エジプト神話は、ピラミッド・テキストやパピルス文書などの解読から得られていますが、エジプトといっても、その歴史は3千年の長きに及ぶものです。その元文献が、どの時代に位置するものなのか、によって、神話の内容や雰囲気に違いが出てくるのは、当然のことですよね。
そこで! 主要な神話の材料文献を、時代ごとに分類してみました。これで、どの神話がどの時代のものなのか一目瞭然。
(ピラミッド・テキストなど、建物に刻まれている資料は当地から動かせないので、所蔵博物館は無く、所在地が表記されます。現物を見るには現地に行かなきゃダメ。そこがエジプト文献学の面白いところかも。)
古王国時代 | 第一中間期 | 中王国時代 | 第二中間期 |
前2592年−2152年 | 前2151年−1980年 | 前1980年−1640頃 | 前1640年頃?−1540年 |
新王国時代 | 第三中間期 | 末期王朝時代 | プトレマイオス朝時代 |
前1539年−1077年 | 前1076年−723年 | 前722年−332年 | 前332年−30年 |
古 王 国 時 代 |
「宰相プタハヘテプの教訓」 著者;プタハヘテプ 賢い宰相殿の教訓です。現代人と、ゆってることは大して変わりません。 ピラミッド・テキスト ピラミッド内部の碑文。かなり古い時代の信仰を表している。この時代に登場。 |
第 一 中 間 期 |
「雄弁な農夫の物語」 民話 複数現存(最古のもので紀元前1400年ごろ) この時代の王「メリカラー」の時代に起きた話とされるので、ここに分類。神話というより民話で、言葉巧みな農夫が、自分の財産を不当に没収した男を訴える物語だ。当時の裁判状況がよく分かる。 「生活に疲れた者と魂の会話」 所蔵;ベルリン博物館 死ぬなら今かな…などと嘆く男と、頑張って生きろよ! と励ます男の魂の会話。 「メリカラー王への教訓」 王の教訓シリーズは、どれもみなお説教くさいのです。 |
中 王 国 時 代 |
コフィン・テキスト ピラミッド・テキストの内容を棺に描いたもの。この時代に盛況。 「シヌヘの物語」 著者;シヌヘ 多数現存 主要文献所蔵;ベルリン博物館→あらすじはこちら アメンエムハト1世の暗殺後、国外に逃亡していた重臣シヌヘの一生を描く物語。エジプトから逃亡して砂漠に行って民を導いて…って、なんだか聖書に微妙に似ていたりして。 「イプエルの訓戒」 著者;イプエル 所蔵;ライデン古代美術館(オランダ) 現存するものは不完全な一つきり。第一中間期の無秩序ぶりの記憶を伝える資料として扱われるが、完全なるフィクションとする説もある。 「ウェストカー・パピルス」 所蔵;ベルリン博物館→あらすじはこちら 書かれたのはこの時代だが、内容は、第四王朝のクフ王時代を語るもの。クフ王が、大ピラミッドを完成させるために知恵神トトの聖なる呪文を手に入れる物語。神々が第五王朝の王をいかにして認めたか、という、王権正当化の意味も含む。 「難破した水夫の物語」→あらすじはこちら 難破した水夫が、プントの国へたどり着き、戻ってくるというもの。エジプト人にとってのパラダイス。 プントの国とは、エジプトより南部のアフリカを指すと考えられている。 「ドゥアケティの教訓」 ★「カフーン古典」紀元前1900年ごろ 医療パピルスの一つ。三枚の紙片のみ。内容は未編成で、婦人科の内容。 ★「エドウィン・パピルス」紀元前1700年ごろ 所蔵;ニューヨーク歴史協会 医療パピルスの一つ。アメリカ人探検家エドウィン・スミスによって入手されたもの。 古王国時代の賢者、イムホテプが著者とされる。 完結はしていないが、整理された外科テキスト。外科症例、化粧品、処方。 |
第 二 中 間 期 |
.「死者の書」→詳細はこちら この時代から登場します。それ以前はピラミッドに刻む「ピラミッド・テキスト」、お棺に刻む「コフィン・テキスト」だけでした。 |
新 王 国 時 代 |
★「エーベルス・パピルス」紀元前1550年ごろ 所在;ドイツ−ライプチヒ ドイツ人エジプト学者、エーベルスがエドウィン・スミスから購入したもの。 古代エジプトの医学古典といえば、まず最初にこれが挙がる。状態がよく、量も多い。 豊富な内容は、すべて内科に関するもの。 ★「ハースト古典」紀元前1550年ごろ 所在;バークレー 上のエーベルス・パピルスとほぼ同じ内容。開業医の覚え書きと思われる内容。 盲腸や直腸、肛門の病気、骨折etc。 ★「エルマン古典」1550年ごろ(第18王朝) 出産、幼児の処方(小児科)、および子供を守るための呪文。 ヒトの臓器一覧を含む。 ジェフティ将軍の物語 トトメス3世に仕えた、とある貴族の武勇伝自慢。自分がいかにして平民から身を起こしたか、などについて語る。いかにも墓碑文っぽい。 「夢の碑文」 トトメス4世 大ピラミッド前スフィンクスの足元 トトメス4世が埋もれたスフィンクスの足元でうとうとしていたとき、「わたしを掘り出してくれたら王にしてやろう」と、話しかけられた、という話。 「アテン賛歌」 ピラミッド・テキスト 王妃ネフェルトイティの乳母の夫・アイの墓 アクエンアテンが起草したという、アテン信仰の教義。一代限りの宗教改革だったため、残されているものは少ない。内容はこちら イシスの言霊 パピルス文書 所蔵;未調査 イシスが太陽神ラーから秘密の名前を聞き出す物語です。この物語の概要はこちら カエムワセト神話群 ラメセス2世の王子のひとりで、父と同じく、多くの伝説を持つ。民話レベルでは悪者魔術師だが、王家が作ったっぽい伝説では、賢く知的な学者。その違いが何とも面白い。 「アニの教訓」 (第18王朝前半) 多数現存 ベッティ・パピルス 第一子本(第19王朝) ホルスとセトの争いを物語として書いた、長ーーいパピルス。後ろのほうが欠けているが、保存用に作られたものなので、まとまりがいい。古い時代の伝説をひとつにつなぎ合わせたもの。 「ヨッパ奪取の物語」 大英博物館 トトメス3世によるヤッファ制圧を記した物語。概要はこちら 「天の牝牛の書」 セティ1世の墓 女神セクメトによる人類抹殺。この神話のテキストは一つしか存在しない。 内容はこちら ハリス・パピルス (第19王朝) セティ1世時代のものと書かれている。テーベのラメセス2世葬祭殿で見つかった。 「運命を定められた王子の物語」(内容はこちら)と、「ヨッパの攻略」が書かれている。 カイロ・オストラコン 職人村のあったデイル・エル・メディーナで見つけられた、陶器の破片(オストラコン)に書かれた民衆の私的な通信文、日記のようなものなど。 「ウェンアメン旅行記」(第20王朝) シヌヘの物語に似ているかも。レバノン杉を買い付けに行った、廷臣ウェンアメンの旅行記。 エジプトがだんだん斜陽の時代に向かいつつあるのが分かる。 「アメンエムオペトの教訓」 |
第 三 中 間 期 |
シャバカ石 所蔵;大英博物館 エチオピア出身の王、シャバカによって、破損した書物から書き写された石碑。プタハ神を主神とするメンフィス神学のテキスト。 「ウェルマイの書簡」 モスクワ、プーシキン博物館 推定でこのあたりの時代の作品。無実の罪に問われ砂漠のオアシスへ流刑されたウェルマイの手紙、という体裁をとった物語(或いは手紙を元に作られた物語?)概要はこちら |
末 期 王 朝 時 代 |
「メンフィスの鼠」 多分この時代だと思うのだけど メンフィスのプタハ神官が、プタハ神の送り込んだ鼠の大群によって救われる話。 「歴史」ヘロドトス ツッコミはこちら |
プ ト レ マ イ オ ス 朝 |
ロゼッタ・ストーン プトレマイオス即位記念碑 所蔵;大英博物館 発見地に近いアレキサンドリアのグレコ・ローマン博物館にレプリカ在。和訳はこちら ホルスとセトの戦い・決着部分 プトレマイオス3世建造 エドフのホルス神殿 ホルスが叔父セトを倒し、二つの国の王となる部分で、ファラオの即位儀式に使われたものと考えられている。内容はこちら オシリス神話 著者;プルタルコス 紀元前2世紀の、ローマの歴史家プルタルコスによるオシリス神話。彼自身、オシリス・イシス信仰に改宗していたため、信憑性があるとされている。 ビントレシュの碑 コンス神が、異国の王女の病を癒しにゆく話。書かれたのはこの時代だが、舞台は新王国、第二十王朝。ラメセス2世の王妃のひとりが登場する。 「二人兄弟の物語」 ドービニ・パピルス 所蔵;大英博物館 新王国時代には既に存在していたが、今の形に詳しく作り直されたのは、プトレマイオス時代なのだそうだ。ギリシア神話と酷似しているのは、そのためなんだとか…。 ストーリーは、こちら オンク・シェションクイの教訓 |
ロ ー マ 属 州 時 代 |
「エジプト神イシスとオシリスの伝説について」 プルタルコス ローマ時代のエジプト神話。エジプト神話とギリシャ神話を足して二で割ったところにギリシャ哲学風の解釈で風味をつけたもので、エジプトのテキストにはない神話も多く存在します。エジプトの神々がローマ時代にどう解釈されていたかを知る資料の一つ。 |
こうしてみると、残ってるまとまった神話というのは、意外と新しいんだなってことが分かります。
それもそのはずで、文学なんてものが誕生したのが、けっこう後の時代で…まあ、何たって古代エジプト語ってのは、世界でも2番目に古い言語(推定)なんですから。
人類が長ったらしい文章を書くことを覚えたのが、ツイ最近だってことでしょうか。
発見当時はカンペキだったのに、保存に失敗してボロボロになってしまったパピルスとか、売り飛ばされてしまった石碑とか、いろいろ勿体無い話はありますが、まぁ湾岸戦争やイラク戦争で遺跡にミサイルどんぱち打ち込まれてないだけ、メソポタミア文明よりは、はるかに恵まれています。研究も進んでますし。
自分的に、中王国時代の文献がいちばん好きです。神話の世界にどっぶり浸かっちゃっていた人々が現実に目覚め、厳しい生存競争の社会を前にして過去の神話を作り変えていく…その苦肉の策というか、精神的な転機のようなものが感じられて、古代人の国を立て直す強さが、じんわり伝わってくる気がするのです。