2002/10/5
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今月の作品紹介


 一疋の昆虫   今 野 大 力

一疋の足の細長い昆虫が明るい南の窓から入ってきた
昆虫の目指すは北 薄暗い北
病室の汚れひびわれたコンクリートの部厚い壁、
この病室には北側にドアーがありいつも南よりはずっと暗い

昆虫は北方へ出口を見出そうとする
天井と北側の壁の白堊を叩いて
ああ幾度往復しても見出されぬ出口
もう三尺下ってドアーの開いている時だけが
昆虫が北へぬける唯一の機会だが、

昆虫には機会がわからず
三尺下ればということもわからぬ
一日、二日、三日まだ北へ出口を求める昆虫は羽ばたき羽ばたき
日を暮す
南の方へ帰ることも忘れたか
それともいかに寒く薄暗い北であろうと
あるのぞみをかけた方向は捨てられぬのか、

私は病室に想う一疋の昆虫の
たゆまぬ努力、或いは無智、
                  一九三五・五・七

 註 三行目 作品集は「病室のよごれたひびわれた」となっているが、
   ここでは、ノート稿に従い「汚れひびわれた」とした。

今野大力没後八○周年記念講演会で、アーサービナードさんは「一疋の昆虫」について、代表的な作品として絶賛した。ぼく自身も心に残る作品として、真っ先にあげる。それは、ぼくが出会った大力の最初の詩だったということもある。大力の詩といえば、「花に送られる」や「組織された力」など、好きな詩はいくつもあるが、常磐公園に大力の詩碑を建てようという時、まず心に浮かんだのはこの「一疋の昆虫」だった。宮越弘一さんはたしか、「ねむの花咲く家」や「花に送られる」を推したようだが、出来上がった碑は「やるせなさ」だった。丁度、その碑文を決めるころ、医大に入院していて詳しいことはわからないが、ぼくの推薦した「一疋の昆虫」はイメージが暗い、「ねむの花咲く家」はテロという言葉が問題になったらしい。市民の集う公園内ということが考慮されたという。
そんなことがあった思い出の「一疋の昆虫」をアーサーさんが、取り上げてくれた。
そして、忘れていた、それが、どんな虫なのか、勿論、大力のうたった虫とは、違っているかもしれないけれど、はっきりとイメージされた。
「ガガンボ!」講演を聞きにきていた一人が、どんな虫をイメージするかという問いに答えた。共鳴する人も出た。アーサーさんは大きく頷き、ぼくの目の前に、あの大きな蚊の姿が浮かんだ。姿は蚊でも、血を吸わないあの「ガガンボ」。死の床で、大力の心を動かしたのは、アレに間違いないと思われた。「蚊トンボ」などとも言う。
手を触れると、すぐばらばらになる脆い体。成虫になって一○日程しか生きられないということも知っていて、自分の生と重ねながら気力は失わず、弱い者にむけられた眼がやさしい。(比)