にとって比類もなく不幸な、敵の侵入にしてもそうです。しかし、そこの人々が率直に自分の行動を調べるならば、そのような不幸はほとんどいつも神にそむく己の生き方によるものだと告白すべきです。

 

 

 

マリア・ヴァルトルタ「手記」/天使館/P80

 

‘43年8月20日。

イエズスは言われる。

「ここ数年来、とくに第二番目の千年紀を締めくくろうとしている今世紀の初め以来起っていることをじっくり観察するなら、七つの封印が開かれたと考えずにはいられないだろう。わたしが、わたしの選んだ人々の隊列を集め、彼らと出陣するため、わたしの天使たちと力を合わせて、人類に深淵の扉を開こうと画策する神秘的な勢力に戦いを挑むため、わたしの言葉をたずさえ、あなたたちのあいだに戻ってくるに当って今ほど気持ちが高ぶったことはかつてない。

 戦争、飢饉、疫病、殺戮兵器―これらはわたしの最愛の者によって言及された獰猛な獣よりもたちが悪い―地震、天におけるしるし、地球の内臓の噴出、愛のうながしを受けた小さな霊魂たちを神秘的な道に向わせる奇跡的な呼び出し、わたしに忠実な者たちに対する迫害、霊魂の気高さと肉体の卑しさ、わたしの怒りとわたしの正義の時があなたたちに迫っていることを知らせるしるしに欠けるものは何ひとつない。

 

 

 

マリア・ワルトルタ/天使館第3巻上170・8 P127

 

『反乱を起こさず泣くことが出来るわたしは幸いだ』。

 地球上には悲しみがあります。また悲しみは人に涙を流させます。悲しみはありませんでした。しかし人間はそれを地球に持ち込み、その知性の堕落は、それを増大させるためにあらゆる方法を用いてますます研究を重ねたのです。病気に加えて落雷、嵐、雪崩、地震に由来する災害、これに人間は苦しみ、また何よりも苦しませるために―なぜならわたしたちは自分たちではなく、他人のみが苦しむのを願い、苦しみを与えるためにその方法を考えようとするから―ますます巧妙な精神的冷酷さでますます恐るべき殺人兵器を考え出します。サタンというその王の密かな扇動によって、人間が、どれほどの涙を人間に流させていることか! にもかかわらず、まことにわたしはあなたたちに言います、これらの涙は障害とはならず、それどころか人間を完成します、と。

 

 人間は不注意な子供であり、軽率でぼんやりしていて、落涙が彼を大人にし、内省的にし、聡明にしない限り、生まれつきの知恵遅れです。泣く者だけが、また泣いたことのある者だけが、愛することを知り、理解することが出来ます。泣く兄弟たちを一様に愛し、彼らの悲しみを理解し、悲嘆に暮れて一人でいることが、どんなによくないことかに精通したその善良さで、彼らを助けるのです。彼らは神を愛することを知っています、というのも神以外の一切が悲しみであると理解し、神の胸に顔を埋めて泣けば、悲しみは晴れることを理解し、信仰を粉々にせず、祈りを枯渇させず、反乱には一指も触れさせず、本性を変え、悲しみから慰めとなる甘受された涙を理解したからです。

そうです。主を愛しつつ泣く者たちは慰められるでしょう。

 

 

 

 

10.災いは必要

 

 

ルイザ・ピッカレータ/被造界の中の神の王国/4巻P165

1902年3月3日

 

「我が娘よ、時々私が来ないことは必要である。そうでなければ、いったいどうやって私の正義を吐露すればよいのか? 人間は、私が罰を与えないのを見て、ますます横柄になるだろう。だから戦争や災難は必要なのだ。その企画と方法は非常に痛々しいものであるが、その結果は喜ばしものとなるだろう。あなたが先ずすべきことは、私の意志の受託であるということを、あなたは知っているはずだ。」

 

 

 

マリア・ワルトルタ/天使館第3巻上170・8 P127

 

(前略)サタンというその王の密かな扇動によって、人間が、どれほどの涙を人間に流させていることか! にもかかわらず、まことにわたしはあなたたちに言います、これらの涙は障害とはならず、それどころか人間を完成します、と。

 

 人間は不注意な子供であり、軽率でぼんやりしていて、落涙が彼を大人にし、内省的にし、聡明にしない限り、生まれつきの知恵遅れです。泣く者だけが、また泣いたことのある者だけが、愛することを知り、理解することが出来ます。泣く兄弟たちを一様に愛し、彼らの悲しみを理解し、悲嘆に暮れて一人でいることが、どんなによくないことかに精通したその善良さで、彼らを助けるのです。彼らは神を愛することを知っています、というのも神以外の一切が悲しみであると理解し、神の胸に顔を埋めて泣けば、悲しみは晴れることを理解し、信仰を粉々にせず、祈りを枯渇させず、反乱には一指も触れさせず、本性を変え、悲しみから慰めとなる甘受された涙を理解したからです。

そうです。主を愛しつつ泣く者たちは慰められるでしょう。

 

 

 

サンダー・シング/聖なる導きインド永遠の書P240/神との対話

 

 神の法は人の霊的健康と幸せのためにあるのだから、それに対立すれば霊的苦悩を生むのは当然である。神はこうした神の意志への対立と反逆の状態を一掃してしまうことなく、この世が人間の住処(すみか)として創造されたものではなく、人間にとって異邦の地であることを人にわからせるために、それをお使いになっている。

 この世は、人を完全な不滅の内へと準備させるためのものにすぎない。また、打ち続く不幸も、人が不注意になり、真理から外れてこの滅ぶべき世と運命を共にしたりせぬよう、霊魂を目覚めさせるために与えられているのである。人は創造主との聖き交わりに入り、現(うつ)し世の悲哀から逃れたのちに、永遠の幸福と平和の天界に入るべく意図されている。

 

 

 

マリア・ワルトルタ/イエズスに出会った人々3./P336


「けれども病気、死、災い、悲惨な出来事が続き、皆に見捨てられる時、信、望、愛を忘れず、 『いとも高き御方の望みが実現されますように。今起きていることは私にとって有益です』と 変わらず言える人こそ、まことに言うが、神の助けを受けるに値するのみならず、神の国での 住まいが用意され、もはや清めを必要としない。」

 

 

 

 

11.天罰を遠ざける

 

 

聖母から司祭へ1984.1.21

 

 こん日、福音は、小さな人の単純さをもって、また、殉教者の熱烈さをもって、そして勇敢なあかし人の忠実さをもって守らなければなりません。そのためにこそ、わたしは、祈りと、つぐない、苦業、善徳の実行と、信頼と希望、そしてしだいに完全なものとなっていく愛徳の実行へと、あなたがたに呼びかけます。

 わたしがいいたいのは、このことです。それで、わたしの言葉に含まれている予言にとどまってはなりません。その予言は、あなたがたが現在生きているこの時代を理解させようとする一つの努力にすぎないのです。

 わたしが、母としての立場から、あなたがたがさらされている危険や、迫っている脅威、起きようとしている悪について話すのは、他でもありません。それらの悪がまだまぬがれ得るもの、その危険から逃れられるもの、そして、神の正義のご計画が、そのあわれみ深い愛の力で、いつでも変更可能なものだからです。

 わたしが、天罰を前もって知らせるときにも、それらはすべて、あなたがたの祈りと、つぐないを捧げるその改心の力によって、一瞬のうちに変え得るものであることを思い出しなさい。

 それで、予言されたことが実現しなかったなどといってはなりません。かえって、わたしと共に天のおん父に感謝してください。祈りと、奉献と、あなたがたの苦しみ、それに、わたしの大勢のあわれな子どもたちのかぎりない苦しみをかえりみて、天のおん父は、正義の“とき”をなおさら延してくださいます。この延期は、大きなあわれみの期間が花さくためです。

 

 

 

聖母から司祭へ1988.8.15

 

 わたしのたくさんの子らが、祈りと償いをもって、大きく応えたので、わたしは、全人類にかかるはずだった一つの大きな天罰を、また遠ざけることを、神の正義から得ることができたのです。

 

 

 

 

12.あなた方がこの世の者たちから讃えられるなら災いである

 

 

サンダー・シング/聖なる導きインド永遠の書P243/神との対話

 

この世の人々があなた方を迫害し中傷しても、それに驚き悩んではいけない。この世は、あなた方にとって休息所ではなく戦場である。あなた方がこの世の者たちから讃えられるなら災いである。それは、あなた方が彼らの悪しきやり方と習慣に合わせていることを証しする。わが子供たちを讃えるのは、彼らの性質そのものに反することである。光と闇とは共存できない。悪人たちがその本性と逆のことをしているとみせかけ、迫害をやめるなら、あなた方はいっそう大きな害を被っている。彼らの影響が霊的生活の中にまで入り込み、あなた方の霊的進歩が阻まれているからである。

 

 

 

 

13.災いへの対処法

 

 

マリア・ワルトルタ/イエズス―たそがれの日々/P139

 

神が人間とともにおられるなら、人間は災いに遭うとき、それに対処できるが、もし神が人間とともにおられないなら、災いにあたって人間は何一つできない。(中略)けれども神がともにおられるようにするには、正義のために働くことが必要である。

 

『天にとって、兵隊の数が多いか少ないかは問題ではない。戦いの勝利は兵の数によるのではない。力は天から下る』と、マカバイのユダが言った。この世のことに当てはめれば、善は財産とか勢力とか、あるいは外から来るその他の理由によるのではなく、天から来る助けによる。よいことのために助けを頼むとき、その助けは来る。マカバイのユダが言うように、『我々は命と法のために戦おうとしている』なら、そのとき、天の助けがある。

 

しかし、悪い、あるいは汚れた目的のために神の助けを頼むなら、その効果を待つことは空しい。神はお応えにならないだろうし、あるいは祝福の代りに罰をもって応えられるかもしれない。

 

 

 

マリア・ワルトルタ/マグダラのマリア/P138

 

 おまえは、その仕事でいつも危険にさらされている。神はおまえと一緒におられるから嵐を恐れるな。しかし、おまえと一緒に不正があれば強く恐れよ。分かったか。

 

 

 

 

14.「この度はわたしはわたしの災いをことごとく送ろう」(出エジプト記9・14)

 

 

天界の秘義7541

 

「この度はわたしはわたしの災いをことごとく送ろう」(出エジプト記9・14)。これは、来るべき悪がことごとく彼らに殺到することが起こるようになるであろう、を意味していることは以下から明白である、すなわち、『災い』の意義は悪であり、ここでは、来るべきいくたの悪であって、そのため彼らは全く地獄に投げ込まれさえもしてしまう、であり、そうした理由から、『凡ゆる災い』と言われており、『つかわすこと』の意義は殺到するからである、なぜなら他生では悪はその悪とともにその刑罰を伴っており、いわばその悪自身の中にそれを持っているからである(696、697、1857、6559番を参照)。ここから『わたしはわたしの災いをことごとくと送ろう』により悪は凡て彼らに殺到するであろうということが意味されているのである。

 

 

 

天界の秘義7541[2]

 

「災いが次々と他の災いに続き」、かくて悪い者は継続的に地獄に投げ込まれることは秩序に応じており、それでここにそれらは凡て共になって殺到することが起こるようになるであろうと言われているのである。教会の人間は死後の生命の状態について何らの知識も持っていないため、人間は身体の生命の後ではすぐに天界へ挙げられるか、または地獄へ投げ込まれるかすると信じているが、しかしそのことは、たとえ時間の点で、また状態の点で非常な相違はあるものの、徐々に起るのである。天界に挙げられる善良な者のもとでは、悪は徐々に分離されて、その善良な者は世で得た受け入れる能力に応じていくたの善を満たされるのである。そして地獄へ投げ込まれる悪い者のもとでは善は徐々に分離されて、その悪い者は、世で得た受け入れる能力に応じて悪を徐々に満たされるのである。

 

 

 

天界の秘義7541[]

 

さらに人間は他生では新しい状態に入って、いくたの変化を受けるのである。天界に挙げられつつある者は、また後に(天界へ)挙げられたときは、永遠に完成されるが、しかし地獄へ投げ込まれつつある者は、また後に投げ込まれたときは絶えず痛ましさを増してゆく悪をなめ、そのことが彼らが何人にも敢えて、悪を行おうとはしなくなるまで続いて行くのである。その後彼らは永遠に地獄に止まって、そこからは連れ出されることはできない、なぜならたれかに善を欲することは彼らに与えられることはできず、ただ刑罰を恐れるあまり、悪を為さないことのみが与えられて、悪を為そうとする欲望はいつも残っているからである。