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剣心一致の碑|薬師如来座像 | 皇后石
●剣心一致の碑/島田寅之助
●剣心一致の碑
【島田虎之助の修練の地】
島田虎之助が剣の修練を積んだ天仲寺山に石碑があります。
【剣豪 島田虎之助】
・1814年(文化11年)中津島田に、藩士の四男として生まれる。
・7歳の時、山川東林の塾に入り漢字を学ぶ。
・天保8年に江戸へ上り、剣聖男谷信友の門に入り
「直心影流」免許皆伝を受ける。
・同12年浅草に道場を開く。勝麟太郎(海舟)がここに学ぶ。
・嘉永5年9月16日病のため世を去る。
虎之助の教え
「剣は心なり、心正しからざれば、剣また正しからず、
剣を学ばんと欲れば、まず心より学ぶべし」
●剣心一致の碑/福岡県築上郡吉富町和井田天仲寺公園
●薬師如来座像/鈴熊寺
●薬師如来坐像
【鈴熊寺】
天平時代この地方に悪疫が流行し、聖武天皇の勅命によって高僧行基が西下されこの像とともに、堂が建立された。
のち大友宗麟の兵の火にかかり焼失。
寛永年間、小笠原長次が中津城主となった時、本堂を再建した。
【国指定重要文化財・木造薬師如来像】
行基菩薩
が一刀三礼の彫刻法で造ったとされるこの像は、本堂焼失の時行方不明となり、約50年後田の中で発見されたと言う。
後に中津城主(小笠原〜奥平)と厚く信仰された。
【鈴熊公園】
現在、如来像は鍵の掛かったお堂に納められているため、
簡単に観ることはできないが、お寺の周りは、
参道が整備され公園も有り気軽に散策できる様になっている。
●薬師如来座像/福岡県築上郡吉富町和井田鈴熊寺内
●皇后石/古表神社の発祥
●皇后石
【神功皇后おこしかけの石】
この石は江戸時代の古地図に巨石として描かれており、
多数の弥生時代の土器が周辺から発見されている点からも
海の神を祭る祭祀跡であったと推定される。
皇后石と呼ばれる由縁には神功皇后が腰掛けたとか、
舟をつないだ石であるとの一説がある。
皇后石伝説にはこの地に付いてこのように語られる。
神功皇后が三韓出兵の時、軍卒、軍船の調達をするため諸国を巡り、
この地で神々に祈願をし、軍卒・軍船を多数得て、志を果たすことができた。
土地の豪族玉手翁に神託があり、この事を知らせるため、吹き出しの高浜に
息長大神宮(現:古表神社)を祭ることとなった。
「古表宮縁起書」によると、皇后石の地名の起こりにもなっている。
●皇后石/福岡県築上郡吉富町広津皇后石
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