マリアナ諸島慰霊友好親善訪問  
   
 


         

各県毎に花輪が飾られ、祭壇には果物や日本から持ってきた水・酒・タバコ・お菓子などを
お供えして全員が一人ずつ献花をし、黙祷・国歌斉唱、般若心経を唱え
「ふるさと」を合唱いたしました。

記念樹の植樹も致しました。いつの日にかこの場所に立って大きくなった記念樹を
見ることが出来たらいいなあと思いました。


この式典に当たりましては、サイパン駐在の「松海領事様」始め、
多くの現地の方々や、遺族会の方、添乗員の方々の本当に親身なお力によって
厳かに行われました。

ありがとうございました。

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今日でサイパン島、最後の日です、明日にはもうこの地ともお別れです

午前中は昨日から合流した人たちも一緒になりまして
「日本政府戦没者慰霊碑」にて合同慰霊祭を致します。

この公園にはアメリカのみならずマリアナ諸島全体での戦没者の
慰霊碑も建てられていました。

(財)日本遺族会企画の慰霊訪問
サイパン・テニアンへの旅
平成18年7月22日〜7月29日


第六日目

7月27日(木)

昼食はサイパン一番の繁華街にあります
フェエスタリゾートホテルのレストランにてバイキング
ーーーこのあたりになりますとメモをしておかないと
どんな食材であったのかわからなくなっているーーー
但し、暑さで食が進まないと言いながら、
これは別腹とケーキを取りに行った事は覚えています・・・・・・(;^_^A アセアセ・・・



日本平和記念碑がありますこの公園で合同追悼式を行います。

ここはサイパンの最北にあり「ラスト・コマンド・ポスト」と言って
最悪の激戦地だった。後ろの崖は砲弾の跡が今でも生々しい。
辺りにはスーサイドクリフやバンザイクリフがあります。



ホテルの食堂にこんなメニューが掛けられていました???(((o(^。^")o)))
1日目・2日目へ   3日目へ  4日目へ  5日目へ  6日目へ  7日目へ      
                                             


戦争博物館

サイパン島には今なおたくさんの戦争遺留品が野ざらしになっていると言う

ここには飛行機のエンジンの残骸や兵隊さん達の持ち物などが置かれていた。

太平洋戦争勃発の日本の考え方と、アメリカの考え方の違いなどが
書かれていました。

しかし、いくら考え方の違いがあったと言えども
人が人を殺すと言う行為は、正常な精神の元では起きない。
やはりあの頃の先導者は狂っていたとしか考えられない。

成人を洗脳する事があのように簡単な事か・・・・・・・・
人間って、弱いのですね(-_-メ)

今夜は最後の晩餐です

ホテルのレストランにて懇親会

『American Memorial Park』(アメリカ記念公園)

どんな時でも、別れは淋しい・・・・・・夜遅くまで数人で語り合いました。

突然ですが、ここで今回の慰霊巡拝に対して大変お世話になりました方々の
御紹介をさせていただきます。

日本遺族会 東(ひがし)隊長
総責任者として、慰霊巡拝の指揮をとって頂きました。

日本遺族会 張ヶ谷隊長補佐
明るく若い彼女に場が和みました。

株式会社日本旅行 高橋さん
責任感が強くとても頼りになる添乗員さん

株式会社日本旅行 大澤さん
いつも全体を見てサポートして下さいました。

姉の食事には気を遣って下さいましてありがとうございました。

老人ホーム


サイパンでは65才以上になりますと誰でも老人ホームへ入れる
資格が与えられています

私たちは今回の慰霊訪問の目的に現地の方々との友好親善も
組み込まれています、
車椅子2台を寄贈してホームで1時間くらい一緒になって歌やダンスをして
楽しい時間を過ごしました。
日本語が通じる方もたくさんいらっしゃいました。日本人の方もお見えでした。


私に花の冠をプレゼントをして下さった人です。
突然の事でしたので、私は手に持っていた新調のセンスをあげました
this is 「ジャパニーズ・うちわ」  通じたかしら??

ここをクリック  時間がかかりますそのままお待ちください