
・水島公園
・小幡公園
・高瀬の辻
・湯屋の辻
・和田公園
・増田宗太郎
・川村矯一郎
・田信(でんしん)

・剣心一致の碑
・薬師如来像
・皇后石

(旧新吉富村)
・貴富地蔵
・大の瀬官衙遺跡
(旧大平村)
・玉居石
・友枝瓦窯跡
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水島公園|小幡公園|高瀬の辻|湯屋の辻|和田公園| |
●水島公園/水島鉄也誕生の地 |
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【水島銕也生誕の地】
明治・大正期の教育者。
神戸商業講習所・東京外国語学校付属高等商業学校で学び、卒業後教師となった。神戸高商(現神戸大学)の創立委員となり、初代校長を勤め初期の商業教育に尽力した。
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水島銕也の号は「愛庵」
鉄(アイアン)の意
昭和7年4月、水島を敬慕する者が組織した「愛庵会」によって、生誕地を公園とし、記念碑が建てられた。 |

●水島鉄也誕生の碑 |
●水島公園/大分県中津市金屋本丁 |
●小幡公園 |

●小幡先生
顕彰像 |
【小幡先生小公園】
わが国歯科医の鼻祖である小幡英之介先生。
明治8年に前人未踏の「歯科免許制度」制定を請願し、
自ら受験され歯科開業免許第一号の取得者であります。
このような近代歯科医学先覚者の業績と偉徳を顕彰するため、日本歯科医師会は昭和12年この地に胸像を建立したが国策にそって供出し、現代の立銅像は昭和41年5月に再建され、そのとき小公園ができました。
小幡英之介
生まれ育った、中津市殿町1385番地は、
市指定史跡文化財となっている。
東京京橋区に歯科医開業し明治42年病のため没している。 |
●小幡公園/大分県中津市二ノ町中津城公園地内 |
●高瀬の辻 |

●高瀬の辻 |
【高瀬の辻の道標】
ここ高瀬の辻は、豊前と豊後を結ぶ勅使街道(上往還や豊前道ともいう)と中津城下の島田口から宮永街道を通り日田は通じる日田往還(高瀬の辻より南は永山布政所道ともいう)の交差点にあたります。
●道標には次の文字が刻まれています。
「従是東豊後宇佐ミチ」 「従是北中津道」
「従是西小倉道」 「従是南日田玖珠道」
【伊能忠敬】
1810年1月11日(文化8年)
測量のためこの辻を通り、高瀬村に宿泊。
【貝原益軒】
1694年5月7日(元禄7年)
黒田氏関係の史跡調査のため通過。 |
●高瀬の辻/大分県中津市万田 |
●湯屋の辻 |
高瀬の辻から800m程のところには、湯屋(ゆや)の辻があり道標が建てられていましたが、
残念なことに下の部分が折れてなくなっています。
「従是東(以下欠損)」 「従是北(以下欠損)」
「従是(以下欠損)」 「従是南玖(以下欠損)」
●この道標は、現在中津市歴史民俗資料館に展示されています。
(中津市教育委員会作成立て札より) |
●高瀬の辻/大分県中津市湯屋 |
●和田公園/和田豊治の碑 |
大実業家 和田豊治
中津藩お鷹部屋和田薫六の長男、近くの家熟で漢学習字を学び、十五才の頃範医村上田長の書生となって独学し後、田長の勧めで藩の奨学金を受けて上京、慶応義塾に入り、同郷の先輩中上川彦次郎、朝吹英二などの後を継いで米国に渡り、新知識や技術を学び特に紡績工業に注目し、感銘を受けて帰国した。
大会社の要識を経て、富士紡にいり、異常な熱意と努力によって、経営不振の会社を建て直し、紡績の町、静岡県小山町では大恩人として尊敬されている。(立て札より) |
●和田公園/大分県中津市北門通り |
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