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第十ニ話 2人兄弟の物語

−別称;インプとバタの物語−


 たまに「アヌビスとバタの物語」になっているのですが、アヌビスはギリシア語名。
 アヌビス神の古代エジプト語名は「インプ(アンプ)」なので、正しくは「インプとバタの物語」と、呼ぶべきでしょう。(兄弟の片方だけギリシア名で呼ぶのは変だから。)
 バタのほうにも、ビトウという名前があるけど、多分バタが…エジプト語?

 と、いうわけで、インプとバタの兄弟の物語。
 兄弟は、年は離れていましたが、とても仲の良い兄弟で、兄が結婚したあとも、一軒の家にふたりで共同で暮らしていました。
 兄がインプ、弟がバタで、バタはとっても働き者。兄は畑へ種まきに、弟は牧草地へ家畜の世話に。女性は家の中で針仕事などです。でも奥さんってば、あんまし働いてなかったみたい。

 ところでバタは、なにゆえか動物の言葉のわかるヒトでした。
 ソロモンの指輪を? …いや違う。 竜を殺して心臓を食ったりとか? …でもなく。
 なぜだ。(謎)
 別の訳では「言葉を喋る牛を飼っていた」と、なっており、動物全般の言葉が分かるわけではなく、1頭だけが特別だったことになっているのですが、こっちのほうがすんなり納得がいくので、ここでは、「飼ってる中に喋る牛がいた」と、いうことで。しかもバタとしか話をしてくれない、選り好みの激しい牛です。
 この牛はマブダチ、家族同然でした。いい牧草地の場所や、他の牛の言葉を通訳して悪いところなど教えてくれるので、酪農も楽です。
 牛たちはもりもり食べてよく乳を出し、ばんばん仔牛を生んだので、ここの兄弟は、飢えることがありませんでした。

 さぁてそんなある年の春のこと。
 エジプトには季節が3つしかなく、春というのは、ナイル河の増水が終わるあたりで、日本ではちょうど秋と呼ばれている頃です。河の増水が終わったら、水の引いたあとに残る黒い土に、植物の種をまく作業があります。インプとバタの兄弟も、さっそくこの作業にとりかかります。
 でも、おや?
 どうやら種が足りないみたいですね。

兄「すまんが、バタよ。家に戻って追加の種を取って来てはくれまいか。」
弟「分かりました。」

 …と、いうわけで、弟はひとりで家に戻ってきます。兄のお嫁さんは、髪をとかしてお化粧しているところでした。
 兄嫁「あら、どうしたの?」
 弟「種がたりなくなったので、取りに戻ってきたんです。」
 兄嫁「あらそう。じゃ、自分で取っていきなさいな。」
嫁さん、みづくろいに夢中です。ここらへんからして、主婦失格っぽいですね。
 バタは種の入ったおおきな壷を抱えて家を出ようとします。すると、兄嫁は、その姿を見て何か感じたようです。
 ここの部分のセリフを、なるべく原文に近くすると、こう。

 「あなたはとてもたくましいのね。そんな強いあなたを、私は毎日見ているわ。」
女は彼を男として、よく知りたいと思った。彼女は男の手を取って言った。
 「さあ、ベッドで一緒にひと時を過ごしましょう。心満たない思いはさせません。あとで新しい着物も作ってあげるわ。」


 ちなみに、この時代(新王国時代ですが)、密通は強制離婚&財産所有権剥奪です。
 夫が浮気した場合も妻が一方的に離婚できますが、妻が浮気した場合は、さらに厳しい判決が待っており、妻自身の財産も取られてしまったのです。無一文で放り出されます。
 それなのに、一軒の家に住んでる、夫の弟を誘惑するとは。
 何を考えとんじゃ、この女。

 兄思いのバタは、これを聞いてビックリです。
 「な、何言い出すんですか、義姉さん! 正気ですか?!」
 「ウフフ。私はいつだって、ほ・ん・き」
 「やめてください…僕にとって、あなたは母親のような人なんだ。このことは、兄さんには黙っていますから、もう二度とそんな真似はしないでください。」
バタは、種を抱えて、急いで家を出て行ってしまいました。
 交際を断られた妻は逆ギレ。
 「ま。この私がせっかく優しくしてあげようってのに、何よあのすげない断り方。超ムカツク」
…しかし、よく考えたら、いつバタが、このことを夫に話してしまうか分からないのでした。そうしたら離婚されて追い出されます。
 遅ればせながら、妻は、自分のしでかしたことが恐ろしくなってしまいます。もしも、バタが、このことを夫に告げ口してしまったら…?
 否。そうなる前に、先手必勝。


 その日、バタは農作業の後片付けがあって、兄のインプだけが先に帰宅しました。ところが帰ってきても、家には灯りがついておらず、静まり返ったままです。
 兄「どうした? おい、いるのか」
妻は、ぐったりと横たわっています。
 兄「具合でも悪いのか」
 妻「違うの。聞いて…」
このとき妻は、脂肪を体に塗り、暴行されたように見せかけていました。かなりの演技派です。

 妻「あなたの弟が、私を無理やり自分のものにしたのよ。抵抗すると、私を殴ったの。ううっ…(嘘泣き)
 私もう、あの人とは同じ家に住めないわ。」
 兄「!!!」

 インプ激怒。
 「おのれバタめ。父親がわりに育ててやった恩を忘れたというのか!」
 弟の弁明は聞かんのかい。そこまで嫁の色香に惑わされたか、兄よ。
 いきなり刃物持って、弟が帰ってきたらただじゃおかん、と家の前に仁王立ち。一方、弟は、そんなことつゆしらず、片づけを終えて家に帰ろうとしています。
 ピーンチ!
 そのときでした。

 牛「まって、バタ。あなたは今、家に帰れば殺されてしまうわよ」

天の声ならず牛の声。ふだんお世話している乳牛(当然メス)が、彼に危機を知らせます。
 なにやらキレている様子で武器を持った兄を見つけたバタは、とっさに逃げ出します。兄もそれに気づいて追っかけてきます。
 バタ「ど、どうしたんだ兄さん。いったい何が…。」
走りながらバタは、神様に祈ります。お願い、守って守護日天! そのとき願いが天にとどき、ぱらりら〜っと、プレー・ハラフティ神(別の本ではアメン・ラーになっていたり、ラー・ホルアクティになっていたりする。)が降りてきます。
 羽根とか生えてる太陽神です。
 神「とぉうっ。神・ぱぅあ〜!
いきなりバタとインプの間に、巨大な池が出現しました。しかもワニが一杯で、渡ることが出来ません。
 水は地下水があるからいいとして、そのワニ、どっから連れて来た。
 神「しばらく頭を冷やすが良い。明日、申し立てを聞き判決を下そうぞ。」
 バタ「えっ…神様、今じゃないんですか?!」
 神「そろそろ日もくれる。わたしの勤務タイムはおしまいだ。明日、夜が明けたあとにまた戻ってくるから。じゃ。」
 バタ「って、あぁ、そんな…神様…神様ーーー!
プレー・ハラフティ神は太陽神なので、西の空の明かりと一緒に、地平線の向こうへ消えていってしまいました。
 
 バタ「……。」
インプ「……。」

と、いうわけで、ワニワニいっぱいの池をはさんで、兄弟は、黙りこくったまま、次の日の朝を迎えるのでした…。
 果たして、バタの運命やいかに。
                                                       <続く>


【ワンポイント】

プレー・ハラフティ神とは「パ・ラー・ホル・アクティ」の略。ラー神の分身のひとつ。
その意味では、アメン・ラーと呼んでもラー・ホルアクティと呼んでもニュアンス的には似てるけど、
ちゃんと最初の「パ」もつけて呼んであげようよ…。



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