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■竹内浩三■ |
■竹内浩三略歴へ ■作品集一覧へ >TOP ■つい一昨日、「竹内浩三」氏の存在を知りました。で、早速紹介したりして。 ■と、いうか―――、私のこんなごちゃごちゃとちゃちな文章読んでいたらいけません(というか読んでもらえていないのかもな。やっぱり読んでください〜。読んでくださった方ありがとう〜)。一度、ほんとに読んでみてください。すごいですから。特に宮沢賢治ファンの方と太宰治ファンの方!(そういえば竹内浩三氏は宮沢賢治を愛読されていたそうです)小手先のテクニックや誤魔化しのない、天性の文章だと思います。 ■つけたし。竹内浩三氏の日記を読んでいるとき、ふと奈良美智さん(大好きな美術作家。えへ)を思い出しました。どこか、符合を感じるのです。(そういえば奈良さんも宮沢賢治好きだと仰っていたな)なので奈良さんファンの方にもめっちゃオススメです。オススメ、というか、読んでください!というかほんと、読んでください!もっともっともっとたくさんの人に読まれるべきだ。ほんとに。スバラシイので読んでください。 ■つけたしのつけたし。 |
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■竹内浩三略歴■ |
1921年(大正10年)5月12日、伊勢市吹上町の大きな呉服商の長男として産まれる。幼くして母と死別。明倫小学校を経て、宇治山田中学校へ入学、勉強は全くしないが、成績は全体の3分の1以内にはいっている。幾何が得意であったが、運動会ではいつもビリ、人並外れた陽気さで、よく周囲の人を笑わせていたという。岩波文庫や新青年を愛読する。 浩三の父は、浩三が芸術の道に進むことを反対していたが、父の死後、中学を終えるや上京して、日大芸術科映画科に入学する。 1942年6月、故郷に住む友人らとともに同人誌「伊勢文学」を創刊。詩や小説を発表する。 同年10月、浩三21歳の時、三重県久居の歩兵第三十三連隊に入隊、初年兵教育を受ける。翌年1943年9月20日、西筑波の滑空部隊、のちの空挺部隊に転属になる。筑波での、1年3ヶ月の訓練の間、最初の3ヶ月を除き、日記を書きつづける。 1944年12月、浩三の所属する空挺連隊はフィリピンに向けて出発する。12月19日に宇品を出航、フィリピンルソン島の西海岸にあるフェルナンド港に着く。 激しい戦禍の中、島の山岳地帯を斜めに横断し、バギオに向かう。公報によれば、浩三は1945年4月9日バギオ北方の1052高地で戦死。遺骨は還らなかった。4月28日、バギオ北方のトリダート街道で、浩三らしき空挺部隊員を見た、という未確認情報もある。 ★滑空部隊とは、落下傘部隊のグライダー版、と言えるもので、極めて危険な任務であった。>戻る ★竹内浩三略歴を作成するにあたり、『「戦争と平和」市民の記録2 「愚の旗ー戦死やあわれ」』竹内浩三著(家永三郎・小田切秀雄・鶴見俊輔監修 日本図書センター 1992年5月)と「Spotting」(Vol.12 夏 2000 文芸社) を参考にさせて頂きました。 >TOP |
■竹内浩三作品集■ | ||||
■『愚の旗』竹内浩三著 中井利亮編 1956年(詩集) ■『竹内浩三全集』全二巻 小林察編 1984年 新評論 ■『竹内浩三作品集』 小林察編 1989年 ■『「戦争と平和」市民の記録2 「愚の旗ー戦死やあわれ」』竹内浩三著 家永三郎・小田切秀雄・鶴見俊輔監修 日本図書センター 1992年5月
■『兵士の詩―戦中詩人論』 桑島玄二著 理論社 1971年 ■『純白の花負いて』 桑島玄二著 理論社 1978年 ■『戦死ヤアワレ』 足立巻一著 1982年 新潮社 ■『戦死ヤアワレーあるジャーナリストの墓標』 小林察編 新評論1982年 ■『恋人の眼やひょんと消ゆるや』 小林察著 新評社 1985年 ■『竹内浩三をめぐる旅』 たかとう匡子 編集工房ノア 1994年 ■『新・ちくま文学の森』2 鶴見俊輔他編 筑摩書房 1994年 ■『新・ちくま文学の森』9 鶴見俊輔他編 筑摩書房 1995年
■「Spotting」(Vol.12 夏 2000)文芸社
■「五月のように」・・・浩三のことを知りたい方はまずこのHPに! >TOP |
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