マリアナ諸島慰霊友好親善訪問  
   
 


         

南興神社   ここでは2人の方が該当者です。

その地点はかなりの崖を登らなくてはいけない、しかも道はなくジャ           ングル状態ですので危険という事で
手前の広場になっている所に
祭壇をまつり、日本から持ってきたお水・お酒・お米・タバコ・お菓子等をお供えして
ローソクに火をつけ、線香をたき
お二人が夫々にお父さん・おとうさんと涙に震える声で「追悼の言葉を」捧げた。
全員でお焼香をして・般若心経を唱え・父に届け・i一緒に家に帰ろうと
「ふるさと」の歌を合唱いたしました。

 

タッポチョ山      ここもお2人の方

昼食後はサイパンで一番高い山「タッポチョ山(標高473M)です

海の見える見晴らしの良い所で祭壇をまつり慰霊祭をしました。
目の前に見える小島の周りはサンゴ礁になっていて、静かで、穏やかで美しかった。

61年前のあの悪夢の時、きっとこの美しい海も空も見るゆとりはなかったでしょう
この地で今はもう我が家に還る事もできない多くの御霊
安らかに・安らかにお眠り下さいと祈るばかりです。

以上でサイパン島での慰霊祭は完了いたしました。

サイパン島へは日本全国から陸・海軍合わせておおよそ45,300名が戦闘に参加して
戦没者43,300名、復員者2,000名  この数を聞いただけでも如何に激しく痛ましい
戦いがあったのかと胸が痛みます。

戦後の遺骨収集で約半数の遺骨を集めたと言われていますが
今なお、ジャングルに入れば野ざらしとなっている遺骨があるだろうと聞きます

サイパン島で亡くなられたと聞く御家族の皆さんに代わって、今私たちは
すべての戦没者に安らかにお眠り下さいと深く深く祈りを捧げました。

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朝6時に目覚める、さほどの疲れも感じなくてホッとする。
ホテルの部屋からプールが見える
そしてその向こうに見える海を眺めると
美しい虹が見えた、しかも2重になっていて思わずシャッターを切る。
そう言えば窓の外はかなり濡れている、きっとスコールが通って行ったのだ

レストランで朝食のバイキングへ・・・・・
何故か日本で食べるバイキングとあまり変わらない
パン・おかゆ・ご飯・味噌汁・
ソーセージ・ベーコン・玉子が数種類・サラダ・フルーツ

もう少しありましたが本当に日本とあまり変わらない
味のほうはちょっと違いますが・・・・
でもご飯はまあまあ美味しいので安心です。

なんと悲しい名前が付いているのでしょう・・・・・・・・
ここから下を見ると50メートル以上もある断崖絶壁です

南の方からアメリカ軍に追われてジャングルを逃げまわりながら
食料はもちろんの事、水もなく息絶え絶えとたどり着いたのが
この岬、もう逃げる道はありません

兵士も民間人も、母は子を抱き、父はその背中を押して
皆が  ”バンザーイ” ”バンザーイ”と怒涛のごとく飛び込んだといいます
何と痛ましい事か・・・・・・・

今では静かな海、穏やかで何事をも癒してくれそうな美しい青き海と
真っ青な空です。

ここには幾つかの慰霊碑が建てられています。

(財)日本遺族会企画の慰霊訪問
サイパン・テニアンへの旅

平成18年7月22日〜7月29日

ドンニー マリア像

第三日目

7月24日(月)

いよいよ島内巡拝が始まります。

遺児参加者は18名(男12名・女6名)
  サイパン島関係   6名
  テニアン島関係  12名

日本遺族会
   隊長    東(ひがし)さん
   隊長補佐 張ヶ谷さん 
日本旅行 添乗員
   高橋さん
   大沢さん

サイパン神社     お2人の方

バスで移動いたしまして、ここは町の中にありました
綺麗に手入れがされています。きっと地域の方々がお世話して下さっているのでしょう。
サイパンの人達には親日家が多いとお聞きいたしました。

サイパン島はチャモロ人ですが、スペインのマゼランがこの島を発見して以来
ドイツ統治領・日本統治領・アメリカ統治領と幾つもの国の統治領となりました。
でも皆さん明るくて親切な方たちでした

ここでも同じように祭典を致しました。
様子がわかってきましたので祭壇を飾る事も手早くなりました。

しかしいざお参りに入りますとみなさん、またまた涙・涙の追悼です。

もう少し今回の「慰霊友好親善訪問団」について説明しよう

財団法人 日本遺族会が平成3年度より政府の委託ならびに補助を受け
「戦没者遺児による慰霊友好親善事業」を実施している。
平成18年度は、旧ソ連からニューギニアまでの15地域への慰霊追悼の
募集がありました
私の父はマリアナ諸島の中の小さな島”テニアン島”での戦没となっていますので
「マリアナ諸島慰霊友好親善訪問団」に姉と2人で参加いたしました。

・父を国に捧げた戦没者の遺児が、一度は亡き父の眠る地に赴き、心行くまで慰霊追悼 を行う。
・現地の方々との友好親善を深める。

以上がだいたいの説明です。したがって観光とは全く違い
戦後61年間の想いが詰め込められたかなり
”重い”旅でした。


ここからは北に向かってサイパン島の戦跡をめぐりました。
高い岩壁、岩肌にある洞窟に祭られているマリア像
ここには数少ない水源地の井戸があって
当時は野戦病院となっていました。
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マッピー岬  (バンザイクリフ)

バードアイランド (月見の島)



小さな小島が浮かんでいますがそこは鳥たちの楽園になっています。

スーサイドクリフ (自殺の崖)



ここも悲しい名前が付いています
下を見るとやはり50メートル以上ある崖となっています
ここでも多くの人が飛び降りています。



観音像が建立されている

国籍のいかんを問わず、なくなられた方々の霊を慰め、この世に再び
おろかで悲惨な戦争が起こりませんように、永遠の平和を祈願するためのもの
と記されていました。

今日はサイパン島を廻りますので追悼祭の準備をして出掛けて下さいとの事ですが
一体どの様な事をするのか皆目わかりませんでした。
バスで1番目の地点