恐竜・系統学・科学と科学哲学
恐竜やるなら科学とか演繹、帰納、仮説演繹、ベイズ、系統学や科学哲学とかまでふまえて幅広く考えなきゃいかんねえ、という意味合いで徒然につらつらメモするコンテンツ。
2005年6月27日:その補助仮説っていい補助仮説?
すっかり忘れていたのだけど、以前、検索で見つけたびっくりするような補助仮説、
:中国産の羽毛恐竜の羽毛は中国のねつ造である
について^^)。
補助仮説というのは理屈を積み重ねて物事を考える時に、明言はされていないけど、実際には皆が暗黙のうちに前提にしいている仮説のことですね。例えばわたしたちが人と会話する時、自分達が見ているこの世界は現実であって、けっしてバーチャルな映像でも疑似体験でもマトリックスでもない、と前提している。これは極端な例にしても、こういうものが補助仮説。
さて、中国産の羽毛恐竜の羽毛は中国のねつ造である、が一体全体なんの補助仮説になるのかというと、これ、鳥は未知の樹上性爬虫類から進化した、というアイデアを救うための補助仮説なんですね。
事態を説明すると、
1:鳥の起源にはこれまで論争があった、ひとつは鳥は恐竜から進化したというもの(鳥は恐竜説)、もうひとつは鳥は未知の樹上性爬虫類から進化したもので、恐竜とは類縁関係が遠い、というもの(鳥は恐竜でない説)。
2:系統解析をして、恐竜と鳥と他の爬虫類の類縁関係を調べたら、鳥は恐竜説が強力に支持された。
3:さらに新しい恐竜の化石、羽毛の発生学上の証拠、そして羽毛を持った恐竜化石の産出など、鳥は恐竜説を支持する証拠が幾つも見つかった。。
このように鳥は恐竜から進化したという仮説は現在強力に支持されている。より詳しくはこちらを参考:鳥と恐竜の進化はどのように考えられてきたか?。
だけど、
当然ながら反対する人もいる。でもってその人たちの一部から出た議論が、
:中国産の羽毛恐竜の羽毛はねつ造である
というもの。つまりこれは、鳥は恐竜説をサポートする証拠に疑問の眼を向け、そしていまや不利になった鳥は恐竜でない説を救おうという論法。暗黙のうちにしかれていた”羽毛恐竜はつくりものではない”という前提にメスを入れようということらしい。
じっさい、そういう疑いの眼をもたれるのにはまったく理由がないわけではない。Stephen Czerkas スティーブン・ツェルカスという恐竜造形家&イラストレーターがいて、その人、1999年に中国の化石ディーラーから面白い(ある意味ではチグハグな)特徴を持った恐竜とも鳥ともつかぬ化石を8万ドル(!!)で購入して、さらにそれをナショジオに持ち込んで記事にさせてしまった(ナショナル ジオグラフィック 日本語版 1999年11月号 pp94~95)。しかしそれはかなりの暴走行為で、心配された通り、その標本は複数の化石をつなぎあわせたものだったんですね^^;)。ナショジオは読者に正式に謝罪するわ、ことのてん末をライターに依託して何があったのか今回の事件についてレポートさせるわで、てんやわんや(ナショナル ジオグラフィック 日本語版 2000年10月号 pp174~179)。
まあツェルカスはアーティストでしかないんだけど、研究者まで巻き込んでしまったからちょいとしたスキャンダルになったという次第。ちなみにツェルカスは恐竜に関してずいぶんでっかい本を書いていて「恐竜 スーパー・イラスト版 DINOSAURS 地球環境からみた恐竜の進化と絶滅の物語」 河出書房新社 があります。個人的にはこの本の内容はすべてではないけど書いてあることがちょっとおかしいと思う(ちなみにCzerkas はナショジオではチェアカス、この本ではツェルカスと表記されています)。とまあ彼の著作はとりあえずおいて・・・、
このような事件があったので羽毛化石に疑いの眼を向ける根拠はあるわけです。しかし、中国産の羽毛恐竜の羽毛はねつ造である、が妥当な仮説かというと、それは違うでしょう。
というか正直いってしまうとこれを信じちゃう人は本物を見たことがないんでしょう。
確かに市場に出回る中国のさまざまな化石はしばしば修正されたり補正されたりされています。もっとも、これは化石としては普通なことなんですよね。市場には世界中の化石が出回っている。中国、アメリカ、ロシア、フランス、ドイツ、スピッツビルゲン島、ブラジル、アルゼンチン、オーストラリア、マダガスカル、モロッコ、レバノン、ギリシャ、イタリア、チモール、ニューギニア、タイ、日本などなどなど。
そうした市場に出回る化石のあるものは補正されたり、修正されたり、どこの国の何とはいわないが、はなはだしい場合にはオリジナル部分が1割とか2割しかなくて残りは保存のよい化石からかたどったレプリカというものもあります(最近は見ないかな?)。まあ化石ってのはもともと壊れ物ですから、しょうがないといえばしょうがない。じっさい、派手に修正されたものと、保存がよくて無修正だが地味な化石を並べるとお客はどちらを買うか?。
派手に修正されたものなんですよねえ^^;)。残念ながらそれが現実。
さて、中国の化石というと、個人的に見た限りでは修正したり補正したりする技術はたいしたことはありません。むしろ他の産地のものよりも技術は稚拙で、それに比較的良心的かもしれません。補正した部分がばればれだったり、継ぎ足す時も本物をつぎたしてますから。オイオイ(^^;)。ただ時々、とんでもないつぎたしがあって(別個体どころか別属のものが組み合わさって)えらいことになっているのがあります。先のツェルカスさんがひっかかったのもそういうもので、ドロマエオサウリデーの尻尾と鳥の身体などをくっつけたものらしい。
個人的には中国産の羽毛恐竜は偽造ではないでしょう。ああいう微細な構造のものを偽造するのは普通に考えるよりもはるかに難しい。例えば世界的に標準的なやりかたである、上から色を塗るとか、あるいはなにかを塗り付けてから描くというレベルではすぐばれてしまいます(すごい保存の悪い化石で、きたないマトリックスが背景にあるのならできるかもしれないけど)。それにそもそも今のところそういうレベルで加工された中国の化石は見たことがありません。
たしかに北村は偽造の羽毛をほどこされた化石を1点だけ見たことがありますが、それはコンフシオルニス、いわゆる孔子鳥のものでした。コンフシオルニスは中国からやたらに産出して一時期、市場に出回っていたのですが、そのうちの1点に羽毛が付け加えられていたんですね。ただし、それはアメリカで加工されたもので、その方法は○リルでけ☆◇※ものでした。いやあとてもよく芸術的につくってありありました^^;)。もっとも加工の仕方がしかたなので加工だってすぐ分かりますけど。
あと、コンフシオルニスの化石のかなりのものは羽毛の痕跡がないものでした(一例としては北村の著作「恐竜と遊ぼう」で掲載されているコンフシオルニスの写真を参考のこと。この化石はあちらで撮影したものですが、羽毛はない)。
こういう化石が市場に出回っているということ事態、羽毛偽造説にはあまり有利な証拠ではないですね。こうして見ると羽毛偽造説は補助仮説としてはとても弱々しいものでしょう。それにそもそも、先のツェルカスがひっかかった化石も複数の化石のパーツを組み合わせたものであったことが問題になったわけです。つまり羽毛の偽造とは別問題(テクニカルに考えても別問題であろう)。だからこれをもって恐竜の羽毛も偽造であると考えるのは結構な飛躍が必要です。それにそもそも羽毛恐竜の羽毛が偽物だという直接の証拠があるわけでもない。つまりこのままではこの補助仮説、
羽毛恐竜の羽毛は中国の偽造である
は思い付きの域をでていないし、少なくとも実際に市場に出回っている中国の化石をみると、かなり無理があるとしかいえない。
それにしても、こんな補助仮説を導入してまで救わなければいけない、鳥は恐竜ではない説っていったいなんなんでしょうね?。
追記:ちなみにツェルカスによるこの事件、ナショナル ジオグラフィック 日本語版 2000年10月号 pp174~179 を読む限りでは、どうも関係者の間で意志の疎通がしっかりなされないままツェルカスの前向きな行動が事態を押し進めたという感じらしい。くだんの化石を当時、Archaeoraptor liaoningensis アルカエオラプトル・リャオニンゲンシス(<ナショジオの表記まま)として記載しようとしたが、nature も science も拒否したのは印象的。
面白い事件だと思うけど、この事件をもって仮説がゆらぐと考えるのはいかがなものか?。
あと、購入価格の8万ドルというのは仮に本物であったとしても、ちと高いような・・・。
2005年6月23日:表現をいい感じにしても、やっぱ壊れました
下の6月21日の書き込みで、羽毛は飛ぶために進化した、というのは目的論とか生気論じゃないのか?。ということを書いたけれども、ちょっと整理してみました。
羽毛は飛ぶために進化した
うわっ、なんか生気論っぽくない?。こういうことを言ったり書いたりするとそんな容赦のない突っ込みがあるので、この文章を次ぎのように書き換えたらどうか?。
羽毛は動物が飛ぶ動作、あるいは飛ぶに近い動作で生活する過程で淘汰されてできた器官である
これなら目的論とか生気論ではなさそうですよね^^)。それにこういう表現ならいかにも仮説っぽいし、実際に仮説ではあるまいか?。それにこの仮説、検証することだってできる。例えば鳥の進化の道筋を系統解析して、進化の過程で羽毛という特徴がどのような構造から変化してきたか見ればよいのだ。
でもって、結果的に羽毛は飛ぶ過程で淘汰されて形成されたわけではどうもないらしい、ということが分かってしまった。どう定義するかにもよるのだけども、風切り羽さえも飛ぶためのものでない可能性があるのは以下にも書いた通り。チューブ状の羽毛を持つシノサウロプテリクスは飛べないし、腕に風切り羽(対称のもの)を持つカウディプテリクスも飛べない。また彼らは二次的に飛べなくなった動物でもないらしい。系統解析はそのことを示している。さて、羽毛のなかでも飛行に効果をもたらすのは非対称の風切り羽なのだけど、それを持つ動物、ミクロラプトル・グイと始祖鳥がいずれも飛べるだろうなという身体の構造をしているのはいかにもという感じ。
つまり羽毛を持つ恐竜のなかで、飛行に適応した羽毛を持っているのは一部の種類だけというわけ。
つまるところ、羽毛は飛行という動作や環境に適応したものでもなんでもなくて、羽毛をもっていた動物群の一部からこの構造を非対称の風切り羽という、揚力をうみだす器官へ転用したものが出現したというのが系統解析の支持するところ。古典的な仮説でいうような、樹から樹へ飛び移っていく過程でウロコがのびて羽毛になったという仮説は支持されていない。
ようするにこの仮説は検証という過程のなかで木っ端みじんになってしまったというわけ。
まとめると、
羽毛は飛ぶために進化した、という文章や言い方は目的論というか生気論的すぎる。それを、羽毛は動物が飛ぶ動作、あるいは飛ぶに近い動作で生活する過程で淘汰されてできた器官であると表現すれば、それは生気論っぽさが抜けていい感じな仮説にはなるのだけど、この仮説は支持されない。
にも関わらず、羽毛は飛ぶことに適応して出来た器官だというのなら、まずもって科学の検証というテストを無視したことになるし、検証を無視してまでその仮説にこだわる理由はなんなのだ?と突っ込まれることになるのだろうなあ。そこまでこだわる根本的な動機にはやはり生気論だの目的論があるのか、あるいは今の動物の器官の役割は祖先でもまた同じであることに確信をいだいているのか、そういうことになのか、あるいはどうなのか?。
2005年6月21日:それは生気論とか目的論とか
先日、科学に非常に見識があるといわれる人が「人間がこの世に誕生した意味や目的とは考えることにあるのです」と発言した場面に遭遇。さらに周囲にいた人たちまで、なるほど!!と感銘を受けていた様子。
彼は研究者でもなんでもないんですが(それは北村も同じだけど)、しかしながら彼の発言と周囲の反応に、北村はおおいにとまどってしまい、衝撃を受けた次第。
どう考えても彼の発言はいわゆる生気論とか目的論だと言われるものですよね?。少なくとも一部の人たちから科学の旗手であるかのように受け取られる人がこんなことをいって、あまつさえ周囲の人間までこれに賛意を示すとは・・・。
じつは北村には思い当たるふしがあって、くだんの彼は「ダーウィニズムでは進化は説明できるわけがない」といったことがある。「なんで?」と北村が聞くと「できるわけがない」と答えていた。どうも話を聞くとランダムに起きる突然変異で機能のある構造が出来上がることが理解できないらしい。これはかなり奇妙なことで、できない理由がわからないし、それに実際にできる。進化アルゴリズムでプログラムを進化させたり、問題解決を行うこともできる。
そういう予備知識があったせいか、北村としては彼の発言を重大なものと受け止めたのかもしれません。たぶん、彼は機械論者でもなんでもなくて、じつは科学とは異質な生気論や目的論を念頭に置いているのではないか?。だから機械論であるダーウィニズムが理解できないのではないか?。
でもって科学好きと自称する人たちのかなりの部分は、科学なんぞ眼中になくて、これまた生気論や目的論を奉じているのではないか?。そんな疑惑を抱きました。
北村としては、
「北村くん、この文章のこの言い回しは目的論のように聞こえるよね?。」
「ああ、たしかにそうですね。少し言い回しを工夫しましょう。」
とまあ、こういうやりとりを研究者としたことがあるわけで、そういう経験からすると実際の研究者と科学好きな人々とのギャップはなんなのだ?と思う次第。
そういえば恐竜でもこういう話題多いように思えます。例えばこういうことを言う人たちがいた。
鳥の羽毛は飛ぶために進化したものだから・・・・・
別にそんな目的に向けて進化したわけじゃあないですよね。哲学うんぬんを抜きにして歴史的にみても、系統解析すると羽毛の最初の機能は飛ぶことにはなかったし、風切り羽さえもそうでなかった可能性がある。
とはいえ目的論にそって考える人々から見ると、「羽毛は飛行のために進化したのだから」という大前提が最初にあるから、それに反する結果を出す系統解析をうさんくさく思うのかも知れぬ。
逆にいえば、北村などからするとその大前提を彼らがなぜ正しいと確信できるのかは理解するのが難しい。
系統解析は明瞭なアルゴリズムだし、アルゴリズムそのものがどんなものなのか検証することができる。さらに導き出した仮説もそこに新しいデータを加えて検証できる。確からしさを知りたければ自分で確かめればいい。
それは、その新車の性能が知りたいのならその車に乗ればいいのと一緒で難しい話でもなんでもない。
一方で彼らが信じる大前提がどんなものなのか知るにはどうすればいいのか?。
たしかに系統解析をすることでその大前提、つまりこの仮定なり仮説を検証することはできるし、実際にできる。そしてその前提、羽毛は飛ぶために進化したは否定されてしまう。
そうなのだけど、相手は系統解析自体に不信感を抱いているからその結果を拒否する。
すると議論はもとに戻ってしまう。すなわち、そのゆるぎない確信はどこからくるのか?。
2005年6月17日:指問題
これは先の話の続き。観察する限りでは幾つかのコンテンツ、ブログなどでは鳥の起原に関するスタンダードな仮説に対して、それなりに反対する根拠を上げていて(いわゆる反証)、ひとつに曰く、
:恐竜の手の指は1、2、3だが、鳥の指は2、3、4だ。
なるほど、これは古典的に言われていることで、フェドューシア教授もその主張はなされておられる。ただ、この証拠でスタンダードな仮説がひっくりかえるかというと、それは心もとない。例えばこの証拠をAとして、他の証拠を1〜75とする。するとこうなる。
証拠1〜75はスタンダードな仮説を支持する
しかし証拠Aはスタンダードな仮説を反証する
証拠Aは教授たちの仮説を支持する
しかし証拠1〜75は教授たちの仮説を反証する
もし、証拠Aを他の証拠、例えば証拠1、証拠2、証拠3、証拠4・・・・・証拠74、証拠75のそれぞれと同じ価値があるとした場合、証拠Aは大きな影響力を持たない。証拠Aはスタンダードな仮説を危機には追い込まない。
もし証拠Aによってスタンダードな仮説が反証され、つぶされると考えた場合、それは系統的に見た場合、証拠Aの情報は証拠1+2+3+4+・・・74+75よりも大きいと仮定したことになる。
つまり、スタンダードな仮説が反証されてつぶれて、反対に教授たちの仮説が支持されるには
証拠A>証拠1+2+3+4+・・・・・74+75
と仮定しなければいけない。
ここで問題になるのは、証拠Aだいなり他の証拠全部、という根拠はなんなのかということで・・・。
私たちはある証拠が系統的にどのくらい有意義な情報を含んでいるのか?、それをあらかじめ知ることがほとんどの場合できません。だからとりあえずどれも同じ程度の情報だと仮定して解析する。それはまあ作業上やもえないのでしょう。そうすると証拠Aは証拠1〜75に勝てない。
ひるがえって、証拠Aはスっげーんだ!!、他の証拠よりもめちゃくちゃ強いんだ。75倍以上っす!!。そのように主張することはできるのだけど、そういう仮定を置く理由たるやなにか?。それは良く分からない。もちろん指の発生過程は進化の上で大きな変化をこうむらない、と主張することはできるが、今度は、
おまえ、なんでそんなこと知ってるの?
と突っ込まれること疑いない。そういえばちょっと違う話なのだけど、グレッグ・ポールがセグノサウルスは古竜脚類の子孫ではないか?、と論文を書いた時、足指の特徴が派生状態から原始状態にリバーサルすることは非常に考えにくい、としたけど、それも後の化石発見で反証されてしまったしなあ。個人的には彼の仮説は好きなんだけど科学は好き嫌いの問題ではないですしねえ。挙動が良く分かっている一部の特徴(レトロポゾンとか)ならともかく、あまり変な仮定を置いてもねえ。
まあ恐竜と鳥の指の問題はおいおい解決されるのでしょう。遺伝子や発生過程の解析とかやっているし。そういえば北村の知人が、えー、指問題?。むしろケラトサウリアの人さし指がテタヌーラの親指だとした方が長さの点ではむしろ整合だよねー、って感想いっていたっけか。まあそんなことはないと思うけど、なるほどね、そういう考えもあるかいな、と。
彼は科学の教育も受けていないし、そういう思考もしないけど、ものはよく見ている。
2005年6月16日:ドグマになれないのは皆のせいじゃありません
ひさかたぶりに恐竜についてGoogleで検索をかけたらいろいろとおもしろいコンテンツやブログがひっかかってきました。検索キーワードは鳥、恐竜、進化。それらを見る限り、どうもネット上では鳥の進化の仮説は次ぎのように受け取られているらしい。
1:現在もっともスタンダードな仮説によると鳥は恐竜から進化した
2:しかし鳥は恐竜とはなんの関係もないという仮説もある
3:他にも仮説があって鳥の起源についてはいまだに議論が続いている
これはちょっと面白い受け取りかたかもしれません。ある仮説がスタンダードになるのにはそれ相当な理由があります。ですが、これらのコンテンツではそうした理由も結果も全部とっぱらわれて、複数の仮説がある、という点が注目されているようす。結果的にどの仮説が正しいのか分からないという結論にいたる。
鳥は恐竜とはなんの関係もない、そうした意見の急先鋒には、例えばフェドューシア教授などがいます。じっさい、幾つものコンテンツやブログなどで彼の著作(和訳)の引用がなされているくらいです。しかしながら教授の主張は根拠をさほど持っているわけではない。それなのになぜこんなことになるのか?。
そもそも、もしも教授の仮説に根拠が十分あったら、彼の仮説はすでにスタンダードになりつつあるか、あるいはなっていてもおかしくない。しかし現実はむしろ逆。教授の意見は少数派に転落してしまったし、彼の仮説をサポートする証拠も出てこない。むしろスタンダードな仮説を補強する証拠ばかりでてきてしまう。
教授の置かれたこのような状況は彼の仮説が弱いこと、そのものを示しているのでしょう。
しかし、こういう状況であるにも関わらずスタンダードな仮説と教授の仮説が消費者には等価に扱われている。これはなぜなんでしょうか?。仮説の確からしさの違いが見えないのかもしれないし、あるいは別の原因があるのかもしれない。
人によっては、ほとんどの科学者が同じ仮説を支持するのはいまわしきドグマなのだというらしい。実際まさにこれはドグマかもしれぬ。
ただ、そういう人は、ドグマになる仮説にはそれにふさわしい根拠と裏付けがあったのだ、例えば地動説がそういうものだ、と言われたらどう反論するのか?。結局のところドグマだからだめだというのは問題のすり替えなんですよね。それだけでは単に根拠を無視した価値判断でしかない。自分の価値観で世界のあり方が変わるかというと、自然はそんなこと許してくれない。天動説でも天体現象は理解できるけど、宇宙が天動説体系の通りになってくれるかというとそうではない。人によっては根拠を無視するのはスタンダードな人々の方ではないか!!と言うかもしれないけど、反対に教授の意見にしたがうと、はるかにぼうだいな根拠を無視しなければいけなくなる。
教授の仮説はとんでもない数の収斂現象を仮定しないとなりたたないし、悪いことに支持する化石がまるで出てこない。つまり教授の仮説は成り立つ条件が厳しすぎて仮説としては弱いし、説明能力にも乏しく、おまけにちっともサポートされない。
ようするに科学として見た場合、教授の仮説を採用する理由はなく、そして実際にされていない。にも関わらず、消費者にはそうとは思われぬ。それでいながらその根拠が示されない。これはどういうことなのか?。
逆にいうと、奇妙なのは天動説は無視され、地動説がなんの疑いもなく受け入れられていることなんですよね。そいうことが議論になっているのはあまり見たことがありません。でも地球が太陽の周りを回っていることを具体的に示すのは鳥の系統進化を推論するよりもむしろ難しいように思えるのですけどねえ。
後、個人的には教授の著作は面白いと思うのですけども、あまり初心者向きではないなあと・・・。