マリアナ諸島慰霊友好親善訪問  
   
 


         

頑丈なコンクリートで固められたトーチカ?数基が広い敷地に並んでいました。

入り口は狭く、鉄の扉がついています。

弾薬が入っていたのか、それとも戦線むなしく、最後は人が逃げ込んだのか・・・・・・・・・

灼熱のこの地で・・・・・・空恐ろしい光景を思わずにはいられません・・・・・・・・・・

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今日はサイパンとお別れの日です
この6日間で私達はサイパン・テニアンの戦跡を巡り
62年前に砲弾の前に命を絶った父たちの無念を

受け止める事ができました。

私たちの乗る ”ノースウエト航空075便です


この待合室へ来るまでの事を書こう

時間は多分
2時頃に空港へ着きました。
乗客が徐々に集まってきます
まず、スーツケースの荷物チェックに長蛇の列
人でごった返しているここは空港内?暑い!!
スーツケースの鍵ははずして下さい、ベルトもはずして下さい、
手荷物には刃物や先のとがったものは絶対に入れない、
爪切りもいけません!!等など・・・・・・・

検閲台は7〜8箇所あったと思います
10人に一人ぐらいの割合でスーツケースの中身チェックがされていた。
あーーあの人お気の毒に・・・・・・・

やっと私の順番が来ました
私は添乗員さんの注意事項をきちんと守って荷造りをしたので
大安心でいた、しかしあのチェックされる時の気分は何回やっても嫌なものですね

スーツケースを台に乗せる・・・・えっ??
検査官が”こちらへって”!!・・・・・なんで??・・・・・・
他の人はドンドン行ってしまう・・・・・・・
スーツケースを開けて、中身を、丁寧に・・・・・上も下も・・・・・
あんなに、きちんと、一生懸命勘考してつめたのに〜〜〜
中はぐしゃぐしゃ・・・・・・・
スニーカーの中に昨日履いた靴下を入れておいた・・・・中身検査・・・・
臭いよ〜〜〜〜検査官ご苦労さまm(._.*)m

結局OKが出ました・・・・・
これどうやって蓋をしめるの????
”カンターン” 検査官のお兄さんバーン!!って・・・・・・・
飛行機の中で外れないかと冷や冷やものです・・・・・・・・

一難去って又一難・・・・・・・つづき・・・・・・

今度は手荷物検査です。ここも厳重チェック!!

持ち物ぜーーんぶ出す・・・・・靴を脱いではだし・・・・子供もね!

またまた”この荷物の方こちらへ”と声が掛かる・・・・んーーもうーーーーー(≧▽≦;)
ショルダーバッツの中身ぶっちゃけてあれこれ検査・・・・・・・
その結果は、印鑑ケースがどうも気に食わなかったみたい・・・・・・・

こんな事で皆さんより随分遅れての出国完了・・・・・・・
皆が言うことには    ”荷物より姿かたちがチェックの対象になったんだ””  との事
笑えないジョークだった☆ (☆_◎) ☆!☆?

この時、時間はすでに
3時を廻っていたと思う

(財)日本遺族会企画の慰霊訪問
サイパン・テニアンへの旅

平成18年7月22日〜7月29日

旧日本軍弾薬庫跡

第七日目・第八日目(最終日)

7月28日(金)・29日(土)

昨日までびっしり詰まった予定にしたがって行動していましたので、
お土産を買う時間が全くありませんでした。
フライトは夕方ですので午前中はお買い物時間を2時間とって頂きました。

ホテルを出てビーチロードを北へ行きサイパンの中心街
ガラパン地区の「DFSギャラリア」に行きました。

ホテルの部屋からも見えましたが軍艦が二隻、常に停泊している
少し不気味だ・・・・・・
有事の時、乗組員が揃えば即座に出航できる体制が出来ている
そしてマリアナ諸島を守っているのだそうです


兎に角必要な分の土産を確保しなければ、
限られた予算、かさばらないもの、重くないものと焦りまくって品ぞろえ
勿論自分のものが一番ですv(゚▽^*)ノノノ ホホホ

    この辺りには、こうした戦車や機関銃などの残骸があちこちに放置されていました。


丘陵地を掘り下げてそこに造られた旧日本軍弾薬庫、
なるほど、空からは見えなかったかもしれません。

大きさや頑丈さは人間と比べてわかると思います。
1日目・2日目へ  3日目へ  4日目へ  5日目へ  6日目へ  7日目・ 8日目へ  お花へ   
                                             

帰国の途へ

アーー疲れた!!

時間はタップリあるし
でも、もう少しお土産を買い足さなくては・・・・・・

重い足を引きずって買い物完了。

さて何処かいすを探して休もう・・・・・


4:00 搭乗開始、満席状態、300人は乗るそうです。
夏休みとあって子供連れのファミリーが多い、日本は豊かな国だ!と実感

4:50 離陸
後は無事成田へ着きますようにと祈る思いです。

雲上の夕陽

7時40分頃から始まった、雲上の夕陽
どのあたりだっただろう
、”2006.7.28”今日この日を終えて
静かに沈んでいく太陽、明日からの明るい未来を照らして欲しい。

しばらくの間この1週間の事を思い返しながら眺めていました。

日本時間7:00頃  ここで1時間針を戻す
        日本の明かりが見えました








7:30  無事着陸

8:00  空港で解散式を行い、ここで個人的に各地へ行かれる方たちとお別れ
      殆どの人は九段会館へ戻りました。














9:20  東京駅でお別れの人もいました。










9:30  九段会館到着

地下の居酒屋で別れを惜しんでお食事会をしました。

これでとうとう8日間一緒にサイパン・テニアンの慰霊巡拝をした
皆さんとお別れです。

昼食後、現地のガイドさん(曙関にそっくりさん)が最後にもう一箇所戦跡へ
行きましょうと連れて行って下さった所は、サイパン国際空港に隣接している公園でした。

見晴らしがよく、テニアン島が目の前に見えます。

何とか格好のつく程度のお土産は確保できました。

昼食は「ハファダイ ビーチ ホテル」の中の「花」と言うレストランです。

7月29日(土)

実際1940年代には米軍はここの軍力に一目置いていた


プレートに書かれていた文

現在でも、第2次世界大戦前の日本軍航空力を思い
出させる物が、今のサイパン空港の周りに残っている。
・・に見える大きなコンクリートの地下壕と燃料庫を
爆破から守る偽装された壕は、もともと日本軍の投下
弾を保管していた。
1941年12月8日、太平洋戦争が勃発した時、日本軍
爆撃隊はこの貯蔵庫にある爆弾を使い、グアム島爆撃の
ため出発した。2日間に及ぶ襲撃の後、マリアナ諸島の
前線を守る米守備隊は日本帝国の圧倒的な軍勢に
降伏した。

このような文が書かれたプレートが立っていました。

がしかし、この後の米軍の莫大な軍事力を投じた上陸作戦の前には
なすすべも無く、虚しい戦いの末、多くの犠牲者を出す事になった。

19:48

19:44

19:47


貴重な体験をさせて頂けました事、関係者の皆さんにお礼申し上げます。

ありがとうございました m(._.)m

ホテルの窓の下はお堀になっています
その向こうに武道館の屋根が見えました。

財団法人 日本遺族会の本部のあります
九段会館

    B班でお世話になった方々

 財団法人 日本遺族会
     団長    東(ヒガシ) 様
     団長補佐 張ヶ谷    様
 株式会社 日本旅行
     添乗員  高橋     様
     添乗員  大澤     様 

22日から家に着くまで8日間の長旅でした、今、この年になっててこのような有意義な旅が
出来ました事、多くの方に御支援、御協力を頂き感謝の気持ちでいっぱいです。

私達この大戦の戦争遺児は一番若い人でも、もう61歳になりました。
私も父の事何も覚えていませんが、今回御一緒した方々も何も記憶に残っていないと云う人が
多かった。
父親は私の存在さえ知らない内に戦死しました、と言う方もお見えで、
戦後母は再婚して、祖母に育てられました、祖母は可愛がってくれ、大切に育てて下さったと
涙声で追悼の言葉を述べられておられました。
皆さんが夫々の人生精一杯生きて来ました戦後61年間、
今の幸せを大切に、。そして日本の将来の為に役に立ちたいと言う気持ちで一杯でした。

8日間ご一緒致しますと、連帯感のような気持ちが出来上がり
不思議な縁で繋がった今回の旅の意味を残して行きたいと
誰とも無く出来上がった「サイパン・テニアン’06」の会
来年の7月22日に靖国の森でまた会いましょう!!
とお別れいたしました。