韓国旅行その1
1995
10日〜
日付内容行き先
動機+1995.10.01マクドナルドで待つマクドナルド(笑)
1日目1995.10.02出発!明洞
2日目1995.10.03バーチャファイターとロッテ百貨店竜山、ロッテ百貨店
3日目1995.10.04市場と古書店、M上合流東大門市場、夜の南大門
4日目1995.10.05ロッテワールド、ニューデリー蚕室ロッテワールド
5日目1995.10.06霊は写っていません、熱イ!三豊百貨店、垢すりツアー、ソウルタワー
6日目1995.10.07うわっ、こんなところに!帰国

「10/7(土)」

 ついに韓国と別れの日が来た。朝6時に起き、手荷物をまとめる。1番手荷物の多い僕は苦労する。Y岸、M上が少し持ってくれたのでありがたい。イカを捨てた。チェック・アウトの時、ルームサービス、国際電話のお金を請求される。

 空港のレストランで食事。和食弁当であった。味はイマイチ。これが韓国での最後の食事となる。

 時間が余る。ヒマ。M上がお土産を買いにいったりしている。海外旅行の定番「マカデミア・ナッツ」を買ってきた。何も韓国でこれを選ばなくても。どうもこれを「海外旅行のお土産」と称して買ってくる人の気が知れない。どこでも味、一緒じゃん。チョイと雑談する。韓国では「CDよりもカセットが中心であること」「ラジオ番組のDJが人気」「日本の女の子よりも韓国の女の子の方が良い」と言う話を聞いた。

 チョイは、「正直な話、日本の女性は足が短いですネ。」と言い、
「でも、韓国の女性、性格がきっついデス。」と言っていた。やはり僕の思っていた様にアジア一短いかもしれない。

 更に何と、あれだけ探したプラモデルが、チョイの家の近くにあることも判明。
チョイの趣味は、ラジコンだったのだーっ!!こんなことなら、もっと早く話していればよかった。

ペ「来年も行くぞ!M上。」

 帰ってからビデオを見て驚いたのだが、この雑談の間M上は、チョイの後ろにいた韓国の女性をずっと撮っていた。
(しかも、隠し撮りに気付いて逃げられてる。笑)
出国手続きをする。アレッ?荷物を預かってくれないの!?
あぁっ、飛行機内にはK高校の生徒が!!ライジンオーを隠せっ!!!サヨナラ韓国。

M上の日記より

 チョイ、いいやつでしたね。ボクらはどういうお客さんにみえたかな。「うるせー日本人だなー、金のない日本人はあっちいけシッシ」て感じかな。(そんなことは、ないと思う。)
でも、友達みたいな奴だったな。チョイとは仕事ぬきでどっかで遊べれば、よかったな。


 今回、我々が使った韓国語は6単語。意外とこれだけで大丈夫だった。

アニョハセヨ:こんにちは、おはよう、いらっしゃいませ
カムサミダ:ありがとう
オルマイヨ:いくらですか
ピッサネヨ:高いよ
カッカジュセヨ:負けてよ
ヨボセヨ:もしもし、すいません(呼びかけ)

「さよなら、チョイ。」


「それから」あとがき

ペ「来年も行くぞ!M上。」
 これは結局、果たされませんでした。旅行中も心の中で、「もう、こんなにうまくタイミングが合うことなどありえない」と思っていましたし、もう2度と韓国に行くことも無いだろう(実際、次はアメリカとか、香港と言ってましたし。プラモデル専門店は心残りでしたが。笑)と、結構普段よりも羽目をはずした行動もしました。今から見ると、かなりヒドイ事してますね。

 日本に着いてからのエピソードを1つ。空港からの帰りは、来た時と同じようにY岸の車だったのですが、その車の中で僕とM上は、FMから流れてきた日本語が変(何語か判らない)に聞こえました。あまり日本人のいない所ばかり行っていたので、自然に耳が韓国語を待っている状態になったのだと思います。そう言えば、中国から戻った時もそうでしたね。毎日、日本語を使っていたのに不思議なものです。Y岸は何も感じなかったそうですが。(笑)

 オリジナルの日記には、別の角度からの意見も知りたかったので2人にも書きこみを依頼しました。僕の日記が完成するのが遅れたせいもあったのですが、結局Y岸はそれどころで無い日々が続いたので、書いてくれませんでした。しかし、M上のおかげで面白い日記になったと思います。

 Y岸はこの旅行の後、めでたく順調に結婚し、今では2児の父です。ちなみに年子です。反省してないんかいっ!!…全く計画性が無い。こんな彼も、韓国から帰った後は店のPOP(商品を目立たせるためのプレート)に韓国で見た方式を採用していました。僕も「いいな」と思って、早速店でやり始めたところだったので、「さすが目ざとい」と驚いたものでした。判ってはいたものの、彼はしっかりした奴なのです。これであの異常なパチンコ・パチスロ好きさえ無かったら…。(笑)そして99年、Y岸は店長になりました。あっ、そうそう。垢すりサウナで7キロ減った体重は、3日後に元に戻ったそうです。
Y「結婚式の祝辞の時、若いのに貫禄があるとか、恰幅がいいとかばかり言いやがって。それって、太っとるってことか〜〜っ!」とまぁ、そんなことで。

 この日記の中で、急に状況が詳しくなってしまうところなどありますが、あの時のビデオを見なおしてみたのです。そうすることで細かい所の自分の記憶違いがずいぶん発見され、又、加筆できました。僕の知らないY岸とM上の行動も写っていて、ビデオってつくづく便利だなーと思いましたね。というわけで、ビデオで撮り始めた日の日記から、文章量が格段に増えたのです。

 僕は羽目をはずした反動か、しばらく仕事(この頃、職場の人間関係がギクシャクしていたので)や実生活でつまらない日々を過ごしました。つらいことがあるたび、韓国を思い出しました。本当に夢のような旅行でした。


 おしまい。

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