一疋の昆虫 今 野 大 力 一疋の足の細長い昆虫が明るい南の窓から入ってきた 昆虫の目指すは北 薄暗い北 病室の汚れひびわれたコンクリートの部厚い壁、 この病室には北側にドアーがありいつも南よりはずっと暗い 昆虫は北方へ出口を見出そうとする 天井と北側の壁の白堊を叩いて ああ幾度往復しても見出されぬ出口 もう三尺下ってドアーの開いている時だけが 昆虫が北へぬける唯一の機会だが、 昆虫には機会がわからず 三尺下ればということもわからぬ 一日、二日、三日まだ北へ出口を求める昆虫は羽ばたき羽ばたき 日を暮す 南の方へ帰ることも忘れたか それともいかに寒く薄暗い北であろうと あるのぞみをかけた方向は捨てられぬのか、 私は病室に想う一疋の昆虫の たゆまぬ努力、或いは無智、 一九三五・五・七 註 三行目 作品集は「病室のよごれたひびわれた」となっているが、 ここでは、ノート稿に従い「汚れひびわれた」とした。 今野大力没後八○周年記念講演会で、アーサービナードさんは「一疋の昆虫」について、代表的な作品として絶賛した。ぼく自身も心に残る作品として、真っ先にあげる。それは、ぼくが出会った大力の最初の詩だったということもある。大力の詩といえば、「花に送られる」や「組織された力」など、好きな詩はいくつもあるが、常磐公園に大力の詩碑を建てようという時、まず心に浮かんだのはこの「一疋の昆虫」だった。宮越弘一さんはたしか、「ねむの花咲く家」や「花に送られる」を推したようだが、出来上がった碑は「やるせなさ」だった。丁度、その碑文を決めるころ、医大に入院していて詳しいことはわからないが、ぼくの推薦した「一疋の昆虫」はイメージが暗い、「ねむの花咲く家」はテロという言葉が問題になったらしい。市民の集う公園内ということが考慮されたという。 そんなことがあった思い出の「一疋の昆虫」をアーサーさんが、取り上げてくれた。 そして、忘れていた、それが、どんな虫なのか、勿論、大力のうたった虫とは、違っているかもしれないけれど、はっきりとイメージされた。 「ガガンボ!」講演を聞きにきていた一人が、どんな虫をイメージするかという問いに答えた。共鳴する人も出た。アーサーさんは大きく頷き、ぼくの目の前に、あの大きな蚊の姿が浮かんだ。姿は蚊でも、血を吸わないあの「ガガンボ」。死の床で、大力の心を動かしたのは、アレに間違いないと思われた。「蚊トンボ」などとも言う。 手を触れると、すぐばらばらになる脆い体。成虫になって一○日程しか生きられないということも知っていて、自分の生と重ねながら気力は失わず、弱い者にむけられた眼がやさしい。(比) |